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第四十五話 噂

 それからしばらくは、クラウス8世の行方をめぐって国中が騒然となった。

 

 生きているのか、それとも――死んでしまったのか。

 もし生きているのなら、今どこにいるのか。


 城壁の外に通じる門はすべて封鎖されたが、密かに潜り抜けたのかもしれない。それとも城内で、次の機会をうかがっている……?


 宮廷では(そして噂によれば宮廷外でも)、クラウス8世の居所について、連日憶測が飛び交っているらしい。


 派手な逃走劇には黒幕がいるのではと噂になり、人々は想像力を発揮して、まるで大喜利状態になっているらしい。


 「南に有名な幽霊屋敷があるそうで……そこに人目を偲んで隠れているらしいです!」

 「今日、捕まったらしいですよ!……結局人違いだったそうですが!」


 リルク様の屋敷から呼び寄せたライラは、毎日のように最新のゴシップを楽しげに報告してくれる。


 「すごいわね……どこでそんな情報を手に入れるの?」

 「どこって……みんな噂してるんですよ! お店の店員さんも、侍女も貴族たちも、みーんなです!」


 ライラは目を見開き、「みんな」を力強く強調した。


 「クラウス8世って、リルク様に似てすごく美男子らしいですね。会いたかったなあ――今回の逃走劇も――想像してみてくださいよ、愛に狂った人妻が国家反逆罪だと知りつつ、クラウス8世を匿っているんですって……。ロレスター卿の奥様が最近姿を消してるのは、そのせいだとか!」


 (ロレスター卿って、誰……?)


 早口でまくしたてるライラの瞳は、楽しそうにキラキラと輝いていた。もともとお喋りで社交的な彼女にとって、宮廷生活は長年の憧れだったのだという。ミリルの裏切りに最初は落胆していたものの、こちらに来るや否や、すぐに元気を取り戻した。

 今や、私よりも宮廷内の人脈は豊富で、どこへ行っても「ライラ、こんにちは!」と声をかけられるのだ。


 人見知りな私には――少し羨ましい。


 「セシル様も、もう少しゴシップに敏感にならないと。王妃様があんまり浮世離れしてちゃいけませんよ」

 「まだ王妃じゃないわ」

 「またまた〜っ! それ、みんなが噂してますよ? リルク様はセシル様に夢中だって! 私、早い段階から気づいてましたよ。あんなに仕事中毒なリルク様が女性を連れてきて、セシル様を見る目がもう、うっとりって感じで〜」


 (また始まった……)


 私は軽く相槌を打ちながら、先ほどライラの言ったことを考えていた。


 (クラウス8世の劇的な逃走……誰が手伝ったのか、やっぱり気になるわよね……)


 リルク様は毎日激務で、まともに言葉を交わせないままだった。それに――やはり、あのことが心から離れない。


 (リルク様は、もしかしたら――わざと矢を外したのかもしれない)


 リルク様の放った矢は、クラウス8世の左肩に逸れ、致命傷にはならなかった。それに、あの時の――ほっとしたような微笑み。


 単なる私の思い込みかもしれない。けれど、もしそこに意図があったとしたら――考えたくもない想像が、何度も頭をよぎった。


 (……クラウス8世を逃がすためだったの? もしかして、逃亡の道筋を示したのはリルク様だった……? ……そんなはず、ないわ……!)


 考えを振り払うように、私は必死に頭を振った。


 「セシル様? どうしました?」

 「な、なんでもないわ……」


 もしそれが事実だったとしたら――とんでもないことになる。貴族や市民たちも黙っていないだろうし、国を揺るがしかねない大問題だ。


 (リルク様は誠実な方よ。私、どうかしてる……)


 それでも、リルク様本人に確かめ、この胸のもやもやを晴らしたい気持ちは募るばかりだった。ライラに相談するわけにもいかない。宮廷で心置きなく話せるのはデドリウス様くらいだが、デドリウス様だって忙しいし――万が一の場合、微妙な立場に置いてしまいかねない。宮廷に侵入したとき、あれだけ迷惑をかけてしまったことも思い出すと、二度と同じ轍は踏みたくなかった。


