♡第二十三話 デドリウス様の館で
デドリウス様の豪華な屋敷に着いてからも、私の気持ちは頑なだった。
「この部屋を使ってくれ」
白と金で彩られた大きな部屋。繊細なレースのカーテンが揺れる天蓋付きベッドと、紺色のベルベットのソファ。 あまりの豪華さに落ち着かず、私はそっとソファに腰を下ろした。どっと疲れが押し寄せ、まぶたが重くなる。
「メイドを――」
「いりません。自分でできますから」
「そうか……。必要になったらいつでも言ってくれ」
そう答えたデドリウス様は、部屋を去るかと思いきやーー上着を脱ぎ、シャツのボタンを外し始めた。私は驚きで飛び上がった。
「な、なにをしているんですか!」
「なにって……着替えているだけだが? 今夜はこの部屋に泊まるし」
「『泊まる』!?」
「ああ、ほっとくとまた逃げようとするだろう?」
デドリウス様はシャツを脱ぐ手を止めることなく、真剣な顔で答えた。上半身が裸になり、広い肩と厚い胸板が目に入る。生まれて初めて目にする男性の裸に、心臓が早鐘を打った。
ーーそれに。
(ど、銅像で見たのとーー全然違う!!)
私の男性の裸の知識は、実家にあった裸体の銅像からしかない。その銅像だって横を通る時は恥ずかしくて、薄目でしか見たことがなかった。
(す、すごい筋肉だわ……)
あの銅像なんて、ポッキリ折ってしまいそうなくらい、たくましい体だった。
均整が取れていてーー男らしくて、美しい。「肉体美」なんて何に使う言葉なのかと思っていたけど、こういう時に使うのね。本人は、「どうかしたか?」という顔をしているのがまた、恐ろしい。
(……だめよセシル! 男性の体に見惚れるなんて、はしたないわよ)
私は頭をぶんぶん横に振って、気を取り直した。
「とりあえず、シャツを着てください……」
「ん? なんだ、そっちか……普段汗くさい男に囲まれてるから気づかなかったな。セシル、もしかして男の裸見るの初めてか?」
好奇心と、どこか嬉しそうな顔でニヤニヤしているデドリウス様に、私はソファのクッションを投げつけた。
「……サイテーですっ」
「悪かったって!」
デドリウス様がシャツを着直して。
仕切り直し。
「……って、ちょっと。なんでまだいるんですか?」
「いやだから、この部屋に泊まるんだよ」
「断固拒否します!」
「んー……さすがに強引すぎたか」
「……だが、俺には時間がない。君を振り向かせるためには手段を選んでいられないんだ」
デドリウス様は急に真剣な顔になり、ゆっくりと私に近づいた。髪に手を差し込まれ、そっと撫でられる。私は耳の先まで熱くなった。
「ちょ、ちょっと……」
「綺麗な髪だな」
「いい匂いがする。花のような」
「……」
「君は本当に綺麗だ。なんて柔らかい肌なんだ」
デドリウス様は熱っぽい眼差しで私を見つめている。
(デドリウス様って……やっぱり)
自分の頭に浮かんだ考えに、更に赤面してしまった。心は必死に抵抗しようとしたが、体に力が入らない。ソファの上に押し倒されてしまった。
「セシル……」
強く抱き締められ、切なげに名前を呼ばれた。
デドリウス様の体はやはり重く、私の力ではびくともしなかった。
「……だ、だめです」
「セシルが好きだ。リルクなんか忘れて、俺を選んでくれ」
「無理ですーーーっ!!」
「何事ですか!?」
その時、私の悲鳴で人々が駆け込んできた。上半身裸のデドリウス様と、肩のストラップがずり落ちた私――。何があったのかは火を見るより明らかだ。言い訳など通じるはずもなく、デドリウス様はメイド長から「女性に乱暴してはいけません」とこってり灸を据えられていた。
こんな騒ぎがあって、すごく疲れていたのに眠気は吹っ飛んでしまった。結局、私は一人で寝る部屋と、監視のメイドを数人つけてもらうことになった。気付けのミルクを飲みながら、気持ちを整理する。
「すまない、焦りすぎた」
デドリウス様は何度目かの謝罪の言葉を口にした。言葉ではそう言っているが、悪びれた様子は全然ない。その証拠に「強引なのは逆効果か……」などと一人でぶつぶつ分析している。腹が立ったので、ツンと嫌味を言った。
「私が振り向くまで待つって言ってくれたのに」
デドリウス様は返答に詰まり、やがて苦笑した。
