番外編2ー② 愛されすぎて夫に追放されました
「なんていうか……ここは暇ですわねぇ」
ライラが大きな欠伸をしながら、のんびりと呟いた。ウェンデルの別邸は宮廷の南にあり、とても暑い。豪華さでは宮廷に及ばないが、素朴で小さくても手入れが行き届いていて、心地よさは格別だった。私は最低限の従者を従えてここで過ごしていた。縫い物をしながら、シシーが小言を返す。
「あなた、もう少し働きなさいよ。ほら、この刺繍、手伝って」
「うるさいわねぇ。あなたは休むことを知らないの?」
「あなたは働くことを甘く見すぎだわ」
「まあまあ」
私は、いがみ合いを始めた二人をなだめた。
「確かに、ここ最近ずっと忙しかったんですもの。少しゆっくりしましょうよ。ここは人が少なくて、ほっとするわ」
ライラが小さく笑いながら言った。
「セシル様は気が長いですわねぇ。あんなに毎日リルク様と……その……寂しくないのですか?」
「たった一週間ですもの。なんてことないわよ」
強がりだった。毎日会えていたリルク様に会えないのはやはり寂しく、夜になると特に落ち着かない気持ちになる。
(リルク様が恋しい……)
優しく触れる手の温もりや、柔らかな声を思い出すと、胸が締め付けられるようで、じっとしていられなくなるのだ。
それでも、意外なほど気楽な自分もいた。ここは人が少なく、そのかわりに自然が豊かだ。庭園には宮廷では見たことのない花々が咲き乱れ、風が通ると暑さも和らぐ。小さなピクニックを楽しむには最適だった。
私たちは料理人に頼んで、バスケットにご馳走を詰めてもらい、毎日のように外で食事をした。豪華な晩餐会に比べれば簡単でも、監視や付き添いのない気楽さは格別だ。
(最初はどうなることかと思ったけど……ここに来て正解だったかもしれない。知らず知らずのうちに、王妃としてずいぶん背伸びしてたんだわ)
その日も、ピクニックからの帰り道、庭番の青年とすれ違った。
「ごきげんよう」
「お、お、お王妃様!」
驚いた青年は、バスケットを傾けそうになりながら、慌てて膝をついて挨拶しようとする。
「あら、あまりかしこまらないでください」
「は、は、は、はい……」
青年はますます固くなった。ふと目をやると、彼の抱えるバスケットには、赤紫色のこぶし大の実がぎっしり詰まっていた。
「これは何ですか?」
「こ、これはこの地方の名物、タンジェルムです。召し上がりますか?」
「だめですよ! 毒見もしてないのに」
私はシシーの制止の声も無視して、一つ手に取りパクリと齧った。
「セシル様ったら!」
「……おいしい!」
酸味の強い皮を噛むと、中から甘く芳醇な蜜があふれ、口いっぱいに豊かな味わいが広がった。
「今まで食べたことがない味だわ。シシー、ライラ、食べてみて」
渋い顔をしていた二人も、口にするや表情を一変させ、顔を見合わせて笑った。
「おいしい!」
青年は誇らしげに胸を張る。
「今年は特によく実が成ったんです。ジャムにして地域の方々に配ろうかと」
「とても素敵ですね。……そうだわ! ケーキにも使えばきっと美味しいわ。この丘の下に学校がありますよね。ジャムだけじゃなく、ケーキも作って子どもたちにお渡ししましょう?」
「それは素敵ですが、料理人はほとんど連れてきていませんし……」
「何言ってるの? 私たちが作るのよ!」
「「「え〜っ!!」」」
私の宣言に、三人の驚きの声がこだまする。
「もう十分休んだし、きっと楽しいわ」
考えるほどに胸が高鳴った。レモンやハーブを合わせても美味しそう……暑いからゼリーを挟むのもいいかも……。ケーキ作り好きの血が、静かに騒ぎ出す。
「王妃様がケーキ作りなんて」
「王妃になっても、好きなものは変わらないもの。ごめんなさい、お名前は?」
「マルセルです」
「よろしくね。まず城に戻って、動きやすい格好に着替えましょうか。マルセルもついてきてくださる?」
「ちょっとセシル様、本気じゃないですよね?」
私はその声を無視して、タンジェルムの収穫を手伝うべく、すたすたと歩き出した。
**
「わあ……きれい」
マルセルが案内してくれたタンジェルムの果樹園は、見渡す限り実がなり、むせ返るほど甘い香りに包まれていた。赤紫のグラデーションが、まるで夕焼けの海のように波打っている。
「ほ、本気でやるんですか?」
マルセルは心配そうに私を見る。