 「あ〜可愛いお花! ちょっといただいていきましょう」

 「今日のお茶は何にしますぅ? セシル様ってば!」

 

 私は心の中で決意した。


 (ちゃんと、リルク様と話そう……でも、どうやって時間作ってもらおうかしら……)


 せっかくのアフタヌーンティーも、今は喉を通らない。ぼんやりしていると、扉がノックされた。


 「きゃあ!」

 「セシル様、セシル様っ」


 侍女たちの黄色い声に我に返る。目を向けると、そこに立っていたのは――リルク様だった。


 「セシルと話したいんだが……。少し二人きりにしてもらえるか?」


 侍女たちは、まるで自分が口説かれたように、顔を真っ赤にして下がっていった。リルク様の美しさは、宮廷中でも評判だった。ちょっかいを出す貴族も増えてるとか増えてないとかーー。


 (女の子にモテるのは当然だけど……ちょっと複雑な気分だわ)


 「リルク様、こちらにおかけに――」

 「会いたかった」


 いきなり抱き締められて、心臓が跳ねた。


 (リルク様の体温……)


 熱く、息が詰まりそうで、でもなぜか心地よい。

 このままずっと、この温もりに浸っていたい――そう、自然に思った。


 「お仕事はいいのですか?」

 「都合をつけてきた。セシル不足で」


 嬉しくて顔が熱くなった。


 (私もリルク様に会いたかった……)


 「即位式ももうすぐだ。準備を進めないといけない……だから、その前にセシルに――聞きたいことがある」

 「え……」


 リルク様が跪いた。


 「俺と――」


 (こ、これってプロポーズ!? どうしよう、なんでこのタイミングなの!)


 こんなもやもやした気持ちのまま、人生で一番幸せな時間を迎えたくない。


 「ま、待ってください……!」

 「どうした?」

 「一つだけききたいことがあります――。クラウス8世のことで」

 「……あいつのこと? 今じゃなきゃだめか?」

 「はい」


 リルク様は明らかにがっかりした様子だった。……というより、ちょっとむくれてる。


 「ごめんなさい……怒ってますか?」

 「好きな人に会うために必死に仕事をこなしてきたのにーー他の男の話をされたらな」


 ……ふてくされてるリルク様は、ちょっと可愛い。


 私の胸は抱き合っていたとき以上に、ドキドキと鼓動を打ち始めた。


 (もし……嫌な予想が当たったら、どうしよう)


 「クラウス8世は、今どこにいるのでしょうか?」

 「まだ確定ではないが――もし生きているなら、おそらく西部だ。西の国が身請けしている可能性が高い」

 「……そうなんですね。では、西国の者と共謀して逃げたと考えてよいのでしょうか。あんなに迅速にできるなものなんでしょうか……」

 「『内通者でもいなきゃ無理』……か?」


 リルク様の目が、鋭く光った。

 その視線に、私の心臓はバクバクと音を立てた。私は頷いた。


 「全然見当違いだったらごめんなさい――でも、リルク様の矢が急所を外れて……クラウス8世が逃げおおせた時、リルク様が少し微笑んだように見えたんです。本当にこれは私の勝手な妄想なんですけど、もしかしてクラウス8世を逃がしたのは――」

 「おい、待ってくれ。俺があいつを逃がしたと思ってるのか?」

 「……そんなわけ、ないですよね……」


 気まずい沈黙――と思いきや、次の瞬間、リルク様は吹き出した。


 「バカだな。もしかして、そんなことを考えて気をもんでたのか?」


 私はちょっとムッとして言い返した。


 「だって……クラウス8世を討つとき、リルク様の手が少し震えてたんです。急所を外したのを見て、ほっとしたような顔をされてたように見えて――」

「……なるほどな」


リルク様が少し考え込み、真顔で言った。


「セシル、弓を引いたことは?」

「? いえ、ありません」

「弓は繊細なんだ。ほんの少し力んだり角度を誤っただけで、まったく別の方向へ飛んでいく。まして動いている相手ならなおさらだ。一撃で急所を射抜くのは達人でも難しい。技術も運もいるんだ。そして俺は残念ながら――達人じゃない」

「つまり……急所を外れたのは……たまたま?」

「ああ、たまたまだ。左肩に当たっただけでも御の字さ」

「ええっ……」


は、恥ずかしすぎる――!!


