旦那様。私が悪女ならば、愛人の女は何になるのかしら?
「あら? 私が誰だか知っていて、そのようなことをおっしゃっているのですわよね?」
私は扇を広げ、目の前の男性を見下すように言います。
「はい……もちろんでございます。しかし」
「しかし? 更に口答えをしようと?」
「いいえ! 何でもございません!」
だったら初めから口答えをしなくてよろしいですのに。
本当に愚かな者。
「アフィーリア! また騒ぎを起こしているのか!」
あら? ヤダヤダ。正義感を振りかざした旦那様がやってきましたわ。
声のするほうに視線をむけると、怒りを宿した鳶色の瞳と目が合いました。
「騒ぎというほどではありませんわよ?」
今日は我がファングラン公爵家主催の社交会です。貴族同士の親交を深めようという建前のもと、腹の探り合いをする場です。
主催者として、この日のために誂えたブルーグレーのイブニングがよくお似合いですわね。
まるで腕にくっつけている方と合わせたような色合いです。
ええ、私は私の瞳に合わせた赤いドレスですもの。
「これを騒ぎと言わずなんだと言うのだ!」
旦那様が一人で騒いでいるだけですわ。私は声を荒げたりしておりませんもの。
私はわざとらしく背中に流した金髪をふわりと浮かせるように振り返ります。
「ファングラン公爵家に定期的に納品するはずだったものを、別の方に横流しをしていたのですよ? それはおかしいと指摘するべきではないのでしょうか?」
「それはアフィーリアが無理を言っただけだろう!」
あら? あら? また、私が悪いことになってしまいましたわ。
「まぁ? 私が悪いと?」
クスクスと笑いがこぼれ出てしまいました。
私は必要なことしかしていませんわ。
「誰のお陰で、ファングラン公爵家がここまでの栄光を取り戻したと思っていらしゃるのですか?」
私は踵をカツンと鳴らしながら一歩を踏み出します。
「三年前までは、このような夜会など開けませんでしたのに?」
カツンと音を立てながら、また一歩を踏み出します。
公爵家という名を何とかプライドだけで保っていたファングラン公爵家。そこにラヴァルエール公爵家が援助をするという形で私が嫁いできたのです。
領地の采配の権利を私に委ねるという条件でです。
だから、旦那様に文句を言う資格はありませんわ。
「アフィーリアがそんな態度だから、悪い噂が広まっているんだ!」
それは貴族というのは足の引っ張り合いですから、あらを探して色々言ってくる者はいるでしょう。
そんなことで動じてどうするのです。
「しかしそれも今日までだ! 貴様と離縁する! ファングラン公爵夫人という名を好き勝手に使った報いだ!」
はぁ……別に好き勝手に使ってはいませんわよ。少し強引な手を使ったことは認めますが。
「そして、隣国の皇女であるメアリーローズ皇女を妻に迎えることになった。これが皇帝陛下からの親書だ!」
高々に懐から出した紙を掲げる旦那様。そうですか。
「まぁ? メアリーローズ皇女様をただの公爵夫人に? 今まで領地のことなど放置だった旦那……ミカエル様が領地の運営を?それは私が嫁ぐ前に戻ってしまいますわね?」
二人の目の前に立ち、扇越しに首を傾げます。馬鹿にしたような視線つきで。
「貴様のような女は、悪女と言うのだ! 俺のメアリーローズに何かしてみろ! ただでは済まさないぞ!」
「キャッ! ミカエル様♡」
私に怒りの視線を向けながら、ミカエル様は隣りにいる皇女様を抱き寄せています。そのミカエル様に身を寄せるメアリーローズ皇女。
「私が悪女ですか」
そう言いながらメアリーローズ皇女を見ます。しかし、直ぐにミカエル様が私の視線から隠すようにメアリーローズ様を背後に引き寄せました。
ふふふ。とてもおかしいですわ。
「何を笑っている!貴様はファングラン公爵夫人でもなんでもない! さっさと出ていけ!」
「まだ、離婚届にサインをしていないので、私がファングラン公爵夫人に変わりありませんわよ」
馬鹿ですか。いくら皇帝陛下の許可があろうが、我が国の国王陛下の許可の方が優先度が高いのです。それに正式な書類に私はサインをしておりませんわよ。
「では今までラヴァルエール公爵家が出資した二億五千万を今直ぐ返済してください。そういう契約でしたわよね。そうでなければ離婚には応じませんわ」
すると絶望的な顔をされるミカエル様。そういうところが詰めが甘いのです。
私達の婚姻が何のためだったのか全くわかっていらっしゃらなかったとは、嘆かわしいですわね。
「そ……それなら、わたくしがお支払いします」
「あら? メアリーローズ様が? まぁまぁ、籍も入れていないのに、お優しいですのね?」
「そうだ! メアリーローズは貴様とは違う!」
はぁ、これはミカエル様がおバカだと皆に知らしめているようなものですわ。皇女様に頼らなければ、ラヴァルエール公爵家への返済ができないと公言しているようなものです。
「そうですか。でしたら、離婚に応じましょう。では皆様、今宵の夜会は始まったばかり、楽しんでくださいね」
私はそう言って会場の出入り口の扉に向かいます。そして扉が開けられたところで、思い出したように振り返りました。
煌々と照らされた会場。会場の華やかさを演出する演奏。今日のためにしつらえた煌びやかな衣装を身にまとった貴族たち。
その貴族たちの視線が私に集中していました。
「忘れていましたわ。今までのファングラン公爵家からの援助資金は私個人の資産でしたので、打ち切らせていただきます。もうファングラン公爵夫人ではないので、仕方がありませんわよね? 改めてファングラン公爵家と契約してくださいませ」
