2.反撃
このお話の主人公は「彼」だ。彼の目線で話は進む。
彼は味方がいる陣地までたどり着き、しばし呆けていた。
僕らはやっとの事で陣地後方に逃げることに成功した。
取りあえず、今は動きたくない。ボーとしていたい。僕は掩蔽壕の中でぽーっと視線を振りまいた。
そして砲兵のきびきびとした動作を眺めた。下士官の号令で彼らはロボットのように動いている。掩蔽壕の中から見るそれらは出来の悪い箱庭を覗いているようだった。
下士官が装填の命令を叫ぶ。重い砲弾を兵隊二人がかりで大砲の筒に詰める。別の兵士が間髪いれずに大砲の尾栓を閉じた。砲手達の動きが止まった。どでかい電話を持った通信兵が「発射準備完了」と怒鳴り下士官に報告し、その下士官が中隊長(士官)に報告をした。
砲手達は両耳を押さえつつ、中隊長の指示を今か今かと待っている。
「撃て!」
命令と共に砲弾達は悲鳴を残して飛んで行った。
「だんちゃ~く、今。方位修正……」
通信兵が弾着と前進観測の結果を報告した。そんな時でも当てずっぽうに敵の大砲の弾が飛んでくる。
それに構わず射手は儀式めいた装填の手順を実行した。
砲尾に弾を込めろ。閉鎖機を閉めろ。引き綱を持て。撃て。
恐れ入る。砲を立て直し、死体があれば退かす。そしてまた、撃ち続けるのだ。前進観測を行っているであろう奴にも同情する。だが、あの砲兵が羨ましい。砲兵は敵に打撃を与えて死ねるのはいいなあ。
僕はいつでも呑気だ。だから後ろに拳を振り上げた軍曹が立っていても気が付かなかった。
「頭下げれ!」
目から星が散ったと思ったら頭を叩かれていた。
僕とあの生存者の二人は、後方予備の部隊に回された。そして今だけは、後方の陣地で待機だ。自分と生存者二人は、後方予備にされていた第101大隊の第2中隊の臨時編成された第4小隊に配属された。小隊メンバーは、その他の陣地の生存者三十人弱のあり合わせだった。皆どこかすすけていた。足元には ゴロゴロと背嚢が転がっていた。
上からの命令で背嚢を降ろし、身軽になるように言われた。背嚢を捨て、小銃と銃剣、それに弾帯のみになると体が軽くなった。ちなみに小銃は借り物だ。
体は軽くなっても心は一つも軽くならなかった。むしろ重くなった。
陣地後方だというのに、ひっきりなしに砲弾の飛び交う音が聞こえる。足元からせり上がってくる振動が死神の足音に聞こえる。敵はどこまで来たのだろうか?その割には、人の声が聞こえない。敵がどこにいるのかも分からない。
痛い頭と心を何とかしようと思い、周りの様子をうかがった。三十人近い兵士が押し黙り、顔を下に向け、ユラリユラリと待機する様は不気味だった。まるで生気の無い集団に見えるのだが、眼はギラギラと輝いているので、なお不気味だった。
その不気味な集団の中に、あの長身の少年を見つけた。人をかき分けてノッポの隣に立ち、そっと小声で話しかけた。
「鉄砲を貸してくれてありがとう。でも、いいんですか?」
僕は礼を言った。僕の鉄砲はあの混乱で失くしてしまったので途方に暮れていたのだ。
「いえいえ、気にしないでください。私は銃が苦手なんです。」
ノッポは頭の高さを僕に合わせて、小声で(でも綺麗な大和言葉で)喋った。そうして腰にあるナイフと手榴弾を大事そうに右手でなでた。そのノッポの顔には温和な笑みが浮かんでいた。
「じゃあ、遠慮なく。」
ありがたく使わせていただくことにした。
「おい、頭突きの奴!」
僕は誰に呼ばれたかも分からず体を硬直させた。
「はい?なんですか?」
口が一の字を書き、眼光鋭く僕を見ていたのは、あのメガネの男だった。あなたもいたんですね……。
「お前、運はいいか?」
何を聞いてきた?
