第18話:忍び寄る悪意と貴族の密使
白百合騎士団の団長室。厚いマホガニーの執務机には、処理されるべき書類の山が積まれていた。
しかし、団長であるセレスの視線は、その中の一枚の羊皮紙に釘付けになっていた。
「……またね。今月に入って三度目よ、セレス団長」
副団長のエストが、氷のように冷たい声で言った。彼女の鋭い眼差しも、同じ書類に向けられている。
「ああ。防具の修繕費に続き、特級回復薬の支給まで差し止められた。理由は『スラムにおける治安維持の成果が不十分であるため、予算の再編を行う』……ふざけた言い分だ」
セレスはギリッと奥歯を噛み締めた。
現在、王都の旧市街――スラムを中心に、紫黒色に発光する新種の凶悪な魔法薬が蔓延している。白百合騎士団は昼夜を問わずその対処に追われているが、原因を突き止めるには至っていない。
それにつけ込み、貴族院の急進派が騎士団への予算と物資を意図的に絞っているのだ。
「それだけじゃないわ、団長。こちらを」
エストがもう一枚の封書を差し出した。そこには、王家と貴族院を象徴する仰々しい蝋印が押されていた。
中身を改めたセレスの美しい顔が、怒りで蒼白に染まる。
「『査問会議』への召喚……? 議題は、白百合騎士団の適格性、および規定違反者の処遇について……っ!」
規定違反者。その言葉が指し示す人物は、一人しかいない。
この騎士団寮に特例で滞在している平民の青年――レオンだ。
「どういうことだ。彼の存在は、国王陛下の恩命によって認められているはずだ」
「表向きはそうだけど、国王直属という特権に守られた我々が一般人を囲っているという事実は、特権階級の貴族たちから見れば、足を引っ張るための格好の攻撃材料になってしまうのは避けられないわ。……最悪のタイミングで、最悪の難癖をつけてきたわね」
その時、執務室のドアがノックされ、騎士団の事務官が一通の封書を持って入室してきた。
「セレス団長。先ほど、厳重な手続きを正規に経て持ち込まれた出所不明の密書が届きました。『白百合騎士団の危機について』と記されております」
「密書か。見せてくれ」
事務官を下がらせ、セレスは手紙の封を切る。
書状の差出人は『アーヴィング子爵』。国王陛下の側近として王城の法務や内政を担う、穏健派の若手官僚だ。国王直属である白百合騎士団に対して一定の理解を示す派閥の人間である。
その文面には、王宮内から見た急進派の不審な動きが、緊迫した筆致で綴られていた。
『突然の密書、無礼をお許しいただきたい。現在、ヴァレラン侯爵をはじめとする急進派が議会で不穏な根回しを行っている。彼らはスラムでの薬物蔓延に乗じて意図的に治安維持の失態を演出しようとしている節がある。彼らの最終的な目的は、王都の治安を自分たちの私兵で牛耳ることで、国王陛下の威光を削ぐことにある。陛下直属の白百合騎士団がこれ以上不当に貶められ、王国の安定が脅かされることは、我々穏健派としても看過できず、この急場において利害は一致すると考え情報を記した』
アーヴィングからの通報は、セレスたちの予想を遥かに超える悪辣なものだった。
急進派の狙いは、白百合騎士団の完全な解体、そして王都の治安維持権限を貴族の私兵に引き継がせること。
彼らは目前に迫った査問会議で、「現在のスラムの薬物問題に対処できない白百合騎士団は無能である」と糾弾する手はずを整えていた。
さらに問題視されていたのは、特例として滞在しているレオンの存在だった。『無能な騎士団が、一般人の男を不当な手続きで独自の権限により組織に連れ込み、保護している』。その過程そのものを問題視し、組織としての腐敗をでっち上げて大義名分を作り上げるつもりなのだという。
『侯爵は、レオンという青年を「騎士団の腐敗の象徴」として永久追放する腹積もりだ。その為の大義名分は、既に議会工作で出来上がっている』
「確かに彼を招き入れた手続きは、我々の持つ特権を強引に行使したものだったかもしれない……! だがレオンは、誰よりも我々を支え、真摯に癒やしてくれている! それを我々の『腐敗』と呼ぶなど……!」
セレスが激高して手紙を机に叩きつける。
「……私の責任だ。あの時、私が職権を濫用して彼を連れてきてしまったばかりに、レオンをこんな政争に巻き込むことになってしまった……」
エストが唇を強く噛み締め、腰の剣の柄を握る手にギリッと力が入る。
「自分を責めるな、エスト。彼が救ってくれなければ、我々はとうに限界を迎えていた。連中はただ、我々を潰すための都合のいい口実が欲しかっただけだ」
だが必要なのは武力ではない。手紙の最後にはこう添えられていた。
『剣を抜いてはならない。表立って反抗すれば、それこそ反逆罪として侯爵の思う壺だ。彼らは合法的かつ徹底的に、あなたたちを潰しに来ている。……どうか、耐えて勝ち筋を見つけてほしい。我々も、可能な限り国を守るためにも根回しを行おう』
執務室に残された二人は、深い無力感と底知れぬ怒りに苛まれていた。圧倒的な武力を持つ自分たちが、見えない「権力」の壁を前に、ただ殴られるのを待つしかないという現実。
「……セレス団長。時間が、ないわね」
「ああ……。だが、絶対に連中には屈しない」
重苦しい空気の中、二人はレオンの部屋へと向かった。
今日こそは彼に休んでもらおうと思っていたが、気づけばその温もりを求めて足が動いていたのだ。
コンコン、とノックをして扉を開けると、そこにはいつもと変わらない、優しい空気を纏う青年がいた。
「あ、セレスさん、エストさん。お疲れ様です! もしかして、今日もすごくお疲れですか? 顔色が良くないですよ」
何も知らない無垢な笑顔。レオンは慌てて二人をベッドに招き入れ、慣れた手つきで極上のマッサージを始めようとする。
「さあ、まずは肩からほぐしますね。騎士団の皆さんを支えるお二人には、ゆっくり休んでもらわないと」
「……レオン」
その温かい手のひらが肩に触れた瞬間、セレスとエストの張り詰めていた心が、わずかに震えた。
彼には、外の泥沼のような権力闘争など一切関係ない。ただ純粋に、一生懸命に自分たちを癒やそうとしてくれている。
(この優しさを、奪わせるわけにはいかない)
セレスとエストは、マッサージの心地よさに身を委ねながら、静かに視線を交わした。
どんな手を使ってでも、どんな理不尽に耐えてでも、必ず彼の居場所を守り抜く。
二人の胸の内に、決して折れることのない悲壮で狂気的な決意が、静かに、そして確かに燃え上がっていた。