あちらこちらから悲鳴が上がっているのを扉越しに聞きながら、私は廊下を進んでいきます。
「お疲れさまでした。アフィーリア様」
「くだらないシナリオね」
私の背後から声をかけたのは、侍従兼護衛のカインです。
「これで満足かしら?」
横目でカインを見ます。相変わらず何を考えているのかわからない笑みを浮かべていますわ。
「はい」
「そう、だったらいいわ」
私はそのまま玄関ホールに向かいます。そして、そこで待っていた初老の男性に声をかけました。
「執事トーマス。短い間だったけどお世話になったわ」
「奥様、本当に申し訳ございません」
「あら? 貴方が謝ることなんてなにもないのよ?」
そして差し出された書類にサインをします。離婚届です。
あとの処理は彼に任せましょう。
「さようなら。執事トーマス。早く後任に譲って、ゆっくりと老後を過ごしなさいね」
「痛み入ります。奥様」
「ふふふ。もう奥様じゃないわよ」
そう言って、私は開けられた玄関を出ていきます。すると背後から肩にストールがかけられました。
「あら? 気が利くわね?」
「アフィーリア様の侍従ですから、これぐらい当たり前です」
「ふん。まぁ、それも後少しの間よ」
玄関を出ると目の前には黒塗りの車が扉を開けて停まっています。事前に今回のことが分かっていたかのようにラヴァルエール公爵家の家紋がついた車が待っているのです。
私は当然のようにカインの手を取って乗り込みました。
扉が閉められ、誰の見送りもなく出発する車。広い車内にため息がこぼれ出ます。
「はぁ……」
未練に後ろ髪が引かれますわ。
どうしてこんなことに。
まだやりたいことは沢山ありましたのに。
結局は地位と権力ですか。
「アフィーリア様。ミカエル・ファングラン公爵に未練がおありですか?」
「無いわよ。そんなもの。小麦のひと粒さえも」
正面に座って馬鹿なことを聞いてきたカインを睨みつけます。
私はあの男と結婚しましたが、どちらかと言えば、ファングラン公爵家と結婚したのです。
あんな見た目だけの皇女に騙される男に興味すら湧きません。
「やはり、三年では足りなかったという意味よ。何が悪女よ。貴方の妹の方がよっぽど悪女じゃない」
「その件は納得いただけたと思っていましたが?」
納得? 納得させられたのよ!
そう、三年前の結婚式当日のことよ。
*
ファングラン公爵家とラヴァルエール公爵家の結婚式当日。
式が終わり後は、披露宴を兼ね備えた晩餐会を残すのみとなったとき、アレが訪ねてきたのです。
「貴女。わたくしにファングラン公爵夫人の座を渡しなさい」
銀髪の青い目をした少女が、突然私の控室にやってきたのです。そして常識を疑うことを言ったのでした。
「まぁ? おかしなことを知らない方から言われましても困りますわ」
もちろん私は相手が誰かは存じております。
ヴァンデルト帝国の第三皇女メアリーローズ様だと。
兄であるラヴァルエール公爵が勉学のために留学していて、皇族の方々と懇意にしていたとは聞いていました。
しかし本日いらっしゃるとは聞いていませんでしたわよ。
「メアリーローズ。今日は祝の席に駆けつけたのですよ。何を言っているのですか」
背後から似たような容姿の男性が、皇女メアリーローズ様を諫めました。
ええ、この方も存じております。兄と懇意にしておられるカインヴァール第二皇子です。
「妹が失礼なことを。本日はラヴァルエール公爵の妹君の結婚式という『お兄様! わたくしはあの方と結婚します!』……メアリーローズ。そのようなわがままは通りませんよ」
メアリーローズ皇女と比べて、カインヴァール皇子は良識人のようです。よかったですわ。
「メアリーローズ。今回は『ラヴァメイヤーブランド』のオーナーのラヴァルエール公爵令嬢に会えると楽しみにしていましたよね。さぁ、ご挨拶をしなさい」
『ラヴァメイヤーブランド』それは私が立ち上げた化粧品ブランドです。流行に敏感な貴族の夫人方を対象にしたブランドでしたが、最近はご令嬢方にも人気ですわね。
「わたくしがファングラン公爵夫人になって差し上げますわ! 光栄に思いなさい!」
この方はいくつだったでしょうか? 確か私より二つ下の十六歳。
皇族としての良識は身につけてないのかしら?
私はその兄であるカインヴァール皇子に視線をむけます。お引き取りをお願いしたいですわ。
「別に良いんじゃないのか」
「愚兄は黙っていてください」
部屋の入り口に寄りかかっている兄を睨みつけます。人の良さそうな笑顔を浮かべて平気に毒舌を吐く兄です。
大抵の人は兄の見た目に騙されます。光を反射しているような金髪に、整った容姿、そして人を魅了するような赤い瞳。
ええ、見た目は人が良さそうな雰囲気をまとっていますが、合理的主義であり、不要な者はバッサリと切り捨てる冷徹さを持っています。
「だって、元々この縁談は国王陛下から『どうにかならぬかのぅ』と押し付けられた縁談だからね。ラヴァルエールとしては全くメリットはない」
はい。全くラヴァルエール公爵家の利益にならない縁談です。
「ですから、ファングラン公爵家への出資金は私の個人資産から賄っているではありませんか。愚兄が口を出す権利はありません」
そう、この縁談に渋っていた兄を説得し、ファングラン公爵家に対してかかる金銭は私個人で受け持つという話に持っていったのです。
「ま……まさか、それほどミカエル様を愛していらっしゃると! しかし負けませんわ!」
皇女様は何をおっしゃっているのですか?
