番外編1 初夜
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「初夜」――その言葉の意味を知ったのは、結婚の少し前だった。
結婚式の準備を終え、ひと息ついてお茶を楽しんでいた時だった。
「もうすぐですね。ウェディングドレスもベールも超一級品だし、どれほど豪華な式になるやら。楽しみですねえ」
「本当にありがとう。私一人じゃドレスも満足に選べないもの。自分のために色々してもらえるって……申し訳なさもあるけど、とっても幸せね」
「そうですよ――一生に一度の、しかも国にとって大事な結婚式なんですから! わがままは言い尽くさないと」
シシーの言葉に微笑む。
シシーは私の実家で働いていたメイドだった。卵で汚した廊下の掃除を、取り計らってくれたあの子だ。今では私の侍女として宮廷で働いている。
あの時、掃除している姿がリルク様の目に留まり、今がある。つまり、シシーは私とリルク様のキューピッドだ。感謝してもしきれない。
「お茶のおかわりはいかが?」
「ありがとう、でももう大丈夫よ」
シシーとライラは意味ありげに目配せしあった。なんだか今日は、二人とも落ち着かない。少し神経質なシシーと、大雑把なライラは普段あまり折り合いが良くないのだが、今日は目配せばかりしている。
「……で? 一番大事な準備はできてるんですか、セシル様」
「一番大事な準備? ドレスは用意できたでしょ」
「違いますよ、そりゃドレスも大事だけど」
「そうじゃなくて……"初夜"のことですよ」
ライラは私たちだけに聞こえる、小声で言った。
「ちょっと! 訊き方ってものがあるでしょ、品がないわねえ」
「いいのいいの、気を遣わなくても大丈夫だけど――ショヤとは?」
ふたりは顔を見合わせた。
「え、本気で言ってます?」
「もしかして料理のこと?」
実は、まだ料理の手配が進んでいなくて困っているのだ。シェフに任せればいいとは言え、希望があれば食材調達の都合上、早めに言ってくれとやんわり催促されたところだった。
「ええっ!? 違いますよ、セシル様!」
ライラとシシーは目を見開き、笑いながら肩を揺らした。訳がわからなくて、少しムッとしてしまう。何なのよ、ショヤって。
「二人して笑って――ちょっと感じ悪いわよ」
「だってびっくりしちゃって!!」
「初夜を知らない花嫁がいるとは! それなら、セシル様はどうやってこどもができると思ってます?」
「何よいきなり。それは……愛し合った男性と女性が……お互いに子どもがほしいと思いながら……唇と唇を重ねると――」
私は真っ赤になり、声はか細くなっていった。こんなに恥ずかしいことはない。
ライラとシシーの笑いの発作はもっとひどくなった。
「意地悪ねっ」
「だ、だって――知識が10歳で止まってますよ――まさかセシル様が、こんなに純真無垢だったなんて」
「セシル様、館にいたとき、恋愛している同僚はいなかったんですか? 下品に色々話す方が一人はいるものですが――」
「館では孤立していたの。誰も話しかけてくれなかったわ――お義母さまの機嫌を損ねるから。シシーは知ってるでしょ」
「そうでした、ごめんなさい」
シシーが私の手を取り、そっと握る。
「で、いい加減に説明してちょうだい。もう十分笑ったでしょ」
気を取り直したライラが、得意気に解説した。
「男の人が女の人の――ごにょごにょ」
……え? どういうこと。
あれがこうなって、これがこうなって……。
どういうこと!?
衝撃で言葉が見つからなかった。どうしたらそんな破廉恥なことができるのか。
「何なのよそれ、からかってるんじゃないわよねーー? 本当なら私には出来ないわ…! 子どもを作るのに、そんなイヤらしいことしなきゃいけないなんて」
「でも、みんなしてるんですよ。そうやって人類の歴史は作られてきたのです」
「に、にわかには信じがたいわ。それで――簡単にできるものなの? その……初夜とやらは……」
「…………」
「…………」
「シシーもライラも知らないのね」
どうやら未経験なのは私だけではないらしい。
「こういうのは、その道のプロに聞くのが早いです。針子のアイリーン婆が"ベテラン"だと聞きます。手ほどきを受けましょう」
「ひとりじゃ恥ずかしくて無理よ。大体、どうやって練習するの」
「さあーーでも、七十年生きてる人の知恵は伊達じゃないですよ、多分。セシル様をひとりぼっちにはしません。私たちもお供します!」
こころなしか張り切りモードのライラとシシーに連れられて、私はアイリーンの手ほどきを受けることになったのだった。
**
そして訪れた初夜の日――。
私はガチガチに緊張していた。
(アイリーンはなんて言ってたっけ……。まず、相手の目を見つめて、それでいて恥じらいながら――)
教わったことを頭の中で何度も復習する。
(どうしよう。やることが多すぎて、できる気がしない……。キスだって今日初めてしたのに……!)