「は?!」
我ながら間抜けな返事だ。
「運はいいか?!」
メガネさん怖いです。
「はあ、まあ、人よりは悪運があると思います。」
「そうか。根拠は?」
自分の中で変なスイッチが入った。
「自分はまだ一回も死んでないので運がいいと思います。」
「……」
メガネの男が黙った。殴らないよな?
「はっはっは」
突如豪傑のような笑い方をメガネの男がした。今度はこっちが黙る番だ。視線を泳がしていたらノッポと視線がぶつかった。助けて欲しいと、視線で訴えると……
「………(プイ)」
あ!横向きやがった!!
「俺は、森竹竹市。階級は上等兵。出身はエゾで、血はウヌア。歳は十六だ。」
自己紹介をされてしまった。てか、思った以上に若い。驚く僕をよそに森竹さんは続ける。
「んで、そのノッポが横峰俊一。同郷の同輩で血は日本人だ。」
「どうも、階級は同じく上等兵です。よろしくお願いします。」
背の高い男の紹介までされてしまった。温和でしっとりした雰囲気なのだが、良く見れば確かに若い。というか幼い。なんて自分が言えた口ではない。僕も十分若い部類だ。
「自分は、古谷 灯。階級は一等兵。出身は一応内地。歳は十七。」
「あれ若い!」
森竹にそう言われてしまった。
「え?!森竹さんが言いますか?」
「いや、25以上だと思ってた。」
「ひど!確かに歳は良く間違われますけど、…」
「だろうねえ。」
「いや、その、はっきり言いますね。」
「何か悪い?」
ここで横峰さんが助け船を出してくれた。
「ごめんない。この子、率直なんです。」
「はあ。」
僕はそう返すだけだった。
「ひどいなあ。」
森竹は膨れた。その頬の膨らまし方が年相応でどこか安心した。それと同時に仲良くなれそうな気がした。
それからすぐに第二中隊は出撃命令が下った。命令の内容は各小隊長が伝達した。
「これより、砲兵中隊の砲撃後、敵の退路を遮断する。現在105大隊が陣地左翼にて敵混成機甲部隊と交戦している。第2中隊は陣地右翼から敵突出部を叩き、これ以上の敵侵攻を105大隊と協力して止める。この時、敵の手に落ちた陣地左翼を奪還する。なので敵との白兵戦は避けられない。なお、1133装甲殼小隊と1256三脚砲台小隊が陣地左翼の森林を迂回行動中だ。派手に暴れろ。各自負けるな。以上。」
という内容だった。あとは交通壕をエッホエッホと走る。その間に敵歩兵とは全く会わなかった。むしろ、敵の大砲の弾の方が怖かった。
相変わらず響く音は、大砲の音だけだ。銃の音なんかほとんどしない。たまに機関銃がそれに合いの手を撃つくらいだ。
小隊長が軍刀を振り回した。
「小隊止まれ!」の合図だ。
次に小隊長は腰の弾帯(腰のポシェット)の一つから手榴弾を取りだし、頭上に掲げた。
「突撃用意!」の合図。
各自、急いでライフルに着剣したり、軍刀やナイフ、それにエンピ(スコップ)を取りだし始める。
自分は急いで小銃に着剣し、右腰に吊るした拳銃を右手でポンポンと叩いく。
「頼むぞ。」
手榴弾を持つ者は皆、投擲の用意をしていた。目標はこの陣地を越えてすぐの塹壕だ。距離は十mもない。味方の砲撃が途切れた瞬間が突撃の合図だ。
それからすぐに規則的に聞こえていた砲撃音が途切れた。
同時に小隊長は敵がいるはずの空間に向かって手榴弾を投げた。他の奴らも投げた。
自分らの投げた手榴弾が土壁の向こうで爆発するのを聞き、僕らは塹壕を飛び出し、すぐに敵陣地に飛び込んで行った。
さすがに周りの景色は見ていられなかった。