この縁談に勝ち負けなど存在しません。
「別にアフィーリアのままごとなら、新しいブランドでも立ち上げればいい」
その言葉にカチンと頭にきました。私はカツカツとわざとらしく足音を立て、兄に詰め寄ります。
「ままごとですって! 女の私に領地の采配を託してくれる縁談がどこに転がっているのです!」
「普通は無いね」
「だったら、この縁談は私にとって良縁です! 愚兄は黙っていてください!」
「それがままごとなんだよ」
そう言って、いつもいつも私を無能扱いして! 見返したく立ち上げた化粧品ブランドを成功させたのに『よくできている方じゃないのかな』ですって!
「あ! わかりました! 貴女を第二夫人として領地のことを任せればいいってことね」
何がわかったのよ! そんなこと許されないとわからないの? この脳内お花畑皇女!
「あの……奥様。晩餐会の準備が整いました」
「執事トーマス。緊急事態です。晩餐会のあとミカエル様に一服盛りなさい」
「奥様。それは……」
「常識知らずの皇女様のお相手をしなければなりませんからね」
「まぁ? わたくしが非常識だとおっしゃっておりますの?」
「人の結婚式で旦那様が欲しいというのは非常識ではないのですか?」
「それの何がいけませんの? わたくしが欲しいと言ったのですよ?」
この皇女の教育はどうなっていますの! 思わずカインヴァール皇子を睨みつけてしまいました。
「そう! ひと目でわたくしは恋に落ちたのです。あの方こそわたくしの王子様だと……」
頭痛がしてきて、思わず額に手を当ててしまいました。
「お嬢様……奥様、お薬でもお持ちしましょうか?」
私付きの侍女に手を振って不要だと伝えます。
先程から皇女様の一人語りを聞かされているのです。
私の結婚相手であるミカエル様が、皇女様にとっては理想の王子様に見えるそうです。
思わず鼻で笑いそうになりましたわ。
確かに金髪に甘いマスク、光加減によっては金色に見える瞳。
それなら私がこの結婚の話を受けなくてもよかったのです。見た目だけでいいのであれば、それは婚約者の一人や二人はいたでしょうね。
今まで私がこの縁談を受けるまで、ミカエル様に婚約者はいませんでした。
これが意味するところはおわかりですか? ファングラン公爵家は借金だらけで首が回らない状態なのです。
誰がこんなところに嫁ぎたいと思うのでしょう。
「皇女様」
「メアリーローズと呼んでくださいね?」
「メアリーローズ様。貴女個人で自由にできるお金はどれほどですか?」
「え? そんなものお父様に頼めばいくらでも出してくれますわ」
「帝国の民の血税を他国の民に使うとおっしゃっているのですか?」
「わたくしは皇女ですもの。わたくしのために使われるのであれば、当然のことでしょう?」
話になりませんわ!
「カインヴァール皇子殿下。少々お話しをよろしいでしょうか?」
これは保護者として付き添っている皇子と話した方がいいでしょう。
「いいですよ」
最初は皇女様を諫めていましたのに、今は諦めてしまったのか、一言も発言しなくなった皇子を離れた場所に誘導します。
「現状としてファングラン公爵家は三億の借金を抱えています。皇女様はこれをまかなう能力はおありなのですか?」
「無いですね」
はっきりと言いますわね。
「私は一年間かけて借金返済プランを立てて兄を説得して、今回の結婚に持ち込んだのです。それを皇族だからといって、横やりを入れてくるのは横暴というものではありませんか?」
「アフィーリア。言い過ぎだ」
「愚兄は黙っていてください」
無礼を承知で言っているです。私の人生プランを台無しにしようとしている皇女の横暴は許しがたいです。
「確認したいのですが」
「なにをですか?」
「その話だと、借金返済プランと言うものを実行してみたいと聞き取れますね」
「そうですが?」
「それだとラヴァルエール公爵の言うこともわかります」
きっ! 私のやっていることがままごとだと言いたいのですか!
結局だれも彼も、女が采配をすることを良しとしない。悔しいですわ。
私は無能ではありませんわ。
結局だれも彼も権力に跪き、地位に膝まずく。女の私は政治の道具。
そんなことはないと私は突きつけるのです! 絶対に! 絶対に!
