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一般マッサージ師、女騎士団の専属になる  作者: 久喜崎


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第17話:臨時営業と常連客の正体

白百合騎士団内で巻き起こった猛烈な「お疲れ様ブーム」は、ついに本来の治安維持業務に支障をきたすレベルにまで発展していた。

 あまりにも多くの隊員が「魔力酔い」「指先の剥離骨折」「心の怪我」などと称してケア室に詰めかけたため、連日長蛇の列ができてしまったのだ。


「……これ以上の混乱は看過できない。不本意極まりないが、本日から新たな制度を導入する」


 苦渋に満ちた表情のセレスティリア団長が、朝礼の場で一枚の羊皮紙を張り出した。

 そこに力強い筆致で書かれていたのは、一日にたった一人だけがレオンの極上ケアと身の回りの世話を担当できるという、恐怖の当番表。

 その名も――『レオン係』の誕生である。


 これによって、騎士団内には「明日のレオン係の権利」を巡った血で血を洗うような裏の派閥抗争が勃発することになるのだが……渦中の本人であるレオンは、その重苦しい空気から逃れるように、そっと非番を申し出て王都の街へと息抜きに向かっていた。


「久しぶりだな、この匂い」


 私服に着替えたレオンがやってきたのは、王都の外れにある小さな店舗。

 かつて自分が細々と営んでいた「レオンの指圧マッサージ店」だ。大家の厚意でまだ契約は残っており、今日はたまった休暇を使って、一日だけ臨時で店を開けてみることにしたのだ。


 掃除を終え、「本日のみ営業」という手書きの木札を店先へぶら下げた直後だった。

 カラン、と控えめなドアベルの音が響き、馴染みの顔がひょっこりと顔を覗かせた。


「おやまあ。表の札を見て驚いたよ。レオンちゃん、今日は開けてるのかい?」

「お前が急にいなくなるから、ワシは腰が痛くてたまらんぞ! まるで背骨が悲鳴を上げているようだ!」


 やってきたのは、かつての常連客だった「いつもお茶だけ飲みに来ていた上品なおばあさん」と、それに続いて「腰が悪く、ちょっと偉そうだけど気さくなおじいさん」だった。

 レオンは嬉しくなって、顔をパァッと輝かせた。


「お久しぶりです! おじいさんも、おばあさんも!」


 二人の老人は、目を細めて孫を見るような優しい笑顔を浮かべ、勝手知ったる様子で店の奥の休憩スペースへと腰を下ろした。

 「腕の良いマッサージ師とお茶」を目当てにかつての店に通い詰めていた常連同士として、持参した盤上遊戯を広げつつ、のんびりと世間話を始めている。


「おばあさん、膝の調子はどうですか? おじいさんも、やっぱり肩から腰にかけてカチカチじゃないですか! ちょっと揉みますね」

「おお……そうそう、そこだ。相変わらずお前の手は魔法みたいに温かいな……」

「本当さね。あんたがいなくなったから、アタシの膝はもうボロボロだよ」


 レオンは二人に温かなハーブティーを出しながら、無邪気に笑って背中や膝に治癒魔力を流し込んでいく。

 凝り固まった老体が嘘のように軽くなり、二人は気持ちよさそうに息を吐いた。


「レオンよ、お前が騎士団で特例でお抱えになったという噂は聞いておったが……何か困め事はないのか?」

「そうさね。無理して働かされてないかい?」

「ああ、俺は全然平気ですよ。ただ……」


 レオンはポンポンと二人の肩をリズミカルに叩きながら、ふと、最近のケア室での出来事を思い返して世間話のつもりで愚痴をこぼした。


「実は今、俺のいる白百合騎士団でお世話になってる皆さんが、すごく大変みたいで。なんでも、スラムで出回ってる変な薬のせいで治安が悪化してたり、男の俺が騎士団にいることで貴族のお偉いさんから理不尽な嫌がらせを受けたりして……そのせいで、みんなすごく疲れて心身をすり減らしてるんです。俺は肩を揉んであげるくらいしかできなくて、少し歯痒いんですよね」


 ――ピタリ、と。結氷のような静寂が、のどかな縁側に落ちた。

 レオンの言葉を聞いた瞬間、二人の老人はそれぞれ持っていた湯呑みを置く手を一寸だけ止めた。

 ピチャリ、とおばあさんの持つ湯呑みの水面が奇妙に跳ね、おじいさんの指先にあった将棋の香車が、不可視の圧力でミリ、と微かにヒビ割れる音を立てた。

 それは、長年この国の表と裏を血で統治してきた「絶対強者」だけが発する、空間そのものを歪ませるほどの凄絶な殺気の漏出だった。


「……なんじゃと。国を守るべく奮闘している騎士団の子たちが、一部の浅ましい貴族の嫌がらせで……な」

「……スラムで妙な薬、ねぇ。アタシの許可も取らずに、アタシの庭でコソコソしてる命知らずな鼠がいるってことさね」


 おじいさんとおばあさんは、盤上から視線を上げることなく、それぞれ別々のベクトルで小さく独り言のように呟いた。

 まるで王都の空が一段暗くなったかのような、表と裏の絶対権力者二人が無言で巨大な怒りを発露させている恐ろしい瞬間。ただの人の良さそうな老人であるはずの彼らの瞳の奥は、対象をどう消し去るかを見定める絶対零度の冷たさに染まりきっていたが……背後で呑気に肩を揉んでいるマッサージ師は、それに全く気づくことなく「そうなんですよー」と相槌を打っている。


「まあ、でも皆いつも格好いいですから。俺も美味しいもの作って、しっかり支えようと思います!」

「うむ……そうか。ならばお前は今まで通り、己の仕事を全うしなさい。お前が心配することではない」

「そうさね。可愛いレオンちゃんがそんなに悩むこたぁ、ないんだよ」


 臨時営業の一日を終え、レオンは「常連さんたちが元気そうでよかった」とほっこりとした気持ちで、すっきりと足取りの軽くなった彼らを見送ってから店の戸締まりをした。


 ――その頃。白百合騎士団の兵舎では、女性騎士たちが「明日のレオン係は絶対に私よ!」「彼に近づく羽虫は全て私が斬る!」と、すさまじい剣戟の音と共に凄絶な闘志を激しく燃やし上がらせていた。


 一方、王都の目抜き通りを急ぎ足で進む豪奢な馬車の中と、陽の当たらない路地裏の奥深く。

 それぞれの世界へと帰っていく二人の老人は、レオンの呑気な言葉を反芻し、静かに不敵な笑みを浮かべていた。

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