深淵と、崩壊
『狂乱の祝福』について、彼自身すら知らない事は未だ多数ある。
例えば解放段階の数。実際に発動経験があるのはSTAGE30(以降は完全に正気を失い記憶も残らなかった)までであり、戦闘で使えたのはSTAGE4。5以降は使い物になるのか、何か変化があるのか、色々と未知数な点も多い。
本来なら、普段の彼であればいくら相手が『七人の魔王』の一角であるからと言ってSTAGE5までを解放する事は無かっただろう。
何故なら『七人の魔王』自体、相性もあってSTAGE3までで十分事足りる。態々未知というリスクの存在するSTAGE5を解放するなんて、はっきりと言えば無駄でしかないのだ。
ただ彼は、ルシファーに何度も幻滅させられテンションがやや下がり気味だったとは言えSTAGE4の狂気に長時間晒され、気分は既に高揚していた。
そこに王女ガルムから直々に、目の前の敵を殺す為なら被害も気にせずやって良いとの許可が下りた事で、彼の脳内から後先考えるとかそう言った言葉は一切合切消し飛んだ。
その結果がコレ。
力を解放した瞬間、もはや重力と呼んで差し支えない程の威圧感により周囲の地面が抉れ、濃密な『魔力殺し』のエネルギーが周囲に充満し空気中に常時存在しているはずの微かな魔力でさえも消え去った。
ルシファーは狂ったように笑うばかりで動かないノガミに戦慄と侮蔑と怒りとの視線を一度向けるも、構っている暇はないと踵を返そうとし、右足がグチャグチャに捻じられた。
「ッ、ぐぁぁッ!!?」
「あはっ、あはっ、あははっ、ギャハハハハハハッ!!逃がすかよォ、まだ戦ってすらいねェのにさァッ!!」
ぶぢぃッ!と右足だった肉塊を引き千切って投げ捨て、バランスを崩したルシファーの後頭部を鷲掴みにし、地面に叩きつける。
その衝撃で地割れが発生し、屋台や家が崩れていくが、ノガミは気づかない。
「正真正銘、正気を捨てたか……ッ!?それにこの空間、やはりとは思っていたがまさか魔力殺しが」
「充ゥ満してるに決まってんだろォ?アッヒャッヒャハハハハ!!『傲慢』の力ってさァ、『祝福』の複数所有と譲渡、それとオリジナルの魔法を法則全無視で生み出せるっつーモンだよなァ?でもでもでもでもでェエエエエエエも!残念ながら俺は魔法が一切効かない、魔力一切使わせないンだよねェッ!!ご存知だったか要らねェお話失礼したわ、ハハハハァッ!」
『召喚』の魔法を発動し、ウロボロスの他の端末も呼び出そうとしたルシファーだったが不発に終わる。
その様子を大口を開けて嗤い、端正な顔面目掛けて左の拳を振るった。
ルシファーの体はまるでゴム毬のように地面を跳ね、いくつもの家屋を破壊してようやく止まる。
辛うじて人影の一切無い方へ吹き飛ばしたのは、まだノガミにギリギリ理性が残っている証左か。
「いひっ、ひひひっ、いひゃはははっ!!楽しい、楽しい楽しい楽しいなァッ!一方的な処刑ってのも悪くねェよなァルシファー!ギャハァハハハハハハッ!!」
………いや、これに理性があるというのは、普通の人間に失礼だろう。
ともかく戦い……ノガミの言葉を借りるなら、処刑は、誰もが予想した通り一方的なモノだった。
ノガミの殴る蹴るの暴行をルシファーは必死に受け流そうと抵抗している物の、圧倒的な暴力を前にそんな抵抗は意味を成す事なく、腕を折られ足を砕かれ、体の骨は粉々にされていく。
魔法による回復が不可能な今、ルシファーはまさしく死の淵にあった。
「シャアアアアアアイッ!!死に晒―――あん?」
ノガミの拳が突如空を切る。一方的にやられていたはずのルシファーの姿が、一瞬にして消えたのだ。
彼は野性的な勘で即座にルシファーの逃げた先を見つけ出すが、だからこそ動きが止まる。
ノガミから放出されている魔力殺しのエネルギーによって、魔法の一切、魔力の一切はその存在すら許されない。唯一の例外は彼の体内の魔力のみである。
だというのに、ルシファーは魔法による転移でしか説明できない距離の移動を一瞬でやって見せた。