思い込みで、決めつけていた……。私は真っ赤になった。恥ずかしさのあまり顔を覆う。


「ごめんな、セシルはまったく悪くない――外した俺が悪いよ。もっと腕が良ければ仕留められたはずだ」

「いえ、完全に私の勘違いです。弟さんに情が湧いて――みたいなことを、勝手に想像していました――恥ずかしすぎる……」


しょんぼりした私の頭をリルク様がぽんぽんと撫でてくれた。


「顔を見せてくれ、そのために来たんだから」


渋々手を下ろすと、リルク様は輝くような笑顔を向けくれた。


「心配してくれたんだろ、笑ったりしてごめんな」

「逃走を助けたのは、リルク様じゃなかった……」

「当たり前だろ? そんな風に周りを裏切ることをしないよ」

「じゃあ、なんであの時……笑って……」

「自分の覚悟を、確かめられたからだ」


 リルク様の表情が引き締まった。


「俺はーー心のどこかで怖かったんだ。処刑されるあいつを見て、情が湧いたら……。王としての顔を保てるのか、と」


 彼の目は遠くを見ていた。


 「だが、杞憂だった。あいつが逃げた瞬間、反射的に近くの騎士の弓を奪っていた。兄弟としての情よりも先に、国王としての義務が頭をもたげたんだ。その瞬間、迷いが消えて……ほっとして、間抜け面してたのをセシルに見られたんだな」

 「ほんとにごめんなさい。私、処刑がされなかったことにリルク様がほっとしたのではと……」

 「いや、完全な勘違いってわけでもない――ここだけの話、あそこであいつを処刑せずに済んだのは、幸運だった気もしてるんだ」


 「……?」

 「事が早急だったし、一部処刑に懐疑的な高官もいたんだ。議論が成熟する前に処刑して、国内で分断が起きるよりはマシだったかもしれない。強硬派のガス抜きも上手くできたわけで――腹をくくって、これを正解の道にしていくしかないな」

 「そういうこと……だったんですね」


 私はうつむいた。顔から火が出そうだ。


 (リルク様を疑うなんて……なんてことを。知らず知らずのうちに、ライラのゴシップを真に受けてたんだわ……)


 「いいんだ、俺も確信がなかったから。だが――もう迷わない。これからは王として、自分を証明していく。自分の選ぶ道を自分の手で正解にしてみせる」


そして、まっすぐに私を見つめた。


 「だから――セシル」

 「は、はい!」

 「俺と結婚してくれるか? 王妃として――いや、違う。今は国なんて関係ないんだ。冠も義務なんて全部忘れて――ただ俺の隣りに、ずっといてほしい」


 時間が止まったように感じた。胸の奥が、熱く、痛いほどに高鳴る。


 「……喜んで!」


 気づけば、私はリルク様の胸に飛び込んでいた。

 リルク様の腕が、そっと私を包み込む。

 世界がふたりだけのものになったようで――涙があふれそうだった。


 「リルク様……大好きです」

 「俺もだ、セシル」


 リルク様が微笑み、私の頬を両手で包む。

 指先がふるえるほど優しくて、そのまま額を寄せ合った。


 (やっと、この時が来た――)


 ……その時。


 「ちょ、ちょっと押さないでってば!」

 「しーっ、聞こえちゃうって!」

 「やだ、重いっ、重いー!」


 ガタン――バンッ!


 勢いよく扉が開き、侍女たちが雪崩れ込んできた。

 全員、顔を真っ赤にして固まっている。どうやら私たちの会話を盗み聞きしてたらしい。


 「あ、あのっ……ご、ごめんなさい……!」

 「ど、どうぞ、お気遣いなく……続けてくださいっ」

 「ラ、ライラ〜!!」


 その日、私は人生でいちばん恥ずかしくて、いちばん幸せだった。

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