「じゃあセシル様、私たちはこれで……本当にいいのですか?」
「ええ、自分でできるから」
侍女たちには早めに下がってもらい、入浴も自分で済ませることにした。なんというか……自分の体におかしなところがないか、入念に確かめたかった、という恥ずかしい事情もある。
花のエキスが落とされた、たっぷりのお湯のバスタブに浸かりながら、身体を入念に手入れしていると、
トントン――。
「入ってもいいか?」
リルク様の声に、心臓が跳ねた。
「えっ……あっ……まっ……」
想定よりかなり早い訪れに、パニックで言葉が出なかった。
カチャッ――。扉が開きかけた瞬間、思わず叫ぶ。
「だめっ!!!」
とんでもない大声。
「ご、ごめんなさい……まだ準備が……」言いながら、呼吸が荒くなり、体が熱を帯びるのが分かる。
「いや……俺が悪かった」
リルク様を怒鳴るなんて、はしたないことをしてしまった……。せっかくのロマンチックなムードが既に台無しだ。
……今夜は完璧にしたかったのに。
心のなかで泣きながら、侍女たちが用意してくれたネグリジェに着替え、緊張しながらドアを開けた。
リルク様は驚いた顔で、私を見下ろしていた――。
「大丈夫か?」
「は、はい」
「……随分はしたないな」
「ごめんなさい、動揺しちゃって思わず」
「そうじゃない、その格好だ」
私は自分の体を見おろした。
濡れた肌に布がピタリと張り付き、体のラインが透けていた。胸やお尻や太もも――全ての部分が包み隠さずあらわになっていた。肌の色が、透けて見えるほどだ。
「あっ…………」
私は慌てて両腕で身体を隠そうとしたが、間に合わず、リルク様に抱き寄せられた。
リルク様は私の唇に、首に、胸に――キスをした。まるで、甘いお菓子を食べるみたいに。大きな手が、私の身体を上から下まで優しくなぜた。
「ん……は、っ……」
声にならない吐息が漏れる。触れるか触れないかの感触がじれったくて、熱くて、気持ちよくて――身体中が神経になったように、甘くピリピリとした感覚が走った。
(私が私じゃないみたいーー)
「……もう我慢できない」
抱きかかえられ、ベッドに連れて行かれた。身体に力が入らない。リルク様は私を優しく抱き下ろすと、私の前髪を掻きあげ、額にキスをした。
「怖いか?」
私が震えているのに気がついたリルク様は、耳元で囁いた。頭が酸欠のようにクラクラする。「はい」という簡単な言葉すら出てこなくて、私は力をふりしぼって頷いた。
「優しくするから」
「……リルク様……」
「?」
「大好き」
それに応えるように、リルク様が私にキスした。もう心臓が破れそうだ。リルク様の匂い、体温、全てが――愛おしい。全てがほしかった。
翌朝、私の方が先に目を覚ました。横を見ると、安らかな顔で眠っているリルク様がいる。整った顔が天使のようだ。
(かわいい……)
リルク様はいつも冷静で、理性的だ。一見すると冷たく見えてしまうほどに。だけど昨日のリルク様は――。
リルク様が、こんなにベッドで情熱的だったなんて。
私の全身に隈なくキスし、丁寧に愛撫して、そして何度も何度も――。昨夜の恍惚を思い出して、私は真っ赤になった。
(あんなに気持ち良いことが、この世にあったなんて……)
誰も見てないのに、思わず顔を覆った。怖くて震えていた昨日の自分に、大丈夫だよと言ってあげたい。いくらアイリーンがベテランだからとはいえ、付け焼き刃の知識で敵う男性ではないことはよく分かった。
しばらくして、リルク様が目を覚ました。
「ん……」
寝起きは無防備で、とても幼く見える。
「おはよう」
目があい、リルク様がふっと微笑んだ。
(か、かわいい……!!)
昨夜の男らしいリルク様とのギャップで、私はさらに赤面してしまった。どこまで私を好きにさせるんだろう、この人は。
「お、おはようございます」
そう言い終わるより早く、キスをして口を塞がれる。
「……もう一回」
「えぇっ、まだ朝で」
「嫌か?」
「嫌……じゃないです」
「したい?」
「……したいです」
リルク様、私に言わせるなんて、ずるい。彼は少し意地悪そうに笑い、私たちはまた、時間を忘れて愛し合った。
おわり




