第六話 賽は投げられた
「あの頃の明はとても素直で可愛かったというのに……人の悪口を言うなんて――明はいつからそんな子になってしまったんでしょうね」
「……」
「――そんな反抗的な目をするなんて哀しいですね」
「ッ!」
「――ハア。明、何度も言ったでしょう?思っていることが顔に出る癖を直しなさい、と――世の中には『本音と建前を使い分けろ』という言葉もあるくらいなんですよ」
(それが通常運転のあなたと世の中の人たちとの限度が違うだろ!)
「小さい頃の明は本当に良かった―――どんなことでも私が涙目でお願いしたら何でもきいてくれてましたもんね。例えば、私がどうしてもグミの実が欲しいと言えば、雨が降ろうとも夜遅かろうとも山へ入って取って来てくれましたよね?」
「それは、優斗が心臓の病気を患い回復の見込みがなくて命消える前にもう一度わたしと優斗と充で山へ遊びに行った時に見つけて食べたそれをどうしても見たいと言って私を騙したからだろッ」
そうなのだ――今、考えればそんな大病を患った大事な跡取り息子を自宅で療養させるなんて十分おかしいと疑うのに、幼い頃のわたしはそれはそれはとても純粋で、可憐な天使のような男の子(優斗)が胸を押さえながら布団で寝込み息も絶え絶えに一生懸命懇願するものだから優斗の嘘に騙され、グミの実に限らず所望された様々なものを雨にもマケズ風にもマケズ、その他色々なモノにもマケズ手に入れ、優斗に献上していたのだ。
「グミの実に限らず他にもたくさんパシられたことを誰が忘れるか!一年近く続いたんだぞッ……どれだけ危ない目にあったかっ」
今でもその日々のことを思うとゾッとする。
「ああ。そういえば、明と充と私の三人でよく私の家の近くの裏山に遊びに行ったことを覚えていますか?明はよく迷子になって大変でした」
「何を言ってる?!そもそもあれは『誰かの泣き声が聞こえる……明、助けに行ってあげて』とか何とか理由をつけてわたしだけを舗装されていない道に誘導したからだろッッ」
そう――あれは優斗が健康優良児であるという衝撃の事実が判明した後のこと。あんな仕打ちを受けた後でさえ、わたしは優斗がキラキラ輝く天の使いの如く守るべき大切な王子様だと思い込んでいたのだ。
だから、結局、優斗と充と行動を共にすることが多かった。二人は一足先に小学校へと進学し行動範囲が広くなったことで、わたしも自然と山へ入り探検したり近くの川辺で秘密基地を作ったりして遊ぶことが多くなった。
そんな時に優斗によってもたらされたものが、山に置き去り事件だった。
道に迷い、辺りは暗くなり、このまま一生家に帰って家族に会うこともできないのかと思った。まあ、本当に危なくなった時は二人に助けられたが、無事に一人で帰ることができるようになったのは四年後のことだった。
「そういえば、他にも――」
「もういいっ!わたしが悪かった!もうこれ以上は止めてくれ!」
もう、これらのことはわたしにとっての黒歴史だ。
優斗は天使さまなんて可愛らしいものではなかった――そう、優斗は幼き頃から自分の見た目の良さとそれがもたらす他人の自分に抱くイメージを全て分かっていて、自分の意図するところに人を動かそうとする腹黒大魔王だったのだ。
こんなスキルをもった幼稚園児や小学生なんて嫌だ。
それに優斗には人を従わせる側の人間がもつ王者の風格がある。
こいつに逆らったらいけないと他者に思わせるのだ。
優斗の太刀の悪さは、これだけではない。
そういった顔を絶対に見せないということだ。
だから、優斗が興味をもたない人間には、優斗の本性を見抜くことは不可能だろう。
「でも、明はこのおかげで成長したでしょう?」
「……」
「全ては明のためですよ」
確かに、体力的にも精神的にもその他色々な面で成長した――そして、今の自分があるとは思う。だが。
(だからと言って素直にそれを認めるわけないだろっ)
それぐらい反抗したっていいと思う。
それに、わたしのためとか言って一番愉しんでいたのは優斗だろッと声を大にして言いたい。
「あの、充先輩」
「ん?何だ?」
「明ちゃんは一体何を目指してたんですか?明ちゃんってバカなんですか?」
「……お前って、たまに辛辣になる時があるよな――そこはせめて呆気者とか愚直とかでオブラートに包んどけ」
「いや、先輩。難しい漢字に変換させただけで、意味は変わらないですよ。全然包まれていないです」
「お前、突っ込みもイケるのか――ま。あの二人は放っといて」
「え?放っといていいんですか?充先輩」
「ああ。あれはいつものことだから」
「そうなんでんすか」
まるでシェパードを前にして震えるチワワのような目の前のやり取りを「放っておけ」と言い捨てる充も充だが、それに納得して黙ってしまう麻衣子も麻衣子である。
(うぅ、だっ、誰か、助けてくれぇ…)
正に『四面楚歌』とはこのことである。
