第三十二話 反撃ののろし
(この歪んだ縁談をどうすれば反故にできる?)
時間は無情に過ぎていく。国中から貴族が宮廷に召集され、今日「赦しの儀」が執り行われる。侯爵以上の婚姻は陛下の認可が要るのが通例で、承認されれば結婚式まで三日間、祝賀の日々が続く。すなわち、手続きが進むほど既成事実は増え、覆すことは難しくなる。
(どんどん既成事実になる……その前に何か手を打たねば)
宮廷に来てから、まともに眠った夜などひとつもなかった。暗がりで歩き回り、頭の中でありとあらゆる駆け引きを繰り返す。思考は迷路のように分岐し、どの出口も見えない。
ふとセシルを思い出しては、会いたくてたまらなくなった。輝くような美しさと、鈴の鳴るような声が恋しくて気が狂いそうだった。
(セシルは特別だ。あんな女性は他にいない)
彼女は容姿だけでなく、心根も特別だった。あのときの彼女の言葉が、今も耳に残っている。
――実家の伯爵家のことで俺は処罰を主張した。セシルは長年、使用人同然に扱われ、「醜い」と洗脳されてきた。王宮裁判所に訴えれば爵位剥奪、家は崩壊してもおかしくない。俺は厳罰を求めたが、彼女は首を振った。
「私だって家族のことは許していません。ふとした時に思い出して『普通に暮らせていたら』って恨めしくなることもあるんです。でも、そんな処分が下ったら、使用人のみんなが路頭に迷うことになるわ。意地悪な人もいたけど、優しい人もいたの。だから、私が目一杯幸せになることが、一番の復讐になると思うことにしたんです」
そう言って微笑んだセシルには、女神のような神々しささえ感じた。俺としては「なんと甘いことを」と思うが、それが彼女の出した正解なのだろう。
セシルは優しい。芯が強い。その一方で、理想主義でちょっと頑固なところもある。そんな彼女が傷つかないように、守ることが俺の役目なのに――。
セシルが今どんな状況にいるのか。
連絡がないことに、気を揉んでいるのではないか。
自分を疑っているのではないか――。
そんなことを想像すると、歯がゆくて仕方なかった。
陛下からは外部との一切の連絡を禁じられている。外部と接触するには、貴族が召集される時を待つ――。それが一番現実的な選択肢に思えた。
(頼みの綱はデドリウスだ。あいつはセシルを奪うと宣言した――。だが、あいつは信用できる。コンタクトを取れれば、最悪、この結婚を反故にできなくても――黙って結婚するような、不義理は避けられるはずだ)
そうやって必死に根拠の薄い希望を持つことで、心をなんとか平静に保った。
✳︎✳︎✳︎
気を揉みながら待った、貴族の召集日。大広間でデドリウスを探す俺のもとに、一番に現れたのは第一騎士団長を務めるマルトリーニだった。日焼けした大きな手が差し出され、口ぶりは軽いが笑顔の端に鋭いものがあった。
「よう、完璧くん。結婚おめでとう――結婚の相手の選定も完璧だったか。ほんとに卒のない野郎だぜ」
「……嫌味を言いに来たのか? さっさと自分の位置に戻れ」
「そりゃ嫌味のひとつも言いたくなるだろ。俺がこの前言ったこと、覚えてるか?」
マルトリーニの言ったこと……。忘れるはずもなかった。半年ほど前のことだった。
――南方戦線が混迷を極め、担当した騎士団は相次いで死亡。何度目か分からない担当騎士団長の即位式と壮行式に出席した際だった。宴席は浮かぬ顔で満ちていた。俺は祝いの席でひとり誘い出され、マルトリーニと酒を飲み交わしたのだ。
「リルク、お前はこの戦況をどう見ている? 南方と西方に大量の人員を投下しても、死屍累々の今の状況を」
「……おい、口を慎め。誰かが聞いてたらどうする?」
「クソつまらん優等生回答は止めてくれ。どうせ俺にも順番が回ってくる。俺は死ぬのは怖くない――だが、無駄死には勘弁だ。この作戦の采配について、お前はどう思ってるか聞いてるんだ」
「……負け戦だろうが、俺は俺のできる方法で貢献しようと思っている」
「お前だって分かってるんだろ? この軍事作戦がハリボテでしかないことを。勝つ気なんて更々ない、いやラッキーで領土を奪えればいいくらいの魂胆なのかもしれん。内実は、政争に負けた貴族と、その支配下にある騎士団の『処分』だ。懲罰派遣なんだよ、これは」
マルトーニは感情をあらわにして口汚く罵った。俺は何も答えることができなかった。
マルトーニの考えには同意だった。ここ数年で南部、西部の前線は泥沼化し、本気で勝てると思っている者など皆無と言っていいだろう。王が貴族を支配する手段として、この戦線を扱っていることは明らかだった。政敵は南部と西部へ。寵愛を受ける者たちは北部と東部へ――。