一体どんな手品を、と考え始めてすぐ、彼は答えに辿り着いた。
「おォおオおォおおッ!!ついに『傲慢』の見どころその二、解放ッすかァ!ひゃッほゥ!ご機嫌だねェッ、遂に『祝福』も解放ッてわけですかァン!テンション上がるなァアアアアッハァ!!」
「………『祝福』は、所詮与えられる力だ。限界の存在しない、理の外にある『私の魔法』よりも劣る……だがその考えを、君の魔力殺しを前にいつまでも抱き続けていられるとも思わない。―――屈辱だ。極めて屈辱だよ。これ以上私の『傲慢』を捨てなければならないなんてね!」
ルシファーの右目の輝きが増す。『傲慢』の力が、理の外にある力が更なる輝きを見せる。
そも、『魔王』に与えられる『祝福』とは、罪。『傲慢の祝福』はすなわち、世界に対する傲慢。
その祝福を受けた者は世界の定めた法に従う事は無く、己の振る舞いをこそ法とする。
理を外れた独自の魔法を生み出し操れるのも、本来一人一つの『祝福』を複数所有し、他者に与える事が出来るのも、全て自身が法であるが故、傲慢であるが故の業である。
魔王ルシファーにとって、『傲慢』の真価は魔法の創造、行使にあった。
『祝福』は所詮、与えられる力。それも生まれ持った『傲慢』レベルの物ならいざ知らず、『試練』を踏破して得られる力は所詮『祝福』を与える魔物、竜、神の力の一端に過ぎない。
その程度の物を必死に集めるくらいなら、己の才覚を魔法につぎ込む方が建設的だ。
並の『祝福』に、星が降るかのごとき一撃を再現できるか?
並の『祝福』に、王の威光がごとき重力を操る事はできるか?
並の『祝福』に、ありとあらゆる災害を支配する事はできるか?
否。全くもって否である。
だが魔法ならソレが可能だ。己の想像が、創造があるなら、際限なく力を振るう事が出来る。
だからこそルシファーは魔法のみを極め、魔法のみを振るってきたわけだが、それを全て無に帰した男が居る。
言うまでも無い。ノガミだ。
彼の『狂乱』が持つ、魔力殺しの力。あらゆる魔法、魔力を問答無用で消滅させる力が、理を外れた魔法さえも呆気なく消し去って見せたのだ。
『傲慢』の象徴とも呼べる魔法の悉くを無力化されたルシファーは、それこそ精神を病む程に傷ついた。
だが傷ついたからこそ、一度折れたからこそ、プライドを捨てて『祝福』なんて力にも頼る事を選べた。
現在ルシファーが所有する『祝福』は24。『傲慢』と『憎悪』を除けば22個だ。
その全てがノガミを殺す為だけに用意された代物であり、本来はノガミを殺せるだけの力を持つ『とある存在』の助力の為に使う予定であった物だが、彼は自分が生き残るために、その手札の一部を公開する事を選んだ。
まずはそのボロボロになった体を再生し、そして左手を横に薙いだ。
動作に合わせて空から光の槍が雨のように降り注ぎ、街を破壊する。
「へェー。『治癒』と『光撃』って所か。なるほどな、『光撃』は俺の力を闇由来の物と考えての対抗策か。可愛いとこあんじゃん」
「造詣が深いな。効果を一瞥しただけで『祝福』を看破するとはね」
「これでも仕事柄、『祝福』持ちとはよく当たるんだよ。『憎悪』は完全初見だったからわからなかったけどな」
「……そうか。なら―――」
空からは光の槍、正面からは光の鞭が襲いかかっているにも関わらず、回避しながら余裕をもって確実にルシファーへと近づいていくノガミ。
彼の姿を鋭く睨みつけながら、ルシファーは彼に正体が判別しにくい、或いはできないだろう『祝福』を考え、その力を振るう。
今度は、地面から巨大な顎が出現した。
まるでワニのような大口は、良く見れば白骨。ノガミは鼻にあたる部分を蹴りつけ跳躍し、空気を蹴る事で前へ進み、ルシファーの顔面へ右足を振るった。
が、その一撃は透明な何かに防がれ、彼は一度距離を取らざるを得なくなる。
(今のは……攻撃防いだのは『空間』の力だろォが、その前のワニモドキはなんだ?召喚された魔物……ではねェだろーが……アレがメインの技なのか、副産物なのかわからない以上、逆にこうして距離を取ってる方が不味いか?)
