第16話:甘えん坊大戦争と見えない恐怖
武闘派の幹部や頭脳派の副団長たちまでもが、謎の「お疲れ様」を理由にレオンのケア室に入り浸るようになってから、さらに数日が経過した。
「ず、ずるいです! 団長もエスト副団長も、最近レオンの部屋に入り浸りすぎです!」
「そうだぜ! あたしらだって、ずーっと限界まで働いてんだからよ!」
「そうですね……このままでは、ただでさえ少ないレオンのケア枠が、上位陣に独占されてしまいます……」
白百合騎士団の廊下で密かに結託の密談を交わしていたのは、暗殺部隊副隊長のクリス、遊撃隊長のリリヤ、そして治癒院長のノアの三人だった。
先日の「公開キス騒動」の張本人であるクリスは、いまだに団長たちから厳しいマークを受けており、レオンに近づけない日々が続いていたのだ。
この日帰り討伐から戻ったばかりの三人は、ついに業を煮やし、実力行使でレオンを奪還する作戦に出た。
「レオン! 今日こそは心のケアが必要です!」
「レオン! 腹減って足が一歩も動かねえ!」
「レオンさん……極度の魔力酔いで、もう立てません……」
バンッ、と勢いよくケア室の扉が開かれると、傷一つない元気そうな三人がいっせいにレオンの元へとなだれ込んだ。
言葉とは裏腹に、彼女たちは見事なステップでレオンを物理的に包囲し、それぞれ腕、背中、膝へとがっちりとしがみついた。
「うわっ!? クリスさんにリリヤさん、ノアさんまで! ちょっと、みんな重いですよ!」
「心のケアです! レオン成分が足りなくて死にそうなんです! ぎゅっとしてください!」
「そうだぜ! あたしはずーっと走りっぱなしで魔獣ぶっ飛ばして……腹減って倒れそうなんだよぉ……」
クリスが涙目でレオンの腰に抱き着き、ノアもしがみついて離れない。
そんな騒がしい悲鳴の中、レオンはふと、自分の背中に回された腕の強い震えに気づいた。
「……リリヤさん?」
振り向くと、いつもなら元気に吠えるはずのリリヤが、顔を青ざめさせ、どこか虚ろな目で宙を見つめていた。まるで何かの見えない恐怖に怯える子犬のように、レオンの服を小刻みに引っ張っている。
その瞳は、彼女のかつての異名である『狂犬』のようにギラついており、極度の情緒不安定状態に陥っていた。
(……おかしい。いつもの甘え方じゃない。何か、もっと深く追い詰められてるみたいな……)
レオンは咄嗟の判断で、暴れるクリスとノアを優しくソファーに座らせると、リリヤの手だけをそっと握りしめた。
「リリヤさん、すごく冷えてますよ。少し顔色が悪いですね。……何か、怖いことでもありましたか?」
「っ……ちがう、べつに。ただ……」
昨日から別動隊として、団長たちが追っていた「新型薬物」の実働部隊の拠点を偵察に回っていたリリヤ。
入り組んだ廃墟の闇角。ほんの一瞬のすれ違いで嗅ぎ取った、錆びた鉄と安い酒が混じった特有の悪臭。自分の短剣で切り裂いて死に絶えたはずの男の顔にある、醜い十字傷。
実はその任務中、彼女はハッキリと見てしまったのだ。貴族の金で雇われ、薬物をスラムの子供たちにまでばら撒いている外道どもが……かつて自分が属し、そして自身の情けで『トドメを刺し損ねた』はずの、忌まわしい過去の亡霊たちであることを。
彼らが生きのびて、今度はレオンのいるこの温かい居場所をまで脅かそうと這い寄ってきている。そのおぞましい事実が、彼女の心の中にある「すべてを殺して切り刻んでしまいたい」というドス黒い『狂犬』のスイッチを極度に追い詰め、今にも暴発させそうになっていた。
「ただ……ちょっと、見つけちまったんだよ。あたしが昔、甘い顔して殺し損ねた連中が……今度は王都を引っ掻き回して、お前たちの足元まで汚そうとしてるのをさ」
ギリッと奥歯を噛みしめ、全身を強張らせながら呟いたその言葉の意味を、レオンは正確には理解できなかった。
しかし、目の前の少女がかつてないほど怯えていることだけは、魔力越しに痛いほど伝わってきた。
「……ご飯にしましょうか」
「え……?」
「ご飯食べて、温かいもの飲んで、一息つきましょう。俺の特製スープと、お肉も焼きますから。ここなら、誰も怖い人は来ませんよ」
レオンはポンポンとリリヤの頭を撫でると、隣の簡易キッチンで素早く立ち回った。
あっという間に、温かな魔力が溶け込んだ具沢山のスープと、柔らかく焼き上げた厚切りの肉料理がテーブルに並ぶ。
湯気と共に優しく食欲を刺激する香りに、リリヤの張り詰めていた表情が、途端にふにゃりと崩れた。
「……う、うっ……はむっ……うぐっ……」
スプーンを持つ手が震え、口に温かいスープを含んだ瞬間、リリヤの大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
犬のように泣きじゃくりながら、一心不乱にレオンの手料理を口へとかき込んでいく。
その間、レオンは何も聞かずに、ただ静かに彼女の背中を、何度も何度も魔力を込めて優しく撫で続けた。
「ここは安全だ……レオンの匂いがする……安全だ……」
そう泣きながら呟く彼女の心から、先ほどの狂気の棘は完全に抜け落ちていた。
最後には、今までの比にならないほどの強い依存と安心感を瞳に宿し、リリヤはレオンの横にべったりとくっついて離れなくなってしまった。
「あーずるいずるい! リリヤばっかり!」
「私たちも限界なんですよ! 次は私とノアさんの『心のケア』の番です!」
少し落ち着きを取り戻したケア室で、クリスとノアが再び争奪戦の火蓋を切った。
「ああもう、分かりましたから! はい、最後はみんなでデザートにしましょう」
レオンが苦笑いしながら冷蔵庫から取り出したのは、特大の器に盛られた『疲労回復特製プリン』だった。
ぷるんぷるんと黄金色に揺れる甘い暴力の前に、猛り狂っていた女性陣の勢いはピタリと停止し、全員がスプーンを構えて大人しくお座りをした。
「……うん、やっぱりこれに限るな」
全員が笑顔でプリンを頬張り、部屋には再び平和で騒がしい空気が流れる。
レオンは心底ホッとしたように胸を撫で下ろした。
――開かれた窓から、夜の冷たい風が吹き込んでくる。
風に乗って微かに届いた、遠く路地裏で鳴く野犬たちの不吉な遠吠え。
その微かな音に、プリンの最後の一口を飲み込んだリリヤの肩が一瞬だけピクリと反応し、震える指先でレオンの服の裾を、白くなるほど強くきつく握りしめた。