北部と東部に資源を集中させ、南部と西部は切り捨てる。これが現政権の方針であることは、公言されないが事実だった。国は静かに二分されているのだ。
「マルトーニ、お前は優秀な騎士だ。だからこそうまく立ち回れ。この国にはお前まで失う余裕はないんだ」
「バカ言うなよ、自分のことだけ考えてうまく立ち回れればそれでいいってか? 確かに俺は、今のところ北部に回されているし、身に迫った危険はない。このままノラクラかわせば、出世も間違いなしだろう。だが、俺が言いたいのは、『お前が』そんな考えでいいのかってことなんだよ」
マルトーニは俺と真剣な顔で向き合った。
「リルク、お前はあの幻の王妃の息子なんだろ?」
「……なにを言っている」
「しらばっくれるなよ。その噂が本当なら、お前が正当な王位継承者だ。このまま混乱の治世が続けば、『何か』をきっかけに不満が爆発するぞ。特に、騎士団周りは火薬庫状態だからな。どいつもこいつも気が立ってて、火の粉が飛べばあっという間に爆発しそうだ。そうすれば、血で血を争う内戦が起きることになる――。身内で殺し合いだ。そうなったら取り返しがつかない。その時、お前の噂が『本当』かどうかなんて関係なく、お前は台風の目になるよ。傍観者でいられるのも今のうちだぞ?」
――あの時は、うまく答えることができなかった。今だって、何が正解なのか分かるはずもなかった。
「まあこれがお前さんの出した結論ってことか。お前も陛下の『選択と集中』方針に迎合するんだな。あれから更に南部戦線は激化し、あの時着任した騎士団長も死んだぜ。だが、北部だけは安泰だな――お前さんの婚姻で万全だ」
「俺の気も知らないで、いい加減にしろ。俺に何を期待してるんだ? 国すべてを救えと?」
「……ほんとだな。俺はお前に期待しすぎたのかもしれん。悪かったよ」
去り際のマルトリーニの言葉には、失望と諦観が混じっていた。言葉にならない苛立ちが、胸をぐるりと巻きつく。隣の者が話しかけても、耳には入らなかった。
それからしばらくして「陛下のお出ましである! みな、頭を下げて出迎えよ」との口上と共に、陛下が現れた。講和が始まったが、俺の心を上の空だった。
「さあ、余と英雄であるリアクロンビー公爵に挨拶を捧げるのだ!」
拍手とともに壇上に上がると、騎士団長たちの整然たる挨拶が続いた――その直後、マルトーニが言っていた『何か』が起きた。
――『何かをきっかけに血で血を争う内戦が起きる』
その不吉な言葉が脳裏をかすめた瞬間、会場に衝撃が走った。
なぜかいるはずもないセシルが現れ、どうやらそれに加担したらしいデドリウスが、免職を宣告された。騎士たちの怒りが静かに、しかし抑えきれぬ波となって広間を満たす。
「デドリウスまで西部戦線送りとは……」
「補充は? このままでは持たぬぞ」
四方から漏れる不安と不満の声。だが、俺の視線はただ一つ、目の前のセシルに釘付けだった。陛下に突き飛ばされ、額から血を流し、辱められるセシル。
その姿を冷たい瞳で見下ろし、口の端に薄ら笑いを浮かべるクラウス8世。
胸の奥で、何かが切れた。今まで経験したことのない怒りが全身を襲う。
(これが――王のあるべき姿だというのか? ふざけるな。俺は絶対に、こいつを許さない……!!)
その瞬間、これまで断片にすぎなかった思考が一気に結びついた。
不満を押し殺してきた騎士たちの叫び。
駒のように扱われるアラシア国の皇女の運命。
そして――血を流し、傷つけられたセシル。
その全てを救う方法が、一つの輪郭を持って立ち上がった。俺の中で、答えはもう揺るがなかった。
「陛下――私からもお願い申し上げます。デドリウスはこのようなことで失っていい人材ではありません――」
許しを請いながら、固く決意していた。
(俺はこれまで、自分の生まれを呪ってきた。『王の異母兄』として生まれ、追放されたこの身を恨み続けた。だが――今こそ、この血を使う時だ。俺はこの国を、そしてセシルを踏みにじった王を許さない。人が無意味に傷つくのを、もう黙って見ていることはできない)
胸に燃え上がる炎が、すでに道を照らしていた。
(俺が――この国に革命を起こす)
読んでいただきありがとうございます。
これで第二章は終わりです。
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