「状況が変わったんだ。耐久戦なら俺に分があると思ってたが、短期間でとなると……。正攻法じゃリルクには勝てないし、身体から始まって心が追いつくことだってあるだろ。俺はベッドでは尽くすしな」
「ゲームか何かだと思ってます?」
私は鋭く睨みつけた。その視線に射抜かれ、デドリウス様の肩がわずかに落ちる。
「……すまない」
「絶対に夜入ってこないでくださいね! もし約束破ったら絶交します」
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翌朝になっても私の動揺は収まらなかった。
(男性ってどんなに口で優しいことを言っても、簡単に信用してはダメね)
デドリウス様が寝室に迎えに来ても、私はそっけない態度を崩さなかった。
(言葉じゃなくて、行動を見極めなくては)
「セシル、散歩に行こう」
私は恨みがましい目でデドリウス様を睨んだが、全く気にする様子はなし。
「馬には乗れるか?」
「乗れません」
「じゃあ一緒に乗るか」
「いやです」
「……昨日の今日で信用できないのは分かるが、俺にチャンスをくれないか。今日はちゃんと君を楽しませるから」
私は渋々合意し、厩舎まで着いて行った。
デドリウス様の愛馬は黒々とした美しい毛並みの雄馬だった。体高は私の身長ほどある立派な馬だ。
手を借りて、四苦八苦しながら鞍に上がる。
「手綱をしっかり握るんだ。俺に背中を預けてくれ」
ピッタリとデドリウス様がくっつく。体温が分かるくらい近い。
「さあ、行こう」
馬がいななき、走り出した。それもかなりの速度で!
景色がものすごい速さで後ろに流れていく。怖い−−でも気持ちがいい! あっという間に館が後方に霞んでいく。
「もっとスピードを上げるか?」
「もっと!? 無理ですぅぅ」
「あの丘まで一気に上がろう」
デドリウス様が再び鞭を振るうと、馬は軽快なステップで丘を登り始めた。重心が後ろにずれてひっくり返りそうになったけれど、デドリウス様が背後でガッチリと支えてくれた。手綱を握る手も離さないように、力強く抑えてくれる。その逞しさに安心して、今まで経験したことのない爽快感に存分に浸ることができた。
目的地の丘までは、5分もかからなかった。
「楽しかったか?」
「べ、別に……」
快晴で、丘の下まではっきりと見渡せる。しっかり楽しんでしまった自分が悔しくて、つっけんどんな対応になってしまった。
デドリウス様は馬を止め、餌をやっている。私は何を話していいかわからなくて、その場を離れて周りを散策した。背丈ほどもある草に覆われた丘には、可憐な花が点々と咲き、そよ風に揺れていた。鳥のさえずりが遠くから届き、穏やかな時間が流れていた。
(でも私はまだ……怒っているのよっ)
そう思った矢先、くるぶし付近に鋭い痛みが走った。
「あっ、痛っっ……」
左足を見ると、禍々しい植物が根元から突き刺さっていた。黒みがかったねじれた蔓と、とげのように尖った葉がうごめき、まるで生き物のように私の肌を捕らえている。
「きゃあっっ」
「どうした?」
駆け寄ってきたデドリウス様に、慌てて説明する。
「へ、変な植物が刺さって……!」
「カエシハレグサじゃないか……! なんでこんなところに。見せてくれ」
デドリウス様は手際よく症状を観察し顔をしかめた。棘が肌に深く刺さり、怪我の大きさの割には大量の血が流れていた。白い靴が朱色に染まっていく。
「これは酷いな。一瞬我慢してくれ」
「なんだか気分が……」
デドリウス様は小さいナイフを取り出し、ためらいなく私の肌に刃を近づけた。
「い、いやです! 痛いのは嫌!」
「少しだけだから我慢してくれ。カエシハレグサには毒があるから、早く処置しないと。向こうを向け。一瞬で終わるから」
促されるまま深呼吸をした瞬間、電流のような痛みが全身を走り抜けた。
「ッッッ!!!」
「棘は取れたぞ」
「こ、こんなに大きい棘が……」
その手には小指ほどもある血まみれの棘が握られていた。デドリウス様は私の傷口に唇を当てると、毒を吸い出した。服の布を切り裂くと、手際よく傷口を縛る。
「応急処置は出来たが、ちゃんと医者に診てもらおう。急いで帰るぞ」
そう言うとデドリウス様は私を抱き抱え、馬に乗せた。デドリウス様の背中に身を預けながら、私は安堵と鼓動に揺れていた。




