番外編2ー① 愛されすぎて夫に追放されました
「……もうやめよう」
「え?」
ベッドの上でリルク様が呟いた。悩ましげに頭を抱えている。時刻は朝の八時。本来なら朝食を済ませていなければいけない時間だが、私たちは甘い時間を惜しむように、ベッドの中で過ごしてしまっていた。
昨日も一昨日も、その前の日も――。というか、結婚してからずっとだ。
「こんなのは良くない。国は今、大事な時なんだ……!」
リルク様が叫ぶ。そう、今まさに私たちの国インテルヴィアは大転換期を迎えていた。
長年敵対していた北のアラシア国と東のメーテルランドとの間で、三国和平同盟が結ばれるのだ。宮廷では連日、外交使節たちが行き交い、リルク様も激務の日々を送っている。
……なのに、私たちは結婚して以来、とても「仲良し」だった。時間を見つけては、お互いを求め合ってしまう。
まぁ、仕方ない。だって私たち、新婚だもの。
私は少しとぼけて言った。
「毎日お忙しそうですものね」
「いくら働いても片付かないんだ。それなのに俺は……俺は! こんな場合じゃないのに!」
リルク様は頭を抱えてうめく。
「早く仕事に行かなくては」
「息抜きも大事では?」
「いや、息抜きが生活の中心になったら困るんだよ」
「……ごめんなさい。私のせいですか?」
わざとらしいほどしおらしい声で言ってみせる。リルク様は慌てて振り向き、言い訳するように言った。
「セシルが悪いわけないだろ。俺の自制心が――」
言い終わるより早く、私はリルク様の胸に頭を寄せ、上目遣いでささやいた。
「ごめんなさい。でも、リルク様と一緒にいる時間が幸せで、つい欲張ってしまうんです」
「……っ。そんな可愛い言い方は……」
「最後に、キスだけしてくれませんか?」
リルク様は私にキスをし、私もそのキスに応えた。
見つめ合って、もう一度。唇が触れ、肌が重なり――私たちは再び溺れていった。
✳︎✳︎
「セシル、ほんとにほんとにダメだ。誘惑禁止! 執務室のある塔には来ちゃダメだからな!」
リルク様は服を慌てて着ながら、必死に忠告する。
「分かりました」
「頼むよ……」
そう言い残して、朝食も摂らずに執務室へと向かっていった。
私は名残惜しくその背中を見送っていたのだけれど――
キラリ、と光が差した。ベッドの上で輝く金色の物体。
それはリルク様が大切にしている懐中時計だった。
「あら、急いでて忘れちゃったのね」
**
正午。
私は執務室の扉をノックした。
「どうぞ」
落ち着いた声の合図で、衛兵たちが慌てて扉を開ける。
私の訪問に驚き、緊張で背筋を伸ばす彼らに、私は王妃らしく微笑んでみせた。中では、外交大臣とリルク様が額を寄せ合い、書類を広げていた。
私の姿を見た瞬間、リルク様は目を見開き――次の瞬間、跳ね上がるように立ち上がった。
「セシル! ここで何をしているんだ」
「陛下にお渡ししたいものがあって」
「……席を外しましょうか?」
大臣が気を利かせると、リルク様は少し顔をしかめて、
「悪い、少しだけ二人にしてくれ」と告げた。
大臣たちが退室し、扉が静かに閉じる。
室内に残ったのは、私とリルク様だけ。
リルク様は腕を組み、困ったように息を吐いた。
「執務室には来ないでくれって、今朝言ったばかりだろう」
「でも、これを忘れていらしたんですもの」
私は懐から金細工の懐中時計を取り出して見せた。
リルク様は驚いて腰のあたりを探り、忘れていたことに気づくと、ばつが悪そうに笑った。
「……ああ、本当に忘れてた。ありがとう」
「いいえ。こちらこそ、言いつけを破ってごめんなさい。それにしても――この部屋、暑いですわね」
私はそっと髪をまとめ、手で風を送るように扇いだ。白いうなじがあらわになる。
――知っている。リルク様が、私のうなじに弱いことを。
「では、お仕事の邪魔をしてはいけませんね」
そう言って背を向け、去り際にうなじが一番きれいに見える角度で振り返る。
リルク様の目が、ほんの一瞬泳いだ。
「セシル……君は、なんて悪い子なんだ」
リルク様は私の腕を取って抱き寄せ、そのまま机の上に押し倒した。
唇が触れ、首筋に熱が落ちる。彼の指先がドレスの布をすべり、世界が静かにほどけていく――。
**
二十分後。
「だからダメなんだってば!!」
リルク様の嘆き声が執務室に響いた。
朝よりもずっと深刻そうに頭を抱えている。
「俺ってやつは……執務室で何してるんだ……」
「そんなにご自分を責めなくても」
私はドレスを整えながら、涼しい声で返す。
「いーや、これじゃ先が思いやられる! 俺は……俺は一つのことにしか集中できな――いや、そんなはずはない、勘違いしないでくれ――ひとつのことに『集中したい』人間なんだ!」
「ずっと仕事中毒でしたものね」
「今もだ! 俺は国王だぞ。そんな人間が、妻にうつつを抜かして公務を疎かにするなんて――許されるわけがない」
「でも……」
「セシルも大概だぞ!」
リルク様は額を押さえ、そして何かを決意したように顔を上げた。
「よし、決めた」
「?」
「同盟が締結されるまでの一週間――セシルはウェンデルの別邸で過ごしてくれ」
「ええ〜っ!?」
思わず大きな声を上げてしまった。
少しからかいすぎたかもしれない。
「ごめんなさい。ほんの冗談のつもりだったんです。もう立ち寄ったりしませんから、追放しないでください」
「だめだ。これは国のためでもある。……これから一週間は、強制的に距離を置こう。向こうで不自由のないように手配する。――ライラ! ライラはいるか!」
執務室の外からライラが返事した。
リルク様はもう、聞く耳を持たなかった。
こうして私は、南のウェンデル別邸へと追放されることになった――。




