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NO.1-1 まだ終わりたくない

「お客さん、飲みすぎよ」


 バーのマスターはこれ以上アルコールを出せないと言っている。でもまだまだ飲み足りない。これくらいじゃ私の心が晴れない。


「飲まずにいられないから飲むの!マスタぁ、もう一杯お願い。あと、もっと私の話を聞いて……」


「はぁ、今日のコンクールの話はもう三度目だぞ。いくら飲んでも暗い話ばかりじゃいい気分になれないだろう」


「わぁったよ!じゃ私の知る限り、最ぃぃっ悪のコンサートマスターの話でもするかぁ」


 どうやら酒が回って記憶が飛んだみたい。仕方ないのでかわりに前回の、つまり私の二回目のコンクールのことを話題に出す。


「……で、あの男が私に迫って何を言ったと思う?『タクトより俺のモノを握れ』って!マジ信じられない!」


「いや、その話もこれで三度目だから……はぁ、そんな暗い話しかできんのか」


 あのふざけたセクハラ野郎に平手打ちを食らわした時点で、私の二回目のコンクールの運命が決まった。コンサートマスターは単なる第一バイオリンの首席じゃない。指揮者とオーケストラの間の橋渡し役でもある。そのコンサートマスターが非協力的じゃどうにもならない。まさかチューニングでさえままならないとは思わなかった。なんとかしようと最後まで頑張ったが、結果はステージに上がらなきゃよかったと思うくらいひどいパーフォーマンス。由緒あるコンクールの看板に泥を塗ったような真似で恥ずかしくて死にたかった。でも冷静になって考えると私のせいじゃなくない?どう考えてもあのセクハラ野郎が悪いじゃん。そう、私は悪くない。


 最悪な前回と比べると、今回は手応えがあった。それなりにいいパーフォーマンスができたと思う。でもまだ足りない。私ならもっとよくできたはず。私が目指したい方向を説明する時の反応がいまいちだったし、リハーサルの制御の精度も普段より少し甘かった。本番の最中細かい指示を飛ばす時オーケストラの集中力がわずかに落ちて、ついて来るのがやっとな感じだった。


 致命的なミスにならなくても、一つ一つ積み重なると結構な差になる。こういうディテールが勝敗の決め手になるのがわかっていたのに……本当は私、ディテールに自信があった。少なくとも大学のオーケストラではいつもうまくできていた。でもコンクールで即席に組むオーケストラ相手では、どうしても同じようにできない……見ず知らずの共演者、そして本番までの時間が少ないのもあるけど、なんだがもっと別の、根本的な原因があるような気がしてならない。


 おそらく彼らは私を小娘だと侮っていると思う。しかも前回(あのキモいセクハラ野郎のせいで)歴史に残るような大失敗をしたから余計私のことを軽視しただろう。でも彼らはプロだ。プロ意識でそういう演奏のためにならない気持ちを強引に押し込めただろう。それで私はオーケストラをある程度コントロールできて、私が課題曲についての考え方をある程度浸透させて、自分が思う通りの演出にある程度近づけた。


 短い期間でこれだけの成果を上げたのは上出来だと思わなくもないけど、コンクールはこんな「ある程度」の成果で勝ち残れるほど甘くない。


 そもそもプライドが高い彼らのことだ。他の参加者だって「小僧」だの「偉そうな若造め」だのと侮っていたと思う。それなら参加者全員の条件は同じだと言えるかな?……いや、やっぱり「小僧」より「小娘」のほうが一層軽く見られるような気がする。


 男女平等を謳うこの時代でも、差別を完全になくすことができない。女性指揮者の数は増えてきたが、まだまだ全体的には少数。オーケストラのトップとして采配を振るのは男性であるべきと考える人は意外と多い。彼らはただ世論を恐れてその考え方を表に出さないようにしているだけだろう。


 もし私が男性として生まれてきたら今日の結果も変わったのかな……ダメダメダメ。こんな考え方自体が差別と変わらないから。私、こういうのが大嫌いなはずなのに……


 結局のところ、性別なんて関係ない。共演のオーケストラの信頼を勝ち取れなかった私の力不足が敗因。


(参ったね。前回と比べると遥かにましな結果なのに、ここまで打ちひしがれたような気持ちになるとは……)


