♡第二十七話 王の素顔
男に扮して宮廷に潜入したセシル。陛下に見破られ、連行されたセシルはーー
奥の間はバルコニーつきの高い天井を持つ広間だった。金細工を施した調度や巨幅の絵画が並び、その豪奢さがじわりと人を圧する。私の両脇をがっちりと抱えられたまま、粗雑に小さな椅子に座らされた。
クラウス8世は大きく息をついた。
「行事ごとはほんとに疲れるな。かったるくて仕方ない」
そう言うと、陛下は儀礼用の飾り立てた正装を脱ぎ捨て、すっと軽やかな装いになった。先ほどまでの重苦しい雰囲気が嘘のように消え、砕けた物言いになる。その豹変ぶりに、私は呆然としてしまった。
「陛下、部外者の前ですよ。あまり大層なことはおっしゃらないように」
「分かってるよ、口うるさいなあ」
「セシル、お前も楽にしていいよ。これ以上罰するつもりもないし。まずはその馬鹿げた鎧を脱いだらどうだ?」
着替えを終えると侍従たちは下がり、部屋には私と陛下だけが残された。さっきとはまるで別人だ。
(……? なぜこんなに急に。まさか裏があるのかしら)
疑念と緊張が胸にのしかかる。陛下は私が座っている椅子より二倍ほど大きなソファに腰を落とし、ワイングラスを大きく傾けた。
(陛下の目的は何? 私はこれからどうなるのかしら)
侍従がひょこひょことやってきて、私の目の前にもワイングラスを置いた。濁った血のような、黒に近い赤ワインが並々と注がれる。
「飲めよ」
思わず身体が強ばる。私はワインの入ったグラスをまじまじ見つめた。
(もしかして毒……? 口をつけたふりをしてやり過ごそう)
唇を真一文字に結び、飲み込まないように気を張ってグラスを傾けた。
「美味いか?」
「はい、とても」
声は緊張で震えていた。次の瞬間、陛下が声を上げて笑った。
「嘘が下手だな、飲んでないのがバレバレだぞ。兄さんに何か吹き込まれたのか? 僕が毒を盛るぞーとか」
「……そうされても仕方ない立場だと、自覚しているだけです」
「なるほど。あながち間違いじゃない」
陛下は嬉しそうに笑い続け、落ち着いた調子で言葉を重ねる。
「僕が望めば――今この瞬間にでも、お前を消せるからな」
脅しのつもりはない――ただ淡々と事実を述べているという冷たい口調だった。
「安心しろよ、そんな酷いことはしない――むしろ『感謝』すらしてるんだ。兄さんに会うためにこんなに必死になるなんてな。デドリウスを丸め込むのは簡単だったか?」
「『丸め込む』? 私はそんなことしていません!」
「好意に付け込んだことは確かだろう? あいつはほんとにお人好しだからな。――面倒見の良さも行き過ぎると身を滅ぼすと、今回のことで分かっただろう」
(そうよ……私のせいでデドリウス様は……)
言葉が喉を塞ぎ、私は顔を手で覆った。自分が無理を言わなければ、こんなことにはならなかったのではないかという後悔が胸を締め付ける。
「兄さんもデドリウスも有能で人望があり、勇気もある――。そういう人間が失態を犯すのはどういう時かわかるか?『情』などというくだらんものに囚われたときだ。お前のような女にな」
「……デドリウス様は大丈夫なのでしょうか? 私は政治のことは分かりません――でも、デドリウス様が何か大変な任務を任されたことは分かりました」
「さあな。デドリウスは英雄になることが確定した――とだけ言っておこうか。成功して生きて戻ろうが、失敗して殉職しようが讃えられる――それが軍人のいいところだな」
陛下はにっこりと笑った。子どものような無邪気さの中に、底知れぬ冷酷さが潜んでいる。
「お願いできる立場ではないのは分かっています。でも、今回悪いのは私です。だからデドリウス様とリルク様には寛大に対応していただけないでしょうか? 私はどんな罰でも受けます」
「馬鹿馬鹿しい。なんで僕がお前の頼みを引き受けなきゃいけないんだ?」
陛下は乾いた笑みを浮かべた。
「さあ、説明してくれ」
「……」
「兄さんもお前もデドリウスも、『自分が自分が』ってまるで罰の奪い合いだな。ただ、そもそもお前は勘違いをしている――。これは罰ではない。我が国にとっても本人達にとっても『祝祭』なんだ」
「我が国には平和がもたらされ、兄さんは然るべき地位の者と結婚し、デドリウスには栄光が約束される。おっと、お前には――そうだな。どうしたものかな」
「……名誉なことなら、なぜみんなの前で恥をかかせるような方法を――」
