第三十六話 本当の武器は
(こんな風に紹介されたら、私たちの結婚が既成事実化してしまうーー… …)
クラウス8世は笑みを浮かべていたが、瞳はギラギラと光り、有無を言わせぬ威圧を放っていた。私は小さく息を吸い込んだ。緊張で足を震わせながら、玉座へと歩みを進める。
思わず、髪を留めるかんざしに手をやった。
(なぜ……こんなことに。夜まで待つつもりだったのに――!)
かんざしには被せ物がしてあり、先端に毒を塗った刃を仕込んでいた。寝室に訪れた時にこれで刺し、デドリウス様がとどめを刺す――それが、私たちが用意した計画だった。
でもそれはあくまで「リルク様の計画が失敗したら」という条件付きだった。
昨日のリルク様との約束を思い出す。
革命に参加したいという申し出に、リルク様は案の定大反対した。
「俺がなんのために革命を起こすと? 君を危険に晒せるわけがないだろう!」
そう取り乱すリルク様をなだめてくれたのは、デドリウス様だった。
「お前がセシルを思うくらい、セシルもお前に本気なんだ。いざとなったら俺が出ておさめる。セシルと俺を信じて、任せてくれないか」
リルク様は食い下がったが、私が折れないことが分かって渋々頷いた。けれど、
「俺を待っていてくれ。俺の計画が日没まで間に合わなかったときーーその時まで、この刃は使わないと約束してくれ。あくまで『最終策』であることを忘れるな。それが守れないなら、今すぐ宮廷から避難させる」
そう何度も念押しされた。リルク様の失敗が確定するまで、極力危険な真似はしないーーそう約束して、クラウス8世の元へ戻ることを許されたのだった。
でも、もう状況は変わっている。日窓越しに太陽の位置を確認すると、真南を少し過ぎたところだった。
日没は、まだまだ遠い。
(この男の婚約者として紹介されるなんて冗談じゃないわ! それに、結婚が既成事実化すれば、計画全体に影響が生じかねない。この場から逃げるかーーそれとも思い切って、今刃を突き立てる? ……ダメ。リスクが高すぎる。もし失敗したら――進行中のリルク様の作戦まで全部、台無しになってしまう。……何が正解なの……!!)
心はぐちゃぐちゃで、脈だけが速くなる。それでも表情だけは涼やかに保ち、ゆっくりとした動作で、私は玉座の前に進んだ。誰も私の内心の動揺など気づいていない。客たちはただ、私に見とれているだけだった。
「信じられないほど美しい……絶世の美女とはまさにこのこと……」
「あの陛下に選ばれるなんて、心底うらやましい……」
「もしや……先日デドリウスが連れていた女か……?」
「▲✫◎%€〜!!」
囁きと驚きが渦巻き、浮かれた空気が漂った。
クラウス8世は、もうすぐそこにいる。
衣が床を擦る音さえ、耳に痛いほど鮮明に聞こえた。
私は、息を呑み、心を決めた。
(武器となるのは……この『刃』だけじゃないわ!)
リルク様のために。デドリウス様と第三騎士団のみんなのために。
そして、リルク様を待っている、名前も知らないたくさんの人たちのために――。
(私がやらなければ)
全力で笑顔を作った。これにはクラウス8世さえも毒気を抜かれたようだった。私は満面の笑みのまま、小声で抗議した。
「こんなこと、聞いていません。突然にもほどがあります」
クラウス8世は眉をひそめ、ゆっくりと参列者たちに背を向けた。そして私に立ちはだかるようにして、低く、しかし凛とした声で言った。
「黙れ。今、兄さんたちを必死に探させている。この場はもう僕とお前の婚姻の式典に切り替わったんだ。兄さんとロザリナ皇女の儀式は『おまけ』にして乗り切る。僕に恥をかかせたら――分かっているな?」
言葉の端々に、怒気と支配力が混じる。私は無言でうなずくしかなかった。彼はくるりと振り返り、何事もなかったかのように私の腰に手を回した。そして、参列者に向かって堂々と宣言した。
「我が美しき婚約者――セシル・ニルヴァル嬢だ」
その瞬間、会場は歓声に包まれた。先ほどまでの気まずく、張り詰めた空気は跡形もなく消え去り、参列者たちは一斉に王妃の誕生を祝福した。
差し込むステンドグラスの光が、私たちを包み込み、まるで天からの祝福のように煌めく。
「なんと神々しい……!! 神がつかわしたとしか思えん……!!」
「美しいお二人だ……! おめでとうございます!!」
「インテルヴィア国、万歳!!」
割れるような拍手は、しばらく鳴りやまず、耳をつんざくほどだった。クラウス8世は笑顔を貼り付けたまま、私の腰を掴む手に力を入れた。
「さあ、気の利いたことを言え。この国を――僕を高揚させるために!」
私は深く息を吸った。胸の奥が焼けるように熱い。足元がふらつきそうだった。それでも、声だけは、驚くほど澄んで震えていなかった。
「参列してくださった皆様、祝福の言葉に心より感謝申し上げます。そしてなにより、他国からお越しくださった皆様。我が国へようこそ。どうか、私たちからの心からの歓迎をお受け取りください」
自分でも不思議なほど力強い声だった。言葉を紡ぐたび、胸の奥に小さな火がともっていく。
「ご紹介いただいた通り、私は陛下に身を捧げる決意をいたしました。陛下は優しく寛大で、常にこの国を思っていらっしゃいます。どんな人間も平等に愛する――そんな博愛の心をお持ちです。私もまた、王に救われた者の一人です」
聴衆の熱量はますます高まる。拍手と歓声が渦を巻き、ステンドグラスの光がそれを盛り立てていた。クラウス8世が、満足げに頷いているのが横目に見えた。
私は静まるのを待ち、再び口をひらいた。
次の言葉を吐いた瞬間、全てが変わる――そう悟りながら。
「人を愛するのは、決して易しいことではありません。誰かを選ぶ以上、『選ばれない者』が生まれてしまうからです。切り捨てられた者は、どこへ行けばいいのでしょうか。そうした問いに真摯に向き合い、こぼれ落ちた人々を救おうとする方こそ、真の国王です。そして、それは――あなたじゃない」
会場の空気が一瞬で凍りついた。クラウス8世の顔色がみるみる変わり、笑顔の仮面が剝がれていく。
「おまえ……ッッ、何を――!!」
「我が国の真の国王は、クラウス8世ではありません。クラウス8世には兄がいます。今日結婚するはずだったリルクート・リアクロンビー公爵は、先代王と追放された正妃の間に生まれた第1王子であり――彼こそが、真の王位継承者なのです!」