「麻衣子、紹介するな。こいつが前に言ってた俺と明のお…」
「あーっ、優斗だ!」
甲高い声が辺りに響いた。
麻衣子の肩がビクッと上がり、充が心底嫌そうな顔をし、優斗の目が冷えた。
(招かれざる客ということだな)
「優斗ぉ!」
そうして、化粧をバッチリ施した女性は、甘ったるい香水の匂いを振りまきながら、わたしを押しのけ優斗の腕に己のそれを絡ませた。
「…梨華さん」
「こんなところで優斗に会えるなんて思ってもみなかったわ。嬉しい」
そう言って梨華という女性は頬を染め、幸せそうに優斗の腕に頬擦りをした。それを見て優斗は微笑んだ。とてもお似合いな二人だ。
優斗は何度も言っているが容姿端麗だ。
切れ長の目、形の良い鼻梁、色気漂う口元――男らしさを感じる精悍なイケメンである充とは違った、まるで一つの絵画のような美しさをもった中性的な美形が優斗である。
そして、梨華という女性も背が高くスラッとした、真っ直ぐ伸びた艶やかな黒髪と勝ち気な目が印象的な美人である。
だから、二人が並んで立っていると、周囲が色めき立つ。まるで何かの映画の撮影のような特別さを感じるのだ。
(ただし)
優斗と長い付き合いだから分かる――優斗の目が冷え切っていることに。
「これは、ヤバいな」
「ああ。そうだな、明」
思わず口に出てしまったわたしの言葉に充が苦笑した。
優斗は充以上に潔癖だ。
きっと、それは幼少時代に彼を取り巻く環境に要因がある。わたしたちは京の地で古から続くとある一族のものだ。これでも幼い頃からそれなりの英才教育を施されてきた。
ちなみに、わたしたちが京都生まれ京都育ちなのに、誰も京都弁で話さないのは、こうした経緯から様々な土地での人脈を形成していく上で、周囲の人に分かりやすいよう標準語で話すことを強制されたからである。まあ、わたしや充は第一子ではないし分家であったため、比較的立場が軽く自由であったが、優斗はそうではない。
優斗はれっきとした一族の御曹司であり、かつ優斗自身、大変優秀だったので、これまでの周りからの期待にしっかり応えてきた……そう。幼い頃から優斗の周囲は一皮も二皮も――何枚も皮を被った者たちに溢れ、優斗は様々な思惑が渦巻く中で育ってきたのである。
そんな環境のもと、優斗がグレることなく真っ当に成長したのは家族からたくさん愛情を受け、信頼のおける一族のものが共にいたからだと、以前優斗は話していた。
だからこそ、優斗は一度自分の懐に入れたものに対してはとても大切にする。一方、基本的に信頼のおけないものに対しては決して本来の自分を見せない。数多くの人脈をもっている優斗は、気に入ったもの以外には必ず壁を築いているのだ。そして。
(優斗の凄いところは、それを他人に絶対悟らせないというところだ)
恐らく優斗を知る人は、優斗のことを社交的で常に微笑みを浮かべる、才気溢れる青年と評しているだろう。それは優斗の女性関係にも言えることだ。
優斗、そして充は、その顔ともっているものの素晴らしさに魅了される女性が後を絶たない。
適齢期になってから、二人に恋人がきれたところなど見たことがない。
わたしだったら絶っ対にこんな女遊びの激しい輩なんてお断りだが、遊びでもいいからという女性が続出中だそうだ。しかも、いつも二人が連れているのは、綺麗な人や美人な人ばかり。
(チッ。イケメン滅びろっ)
わたしなんて、彼氏いない歴イコール年齢なのに……と、言ってて虚しくなるようなことは止めて話を戻そう――つまり。
優斗は恋人を作っても、充やわたし、家族との時間に干渉・介入されることを極端に嫌がり、少しでも優斗を独占しようとしたならば、すぐさま別れを切り出す。だから今の状況は些かマズいのである。
(こうして語ってみると、我が幼馴染ながら女性関係には最低な男だな)
きっと優斗に本気の女性だっているだろうに……優斗には響かないのだ。
優斗は何だかんだ言ってわたしにとっては大事な幼馴染なので、いつか、そんな優斗が変わる日が来るといいなと思っている。
「ねえ、優斗。折角会えたんだし、これからどこか行きましょうよ。あ!あのお店なんてどうかしら?優斗、前に言ってみたいって話していたでしょ」
「…あのですね、梨華さん」
梨華さんは優斗しか見えていないようだ。
そんな梨華さんに優斗は何か告げようとしている。
これはそろそろヤバい。
きっと優斗は平然とこの場で別れを切り出すだろう。そうなれば、梨華さんがどうなるかなんて目に見えている――梨華さんはきっと本気で優斗のことが好きなのだから。
ここで修羅場に巻き込まれるなんて真っ平ごめんである。
この緊迫した状況に気づいているのはわたしと充だけだろう。さあ、この空気をどうしようかとわたしが充に相談しようとした矢先――。
「ねえ、優斗。この綺麗なお姉さんはだあれ?」
優斗の目が軽く見開いた。
(な…な、な、なにやってるんだあ!麻衣子ぉ!!)




