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どうせ婚約破棄されるなら次の転生先へ旅立ちますと婚約者が言うので全力で阻止しようと王子は決意した


「……婚約破棄?」


 心地の良い日差しが降り注ぐ庭園は、季節の花々が咲き誇り、心地いい風が吹いている。

 ロシュニア王国の王子として生まれ、いずれはこの国の王となるべく育てられた私にとって、この場所はゆったりと息を吐く事が出来る僅かな場所の一つである。

 けれど、今ばかりはそんな安らいだ気持ちになれる筈もない。

 庭の中央に設置された四阿で、私は呆然と目の前に座る彼女の顔を見た。

 傷一つつかないと言わんばかりの白磁の肌に、腰まで伸びる艶やかな黒髪。奥底まで覗き込めそうな程に透き通る青い瞳。

 スタイルのいい身体に沿うように作られたシンプルなロイヤルブルーのドレスには、細やかな銀の刺繍が施されていて、陽光が当たる度にきらきらと輝いている。


 ルールティア・オーディア。


 彼女は、この国で類い稀なる優れた知識を授けられると言われている、オーディア家の娘である。

 彼女は薬学の知識に精通し、まだ年若い少女でありながら、国内の医療は勿論、衛生問題にまで一石を投じ、数々の功績を残してきた逸材だ。

 大人に混じって会話をしていても豊富な知識から澱みなく受け答えをする為に、幼さを揶揄される事もない。かといってそれを鼻にかける事もなく、常に周囲に優しく接する事の出来る、物腰柔らかな性格をしている。

 そんな彼女を私の婚約者へと望む者は多かったし、私自身、聡明で心優しい彼女に惹かれていた。

 だからこそ、婚約が決まった折には喜びでいっぱいであったし、これから先、彼女と共にこの国を担うべく、邁進していこうと心に誓っていた。

 その矢先に、何故、こんな事が起こっているのだろうか。


(そもそも、私が婚約破棄される側なのはおかしくないだろうか……?)


 普通は逆ではなかろうか、と私は疑問に思うけれど、彼女はすました顔を崩す事はない。

 冗談で言ったわけではないのだろう事は、それではっきりと理解出来てしまう。

 私はゆっくりと呼吸を繰り返し、そして深く長く息を吐き出した。

 こうした時こそ冷静さを欠いてはいけない、と顔を上げて彼女と向き合う。


「ルールティア。私達の婚約は、個人間で交わされた口約束などではないのはわかっているだろう?」

「ええ、存じ上げております」


 であれば、何故こんな事を言い出したのか。

 私がそう問いかけようとすると、目の前に一枚の紙が差し出される。


「ですので、陛下に許可を頂きました」

「は?」


 ぺら、と目の前に差し出された一枚の紙。

 そこには確かに国王陛下のサインが書かれている。


(……あのクソジジイ!!)


 どうして勝手に人の婚約を破棄しているんだ、あの馬鹿は!!

 優しいと言えば聞こえはいいが、八方美人で物腰が弱く、争い事が苦手な国王陛下──父上は、つい周囲の意見に流されがちだ。

 厳格で有能な宰相がいなければ、この国はどうなっていたかも知れない。

 人が良過ぎる性格と、政略などにとんと無頓着な父親のせいで、母や臣下達からどれだけの重圧がかかってきた事か!

 おかげで周囲からは「お願いですから殿下だけはああならないで下さい」と何度も何度も泣きつかれているのだ。たまったものではない。


「勿論、正式な文書はこれから作成するとの事ですわ」


 ことりと首を傾けて、彼女はにこりと可愛らしく笑った。

 私は手にした紙を没収し、すぐさま従者を呼んで、先の話を全力で阻止するよう指示を出した。

 当事者のいない所で重要な事を決めないで欲しい。頼むから。


「ルールティア、教えてくれないか。私に何か不満や至らない部分があると言うのなら、改善していこう。

互いに歩み寄りをしないまま関係を解消してしまうと言うのは、あまりに乱暴ではないだろうか?」

「いいえ、ファルゼン殿下。殿下には何の落ち度もございませんわ」


 であれば、彼女がどこぞの男に惚れ込んだとか……、そういった話、なのだろうか。

 考えて、私は内心で慌てふためいた。

 この国の王子として、見た目も派手すぎず、かといって気品を損なわないよう気を使い、姿勢や立ち振る舞いにおいてまで周囲にどう見られているかを常に意識してきた。

 王になる為の勉学は勿論、剣術や馬術などの鍛錬も欠かさず、文武両道も心掛けてきたのだ。

 それらは次代の王としての責務を果たそうとして、でもあるし、彼女に相応しい男であろうと心がけてきたからでもある。

 一体どこのふざけた男が彼女に手を出したのか。場合によっては汚い手を使ってでも始末しなければあるまい——。

 私がそんなどす黒い事を密やかに考えていると、ルールティアは首を振り、私の疑念を払拭した。

 ならば、一体何が原因だと言うのか。


「ファルゼン殿下は今から三年後、運命の女性と出逢います。ですので、わたくしは次の転生先に旅立ちたいのです」

「…………は?」


 あまりに突然の言葉に、私は思わず呆けた声を出してしまう。

 だが、彼女は全く微動だにせず、ただ淡く微笑んで私を見つめ返すだけ。


「え、あー……、いや、すまない。よく聞こえなかったのだが、もう一度教えてはくれないか?」


 運命の女性? 次の転生先? 旅立ち?

