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第三十話 時は遡り

前半はセシル視点、✳︎以降はリルク様視点になります。

 南西塔の正面扉を押し開けた瞬間、目の前の光景に息を呑んだ。

 ――ぎっしりと人、人、人。


 部屋は群衆で埋め尽くされ、壇上では誰かが演説をしていたらしい。だが、私の登場と同時に、その声もざわめきも途絶える。一瞬で静寂が落ち、百を超える視線が一斉に私に注がれた。


 「セシル……?」


 胸を震わせる、聞き慣れた声。

 壇上に立つその人――リルク様だった。


 「リルク様……! どうしてここに……?」


 次の瞬間、リルク様は人波を力強く掻き分け、私の元へ駆け寄ってきた。そして周囲の視線など意に介さず、私を抱き締めた。その腕の熱に包まれた瞬間、張り詰めていた心がほぐされるようだった。安堵と嬉しさで、自然と涙が出る。大歓声が群衆から爆発した。


 「セシルこそ……なぜここに? 今から君を迎えに行くところだったんだ」

 「耐えられなくて……。どうしても結婚前に、リルク様とお話がしたくて……。迎えに行くというのは……陛下との件をご存じになのですね?」


 その横に、いつの間にかデドリウス様の姿があった。抱き合う私たちを見て、苦々しい表情を浮かべていた。結局、デドリウス様は私とリルク様を引き離し、不器用に腕を組んだあと、ふっと息をついて私の頭を撫でた。


 「……大変だったな」

 「デドリウス様……今回のこと、本当に……申し訳なくて。第3騎士団の皆様にも、どんなお詫びをすればいいか……」

 「もういい。謝るな。――明日、すべてが変わる」


 低く言い切ったデドリウス様の言葉を、リルク様が力強く引き継ぐ。


 「そうだ。明日、俺たちは……」


 次に放たれた言葉に、私は息を呑み、目を見開いた。


 「ま、まさか……! ご冗談でしょう? それに、どうやって……」

 

 リルク様は私の不安を打ち消すように、作戦を細部まで語り始めた――。




✳︎✳︎


 アラシア国皇女との結婚破棄のため、宮廷へ出立した日まで時は遡る。


 セシルに婚約破棄を約束した後、日が昇るとともに王都に向けて出発した。7時間の長旅だったが、休むことなく馬を走らせた。宮殿の門扉をくぐり、陛下への謁見を申し出ると、驚くほど容易に案内された。案内された先は宮廷の奥――陛下の私室だった。


 陛下の寝室は吹き抜けの大空間にあった。回廊からは書斎や控えの間へと優雅にアクセスできる。天蓋付きの大きなベッドを中心に、豪華な絨毯と金箔の装飾が施されており、陛下はそこに横たわっていた。俺を見るなり、跳ね起きて駆け寄ってくる。


 「兄さん!! 待ってたよ」


 笑みを浮かべながら、瞳だけが凍りついている。


 銀髪と、俺と同じ紺碧の瞳。この瞳を見るたびに、異母弟だが、俺と同じ血が流れていることを突きつけられる。それでも境遇も、性格も正反対。


 (……やはり苦手だ。こいつだけは)


 とはいえ、自分は仕える身だ。感情を表に出さないよう、身を引き締める。


 「――大声で呼ばれては困ります。私との関係が知れれば、陛下の名誉に関わる」

 「ここは僕の聖域だ。信頼できる者しかいない。……それより長旅だったろう? 食事を用意してある」


 視線の先に、豪華な料理が並んでいる。


 (なぜ食事が? 事前に通達していないのに、俺がくることが分かっていたみたいだ。そういえばさっきこいつは「待ってた」と言った――)

 

 背筋がぞわりとした。

 ――嫌な予感がする。


 「……なぜ私が来ると分かってたのですか?」

 「僕は王だからな。千里眼、ってやつかな」

 「さあさあ、腕を振るわせたんだから、冷めないうちに食べろよ。毒は入ってないぞ?……多分、な」


 とっておきのジョークを言ったかのように、陛下は声を上げて笑った。


 「……ご存知でしたら話は早い。本日はお願いがあって参ったのです」

 「いきなり本題に入るのか。世間話をする暇もないと?」

 「ことは急を争うのです。先日お話をいただいた、アラシア国の姫との縁談なのですが――」


 「知ってるよ、好きな女ができたから反故にしたいんだろ? 兄さんが恋するなんて驚いたよ」

 「……やはりご存知で」

 「情報収集は基本だからな。兄さんは逆に脇が甘すぎるんじゃないか? ミリルから筒抜けだよ。デドリウスの妹まで加わるのは笑ったが」


 「ミリルが……!?」

 「腹違いの兄を完全に信用すると思うか? 僕の地位を脅かしかねない存在を。内通者が置かれてる可能性くらい、考慮しとけよ」


 (まさかミリルが……。 セシルにつけたのは間違いだったか。それにヤスミンまで内通に加わってたなんて、どういうことだ)


 怒りと焦りで表情が曇りそうになったが、なんとか理性で誤魔化した。この相手に動揺を悟らせることは、ことを悪化させるだけだ。冷静に、粘り強く交渉するしかない……。


 「とんでもない美人らしいな。兄さんは理想が高いだけだったのかーーあまりにも浮いた噂がないから、男が好きなのかと思ってたよ。早く会ってみたいよーーそのセシルとやらに」


 「……既にそこまでご存知なのですね。それなら話は早い。私はアラシア国の婚姻から身をひき、経済政策の面から支援できればと思うのですが」

 「経済政策か。貿易もかなり上手くいっているんだろう? いいよ、兄さんを通商使節のトップに任命しよう」


 ――拍子抜けするほど簡単に許可が降りた。

 思わず安堵のため息をついた。


 「ありがとうございます。今回の寛大な措置を何倍もの国益にしてお返しします。私の想い人もきっと……」

 「おい、何を勘違いしている? 僕は婚約を反故にしていいとは言っていない」


 背筋が氷の刃でなぞられる。陛下の紺碧の瞳は、邪悪に輝いていた――。


 「兄さんが下層の伯爵令嬢に心を捧げるのを、僕が許すわけないだろ? 兄さんが忠誠を誓うのは、この僕――王であるクラウス8世だけだ」

 「な――!」


 「予定通りアラシア国のロザリナ皇女と結婚するんだな。もう既に皇女をこの城に招いている。顔合わせは今日の午後だ。婚約の儀は一週間後――19日に盛大に行う」

 「でも、私は――」

 「これ以上話しても無駄だ。この国に――僕に忠誠を誓え。それがお前と母親の贖罪だろう?」



✳︎✳︎

 (なんてことだ……! あいつの悪意を軽く見ていた――)


 陛下は、俺がセシルと恋に落ちたことを知っていた。ミリルが全てを報告していたのだ。陛下が言う経済戦略のための結婚は片面にしか過ぎない。俺への嫌がらせ、自分の方が上なのだという誇示――それこそがこの結婚の目的なのだろう。


 だが、今さら逆らえる立場ではない。命じられるまま、アラシア国の第二皇女と面会する準備を進めた。案内された貴賓室には何人もの警備の者が着いていた。アラシア国からも相当の人数が派遣されているらしい。


部屋の前に立っていた文官らしき翁が、深々と頭を下げた。


 「アラシア国全権大使のモルグでございます。この度のご婚約、誠におめでとうございます」

 「あ、ああ……。皇女は部屋の中でしょうか?」

 「はい。ご紹介いたしましょう」


 モルグが扉をノックすると、「どうぞ」というか細い声が返ってきた。部屋に入り、顔を上げるとそこにいたのは――。

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