「こんなきれいな王妃様に外仕事させるなんて……見つかったら俺、処刑されるんじゃないでしょうか」
思わず笑ってしまった。
「そんなこと絶対させないわ。私は本気も本気です。どうやって収穫するのか、教えてください」
シシーとライラは呆れ顔だったが、私は楽しくて仕方がなかった。
自然の中で身体を動かすのは、久しぶりだ。
収穫の方法は簡単だった。実を軽く回してひねると、根元からぽんと外れる。その感触が小気味よくて、次々に手を伸ばしてしまう。夢中で摘んでいると、いつのまにか指先が赤紫に染まっていた。
マルセルがその手を見て、はっとしてポケットをまさぐり、大きな手袋を差し出した。
「王妃様、これを……。あ、でもこれ、汚いですよね――」
慌ててしまおうとする彼の手を、私はそっと押さえた。
「ありがとう。大切に使わせてもらうわね」
私の指先に触れた瞬間、マルセルは真っ赤になり、「ありがとうございます!」と、私が言うべき言葉を口にした。
**
それからの毎日は、まるでお祭りのように忙しかった。
午前中はタンジェルムの収穫、午後はケーキとジャム作り。
「これ……すっごく美味しい〜!」
完成したケーキを口にしたライラが歓声を上げる。タンジェルムだけでも充分美味しいのに、紅茶を加えると香りがぐっと深くなった。爽やかな酸味と甘さ、紅茶の香りが絡み合って、極上な味わいだ。
夜遅くまで続いた作業の末、三日で百人分のケーキとジャムを作り上げた。
「完成〜!」
最初は不満を漏らしていたシシーもライラも、今では達成感に顔をほころばせていた。
「喜んでくれるかしら……」
「当たり前ですよ! ケーキはご馳走ですもの!」
「マルセル、お願いね。量が多くて大変だと思うけれど……無事に届きますように」
「もちろんです、王妃様」
明日、マルセルたちが丘の下の学校へケーキとジャムを届ける手筈になっていた。
「でも、本当にいいんですか? 王妃様が作られたと伝えなくて。きっと皆、もっと喜びますよ」
「いいの。それを言ったら、『王妃らしくない!』って叱られちゃうかもしれないもの」
私はいたずらっぽく微笑んで指を口に当てた。
「これは、私たちだけの秘密ね」
私たちは顔を見合わせ、「しーっ」と声をそろえた。
**
その夜、疲れ果てて眠りに落ちていた私の耳に、微かな足音が響いた。
部屋の入り口がざわつき、寝ぼけ眼のまま振り向くと――
「……セシル!」
駆け込んできたのは、リルク様だった。額に汗がにじみ、呼吸も荒い。
「り、リルク様……? どうなさったのですか。いらっしゃるのは明後日かと」
「セシルに会いたくて……我慢できなかった。この五日間、頭から離れなくて……おかしくなりそうだ」
熱っぽい手が私の頬を撫で、唇が触れる。何度も何度もキスを重ね、見つめ合うたびに身体の熱がじわりと広がる。
(リルク様の体温……柔らかくて、熱くて……)
その温もりに身を委ねると、隔てていた距離は、一瞬で消えていった。
**
「やっぱり、極端なのは良くないな……かえってそれしか考えられなくなる」
リルク様は後ろから私を抱きしめ、低くため息をつく。
欲望が満たされるまで愛し合い、心も身体も溶け合った後、私たちは幸福な疲労感に包まれていた。
「会えなくて、本当に寂しかった……セシルも?」
「……はい」
――言えない、ここ数日はケーキ作りに夢中になってリルク様のことを忘れてたなんて。
「これからは適度にしよう……朝と昼と晩に」
「えっ、増えてませんか?」
私たちは見つめ合い、笑った。甘く、くすぐったい幸福感で胸がいっぱいになる。
「一緒に帰らないか?」
「……早く帰りたいのはやまやまですが、準備がありますから。ライラやシシーがここを気に入っているので、私一人で決めたら怒られちゃいます」
「そうか……また二日は会えないのか。それなら――」
リルク様はそっと私の首に唇を滑らせ、また私を求めた。
明朝、リルク様は宮廷へ向かう。
リルク様が必死に私を求める姿は、たまらなく愛おしい。
でも同時に、マルセルからの報告を待ちたい自分もいる――そんなことは、リルク様には内緒だけれど。
きっと、私にはいろんな幸せの形がある。
でも、リルク様と一緒にいられるこの時間は、甘く溺れたい。離れても寂しくならないように、私たちはお互いを心ゆくまで求め合った。
おわり




