エピローグ
即位式の日――。
あと三十分で式が始まるというのに、リルク様はまだ半分も着替えが済んでいなかった。控室はさながら戦場のようだ。
「マントはどこだ? おい、宣誓文はどこにある?」
いつも冷静なリルク様が、今日は珍しく声を荒げている。慌ただしく部屋を行き来していたその足が、私を見た瞬間にぴたりと止まった。
「……セシル」
小さく息を呑み、まるで言葉を探すように私を見つめる。
「すごくーー綺麗だ」
私は純白のドレスと長いベールに包まれていた。
レースが幾重にも重なり、細やかな刺繍が光を受けてきらめくドレスだ。
そう――今日は私にとっても、特別な日なのだ。
「リルク様も素敵……と言いたいところですが、今日は少し大変そうですね」
珍しく髪も乱れ、シルクのシャツがはみ出したその姿は、いつもの完璧なリルク様からは想像もつかない。けれど、そんな不完全ささえも、今はとても愛おしい。
「少しの間だけ、外してもらえますか?」
私は侍従や侍女たちに頼んだ。
「は、はい……」
「絶対に覗き見禁止よ。二度目は許さないわよ」
「……はーい」
部屋が落ち着いたのを確認すると、リルク様が少し困ったように眉をひそめる。
「セシル、ちょっとだけ待ってくれないか。準備がさっぱりで……話はあとで――」
「駄目です。式の前の、最後のひとときなんですから。最近、ゆっくり話せなかったでしょう?」
私の声に抗えないものを感じたのか、「……はい」とリルク様は肩を落とした。
人が去ったことを確かめ、私はリルク様と向き合った。
「ついに――この日を迎えられましたね」
「ああ……短くて、長かったような」
「本当に」
「セシル……どんなときでも、俺についてきてくれるか?」
リルク様は不安そうに聞いた。ここ数日の準備で、さすがのリルク様も神経が参っていたらしい。
ーーいつもは「俺が守る」と言い切る人なのに。私はそっと微笑んだ。
「もちろんです。もうずっと前に、私は陛下に身を捧げる覚悟をしました――」
リルク様が私を抱き寄せる。
ベールをそっと持ち上げられ、温かい唇と唇が合わさった。
世界がひとつに溶け合い、鐘の音が遠くで鳴った気がした。
今日、私たちは――結婚する。
完
本編はこれにて完結です。おまけ「初夜」に続きます。
読んでいただきありがとうございました!
よろしければ、評価やリアクションなどいただけるととても励みになります。