「なぜ? 必要があったからに決まってるだろう。有能で人望のある人間は扱いを間違えると諸刃の剣になるからな。本人も周囲も腹落ちさせないといけない――兄さんはこれで踏ん切りがついただろう。国も友も想い人も救えた。デドリウスは掃討作戦が上手く行こうか行くまいが、英雄として称えられることが決まった。西の作戦は苦境にあるからな。一石二鳥どころか三鳥も四鳥も掴んだ、大手柄だよ。今回はそのピースがお前になったというだけだ。よくやった」
「……嵌めたんですね」
「僕を誰だと思っているんだ? 口の聞き方に気をつけろよ」
「罰したいならそうしてください。私にはもう失うものなどありませんもの」
言葉にしてはっとした。口に出すと、確信がみなぎる。
(そうよ。リルク様もデドリウス様も失った今、私に何が残るというの? 実家にだって、居場所はない)
陛下の眼光に負けまいと、私は気力を振り絞り目を逸らさずにいた。相変わらず陛下の目は楽しげに光っている。
「いいね、気に入ったよ。強気な女は嫌いじゃない。だが、冷静に考えられない人間は論外だ。せっかく免罪になったのに、兄さんやデドリウスの思いを無駄にするつもりか? どうしても償いたいというなら――そうだな、宮廷に残り僕に仕えろ。その美貌は強力な武器になるだろうからね」
「……お断りします」
「『断る』だと!? ははは、お前はなかなか面白いな。予想のつかないことばかりを言う」
「私は本気で言っているのです」
「分かった、分かった。さすが兄さんとデドリウスが惚れ込んだだけあるな――凡百の女とは違うらしい。だが、それはもしかしたらとんでもない『痴れ者』ということなのかもしれん――侍女では不満ということか? それなら……うん、そうだな。かえって都合がいいかもしれない」
陛下は何かを思いついたように目を輝かせ、何度も頷いた。
「セシル・ニルヴァル。お前を今日付けで妻に迎える」
「!?」
「正式な王妃には迎えられないが、実質的な立場は約束する。お前は色々と有効活用できそうだからな。これで文句はないだろう? しがない伯爵家出身としては、大出世だ」
「……愛していない方と結婚などできません」
その瞬間、陛下の笑みがすっと消えた。瞳は氷のように冷たく光り、しかし頬だけが熱に浮かされたように赤く染まっていく。
「王の妻になることを拒むだと……?」
「自分の思いに嘘はつけませんもの」
「……ここまで阿呆だと流石に興が醒めるな。これは『命令』だ。この意味が分かるか?」
「背けば罰が待っているということですよね。覚悟は出来ています。殺したいなら殺してください!」
「馬鹿馬鹿しい! お前の生死や価値を決めるのはお前じゃない。王である僕だ。兄さんもデドリウスも自由にさせすぎたようだな。単なる駒のくせに――自分に決定権があると勘違いし始める!」
陛下は声を荒らげて立ち上がった。
「セシル・ニルヴァル。やはりとんだ『痴れ者』だったな。いいか? 世の中には突出した才能を持つ者がいる。兄さん然り、デドリウス然り――お前の美貌もその1つだ。そうした才能は優れた武器にも凶器にもなり得る。使い方も分かっていないバカは、僕に黙って任せればいいんだ!」
私は堪えきれず立ち上がった。怒りと絶望で胸が張り裂けそうだった。
(陛下は――私たちを単なる駒としか見ていないんだわ。感情ある人間なのに)
そしてその陛下に都合の良いように、事態を動かしてしまったのは私だ。自分にも腹が立って仕方なかった。扉まで行こうとしたが、思い切り腕を掴まれ、組み敷かれそうになった。
「抑えつけられないと従えないのか?」
壁に思い切り打ち付けられ、収納されていた本がバタバタと音を立てる。
互いに無言で取っ組み合った。陛下の手が私の襟元にかかり、私の心は悲鳴を上げた――ここで動けなければ、私は奪われる──体も尊厳も。
でも、力では到底勝てるわけもない。落ちてきた本の一冊を掴み、思い切り振り下ろした。もう何も怖くない――。
だって私には、もう何もないのだから。
私はバルコニーに向かって走り出した。
「これ以上近づくなら、ここから飛び降ります!」
「いい加減にしろ。僕がこれ以上寛容に接すると思ったら大間違いだぞ! さっさとここに戻れ」
手すりに身体を押しつける。決意が固まれば恐怖は薄れてきた。
(覚悟が決まれば、怖くない)
陛下が手を伸ばした瞬間、私は踏み切り、三階のバルコニーから飛び降りた。
鈍い衝撃音――バキッ。地面に叩きつけられ、私は意識を失った。