 一回目のコンクールは緊張しすぎて力を出せなかった。二回目は全部あの変態野郎のせい。でも今回の失敗にもう何も言い訳できない。自分が持つ力を出し切った。それでも届かなかった。これ以上自分になにができるのかがわからない。さらなる高みに至るイメージがまったく湧かない。まるで袋小路に入り込んだような気がする。


「……もしかして、これが私の限界、なのか……」


「なんだ、そんな弱音を上げて。諦めるのか」


「そんなまさかっ!……うっ、くぅ……」


 マスターの聞き捨てならない言葉に、私はグラスをカウンターに叩くような勢いで置いて、立ち上がって反論しようとするが……頭の中に何かがぐるぐると回ってるようで気持ち悪い。やばい、吐きそう……


「はぁ、だから飲みすぎって……」


 トイレに駆けつけ、なんとか間に合った。追加の清掃代を支払うところだった。


「平気か?一人で帰れる?タクシーでも呼ぶか」


「……平気よ。吐き出したらだいぶ良くなった。それより、おかわり、お願い」


「そっか。平気ならいいが……って、まだ飲むのか!」


「なんだが一気に醒めちゃったみたいで、今はとてもむなしい気分……この夜、アルコールなしで過ごすには寒すぎる、そう思わない?」


「あのなぁ……」


 マスターは私がただやけ飲みしたいと思ってるみたいだが、それは違う。


「マスター。私は、諦めないから」


「お、おう。急にどうした」


「やっと自分になにが足りないのかが見えてきたような気がする。今はまだそれを手に入れる方法がわからないが、絶対に見つけ出して、自分のものにしてやる」


 問題はタクトの振り方ではない。聴力を試す違い探し<*1>でも、レパートリーを試す抜けうちテストでもない。技術面的にはクリアしているはず。実際これまで予選では苦戦することなかった。しかし肝心の本番だけがいつもうまく行かない。オーケストラとの意思疎通が思う通りにできない。私のことを信じてもらえない……知識があってもスキルがあっても結局意味がない。このままではダメだ。本当に「期待はずれ」の烙印を押されてしまう。


「そっか。まぁお客さんみたいな子が参加するとステージも華やかになるし、ぜひこれからも頑張っていただきたい。この街のコンクール、指揮者部門は確か三年一度か。次回もこっちに来るなら応援するよ」


「でも今日はもう頑張れないの!明日からまた頑張れるように、今日は飲みまくって、酔いつぶれ……すべてを忘れるように徹底的にね!だからマスタぁ、頼むぅ……」


「……はぁ、仕方ない。本当に最後の一杯だぞ」



――――――――――――――


(痛い……頭が割れそう……)


 ここはどこ?寒い……バーの中にいたはずなのに。気がついたら外にいる。


 暗い……今は何時?最後に時刻を確認したのは……九時頃か。


(なんなの?あの光……)


 眩しい光がだんだん大きくなる。背筋が凍りつく。一刻も早くにここから離れなきゃならない。ようやく状況を認識した私は急いで立ち上がろうとするが、躓いた。ダメだ!体が言うことを聞かない!


 路上に倒れている私に、車が近づいてくる。周りが暗いから、まだ私に気づいていないみたい。スピードが全然落ちない。


 迫りくる恐怖から目をそむける。もう私にはそれしかできない。


 この一瞬がまるで永遠に続くように感じる。数々の思い出が走馬灯のようによぎって、様々な感情が胸の中から溢れ出る。


 ごめんなさい。あの車に乗っている人。私の不用心で嫌な思いをさせて。

 ごめんなさい。あのバーのマスター。何度も止めてくれたのに私全然話聞かなかった。

 ごめんなさい。いつも私を支えてくれる両親。もう一度、会いたかった。

 ごめんなさい。私の大好きな親友。私たちの夢はもう、叶わない。


 そんな後悔と申し訳なさの気持ちが渦巻く中、ひときわ強い感情が浮かび上がる。


(……こんなところで、終わりたくないっ!)


 体が砕けるような衝撃を受け、私の意識が闇に落ちた。



<*1>指揮者とオーケストラに内容が微妙に違う楽譜を渡して、それを演奏させて指揮者がどれだけの違う箇所を見つけられるかのテスト


次回から異世界が舞台になるから、現実世界での話はこのプロローグだけとなります。なので今回だけ念のために言っておきます――この物語はすべてフィクションです。実在する人物、団体と一切関係ありません。

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