 どれだけ反芻しても、何一つ意味が理解出来ない。

 一体全体、彼女は何を言っているのだろうか。

 そんな私に、彼女は懇切丁寧に、はっきりとした口調でもう一度教えてくれる。


「ですから、ファルゼン殿下は三年後に運命の女性と出逢うのです。その際、殿下はわたくしに婚約破棄を言い渡すのです」


 そんな未来の話をまるで見てきたかのように大真面目に話すなんてどうかしている、と思いはするけれど、彼女の眼は曇り一つなく、透き通っている。

 混乱したまま、どうにか聞き出した彼女の話を要約すると、こうだ。


 彼女はこの世界にルールティアとして生まれ落ちる以前の記憶があるという。

 ルールティアはその世界で、薬剤師という職業に就いていたそうだ。

 薬学や衛生についての知識が豊富なのは、そういった前世での記憶があるからだろう。

 そして、そこではこの世界で起きる全ての事を記した小説があるらしく、ここがその小説の世界だと気付いたルールティアは、ある懸念を抱いたという。


 それが、三年後に出会う、運命の女性とやらだ。


 小説でのルールティアは悪役令嬢という役割を持つ登場人物であり、私と結ばれる為に悪逆の限りを尽くしてその女性を陥れ、最終的にそれらの醜態を私に見透かされ、愛想を尽かされ婚約破棄を言い渡されるという。

 まあそこまでしたら確かに婚約を破棄されてもおかしくはないが、今のルールティアは全くもってそんな人物ではない。

 そもそも、私とルールティアがその女性に接触しなければいいだけではないのだろうか、と思うけれど、彼女曰く、物語には修正力という、物語通りに進まなければいけないという不思議な力が働いてもおかしくはないそうだ。


「だとしても、そういった時は二人で困難に立ち向かうべきではないのか?」

「そう仰ってくださった殿下がわたくしを捨てる可能性はゼロではないのですもの。早々に諦めた方が建設的ではございませんか?」

「いやいや、運命だとか言って長年付き添ってきた婚約者をあっさり振って、よく知りもしない女性と結婚するなんて、王子としてというより、人としてどうかしているだろう!」

「わたくしのいた元の世界では、それがまかり通っているお話がごまんとあるのです、殿下」

「いくらなんでも倫理観が破綻しているのではないか?!」


 そんな話がそこらに溢れかえっているとかいう世界、大丈夫なのか?!

 げんなりした私が頭を抱えると、「ふふ、殿下はやはり誠実なお方ですわ」とルールティアは青い瞳を柔らかに細めて笑っている。

 私は恥ずかしさを覚えて居住いを正し、彼女に向き直った。

 言っている事は支離滅裂で荒唐無稽だけれど、彼女が嘘を言っていたり冗談を言っているようには思えない。


「君のように聡明で美しく、周囲の者にも分け隔てなく接する事が出来る慈愛に満ちた女性はそういない。私も、そんな君を慕っている」


 だから、と言って、私は彼女の手を取った。

 自分の気持ちが彼女に伝わるよう、真っ直ぐに熱を帯びた眼で、彼女を見つめる。


「だからこそ、ですわ。だからこそ、わたくしは次の転生先に向かうのです」


 ルールティアは、変わらず毅然とした態度でそう言い放つと、私の手をするりと離して鮮やかに笑って見せた。

 その意思の強さに私は及び腰になるけれど、このまま彼女のペースに乗ってはいけない、と頭を振り、その不安を払拭した。

 せめて、何かこの状況を打破するものはないだろうかと考えていると、ふと思いつき、私は彼女に問いかける。


「そもそも、転生先とやらにはそう簡単に行けるものなのか?」


 転生というからには、一度人生を終わってこの世界に生まれ落ちたのだろう。

 だとするならば……。

 嫌な想像が脳裏を過り、私はぎくりとして彼女を見た。

 いや、そんなまさか。


「そのまさかですわ」

「いやいやいや、いくら次の転生先に行きたいからって、自ら命を絶つなんて思い切りが良過ぎるだろう!!」

「まあ、ファルゼン殿下はツッコミの才能もおありですのね。多才でいらっしゃる」

「ははは、ありがとう。……じゃなくって!!」


 もう、何だってそんな思い切りがいいんだ!!

