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第二十八話 決意

 目が覚めると、見上げるほどに高い天井の部屋にいた。天井には天使の絵が描いてあり、一瞬自分は死んで天国にいるんだわ――と思った。


 「急に起き上がらないで。目を見せてください」


 看護婦らしき年配の女性がすぐそばに来て、手際よく私の状態を確かめた。右腕には添え木と包帯が巻かれている。どうやら骨が折れたらしい。骨折で済んだのは幸運だったというのが医者の見立てだそうだ。

 その時、大きな扉が静かに開き、陛下が入ってきた。


 「やっと目を覚ましたか」


 (な、なぜ陛下がここに……!?)


 私は逃げようとしたが、寝たきりだったせいか、酷いめまいがして起き上がれなかった。


 「おい、落ち着け。丸2日寝ていた女を襲ったりしないよ」

 

 そう言うなり、ベットの横に腰掛ける陛下。


 「丸2日!?」


 血の気が一気に引いた。頭の中で時間の針が暴れ、状況の輪郭が明瞭になっていく。


 (リルク様の結婚は19日だったはず……!)


 「ああ、今は18日の朝だ。今夜は大忙しだぞ。婚姻の儀の前夜祭だからなーーもちろん、お前も参加していい」


 天使のような顔立ちに、陛下はふと邪悪な笑みを浮かべた。その笑みが私の血を凍らせる。


 (リルク様が結婚してしまう! その前に会って話したいのに……もう時間がない……!)


 「お願いです、どうかリルク様に会わせて――」

 「お前もしつこいな。何を今さら焦っている? お前と兄さんを会わせることはできない。お前は僕の物になり、兄さんはアラシア国の皇女と結婚する。これは揺らぐことはない、決定事項だ」


 「私は了承していません」

 「だからなんだというんだ? 今夜、前夜祭が終わったらお前の部屋に行く。兄さんが結婚する前に僕とお前が結ばれる――まだ兄さんには伝えていないが、さぞ喜ぶだろう。想い人を王である僕が引き取るんだからね」


 言葉とは裏腹に陛下の目は冷たい光を放っていた。そこしれぬ悪意と執着を見た気がして、背筋が寒くなる。


 (なんて歪んだ考えなの)


 陛下が何を考えているか、全く理解することができなかった。陛下のリルク様への固執は、兄弟という言葉だけでは説明できない気がした。


 「それにしても――バルコニーから飛び降りたときは死んだかと思ったぞ。そんなに僕が嫌か?」

 「……」


 「まあ、お前の気持ちなどどうでもいい。正直、お前のことをかなり気に入ったよ。王を拒んで飛び降りるなんて……聞いたことがない。度胸があるし、機転も利きそうだ」


 陛下はふと笑い始め、続けざまに言葉を放った。


 「簡単に手に入らないからこそ、分からせてやろうという気になるしな。お前には何人も侍女をつけて監視させる。今回は逃げられると思うな。では、夜に」


 後方を見ると、入口に侍女が10人ほど立っているのが見えた。陛下は執務のために部屋を去っていったが、残された侍女たちは私を品定めするかのようにジロジロと見ていた。

 その中で年長らしき一人が、ゆっくりと私に近づいてきた。


 「さあ、やることが山積みですよ。お風呂に入って、この薄汚い格好を何とかしなければ」


 随分と刺のある言葉だったが、ぐっとこらえた。私の頼みの綱は、この侍女たちだ。どうにかして味方に引き入れなければ。そうすれば、逃げ出す手がかりを得たり、手紙のやり取りを頼めるかもしれない。


 「お願いします――少しだけ私に協力してくれませんか。リルク様にどうしてもお会いしたいのです」


 だが、返ってきたのは冷たい拒絶だった。


 「断固としてお断りしますわ」


 ピシャリと跳ね除けられた。後ろでは、他の侍女たちが遠慮もなく悪口を言い合っている。


 「まあ、なんて破廉恥な申し出でしょう」

 「陛下だけでは飽き足らず、リルク様まで狙っているのね。綺麗だけど強欲な方」


 (なんて理不尽な……!)