「そう、帝国の民の血税を他国の公爵家の借金返済に使うことは問題ないということですか」
私は挑発的に言う。
「既に式を挙げているので、私が公爵夫人だと周知されているなか、何も非がない私の立場を奪う皇女様は周りからなんと言われることでしょう?」
既に結婚式と披露宴の晩餐会を終えたのです。それも公爵家同士の婚姻ですので、多くの貴族を呼んで開いた結婚式。
今更無かったことになどできませんわ。
「貴族の婚姻は家同士の婚姻。他国の皇女様のわがままで借金だらけの公爵家に降嫁される。国内外からどういう目で見られることでしょう?」
帝国の皇帝の無能さを遠回しに言う。帝国にとって意味がない婚姻を許可した皇帝の無能さをです。
するとパンッという音と共に左頬に衝撃が走ります。思わず椅子から転げ落ちるほどの衝撃。
「アフィーリア。口を慎め」
愚兄が私に向かって手を上げたようでした。
「奥様!」
トーマスに起こされ、座っていたの元の長椅子に腰を下ろします。
「私めの発言を許していただけるでしょうか」
「許そう」
トーマスの言葉に許可を与えるカインヴァール皇子。
「奥様が旦那様の婚約者になられるまで、使用人には給金は払われておりませんでした」
「え?」
「私たち使用人の給金は全て奥様のポケットマネーで支払われております。皇女様が公爵夫人になられた場合も、同様にしていただけると思ってよろしいのでしょうか?」
「うーん。これは……」
「十年前の大災害でファングラン公爵領の特産であったワインのブドウの木はほとんど無くなり、災害の復興すらままなっておりません。それを奥様は外から人を雇って領地の改革を既に行っていただいております」
「既に始めているのですか」
「それから、前ファングラン公爵様との契約で、離縁する場合は、奥様がファングラン公爵領のために使った金額を全額返納する契約になっております」
私はトーマスが話している間に、侍女が持ってきた冷えたタオルで頬を冷やしています。愚兄、絶対に許しません。
女の顔を叩く男など後ろから突き落としてやりますわ。
そしてカインヴァール皇子は離れたところにいる皇女様に向って声をかけました。
「メアリーローズ。諦めなさ……」
「嫌ですわ! 私の王子様を見つけたのですもの!」
はぁ、頭が痛いほど話しにならないからカインヴァール皇子と話をしているのです。
「アフィーリア」
「人の頬を殴る愚兄の言葉など聞きません」
「いいから聞きなさい。三年。三年でファングラン公爵領を復興させなさい。そうすればアフィーリアの望みは叶うだろう?」
「それはその後は公爵夫人の座を譲れといっているのですか! 人を馬鹿にするのも大概にしてください!」
私は愚兄に詰め寄ります。
「別に馬鹿にはしていない。しかし、帝国との関係を良好にしておくべきだ。そうだろう?」
「納得できません」
「できるできないじゃなくて、するんだよ」
だから! 納得できないと言っているのです。
ふん! 愚兄がそんなことを言うなら、私も無理難題を言ってもいいですわよね!
「では、三年間、そこにいらっしゃるカインヴァール皇子殿下を私の侍従にするというので手を打ちますわ。そっちがわがままを言うのであれば、私のわがままも聞いてくれますよね?」
「アフィーリア!」
また手を出してきた兄の手首に畳んだ扇を当てて、その手を止めます。
何度も食らいませんわよ。
「如何かしら?」
これは絶対に了承されない条件。兄が出した条件など、私をいいようにあしらおうというのが見え見えです。
「いいですよ」
カインヴァール皇子からの返答に一瞬耳を疑いました。
「は? 私の侍従ですよ? お役目とかありますよね?」
「私の仕事など誰でもできるものですから」
ちょっと待ってください。それはそれで私が困りますわ。絶対に了承されないはずでしたのに!
「それに、こちらの国のことを勉強しようと数年は滞在の予定をしていましたから、丁度よかったのではないのですか?」
こ……これは予想外過ぎます。
そして、三日後に銀色だった髪を茶色に染めたカインヴァール皇子が私の目の前に現れたのです。
「ラヴァルエール公爵からアフィーリア様にお仕えするように仰せ仕りました。侍従兼護衛のカインと申します。よろしくお願い申し上げます」
くっ! 第二皇子とあろう御方が、他国の公爵夫人に仕えるなどあってはならないことです。
「カインヴァールお……」
「アフィーリア様。私はただのカインです。お間違えなきよう」
被せて言われましたわ。これはどうすればいいのですか! 過去に戻って、苛ついてあんな事を言ってしまった自分を殴りたい気分ですわ。
しかしまぁ、第二皇子がよく私の侍従を務めたと言いたいところです。が、意地悪で無理難題を押し付けてもサクッとこなす有能さ。部下に欲しいと思ってしまうスペックの高さでした。
そして、お茶を淹れさせれば私が淹れるより美味しいという腕前。
褒めると「トーマスに教えていただきました」と普通に返されました。
ここで覚えてその腕前、能力の高さに嫉妬を覚える程です。
そうして、三年間という短いファングラン公爵夫人の生活が始まったのでした。帝国の第二皇子を侍従兼護衛として。
それももう終わりです。私はファングラン公爵夫人では無くなり、アフィーリア・ラヴァルエールに戻ったのですから。
「愚兄。戻りましたわよ!」
私は久しぶりにラヴァルエール公爵家に戻り、カインを引き連れて兄の執務室に押し入りました。
「ノックぐらいしたらどうかな? 愚妹」
「ふん! 不満の現れですわ」
相変わらずの兄の姿にイラッとします。
「出戻りの私は好きにしていいですわよね? どこか自由に使っていい領地の端を私に下さらないかしら?」
ファングラン公爵夫人だった私はあまりいい噂はなく、あのように人前で離縁されたとなれば、後妻にも求められないはず。
私への悪い噂はワザと流していたのです。一つはメアリーローズ皇女を降嫁させるのに、私を悪い公爵夫人とし、新たに妻を迎えやすいようにするためですわ。もう一つの理由は離婚後に縁談が来ないようにするためです。
ふん! 領地の采配ができないのであれば、後は好きなように生きますわ。
「それは駄目だ」
「何故ですの! 私は三年間で借金の返済に、ファングラン公爵領の復興をやり遂げましたわ!」
まだ、私を無能扱いするつもりなのですか!
「アフィーリアに新たな縁談がある」
一枚の紙を引き出しから取り出した兄は私に見せびらかすように掲げます。
「は? 早すぎでしょう! 今日離縁してきてそれはないですわ」
私は執務机越しに兄と向き合い、天板に両手を打ち付けます。
ん?
