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♡第二十話 真夜中の訪問者

リルク様から秘密を打ち明けられたセシルはーー

 リルク様と話した後、私はすぐに自室に戻った。

 世話を焼こうとする侍女たちも、全て下がらせた。疲れ果て、誰とも話す気分になれなかったからだ。


 こんなにも疲れているのに、ベッドに横になっても全然寝付けない。

 何度目か分からない寝返りを打つ。

 

 今日だけで、一生分の出来事を詰め込まれたような気がする。デドリウス様から求婚されただけでも驚きなのに、リルク様の出生の秘密まで知ってしまった。


 (国王の異母兄だなんて……。そんな方と結ばれようとしたら、簡単にいくはずがないわ)


 リルク様を本当に宮廷に行かせていいのだろうか。

 皇女との縁談を断ってまで私を選ぶ――そんなことを言わせていいのだろうか……。


 「こうすべき」という理屈と、「こうしたい」という思いの狭間で、答えは出ない。

 そもそも自分の心さえ見えてこない中で、ただ一つはっきりしていたのは――「リルク様に幸せになってほしい」という願いだけだった。


 (そのために、私はどうすればいいの……)


 早く答えを出さなくては。リルク様は朝には旅立ってしまうのだから――。


 その時、扉をノックする音がした。


 「……誰ですか?」

 「……セシル、少しいいか」

 「リルク様!?」


 驚きと喜びで胸がいっぱいになり、扉を勢いいさんで開こうとした。しかし、軽い力で押し返され、扉は開かなかった。


 「君の名誉に関わるから、部屋には入れないでいい。このまま少し話さないか」

 「……はい」


 「今日は色々とすまなかった。疲れただろう?」

 「人生で一番長い日でした」

 「そうか……」


 気まずい沈黙。リルク様の声にも疲れが滲んでいた。


 「……やっぱり顔が見たい。いいか?」


 ゆっくりと扉が開き、リルク様が現れる。リルク様は寝室に入るなり、そのまま私を抱き寄せた。デドリウス様よりも逞しい、男の腕だった。弾みで入口においてあった置物が、ごとりと床に落ちた。


 「俺は夜明けに発つ。その前に――」

 「セシル様?」


 隣室に控えていたライラの声が、廊下の向こうから響く。私は驚きに息を呑み、思わず飛び上がった。

 とっさにリルク様の姿を隠し、自分の顔だけを扉の隙間から出す。


 「どうかなさいました?」

 「な、なんでもないわ! 喉が渇いたから水を足そうとしただけ。気にせず寝ていて」

 「わ、わ、私がやりますよぉ」


 ふわあ、とあくび混じりの声。


 「いいのいいの、もう済んだから。おやすみなさい」

 「かしこまりましたぁ。次、何かあったらお申し付けくださいねぇ」


 ライラは再び隣室に戻っていった。心臓が早鐘を打ち、危うく密会を見られるところだったと背筋が冷える。


 「あ、危なかったですね……」

 「絶妙なタイミングだったな……」


 先ほどまでの甘い雰囲気は吹き飛んでしまったが、顔を見合わせた瞬間、なぜか可笑しくなって二人で笑ってしまった。


 「本当にとんでもない一日だな。俺もどうかしてるよ――夜中にコソコソ歩き回るなんて、寄宿学校以来だ」


 「寄宿学校に通われていたのですか?」


 「ああ、7歳から17歳までな。ロベールとデドリウスも一緒だった。腐れ縁みたいなものさ」


 デドリウス様の名前を口にするとき、リルク様は一瞬苦しげに顔を顰めた。


 「……まさか、こんなに急に物事が動くとはな」

 「もっとゆっくり、リルク様を知る時間が欲しかった……です」


 「俺ももっとセシルと話したかったよ。戻ってきたら、今度こそたくさん時間を取ろう。色んな場所へ行って色んなことを体験して――君がやりたいことを全部やろう」

 「……素敵ですね」


 「セシルはどんなことが好きなんだ?」

 「正直、自由はありませんでしたので……」


 「子供の頃のことでもいい」

 「そうですね、子供の時は絵を描くのが好きでした。5歳の誕生日に母が絵の具をくれたんです。小さい瓶に顔料が入っていて、少しずつ大切に使いました。たくさんの色があって、見ているだけで幸せでした」