 私は居住いを正して深呼吸を繰り返すと、冷静に彼女を説得しようと向き合った。


「よく考えてくれ、ルールティア。婚約破棄は確かによくはない。だが、命を賭けてまで再び転生しようだなんて、流石にリスクが高いし、上手くいく可能性だって高いわけではないだろう?」

「まあ、殿下。一度成功したのですから、二度目だからといって諦めてはいけませんわ」

「うん、そのポジティブさを是非とも今世で活かして欲しい。頼むから」


 地面に崩れ落ちそうになりながら、私は何とか事態を切り抜けられる為の突破口を必死に探して、私は会話を続ける。


「オーディア家の者達も、君を知る者達も、君がそんな事になっては悲しむだろう? 考え直してはくれないだろうか?」


 私の言葉に、何か思うところがあったのか、ルールティアはハッとした表情で顔を上げた。


「……っ! そうでしたわ」

「ルールティア……!」


 ようやくわかってくれたか、と安堵したのも束の間、ルールティアはとんでもない爆弾発言を追加してきたのである。


「葬儀に参列される方へのお礼の品を用意しておりませんでした! オーディア家の娘たるもの、全てにおいて完璧でなくてはいけませんもの!」

「いやいやいや、そうじゃない。そうじゃなくって! というか、もう葬儀の予定を立てているのか?!」


 なんでこの国きっての才女とも言える程の頭脳を持ちながら、とんでもない方向へ向かって突き進もうとしているのか!!

 思わず頭を抱えたくなっている私に、ルールティアは優しく微笑み返している。


「ご安心下さいませ、殿下。わたくしの作った毒薬は、服薬後に眠るように命を終え、体内に毒素を残しません。それに、一切外部に生成方法を漏らすような粗相は致しませんわ」

「何ら安心出来る要素がないのだが……」


 そんな恐ろしい事を、世界一かわいいと言っても差し支えない笑顔を浮かべて言わないで欲しい。

 泣きそうな気持ちになりながら、私ははたと気がついて、彼女を見た。


「もしかして、君が数々の薬を研究開発していたのは、その為では?」

「ええ。ですが、一般の方々にも医学の恩恵は与えられるべきです。副産物としてではありますが、それらを必要な方々の元に届けられ、助けられる命があるならば、努力は惜しみませんわ」


 努力の方向性が明後日へ向かっているものの、彼女は彼女なりにこの国を想い、国民の為に手を差し伸べようとしているのだ。

 その献身性に心を打たれた私は、やはり彼女を何としても引き留め、次の転生先へと向かおうとするのを阻止しなければなるまい、と強く決意する。


「優しいだけでは国を担って行く事は出来ない。父を見てそれを学んだ私は、聡明で機転が利き、尚且つ民の為にと手を差し伸べられる心優しい君のような人を、私の伴侶として選びたい」


 だから、どうか考え直してはくれないか。

 私はもう一度、願うような気持ちで彼女に訴えかけた。

 彼女の綺麗な青い瞳は揺れて、憂いげに睫毛を震わせている。


「わたくし、溺愛追放チートやざまぁなどには、全く興味はありませんの」

「は?」

「わたくし、わたくしは……、異世界転生するのなら、もふもふに囲まれスローライフを堪能しながらグルメ旅をする事を望んでいましたの!!」

「は……はい?」


 意味不明な単語を並び立てた彼女の突然の訴えに、私は呆然とする他はない。


「なのに、気がつけば悪役令嬢ではありませんか!! 酷いですわ! がっかりですわ! どうしてこんな事に!!」


 わあっと泣き出してしまった彼女に、私はおろおろとしながらも、落ち着きなさい、とほっそりとした手を握り締めた。

 彼女の言っている事は何一つわからないけれど、この世界が彼女の望む世界ではなかったというのは、痛い程に伝わってくる。


「というわけで、わたくしは次の異世界に転生したいのです」


 すんと鼻を鳴らして顔を上げた彼女は、居住いを正すと、もういつものように凛々しい姿へと戻っていた。

 だが、取り乱してしまったのが少しばかり恥ずかしいのか、ほんのりと頰に赤みが残っている。

 それを可愛らしいと思う程度には、私は彼女を好いているのは本当の事だ。

 ならば、その為に何をしなければならないのか、と私は思考を巡らせる。

 彼女の憂いを払い、三年後の未来を変える為、私が今しなければならない事は——。


「ルールティア。ならば、一つ賭けをしないか?」

「賭け、ですか?」


 彼女は不思議そうに首を傾けているので、私はしっかりと頷いた。


「もし、三年の間に君がこの世界にいるのが惜しいと思わなければ、その時は潔く身を引き、君を送り出そう」

「本当ですか?」


 こんな事を花が咲くような笑顔で喜ばないで欲しい、と悲しく思いつつ、私は更に続ける。


「但し、三年の間に、君がこの世界に少しでも未練があると思ったなら、私との婚約を破棄せず、共に運命に立ち向かって生きて欲しいんだ」


 私の言葉に、ルールティアは呆けた顔で私を見つめて呟く。


「それはつまり……勝負、という事ですのね?」

「ああ、そうだな」


 私が頷くと、ルールティアは柔らかに吐息を零してから、挑戦的に笑って見せた。


「望む所です。わたくしのもふもふスローライフグルメ旅への執着を舐めないで欲しいですわ!」

「こちらこそ、そう簡単に逃げられないと思わない事だな!」


 婚約者同士とは思えない、まるで宣戦布告とも取れる言動を、遠くで控えていた従者達が心配そうに見守っていたのは、言うまでもない。



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