第四十四話 崩壊
※このエピソードには、流血描写が含まれます。苦手な方は閲覧をお控えください。
次の瞬間、事態は急転した。
広場の端に待機していたはずの騎馬隊が、突如として統制を破り、クラウス8世のいる処刑台に向かって猛然と突進した。黒く重厚な鎧をまとった彼らは衛兵隊に扮し気を窺っていたのだと後で分かった。
「うわあ゛あ゛!!」
「早くどけよっ!!」
馬に轢かれまいと、群衆が逃げ惑った。金属的な摩擦音と共に、空気を切り裂く音が響き渡る。矢が放たれ、クラウス8世を捕らえていた処刑人たちが、悲鳴を上げる間もなく喉や胸を射抜かれて倒れた。血が、処刑台の木材を赤く染め上げた。
「助けて!」
「やめてー!!」
広場は悲鳴と怒号に包まれた。興奮していた群衆は、一瞬にして逃げ惑う羊の群れへと変化した。騎馬隊の進路にいた人たちは、馬の蹄に踏みつけられないよう、逃げようと必死だった。ドミノ倒しがおき、更に混乱は広がっていく。広場はあっという間に逃げ惑う人々でパニックになり、秩序は完全に崩壊した。
衛兵隊の指揮官たちが動揺している中で、騎馬隊の狙いにいち早く気づいたリルク様が、血の気が引いた顔で声を上げた。
「クラウス8世を下げろ!! 逃げるつもりだぞ!!」
しかし、対応が一瞬遅れてしまった。指示された騎士たちは面食らっている間に、騎馬隊は処刑台にまで乗り上げていた。
一人の騎士が、手際よくクラウス8世をすくい上げ、馬に乗せた。その素早さは、優れた馬術・体術を物語っていた。
「放て!!!」
リルク様の命令で、ようやく周囲の衛兵たちが弓を構えた。しかし、民衆が多いせいで、騎馬隊に対して積極的に攻撃ができない。一般市民を巻き込むわけにはいかないのだ――。
「くそっっ貸せ!」
リルク様は衛兵から弓を奪い取ると、一瞬にして集中力を極限まで高めた。狙いを定める時間は一秒もない。広場の混乱、馬の動き、群衆の位置。すべてを一瞬で正確に把握したようだった。
パシュッ!
放たれた矢が空気を切り裂く音がした。次の瞬間、矢はクラウス8世の左肩を深く射抜いた。もう一本、衛兵が放った矢が、馬を操る騎兵の腕に刺さる。
「や、やった!! 当たったぞ!!」
「放て、放てー!!」
周りからも次々と矢が放たれたが、群衆を避けようとするあまり、ほとんどは標的を逸れた。しかし、確かにクラウス8世の背中にもう一本、矢が刺さったのが見えた。
倒れないのが不思議なくらいだ。二本の矢を体に受けながら、クラウス8世の姿は遠ざかっていく――。彼らを載せた黒馬は、いななきを上げながら広場を突っ切り、森へと去っていった――。
「クラウス八世が逃げちまったぞ!!」
「いや、矢が刺さってたが」
「あれじゃもう死んでるんじゃないか!?」
広間は相変わらず混乱に満ちていた。血の匂いと、焼け焦げたような砂埃、そして人々の恐怖と興奮がないまぜになった空気が広場をおおっていた。衛兵たちが立ち回り、怪我人を助け、秩序を取り戻そうと必死だった。
「リアクロンビー卿、どうしましょうか!?」
騎士団長の一人が、顔を真っ青にしてリルク様に駆け寄った。
「街の外に続く門を全て閉じてくれ。第一、第二、第三騎士団は奴らの後を追うこと。必ず、街の外に出る前に捕らえろ」
リルク様の指揮は冷静だった。
「その他は駐留し、怪我人の対応に当たってくれ。市民の混乱を鎮めろ!」
「承知いたしましたっ!」
リルク様の指揮のもと、混乱は次第に収まっていったが、私にはどうしても気になることがあった。広場の喧騒も、もう私の耳には入ってこない。私の意識は、ただ一点に集中していた。
リルク様が放った矢がクラウス8世を射たとき、リルク様は――ほんの一瞬ためらい……狙いを外した……?
デドリウス様が言うように、リルク様が武芸に優れているのは、その弓さばきで分かった。リルク様の弓は、致命傷とならない左肩に当たった――。単に力んでしまっただけかもしれない。でも、その時にわずかに安堵したような表情にも見えたのだ……。
私は恐る恐るリルク様の横顔を見上げた。端正な顔は、今は怒りと焦燥に歪んでいる。
「リルク様……」
リルク様が、私の視線に気づいた。その紺碧の瞳が、一瞬だけ、微かに揺らいだ気がする。リルク様はすぐに目を逸らし、再び周囲の騎士たちに指示を出し始めた。
「すぐに負傷者を城内の医務室に運べ。そして、処刑台の周辺を徹底的に調べろ。奴らが何か手がかりを残していないか。特に、あの騎馬隊の中に、潜入していた貴族がいないか確認してくれ!」
私には、もうそれ以上、問いかける勇気はなかった。