ニヤニヤと笑みを浮かべている兄が手にしている紙に目が止まりました。
そして思いっきり後ろを振り返ります。
「どういうことですの?」
「一度断られたのですが、今度は正式にと思いまして」
「は? 断った? 人違いではありませんの?」
私が帝国の第二皇子からの縁談を断ったと言われた気がしましたが、そんなことはありませんわ。
「ほら、アフィーリアは覚えていなかっただろう?」
「私をボケ老人扱いしないでいただけますか。愚兄」
私には縁談など来たことは一度もありませんわよ。国王陛下からのファングラン公爵家との縁談以外は。
「帝国に来られたことは覚えていませんか?」
カインに言われて首を傾げます。私が帝国に?
「母上と父上がご顕在だったときのことだ」
兄に言われて思い出しましたわ。
「本が床から天井まである幸せな空間があった帝国ですわね」
「ぷっ! ほら、アフィーリアはそれしか覚えていない」
兄から笑われて、キッと睨みつけます。
私は帝国に行ったときは図書館しか足を運んでいませんもの。
「当時のラヴァルエール公爵に相談されましてね。剣術を習うのを止めさせてから娘が反抗期になってしまったと。話し相手をしてもらえないだろうかと言われたのですよ」
帝国に赴いた理由は知りませんが、私が十一歳のときでした。大陸縦断列車に揺られて行ったのを覚えています。
あの頃は、父と母から剣術を習うのを止めさせられて、ふてくされていた時期でした。
だって、お兄様はいいのに私は女だからと言って止めさせられたのです。剣の師には筋が良いと褒められましたのに。
隠れて剣を振るっているのが母にバレたときは、それはもうヒステリックに怒られました。
剣なんて振るってどうするのか。騎士にでもなるつもりなのか。血豆なんて作っている令嬢がどこにいるのかと。
色々言われました。
「アフィーリアは集中するとそればかりするからな。流石に素手で隠れて剣を振るって血豆ができた手を見た母上は絶叫していたよ。剣術が駄目だとなると図書室に引きこもる毎日だったから、父上が気晴らしになるように帝国に連れて行ったのだけど……結局、図書館にしか行かなかったけどね」
え? 私のためにわざわざ帝国に行ったのですか?
「それで、話し相手として妹を連れていったのですが、無視されましてね」
……カイン、それは本当のことですの? 全然記憶にないのですが?
「メリアローズは飽きてしまって、帰ってしまったのですが、私は何をそんなに熱心に読んでいるのかと気になって、その場に留まっていたのですよ」
あの時は薬草のことを調べていたのです。剣術をしていて、血豆が出来たから駄目だったのなら、血豆が直ぐに治る薬があればいいと思ったのです。
「まるで不老不死の妙薬でも作れそうな薬草を書き出していて、笑いそうになっていましたね」
わかっていますわよ。実際に存在しないものまで書き出していましたもの。
ん? その笑い声にムカッとした記憶がよぎりました。
「もしかして、本を一緒に探してくれた方?」
なんとなく思い出してきました。そう、あの時……
十年前、私が十一歳の時ふてくされたまま帝国に連れてこられ、図書館に入り浸る日々を送っていました。
「お嬢様。そろそろ昼食のお時間になりますが……お嬢様」
「……」
「お嬢様、休憩を致しましょう」
「必要ないわ。私はここにいるから、あなた達は食事を取ってくるといいわよ」
私付きの侍女から昼食を取るように促されましたが、一食抜いたくらい問題ありませんわ。
それよりも、これだけの量の蔵書がある図書館に今度いつ来れるかわかりませんから、滞在している間に読めるだけ読んでおかないといけませんわ。
「しかし……」
「私がいいって言っているのよ。監視が必要なら、交代で行けばいいじゃない」
「監視ではありません」
「だったら、何故ここにいるのよ。探してきてと言った本を、見つけられなかったじゃない」
「お嬢様。私は帝国の言葉はわかりません」
「だったら、私の監視であっているじゃない」
別に侍女の能力に多国言語は必要ありませんから、それに対して文句はいいませんわよ。
だから、大人しく私の監視に徹するか、休憩に行けばいいのよ。
因みに護衛の方が帝国の言葉を話せるので交渉ごとは彼の担当ですが、本探しは護衛の任務を果たせないからと却下されました。
護衛と話し合って、先に侍女が休憩に行くようです。初めから大人しく行けばよかったのよ。
しかし【精霊の涙】ってなんですの? 精霊って実体化するとは聞いたことありませんわ。
水の精霊が出した水の比喩かなにかかしら?
取り敢えず、書き出しときましょうか。
『ふふっ……精霊の涙って……物語にしか出てこないよ』
ヴァンデルト語で笑われました。もしかして、聞き取れないと思って馬鹿にされています?
『その物語が書かれた本は、どこにあるのですか?』
ムカッとしましたが、それを悟られるようでは貴族の令嬢としては駄目ですわ。私は本から視線を上げて、にこりと笑みを浮かべながら尋ねます。
『児童書の方だね』
今まで気づきませんでしたが、私の目の前にお兄様ぐらいの少年が座っていました。銀髪に空のような青い瞳の十五歳ぐらいの少年です。
確か、皇族に銀髪の方々が多いと聞きますが、まさかこんな帝都の一角にある図書館にはいないでしょう。
『そう、ありがとうございます』
礼を言って、立ち上がりました。
精霊が実体化するものなのか、気になります。
児童書がある方に向っていきますと、護衛がついてくるのはわかるのですが、何故銀髪の少年もついてくるのでしょう。
『なにか、他に御用があって?』
立ち止まって振り返りながら聞きます。
『見つかりにくいところにあるから、案内してあげようと思ってね』
『そう』
時間は有限ですから、案内を勝手にしてくれるというなら、してもらいましょうか。
確かに奥まった場所に、その本はありました。とても古い本で、内容は魔女に使役された精霊の話でした。
精霊の涙には若返りの効力があると物語の中では描かれており、魔女はあの手この手で精霊を泣かそうとするも、なかなか泣かず、魔女が諦めたときに精霊は笑い泣きをしながら去っていったという話で締めくくられていました。
それなり古い本が残されているということは、何か意味がありそうですわね。
精霊に意味があるのか、それとも魔女に意味があるのか。
『魔女の本はありますか?』
『あるけど、その話を信じちゃったの?』
銀髪の少年は笑いながら言ってきました。
別に信じていませんが、何か意味があるとは思うでしょう。
『私が信じようが貴方には関係ないことですわ。それでどこかしら?』
『こっち』
少年の案内で、魔女に関する書物と精霊に関する書物と、古びた先程の本を見比べながら調べていきました。
流石に一日では調べきらず、二日、三日と図書館に通い続けました。
『もう昼だよ』
『……』
『少し、休憩しない?』
『……』
『いい天気だから外で食べようか』
『うるさいですわよ』
この三日間、毎日図書館に来ている銀髪の少年。暇なのかしら?