 カッとして言い返しかけたが、多勢に無勢だ。


 (落ち着くのよ。感情的になっても、得することはないわ……)


 必死に自分を抑えていると、それまで黙っていた一人の侍女が前に出てきた。


 「セシル様、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 カラスの濡羽色のような美しい黒髪に、濃いまつ毛。おっとりとした目元が妖艶な、とても綺麗な女性だった。


 「え、ええ……」


 彼女の美しさに少しドギマギしていると、にっこりと微笑まれる。両頬に小さなえくぼができ、それがまた可愛らしい。


 「セシル様はリアクロンビー卿と親しいと伺いましたが、本当ですか?」

 「とても親切にしていただいたのは事実です」


 「それはつまりーー恋人ということでしょうか? リルク様はあまりにも浮いた噂がないので、”そっちの方”なんて噂もあるのですが」

 「わ、私は恋人じゃありません。行き場のなかった私を引き取ってくださっただけで――」


 「そうなんですか〜。それはよかった! みんなきっと喜びますわ。それにしても、何もないのにお屋敷に置いてくださったなんて、少し不思議ですわね? 仮に恋人でないとしても、宮廷まで押しかけるなんて、ずいぶん“痛い”お方ですこと」

 「……」


 「では、今回の件で危うく免職になりかけたデドリウス様は? やはり“何もない”とおっしゃるのかしら。――あの方、女性たちの間で随分と人気ですのよ? そんな方とも“何もない”なんて、信じろという方が無理ではなくて?」


 笑顔を保ったまま、彼女の瞳はだんだんと暗く、意地悪く光り始めた。鈍い私でも、彼女が悪意を向けているのが分かった。声が震えないようにするために、私は小さく息を吸い込んだ。


 「……あなたには関係ないことだわ」


 彼女はもう笑っていなかった。吐き捨てるように言い放つ。


 「宮廷にいる間は、十分お気をつけになった方がよろしくてよ? あなたを恨んでいる女性は、たくさんいますからね」


 クスクスと笑う声が広がった。


 (意地の悪い人って……どこにでもいるのね。こんなことで負けてはいけない)


 そう思いつつも、私の心は沈んでいった。



✳︎✳︎

 しばらくすると、侍女たちは、陛下の訪問に備えて私を支度させ始めた。服を雑に脱がされ(骨折した部分が触れて激痛が走った)、バスタブに入れられた(お湯が熱くて肌が赤くなった)。


 湯気の向こうから、侍女たちの囁き声が聞こえる。「鼻持ちならない方」「大した身分じゃないのに」というヒソヒソ声が、気持ちを更に落ち込ませた。嫉妬や誤解のせいだとは分かっていたが、やはりいい気はしない。


 そうしているうちにも、時間はどんどん過ぎていく。

 状況を整理しなければ。

 私には――時間がない。

 この侍女たちに頼ることもできない。


 (どうしたらいいの……)


 思いつく方法は一つだけだった。ただ、あまり気は進まない。


 (本当はこんなやり方、嫌なのだけど)


 背に腹は代えられない。


 洗いたての髪を侍女が乱暴にとかした時だった。私は大袈裟に声を荒げた。


 「痛いっっ!!」

 「あーら、ごめんなさい。ろくにとかしてないからか、こんがらがってて。もう切ってしまいますか?」


 クスクスと侍女たちの笑う声がした。私は小さく深呼吸をし、侍女にきつい声で申し付けた。


 「乱暴に髪をとかすから、枝毛が出来てしまったわ。一つ残らず綺麗に切ってちょうだい」


 むっとした表情を見せつつも、命じられた侍女は渋々ハサミを取りに行った。

 続けて、私は次々と要求を口にした。


 「このドレス、私の眼の色と合わないわ。真珠色のドレスに変えて。サイズももう少し細いはずよ」

 「ねえ、お腹空いちゃった。軽食を用意して。今すぐに!」

 

 侍女たちは私の豹変ぶりに驚きながらも、渋々従った。その他の侍女にも香水の用意を申し付けたり、ベッドシーツをシルクから肌なじみの良いコットンに替えるように要求した。

 一つの要求が終わると、次の用事を申し付けた。休みなく動き回る侍女たちは、隠すこともなく私を「嫌な女ね」と言った。


 (こんな風に誰かをこき使うのは性に合わないわ……。でも、この可能性に賭けるしかない。ここを抜け出し、リルク様に会いにいくのだから)


 窓の外からは、前夜祭のために到着する参列者たちの足音や喧騒が遠くから聞こえてくる。私はその音を聞いて決意を固くしていた。


 (私は陛下の『物』になんてならない。絶対、ここから抜け出してみせるわ)

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