2.夕暮れの思い
始業式のあった日。
ルナとルナの従者、ライカは、馬車の中にいた。
馬車は二人で座っても問題ない広さであった。
「──お嬢様、本日は旦那様と奥様は夜会に出向いております」
「そう…」
「日付を越す前には帰るそうですよ」
ルナはもう返事をしない。街がゆっくりと動くのをただ見ている。
ライカはそんなルナの様子を見て、話すのを辞めた。
──お嬢様は頑張っていらっしゃる。お嬢様のお支えになれるよう更に努力しなくては。
プラターヌ家は男爵という地位を持っている。
五代ほど前に商売が上手く行き、国王から地位を贈呈された。
ただ、それをよく思わない人もいるのも事実。
ルナの両親はよく夜会に行く。
なるべく良い交流を結び、貴族が求めているものの情報収集をしている。
時期当主予定のルナの兄は別邸で暮らしている。
その為、広すぎる屋敷には、ルナ一人とライカ含める数人の使用人だけになる日が多くあった。
ルナは疲れたのかいつの間にか眠っていた。
ライカはその様子を確認すると、胸元から一枚の写真を取りだした。
そこには満面の笑みを浮かべている幼い頃のルナの姿がある。
『初めましてルナお嬢様。本日から貴女の従者となります、ライカと申します』
初めてお会いしたのはルナが五つの時。
ライカは十九歳だった。
『…はじめまして。あたし、ルナ』
まだ幼く、舌っ足らずで自己紹介してくれた我が主人をライカは生涯忘れられないだろう。
ただ、たまたま、使用人の募集をしていて、お給金が良かった。
それだけでアルバイトをしようと決めただけだった。
『はい、存じ上げております。ルナお嬢様』
ある程度お金が貯まったら辞めようと思っていた。
『ライカ、コレ、やってほしいの』
ある日、洗濯物を干していたライカの元にルナがやってきた。
手に持っていたのは正方形の色紙と折り方の説明書。東洋の遊びのようだ。
『旦那様にお願いしてみてはいかがでしょう。きっと喜んでやって下さりますよ』
もしも、過去の自分に会えるのならこの時の自分を蹴っ飛ばしたい。
それくらい浅はかな言葉だったと今ならわかる。
ライカは洗濯物に集中していたので、その時のルナの顔を見ていない。
『…ライカにやってほしい』
使えて間もないが、その間にルナに言われた我儘は一切なかった。五歳にしては少なすぎた。
だからか、ライカは仕方ないと思いつつ、ルナに視線を向けた。
『…お貸しください』
ルナは手にあるものをライカ渡した。
暖かい太陽が照らしつける庭園で一人の若い従者と一人の幼い主人。
絵になるものである。
『どうぞ、ルナお嬢様』
完成した鶴を渡した。
酷く不格好で、お世辞にも上手いとは言えなかった。
ただ、ルナは受け取った鶴をじっと見て、パッと顔を上げた。
『ライカはすごいね!』
この瞬間。ライカの全ての歯車が動き出した。
元々ただ、使用人としてアルバイトするつもりだった。自分の付く主人が幼い少女と知った時、面倒くさそうだなと思ってすらいたはずだった。
─愛おしい。
そう、確かに思った。
『旦那様。私をここで正式に雇って頂きたいです』
この屋敷で働きたい。その一心で頭を下げた。
雑用でも、汚い仕事でも、なんでもよかった。ルナの成長を見守りたい。
思ってしまったからには実行したい。ライカはそんな人間だった。
プラターヌ家の当主がなんと言ったかはもう、覚えていない。
ただ、ライカがこの屋敷で働くようになった。
ルナは、常に誰かの機嫌を見ていた。
両親に見くびられないよう、学園に行くようになってからはテストでいい点を取るように勉強していた。自分よりも階級の高い貴族と知り合いになった。
いつか、ルナは駒になりつつあった。
社交辞令も言葉使いもいつの間にか完璧になっていた。
ライカの知らぬ間に完全なお人形になりかけていた。
ビスクドール人形。
大人の間では一時期ルナに付けられた別名だった。
今は、ライカとルナの兄のおかげで言われてはいないが、嫌味として社交界では言われることがあった。ライカはそれが悔しくて仕方が無かった。
『お嬢様。この私にはなるべく、気軽に接して頂きたいです。貴女が、お兄様に接しているように』
ライカが直接我儘を言ったのはこの時だけ。
必死だった。このままでは本当にお人形になると。
『…うん。そうだね』
答えてくれたものの、未だ、気軽には話しかけてくれない。
「お嬢様。着きましたよ。起きてください」
「ん…。ありがとう」
ライカが肩を譲ればゆっくりと瞼をルナは上げた。
先に馬車から降り、ルナをエスコートする。
ライカは先に歩いているルナの後ろを歩いて行く。
その姿は、どこからどう見ても完全な令嬢だった。
✿✿✿
まだ、桜が咲き誇っている日。
「また明日!」
ルナは一人の女の子に手を振っていた。
手を振られた少女は、控えめに手を振り返し、ライカを見て会釈した。
ライカも会釈を返す。
「ただいま!」
ルナは、明るい顔をしている。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
ライカの生きがいはルナ。
ルナの満面の笑顔を見るだけで、ライカは幸せなのだ。
久しぶりのルナの笑顔を見たライカは何も言わず、微笑んだ。