それも何故か昼食を持参して来ているのです。私の分も……意味がわからないのですけど?
『やっと顔を上げた』
銀髪の少年に腕を引っ張られ、図書館の外の広場に連れ出され、なぜか水辺のガゼボに昼食が用意されているというのを三日間繰り返しているのです。
『それで何かわかったの?』
『そうですわね。おそらく精霊は比喩ですわ』
私はサンドイッチを食べながら答えます。何気にこの昼食が美味しいのです。
ホテルの料理は帝国風なので、あまり好みではないのですが、このサンドイッチは普通に食べれるのです。
私が昼食を避けている理由がこれなのです。どうも帝国風の味付けが好みではないので、お昼を抜いて食事を取るのを避けているのでした。
まぁ、サンドイッチですから変わった味にはならないのでしょう。
『比喩?』
『精霊を泣かせるというのと、最後の笑い泣きの違いに何かあるのだろうと考察しています。あとは水に関するモノですか』
その時、図書館の中からでもよく聞こえる音が近くから聞こえてきました。甲高いメロディーを奏でる音です。
『水時計がお昼を知らせる音だね』
『決まった音が鳴るのですね』
『水が出る量が一定だからね』
何かおかしな答えが返ってきましたわ。水が出る量が一定だと音が変わる? 水時計だからですか?
『水の量が一定じゃないとどうなりますの?』
『鳴らないじゃないかな? 仕掛けが動かないだろうし』
『ふーん……』
何か仕掛けがしてあるのですね。
クルクルと動く何か?
透明なガラスコップに入った冷たい紅茶をストローで混ぜます。
中の氷がカラコロと音を立てながら回っています。
カラコロ……カラコロ……鈴が転がっているような音。鈴なり……鈴生り?
風で揺れると実が触れ合って音が鳴る。
「あっ! ルファアルカ!」
水じゃない。植物の方です。
最初の方に調べていたときに見かけた記憶があります。
食べかけのサンドイッチを口の中に突っ込んで、慌てて図書館の方に戻ります。
「お嬢様! 走ってはいけません!」
相変わらず監視の目が厳しいですわ。
怒られない速度で歩き、図書館の中を進んで行きます。
そして植物の書物がある場所に来ました。
確か、この辺りで見かけたような気がします。
あっ! アレです!
手を伸ばして取ろうにも指先が引っかかるのみ。
すると背後から手が出てきて、本が戸棚から抜かれて行きました。
『これかな?』
銀髪の少年が取ってくれました。ついてきていたことに驚きましたが、私の侍女は何をしているのかと横目で見れば、私を見失って護衛と探しているのが遠目で見えます。
え? 追いつけないほど、早く移動してしまっていました?。
まぁ、いいですわ。
本を広げて目的のページを探します。……ありました。ルファアルカ。
ツル科の植物。一年草で果実の実は硬い殻に覆われ、種に抗炎症作用があり。
ツルから水分が採れるとあります。
これのことですわ。ツルからルファアルカ水が採れるのが、実が生ってから枯れるまで。
実が付くまでは水は得られず、実が鈴生りになって、揺れれば実が触れ合って笑うような音が鳴り出してからやっと水が得られる。
「魔女の若返りの水の正体がわかりましたわ。これはさっそく栽培して試してみなければ!」
「君が本来探していたものはコレだったの?」
あら? シュマール王国の言葉も話せるのですね?