 「優しい母親だったんだな」

 「はい、とても」


 私の宝物だった絵の具。

 使い切る頃には母は亡くなり、間も無くお義母様がやってきた。それ以来、絵を描くことは許されなくなった。顔料が入っていた瓶も大切に保管していたけれど、見つかってお義母様に捨てられてしまったーー。

 いい思い出と苦い思い出が混じった記憶だ。

 

 「そういえば……どうしても買ってもらえない色がありました。青色の顔料だけは高価で、泣いて頼んでも『ダメです!』と」

 「可愛らしいな」


 微笑むリルク様の瞳を見て、私はハッとした。


 「どうかしたか?」


 ――そうだ。どうしてもほしかったその青の名は、ラピスラズリ。

 リルク様の瞳は、まさにあの色だった。


 「それにしても、ライラは自分の役割をしっかり果たしているということだな。君の寝室に侵入者が来ないようにきちんと見張っている。当主の俺も含まれているのが辛いところだが……」

 「ミリルもライラもよく気が利くんです。……たまに監視されてる気分になりますけど」


 「それも良し悪しだな。……帰りをどうするか。ライラに気づかれたくないな」

 「ライラは眠りが浅いんです。少し時間をおかないと、ここを出ていく音を聞きつけて、見に来てしまうと思います。……夜が明けるまでこちらにいらっしゃっても……私は構いません」


 「それは……俺を試しているのか?」


 リルク様が私の頬を撫でた。大きく、熱を帯びた手。

 親指がそっと私の唇に触れ、そのまま首筋を優しくなぞる。身体中がゾクゾクと震え、力が抜けていく――。そのまま抱き寄せられ、ぐったりとリルク様の胸に寄りかかった。


 月明かりの中でも、リルク様が切なげな表情をしていることが見てとれた。ラピスラズリのような瞳がまっすぐに私を射抜いている。顎を持ち上げられ、見つめ合った――。



 キス、するんだわ――。



 心臓が暴れすぎて痛い。けれど、おでこに触れるだけの優しいキスだった。次の瞬間には身体が離され、まるで泥だらけになった小さい女の子にするように、ぱっぱと服の皺を伸ばされた。


 「……えっ!?」

 「危ないところだった」


 「わ、私はてっきり……」

 「だめだ、抑えが利かなくなる」


 「……それでも、いい、です……」


 言ってしまった瞬間、顔から火が出るほど真っ赤になった。


 なんてことを――!!


 (キスですら経験したことがないのに、おかしくなってるんだわ……!!)


 自分で自分の言ったことにパニックになってしまった。あわあわしながら「いえ、今のは冗談で」などと弁解する私の頭を、リルク様はポンポンとした。


 「無理しなくていい。初めてなんだろう?」

 「……はい」


 「もう今日は寝ようか」

 「……はい」


 淑女らしからぬ発言をした羞恥心と後悔で、がっくりとうなだれてしまった。


 なんだか急激に疲れた気がする……。


 ベッドに横になると、途端に睡魔が襲ってきた。リルク様は私にシーツを掛けると、自分はベッドに上がらずに、椅子に腰掛けた。


 「リルク様は寝ないのですか?」

 「少ししたら部屋に戻るよ。心配するな」


 「そう、ですか……」

 「おやすみ、セシル」


 眠りに落ちる直前、リルク様の声が遠くに響いた。



 ――翌朝、目を覚ましたときには、リルク様の姿はもうなかった。

 ただ椅子の背に、リルク様の気配だけが残されていた。

読んでいただきありがとうございます。

これで第一章は終わりです。

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