形成逆転
若干沈みかけたテンションを咳払いで誤魔化し、ノガミは仮面の奥で口角を上げる。
あいも変わらず狂気に満ちた表情。仮に彼が仮面をつけていなければ、今なお逃げ惑っている人々がその顔を直視してしまえば、子供も大人も泣きわめいてしまう程だ。
「オイオイ、人がせっかく名乗ろうとしてたってのに、先に名前呼ぶなんて酷ェな」
「君を知らない者がこの世にいるとでも?竜ですら恐れる君を?」
「知ってる知らないの話じゃねェだろ?……なーんて、暗殺者の俺が名乗りなんて、よく考えりゃァ可笑しな話だが」
「ははっ、まさか君に暗殺者としての自覚があったとはね。中々面白い冗談を言うじゃないか」
方や『七人の魔王』の一角。方や『狂戦士』。
どちらも『三大恐怖』だが、両者の間には明確な余裕の差があった。
ルシファーは腕を再生して冷や汗を拭い、引き攣った笑みを隠すこともできず、時間を稼ぐように話を続ける。
「……どうしてここに居る?確かに王女リュカオンの暗殺依頼は受けたようだが、彼女を殺さないばかりか獣王国まで同行するなんて、とても君らしいとは言えないが」
「俺らしいも何もお前が俺の何を知ってるんだって話だが……ははっ、そうだな。一つ訂正があるとすりゃ、俺は暗殺依頼を受けた訳じゃねェ。ただガルムを獣王国へ帰さないようにって依頼を受けて、監視がてら行動を共にしてたんだよ」
「つまり、暗殺者ノガミの正体は―――」
「おっとォッ!!ヒャハハッ、言わせると思ったか?」
言葉を遮るようにノガミが剣を振るうと、風の刃がルシファーのすぐ隣に着弾。地面を抉り、砂塵が宙に舞う。
今の攻撃でノガミの正体を確信したルシファーだったが、それが交渉のカードになる事は無いばかりか逆鱗であると理解し、苦々し気な顔を見せる。
先ほどまで必死に逃げていた野次馬達は、ある程度の距離を取ると、二人の間に特に大きな動きも無い(先程ノガミが斬撃を飛ばしたばかりだが)事もあって、少し落ち着いて見物を再開した。
ある意味生きる伝説とも呼べる両者が対面しているこの状況を、それが例え本物だろうと偽物だろうと、見逃すわけにはいかない。
野次馬達は全員がそう考え、いつでも逃げだせる準備をしつつ、『恐怖』へと視線を向ける。
それを一瞥しつつ、ノガミが口を開く。
「この人数相手に自己紹介とは、お前の自己顕示欲も中々だよなァ。いくら記憶消去があるとは言え、俺なら消去漏れ警戒して名乗らず黙っておく所だが」
「……我ながら滑稽な話だが、長年の計画が完遂間近な上、ついさっきまではノガミを出し抜いているとすら思っていたからね……気分が高揚しすぎた、というヤツだね。ははは、いやはや笑えない。本当に笑えない」
「そうかよ。んじゃ真面目な質問だ。お前、条約はどうした?魔王勢力と人間勢力の相互不可侵条約はよォ。いや、厳密には俺とお前らの話だが……とにかく裏切りだよなァ、コレは。ガルムとリュカオンの記憶を操作して獣王国を裏で操る計画。俺と条約結ぶ前から進めてた計画らしいが関係ねェ。―――なァ、ルシファー。お前、俺を裏切ったって事で良いか?」
圧倒的な威圧感に、街に完全な静寂が訪れる。
野次馬もルシファーも、誰も彼もが息をする事すら忘れて押し黙った。
魔物とか、竜とか、危険人物とか、そんな存在とは訳が違う。
純粋に、暴力的なまでにただ『恐怖』。
「……は、はははっ、そうなるね」
数分後、ルシファーは引き攣った笑みを浮かべつつ、震える声で返答した。
それを聞いたノガミは、微かに肩を揺らし直後、狂ったように笑い始める。
「ギャハハハハハハハハァッ!!アハハハッ、ヒィヤッハァーッ!!」
「ッ、『災厄』!!」
仰け反って狂笑するノガミに、雷が落ちる。
しかし光速の一撃を容易く回避し、ノガミはルシファーの背後を取った。
「なら、殺すわ」
「―――やってみろッ!!」
跳躍し距離を取りつつ、ルシファーは右手を横に薙ぐ。
『召喚』。自分の支配下にある魔物を呼び出す事が出来る魔法。その魔法陣が空中に展開され、陣の中から巨大な竜が姿を現した。