「傷が早く治る薬草ですわ。でも結果としては変わらないでしょう?」
若返りということは、肌の改善です。肌の回復機能を高める効果があると期待できます。
「それを使ってどうするの?」
「女の子でも剣を振るえますわ」
「それは君が剣を使う必要があるってこと?」
……私が剣を使う必要があるかと言われれば……ないですわね。
私には必ず護衛がつけられていますもの。
強いて言うのであれば。
「自己防衛?」
「だったら、剣ではなくて短剣でもいいよね?」
確かに、持ち歩くのに不便な長剣よりも、短剣の方がいいですわね。
「そうですわね」
駄目と言われたので、意地になっていたところもありますわ。
「誰だか存じませんが、本を探していただいてありがとうございました。もう、ここには来ることはありませんので、ごきげんよう」
私は銀髪の少年に礼を言って、侍女たちのところに行こうと一歩踏み出したところで、背後から引き止められてしまいました。
「違うんだ。君がやっていたことを否定したんじゃなくて……」
「……」
別に否定されたとは思っていませんわ。
他人から指摘されて納得しただけです。私が剣を使う必要がないということに。
「あのとき、笑ってごめん。ただの物語のことだと言って」
「構いませんわ。私は精霊が実体化するのか気になっただけですもの」
「君の素敵なところは、小さな違和感に気がつくところなんだね。根を詰めると周りが見えなくなるのはいただけないけど」
周りが見えなくなることは自覚していますわ。お兄様からよく言われていますもの。
「そんな君に提案があるのだけど」
「何ですか?」
「将来私の妻にならないかな?」
「お断りしますわ」
「……少し考えるとかない?」
「ありませんわ。私は将来領地の運営に携わりたいの。だからお断りしますわ」
「確かに、現状で個人で管理している領地はないかな」
「ふふふっ。それではごきげんよう。帝国の方」
ということがあったのを思い出しましたわ。
忘れていても仕方がありませんわ。
あのあと、調べていたルファアルカを栽培して、ルファアルカ水が美容にいいとわかって、ラヴァメイヤーブランドを立ち上げて忙しい日々を過ごしていたのですもの。
今思い返してみれば、執務に集中していると、カインが途中で休憩を促してくることがよくあると思っていたのです。
これは、図書館の日々のことがあったからなのでしょうか。
「その書面に書いてあるとおり、帝国領のいち領主になりましてね。一緒に領地の運営をして欲しいのですが、如何ですか?」
カインからそう言われて、兄が持っている紙を奪い取るようにして確認します。
ヴァレーシア帝国領? ……おかしいですわね。ヴァレーシア国として帝国の属国だったはずです。
「カイン。ここの表記が間違っていますわよ。ヴァレーシア帝国領ではなくて、ヴァレーシア国のはずです」
「それは五年前に反乱が起きましたので、丁度良さそうだと潰しておきました」
おかしな言葉が混じっていませんでした? 五年前に反乱が起きたのは知っています。そしてその後直ぐに鎮圧されたのも知っています。
「ごめんなさい。ちょっと理解できない言葉がありましたわ。何が丁度よかったのですか?」
「兄の皇太子に反感を抱かせずに、領地を得ることにですね」
第二皇子としての立場からですか。確かに帝都から離れた属国の領地を帝国領とすることに反感を与えることはないでしょう。
「あと、アフィーリアを妻に迎える条件もそれで満たされますよね?」
「……五年前ですわよね?」
「ええ」
ちらりと兄を見ます。
たぶんその時期は国王陛下から婚約の打診があった時期と重なっていたと思われます。
「だから、遠回しにやめるように言っていたじゃないか。あの馬鹿との婚約を」
「全然わかりませんでしたが?」
そもそも、私には婚約者などいませんでしたから、国王陛下の話を断る理由はないのですよ。
それに領地の采配をしていいという条件なら、私が飛びつくのは兄もわかっていたはずです。
「でも、アフィーリアの望みも叶えて、帝国との関係を良好にする案を出した私を褒めて欲しいぐらいだぞ」
「あのあと、頬を叩いたことをグジグジと嘆いていて鬱陶しいかったですがね」
「うるさいぞ。カインヴァール」
「後悔するならな叩かなければよかったのですよ」
そうなると気になることが一つ出てくるのです。
「あの……メアリーローズ様のあのことは演技だったのですか?」
私が気になるのはこれです。
あのときのメアリーローズ様の言葉。
「あれがメアリーローズの本来の姿なので、気にしなくていいですよ」
「え? 本来の姿?」
「あのような性格だから、父も嫁ぎ先を決めかねていたというのもありますね」
そうですか。あれがメアリーローズ様の本心だったのですか。
『そう! ひと目でわたくしは恋に落ちたのです。あの方こそわたくしの王子様だと感じたのです。
その王子様の愛した者が豹変したとき、どういう表情をするか想像するたけで、ゾクゾクしてしまいますわ。
恐怖に身を縮めるのかしら? 子犬のように怯えて逃げ出してしまうのかしら?
そんな王子様を飼って過ごせるなんて幸せだと思いませんこと?』
頭が痛いと押さえながら、もう話をする気にもなれないといった理由がこれです。
ミカエル様が、彼女の本性にいつ気がつくのかわかりませんが、その未来に希望がないことは、三年前から知っていたのです。
彼女の理想の王子様への愛は歪んでいたのでした。
私が悪女ならば、メアリーローズ王女は悪魔なのかもしれません。
「それで執事トーマス。何故貴方がここにいるのかしら?」
「それは私が引き抜いたからですよ。いい人材は確保しておきませんと」
カイン。いい年のトーマスを引き抜いたのですか? 確かに執事としては完璧でしたが。
「あのあと直ぐに後任の者に任せてきました。これからも何卒よろしくお願い申し上げます。奥様」
「まだ、返事もしていなし、籍も入れてないわよ」
こうして私は新たな第一歩を踏みだしたのでした。
*
閑話 公爵夫人と侍従
時間が全然足りませんわ。
何故に一日が二十四時間しかないのです!
