第四十三話 最後の関門
「リアクロンビー卿、万歳!」
「新国王に栄光を!」
沸き立つ歓声を背中にし、私たちは壇上を降りた。しばらく経っても、嵐のような歓声は鳴り止まなかった。拍手と歓声、そして涙。無数の感情が渦を巻き、生き物のようにうごめいていた。
「あれ……花びら」
白い花びらがふわりと風に舞っていた。誰かが祝福の花を投げたのだと思う。指先で掴もうとするが、花びらはさらりとすり抜け、捕まえられなかった。束の間の穏やかなひとときに、私たちは見つめ合って笑った。自然と手が触れ合い、そのまま握り合った。
広間とは違い、静寂に包まれている廊下を二人で歩く。歓声が大分遠くなってから、リルク様は私の方を見て、言葉を探すように口を開いた。
「……セシル、なんと言っていいか」
リルク様はそれ以上、言葉を続けられないようだった。
「ありがとう」
その言葉が続き、リルク様は私をぎゅっと抱き寄せた。
男性の力強い抱擁――でも、すごく優しい。
リルク様の鼓動が耳のそばで聞こえる。とても早く打っていた。
(リルク様もドキドキしているのね……。でも、私の方が)
そんな妙な対抗心を燃やしながら、ぎゅっと抱きつき返した。相手に甘えるというより、今はお互いの存在を確かめ合うための抱擁だった。
「……大変なことになりましたね」
抱きしめられたまま、私は少し笑って言った。
「本当だな……でも、やっとここまで来た」
リルク様も微笑む。背後ではまだ歓声が響いていた。
広場を埋め尽くす群衆が、声をひとつにしてリルク様の名前を呼んでいるーー。
(今日、歴史が変わるんだわ。そして、その中心にいるのはリルク様――)
「……あれだけの群衆を前に、怖くなかったのですか?」
「そうだな……正直、緊張はした。でも、怖さよりも守るべきものの方がはっきり見えていたから。あとは……『あいつ』だけだ」
守るべきもの――リルク様は、恐れずに全てを背負おうとしている。言葉には、恐怖を押し殺してでも前に進む覚悟がにじんでいた。クラウス8世の処刑――今やそれが最後の関門だった。
「もう少しですね」
「ああ。日が沈むころには、すべて片がついているだろう。あと一歩という時に、こんなこと言うべきじゃないが――いや、なんでもない」
リルク様は口ごもった。
「私には何でも言ってください。秘密は守ります」
「いや、いいんだ」
「隠し事はなしよ」
「――そうだな。あまり情けないことを言いたくないんだが、正直少し……心配なんだ」
「クラウス8世が何か企んでいるかもってことですか?」
私は思わず口にしてしまった。あの傲慢な態度と冷静な瞳が、頭に浮かぶ。
(まるでこれから何かを起こすみたいだったわ――)
「いや、もう足掻けないはずさ。事を起こすなら裁判前だったはずだ――俺が言ってるのは……処刑場で冷静でいられるかってことさ」
「……私も少し怖いです」
リルク様は私の手を握る手に力を込めた。そこに混じる不安が、私には痛いほど伝わってくる。
「側に――いてくれるか」
その問いに、私は即座に答えた。
「もちろんです。リルク様がつらいときも、悲しいときも、私がいます」
言葉を聞いた瞬間、リルク様の瞳が安堵で揺れた気がした。
歓声が遠くで波のように響いていたが、今この瞬間、世界には私とリルク様しかいないようだった。
✳︎✳︎
処刑の準備が整い、カスターナ広場には人が詰めかけていた。
ギロチンの設けられた処刑台を囲うようにして、人が海のようになっている。興奮しすぎた民衆のいさかいや暴動に備えて、衛兵たちも大量に配置されていた。広場に満ちる熱気は、単なる好奇心ではなく、血への渇望、そして時代の転換期への期待がないまぜになった、異様な高揚感だった。
「これからクラウス八世を王位簒奪罪で死刑に処す!」
処刑人の宣告を受けて、わああと歓声が上がった。獣の咆哮のようなその声に、鼓膜は張り裂けそうになる。リルク様は厳しい表情で処刑台に立つ人を見つめていた。
人々の視線の先にいるクラウス8世は、全身白の質素な姿で、不遜な態度で立っていた。その顔には死を前にした恐怖も、屈辱も、懺悔の色もない。あるのは、すべてを見透かしたような、冷淡な笑みだ。
(リルク様にあんな風に言ったけど、怖くて仕方ない)
私の胸は早鐘のように打っていた。これから人が処刑されるのだ。しかも、リルク様の弟が。私は処刑を見たことがなかった。初めてが知ってる人だなんて、耐えられそうにもなかった。
(この場所にいること自体が、私にとって試練だわ‥…)
体から力が抜け、膝が震えていた。
ドキドキして息苦しく、私はリルク様の腕をぎゅっと握った。リルク様の手はひんやりと冷たい。リルク様は険しい表情を崩さなかったが、私の顔の方へ向かって(大丈夫だ)というように短く頷いてくれた。その静かな仕草が、私の唯一の支えだった。
「時間になった!クラウス八世、最後に辞世の言葉があれば、許そう」
シーンと静まり返った広間。すべての視線が処刑台に集中する。
クラウス8世はゆっくりと群衆に顔を向け、冷ややかな笑みを浮かべながら捨て台詞を吐いた。
「人が転落する様を見るのは、さぞ気持ちがいいだろうな?」
その言葉は広場を貫き、気まずいざわめきと沈黙が生まれた。しかし、クラウス8世はそうした反応に興味を示すことはなく、まっすぐにリルク様の方を向いた。
群衆なんて眼中にない――クラウス8世の興味は、リルク様ただ一人だというように。
私は思わずビクンと体を震わせ、さらに強くリルク様の腕を握った。
(リルク様に……何か言うつもりだわ!)
クラウス8世の声が、広場の静寂を切りさいて響き渡った。
「これがお前の選んだ『答え』なんだな?」
リルク様にだけ向けられた、私的な、そして鋭利な刃のような問いかけだった。
「……何が言いたい?」
リルク様の声は落ち着いた、威厳のある声だった。手が少し震えていることに気づいたのは、私だけだっただろう。
クラウス8世は心から失望したというように、深くため息をついた。リルク様と同じ、美しい紺碧の瞳が、ギラギラと輝いている。
不意にクラウス8世はふっと笑った。それは、敗者の自暴自棄な笑いなどでは決してなく――勝利を確信したような笑いだった。
「……もっと分かり合えると思っていたのに残念だよ、兄さん。こうなったら仕方ない――徹底的に潰し合おうじゃないか!」
「なに!?」