(『心読』を使っても何を考えているかわからない、か。仮面と笑い声のせいで感情から判断するのも難しい……やはり強敵だな、ノガミ。しかし今の私は生き延びられればそれで良い。なら逃走の時間稼ぎに使える祝福は……)
ノガミが着地した瞬間、再び大顎が飛び出す。
今度はただ回避するだけではなく、鼻の部分を掴んで引き摺り出した。
土を巻き上げて姿を現したのは、ワニのような大口を持った龍。ただの龍と違うのは、その体が白骨化している点だ。
それに見覚えがあったノガミは、何処か嬉しそうに叫んだ。
「何かと思ったら骸竜の眷属か!ははは、懐かしいモン使ってんなァ!」
「眷属とは言え竜種を片手で引き摺り出すなんて、本当に人間らしからぬ人間だな君は!」
「ギャハハハハァッ!!褒めるなよ、優しく殺しちまうだろテメェをよォ!」
暴れる骸竜の眷属の鼻先を握りつぶすと、連鎖する様に体も砕けていく。
仮にも竜種。片手で持ち上げる事も、まして握り潰して殺すなんて事も、普通なら不可能だ。
「これで『治癒』『光撃』『死霊』『空間』がわかったわけだが……ハハハ!残りの手札は何枚かなァ!?」
「……おいおい、君の攻撃から逃れる為に使った『祝福』がカウントされてないぞ?」
「『転移』があるって?いーや、ソイツは嘘だな。場所さえわかればどこにでも行ける『転移』があるんならお前はとっくに逃げてる筈だ。それをしないッて事はつまり出来ない!大方『空間』の力で場所入れ替えをしたんだろ?アレなら一定範囲内を好き放題動けるからな。逃走には向かねェが」
お見事、と内心呟きながら、ルシファーは苦虫を噛み潰したような顔を見せる。
入れ替わるための物が必要で且つ範囲の限られている『空間』ではなく、好き放題に移動できる『転移』が移動手段だと勘違いしてくれれば、と淡い期待を込めて吐いたミスリードだったが、ノガミは即座にそれを否定した。
とは言え勘違いしようとしまいと、ノガミ有利の状況は揺るがなかっただろう。そう考える事で平静を直ぐに取り戻したルシファーは、次の手札を切ろうとして、やめた。
必要無くなったからだ。
なぜなら彼の目には、勝利条件が空から来るのが見えているから。
「……はっ、はははははっ!勝った!勝ったぞ!私の勝ちだ!ウロボロスが戻ってきた!どうやら私の方が一枚上手だったようだ!」
ノガミに蹴り飛ばされたウロボロスの端末。決して殺すことのできない無限の存在が戻って来たのはつまり、逃走の時間稼ぎが可能になったという事。
「私の『祝福』を探るのに時間をかけたのが失敗だったね。次は気を付けると良い。なんて、次に会う時は全ての準備を整えた後。私の勝利が確定した時だがね。ふふっ、ははははっ――――何がおかしい」
ウロボロスが頭上を旋回する。
すぐさまノガミに攻撃を仕掛けないのは先程酷いやられ方をしたからだが、それでもルシファーの指示があれば即座に喰らいつくし、壁にだってなる。
要するにこの状況、例えノガミであろうと敗北は決まったも同然。ルシファーは勝ち誇り、後は悔しがるノガミを尻目に空間転移を何度か発動して逃げれば良いだけ―――の、はずだった。
しかし、ノガミは俯いたまま肩を震わせるばかり。それも煽られた事に対する怒りではなく、堪えきれない笑いによるものだ。
それがどうにも気に入らず、何よりうすら寒く、ルシファーはつい、尋ねた。
