10.つかの間の休憩
僕は嫌な事があると爺ちゃんの事も思い出すが、小難しい事も考える。
僕と森竹と横峰の三名は第101大隊の第二中隊の第四小隊から外された。書類上は外された事になっているが、第四小隊は三名を残し全員名誉の戦死だ。僕ら生き残りは第三小隊に配属された。そして寄せ集めの第三小隊の第七分隊が組織された。
少し話はそれるが、今回の強襲により師団全体で七%、普通科は大隊一個分の損失、特科と工兵はそれぞれ中隊一個の損失。その他の部署で一個中隊分の損失。
損失とか、戦死とか言ってはみたものの全体の七%なんて大したことないと思った人もいるだろう。一文で済ませるならこうなる。
約二万人の人員の内の約千百人が死んだのだ。一日で千人以上死んだ。
だが敵も死んだ。
お互いに無傷では済まなかったので、またにらみ合いになるだろうと兵隊達は噂している。
その根拠は敵の兵隊を二千人殺したからだ。戦車(発表では特車)も四十両(戦車大隊一個分に相当)を撃破したからだ。それに砲兵に砲も二十門以上撃破した。
この数自体にそんなに驚きは無い。しかし、敵の部隊にとってたったかすり傷程度のものだったら?
爺ちゃんは言っていた。ロシア(昔のガ国の通称)や中国は資源に人口が桁違いに多い。少子化で本土の人口は一億を切っていた日本とは桁が違う。
「おい、やっていいのか?」
森竹が訝しい顔をしながら、僕の顔を覗き込んでいた。せっかく現実逃避が上手くいってたのに。
「お願いします。」
「おう。」
森竹の右手にはタワシ、左手には水の入った僕の飯盒。僕は側溝の縁に右足を置いていた。森竹のタワシが転んでできた足の傷に向かって伸びていく。
「!“#$%&‘()=~|<>?_L+*」‘{。「!!!!」
いてええええええええええええええ!
タワシがゴリゴリと足の傷を抉る。タワシで足の傷を洗っているのだ。染みるし、熱いし、とにかく痛い。早く、ひゃやく、終われ、終われ!!
「まあ、こんなんでいいだろ。これでお前が女だったらなあ~」
疲れた。破傷風にならない為とはいえ、これは拷問だ。
「…女だったら?」
「もっと痛くしてやるのに。」
女じゃなくて良かった。そして、若干笑顔のあんたやばいよ。
…という事は、
「これはワザとの結果?」
横峰もデブもガリも揃って傷を押さえて呻いていた。
「当たり前じゃん。」
もう嫌だ。なんか嫌だ。ついでに毎日、掘っている塹壕も、毎日掘ってはガソリンを流し込む墓穴も、そこから出るどす黒い煙(ムカムカする匂い)も、便所の汲み取りも嫌になった。
好きな事は三度の飯と寝ることだ。
「なあなあ。森竹も怪我しているんだろ?」
デブ……いや、いい加減に呼び名を変えよう。浅田 三成は右手にタワシを持っていた。
この後、皆で森竹を押さえてタワシをかけようとしたが、失敗した。
「痛い。あのキカン坊が。」
森竹の足を抑えようとして失敗して蹴られた。
「ちょっとぐらい、やらせてくれたって。」
ガリ……もとい、藤 浩紀は腕を抑えながらぼやいた。
ちなみに浩紀と三成は同じ兵舎(学校)の同期だ。
まあ、この話は別の時にしよう。
「三成、お前生きてたんだな?」
ふと唐突に思ったことをそのまま、口に出した。
「あのね灯くん?久しぶりで、それはナイんじゃないかな~?」
「え?…いや、生きてて良かったと思って…。」
「フル、何言ってんの。相変わらず酷いね。」
「また、僕変なこと言った?」
三成、浩紀、二人とも無言で顔を渋くするな。そして横峰さん、顔に「この子、痛い」って書かないで下さい。
それから、何日かは悪くない日々だった。朝早く起きて、スコップ片手に穴(塹壕及び墓穴)を掘り。またある時は、見張り(歩哨)をし。飯時になれば炊務(給食)を手伝い。
悪くない日々だった。少なくとも訳も分からず奇声を発し、半狂乱で銃を振るうよりは健康的だった。死体も慣れれば何も感じなくなる。ただ不思議と坊さんのお経の声はよく響いて虚しくなった。
軍服姿の坊さんが、お経を読む姿は痛々しかった。
「あ、善光和尚だ。」
横峰の言葉ではっと我に返る。ちなみに僕ら二人共、バケツと柄杓を持ち銀蝿を引き連れた汲み取り姿だ。
「そうだね」
ようやっと坊さんから目を離して畑を目指して歩く。歩きながら考える。兵隊として招集されたのに戦友から「お経を読んでくれ」と頼まれ、上官から「殺せ」と命令される彼らはどんな気持ちなのだろう?
「遅い!」
陣地後方で肥溜め(糞尿)を満載したリヤカーが待っていた。森竹が一番イラついていた。第七分隊の中で自分らがドンケツだった。
「あ、すいません。」
「ごめんなさい。」
間髪入れず二人で謝る。
「こっちだって臭いんだから……。もうちょっと早くね。行くよ。」
森竹分隊長(伍長待遇)は道産子(なぜか蝦夷地の人間をこう言う?理由は知らない)らしい、ぶっきらぼうさでそんな事を言った。
「それと、罰で君達が後ろから押す役ね。」
「げ?!」
「えー?!」
肥溜めを満杯に積んだリヤカーの後ろは、撥ねた糞尿が一番かかり易い位置だ。確かに罰にはいい場所だ。
「トモ!」
浩紀君が嬉しそうだ。
「なに?」
「ファイト!!」
イラっときた。
中天でギラギラと光る太陽は初夏の到来を感じさせ、空の青の濃さを際立たせていた。ここから一キロは離れた所では三脚砲台と装甲殼(人狼)部隊がその馬力でもって破壊された戦車や装甲車などの鉄資源を回収していた。
金属どうしがぶつかる鈍い音があたりに木霊していた。
「もうすぐ夏か。」
糞尿運びで辛い時期がくるなあ。と、心を半分外に出して思った。
そんな楽しげな日々は終りを告げた。
久しぶりに暑い日だった。その日は非番だった。
待機壕の周辺でのんべんだらりと過ごしていると、中隊長(大尉)からお呼びがかかった。中隊付属の使役兵(一等兵)がやってきて、
「第七森竹分隊に通達。本日1400時に101第二中隊CP(司令部)に総員で出頭するように。」
「第七森竹分隊、通達を受領。本日1400時に第二中隊CPに総員で出頭!」
分隊長である森竹が敬礼と共に命令を復唱した。
この時、僕らの休日は終わった。