私は積み上げられた書類の山に埋もれつつ作業をしています。
「アフィーリア様」
「……」
「アフィーリア様」
「……」
「もう、出立しなければならない時間になります」
「カイン。この状況を見てそのような言葉がよく出てくるわね」
私の手を止めてくるカインを睨みつけます。カインの手には紙の束がありますので、また積み上がっていくのでしょう。
「急ぐ必要があるのはこちらです。残りは王都から戻られてからでもいいのではないのですか?」
王都。三日後には国王陛下主催の夜会が開かれる予定なのです。
ファングラン公爵領から王都までは道路事情から車で三日かかります。はっきり言って、今日中には出発しないといけないのですが、確認しなければならないことが、山積みになっているのです。
王都に行けば、それはそれで確認しなければならないことがあるので、こちらの仕事を持っていけるのは道中でできる分のみ。
「はっきり言って、アフィーリア様は手を広げすぎなのです。何故に海運業まで始めてしまったのですか」
「流通網の掌握よ。バカバカしい運搬料の削減。人の足元を見て釣り上げてくる馬鹿を相手にするのが面倒になったのよ」
「だから、交渉事は私に任せてくださいと言ったではありませんか」
わかっているわよ。私の性格がキツイことぐらい。だから、ファングラン公爵夫人は強欲というレッテルを貼られているのは承知しているわ。
そして、ワザと悪女だという噂も流させているもの。
「弱みを見せると引きずり落とされるのが貴族社会よ」
「はい。ですから、そういうことは私の方が上手く立ち回れます」
それもわかっているわよ。帝国の皇子が無能のはずないじゃない。
でも悔しいじゃない。私にできないことがあるって。
でも、現状ではいっぱいいっぱいなのは事実。
「それでは、王都での交渉はカインに任せるわ」
「任せていただいて光栄です」
そういうカインはいつもの何を思っているのかわからない笑みを浮かべています。
そうやってサクサクと仕事を処理するカインの能力の高さに私は嫉妬するのです。
比べても仕方がないのですけど。
*
カインSide
「ずるい! ずるい!」
赤い目に涙を浮かべて、ソファーに座りながらずるいと言ってくるアフィーリア。
誰ですか? アフィーリアにワインを飲ませた者は?
「カイン様! 申し訳ございません。国王陛下に献上するワインを葡萄ジュースと勘違いされた奥様が飲んでしまわれて……」
アフィーリア付きの侍女ですか。言っておきますが、葡萄ジュースの方も献上品ですよ。
「そもそもどうして、ここにあるのです」
ここは王都に向かっている道中のホテルですから、献上品は先に王都に送っているはずです。
「荷物に手違いがありまして、一部の献上品はこちらにあります」
どうして、手違いがあった時点で報告をしないのですか。それはアフィーリアが勘違いしてワインを飲んでしまうわけです。
王都にいるトーマスがいれば、このような手違いは起こらなかったでしょうに。
「アフィーリア様。今日はもう休みましょう」
「カインはずるい」
はぁ、元々のファングラン公爵領の特産はワインなのですが、ワインを飲むといつもこうなるのです。
「私、頑張っているのに!」
「はい、頑張っておられますから、今日は休みましょう」
「うううううう」
はぁ、困りましたね。このようなファングラン公爵夫人を他人の目に晒すわけにはいきません。
「護衛の者に言ってホテルの関係者も、室内には立ち入らないようにしなさい」
側にいるアフィーリア付きの侍女に命じます。どうしてこの者をアフィーリアは侍女として側に置いているのですかね。
「はい! そのように致します」
侍女の背中を見送って、アフィーリアに視線を戻しますと、完全に不貞腐れていますね。
今度は何にご立腹なのでしょうかね?
「それで、今回は何が不満なのですか?」
「海運業のことを文句言われた」
「文句ではなく、必要がない事業だったのではという話しです。サルヴァードル伯爵家に喧嘩売っているようなものですよ」
サルヴァードル伯爵家は王国の海運ルートを掌握しています。そこと敵対するということは、あまりよろしくはありません。
「だから飛び地のレファルニア港を手に入れたのに!」
「ハウザード子爵の借金を肩代わりするという名目ですね」
「そう! そして帝国で製造された最新式の船! 絶対に現行の船では足の速さは敵わない! それを使えば、流通網が格段に早くなる! するとサルヴァードル伯爵家よりファングラン公爵家に荷を運ぶ仕事が来る! サルヴァードル伯爵家はファングラン公爵家に頭を下げるしかなくなるのよ!」
上機嫌で語りだすアフィーリア。これは出発前に言ったことを根に持たれていたようですね。
「それで、海運事業は全部サルヴァードル伯爵家にくれてやるわ」
「おや? そのまま事業を展開していかれるのではないのですか?」
「わかっているわよ。私が手を出すことじゃないって、でも航路を使おうと思えばサルヴァードル伯爵家の言いなりにならないといけない。それっておかしいわ。だから私はそのおかしいを突きつけたいのよ」
なにかと傲慢で強引な手を使われるアフィーリアですが、根本的な考えは昔から変わりませんね。
小さな疑問を突き詰めていく。
おそらく海運産業はこれから変わっていくことでしょう。
「そのようなお考えだったとは、アフィーリア様の意を汲み取れず侍従としては失格ですね」
「そ……んなことはないのよ!」
アフィーリアは立ち上がって私に詰め寄ってきました。
「カインにはとても助けられているし、カインの意見はまともだと思うわ」
おや? おや?
「だけど……」
「だけど? なにですか?」
「頑張っている私をもっと褒めてくれてもいいと思うの」
「褒めていますよ?」
「足りない! 全然足りない!」
アフィーリアの金色の髪を撫でながら言葉にします。
「私は頑張っているアフィーリアも好きですが、こうして素直に言葉にしてくれるアフィーリアも好きですよ」
「それ、褒めてるの?」
「褒めていますよ」
「ならいいわ」
そう言ってアフィーリアは目を閉じて力なく倒れていくのを抱きかかえます。
いつも酔っているときのように、素直だと嬉しいのですが。
明日の朝には、今のことは綺麗さっぱりと忘れて、頭が痛いと言っていることでしょうね。
寝ているアフィーリアの額に口づけをして、私は寝室につれていくのでした。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
2025.04.20.
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感想ありがとうございます。
お礼のおまけ話を追加させていただきました。
公爵夫人と皇子の侍従の一コマですね。
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