そして、それが失敗だったという事を、すぐ知る事になる。
「あのさァ?俺がなーんでお前をすぐに殺さねェで遊んでたか、わかんねェーの?暇つぶしだよ、暇つぶし。ウロボロスが戻って来るまでのな」
「ふん、意味ありげな態度で動揺を誘っているなら無駄だぞ。君にウロボロスが殺せない事は既に証明されている。ウロボロスの攻撃も無駄だという事もわかってはいるが、それでも壁として使えるのだから十分。―――あぁ、そうさ。私の勝利は揺るがない!君相手にここまでの結果を残して生還できるなんて、この上ない偉業と言える!」
「どんどん小物臭ェ男になってくなお前……魔王の株大暴落だぞオイ。―――まァ、今見せてやるからどォでも良いさ。俺がお前と遊んでやったのは、こうしてまとめて始末する為だってさァ!!」
視線を周囲に向け、巻き込まれる範囲に誰もいない事を確認したノガミは、右手を前へ突き出した。
どんな攻撃が来るのかと身構えたルシファーだったが、しかし何も起こらない。
とは言え流石のルシファーも、これで何も起きないとは考えない。
下手に待って殺されては笑い話にもならないと、『空間の祝福』の力で最初の転移を行い、悍ましい気配にすぐさま振り向く。
「………は?」
「ギリギリ範囲外に出やがったか。ま、距離感はわかったし次で終わらせてやるよ」
「ま、待て!なんだ、貴様何をした!?」
ルシファーの目には先程彼が居た場所を中心として、ちょうど彼が転移した場所の真後ろまでが消失し、巨大なクレーターが生じているのが映った。
音も無く、ただ冷酷に消滅させる一撃。
狂ったように笑って命を奪うノガミからは想像もつかない攻撃方法に、ルシファーは大いに混乱した。
―――『深淵』。
彼は知る由も無い事だが、『狂乱』の技の一つ。
中心とする点を定め、一定の範囲にある物を跡形もなく消失させる。
『滅撃』との違いは、対象が点ではなく面であるという事。そして何より、生死の概念で測れない相手であろうと問答無用で撃ち滅ぼす事が可能である事。
かつて『堕ちた不朽の英雄』を葬ったのもこの技である。
「さァな。遊びはもう終わったし、当てっこゲームは無しだって事くらいしか言えねェな!アヒャハハハハァッ!」
「クソッ、ウロボロス!再生し、ヤツの攻撃から私を―――ウロボロス?」
指示するも、とっくに再生しきっていておかしくない時間が経過している事にすぐ気づき、困惑する。
無限が尽きるなんて、そんな矛盾が起こるはずが無いからだ。
せわしく周囲を見渡すルシファーを笑い、ノガミは両手を広げる。
「無限だか何だか知らねェが、ソイツも俺の敵じゃ無かったらしい。―――じゃ、終わりだ。獣王国ごと死にな、魔王サマ」
「な、舐めるな!私はこんな所で死ぬつもりは―――ッ!!」
「『深淵』」
ルシファーが姿を消すのと、大量の消失が発生するのは同時だった。
どこに転移しても殺せるようにと無差別に大量の『深淵』を発動したが為に、辛うじて街の痕跡を残していた王都は穴だらけの何もない場所へと変わる。
驚くほど静かに起きた惨劇の痕跡を眺め、ノガミは小さく呟いた。
「……コレじゃ殺せたかどうかわかんねェな」
―――この先、そう遠くない未来に起こる魔王軍と人型四種の戦争。
その最初の戦いは、獣王国王都の消失という結末に終わったのだった。