「おいおい、なんだよコイツ!」
「『永遠竜』ウロボロス!君に敗北した後、君の対策にと用意した竜さ!魔法を主体とする私では君の『魔力殺し』に対抗できないのでね、ならば魔法に頼らない純粋な力の象徴に頼る事にしたわけだ!」
「さっき俺を『竜も恐れる』とか言ってた癖に切り札一枚目が竜かよ!芸のねェ野郎だなァッ!!」
現れた黒い鱗に身を包んだ巨大な竜を、その顎が開かれるよりも先に両断する。
余りにも呆気なく決着が着いた事で、ルシファーは恐怖と驚愕に顔を歪めた―――なんて、事は無く。
寧ろ彼は笑った。
それを訝しみ動きを止めた瞬間、ノガミは喰われた。
気配も無く背後からノガミを一呑みしたウロボロスは、まるで勝利した事を誇るかのように空へ咆えた。
「は、はははっ、油断したね。君は確かに、『恐怖』に名を連ねる際にあの『不朽の英雄』を殺した。文字通り、不死殺しを達成した訳だ。―――だがウロボロスは違う。死の概念を付与しようが存在を抹消しようが異次元に転送しようが、永遠に存在し続ける力の塊。コイツは所詮本体の一部に過ぎないが、それでも『永遠』の概念は変わらない。そして君はどれだけ強かろうと元は人間。死から逃れる事は出来ない」
地に舞い降り、ルシファーは冷や汗を拭う。
勝利した、とまでは思っていない。所詮時間稼ぎだ。だからこそ、ウロボロスの本体を召喚するのではなく、その無限の力の一部を譲り受けた制御端末的個体を呼び出した。
彼の目的はただ一つ。ノガミに妨害される事無く、リュカオンの前に姿を現した目的を達成するため。
指を鳴らし、魔法を発動する。その瞬間彼の隣にリュカオンが現れ、ルシファーは容赦なく彼女の首を掴んだ。
当然、野次馬達は騒めく。獣王国に住んでいない観光客はともかく、獣王国の住民はリュカオンを知っている。王女の妹が、人類の敵、魔王に首を掴まれて持ち上げられている。そんな状況、どう考えても芳しい物では無かった。
「ぐ、うっ、ぁっ……!?」
「いきなりで悪いが時間が無いのでね。私の用事を済まさせてもらおう―――おっと」
「リュカから離れろッ、クソ野郎ッ!!」
苦悶の声と共に足を揺らして抵抗するリュカオンの口へ、ルシファーは過去に彼女へ渡した黒い球体を押し込もうとした。
ソレを阻むように王宮から飛び降りてきたガルムが、容赦なくフランベルジュをルシファーの体に叩きつけようとして、躱される。
「凄い反応速度だね。良く私がリュカオンを呼び寄せた事に気づき、この場所まで向かってきた」
「ちょうどテメェの部下全員ひっ捕まえた後だったんでな。生憎勘の類は冴え切ってんだ」
「そうか。ただ私に君と遊んでいる暇はない。―――そして君はその余計な会話をする暇があったら、私に攻撃するべきだった」
「何?」
険しい顔を見せるガルムへ、ルシファーはリュカオンを投げ渡す。
その手には、先程まで握られていた丸薬は無い。
「お、おいリュカ!しっかりしろ!」
「形成逆転、と言った所だね。私の目的は達成。ノガミも思ったより拘束できている……いや、そもそもウロボロスの体内は無限空間。脱出する事は愚か、有限の存在なんて磨り潰されて消滅する以外にない。はははっ、どうやら『あの御方』の力をお借りするまでも無かったようだ」
汗をダラダラと流し苦しみ続けるリュカオンを抱きかかえながら、ガルムはルシファーを睨みつける。
それに余裕ある笑顔を返しつつ、ルシファーは露骨に見下した目を向けながら話し始めた。
「彼女には私の力で生み出した特殊な『種』を摂取してもらったよ。まぁ、だからと言って死ぬことは無い。私としても君たち姉妹に死なれては困るのでね。―――ノガミという脅威は今や去った。新生魔王軍の勝利は既に約束された物となった。ここに居る有象無象達も聞くと良い!君たち人型四種の安寧は今この瞬間を持って崩壊し始める!もはや記憶の消去も不要!せいぜい足掻いてみると良いさ、魔王軍の侵略に対し、どこまで抵抗できるのか楽しみなまである」
「へェ。そりゃ良いな。俺も全力で抗ってみてェぜ」
「へぁッ!!??」
ノガミを始末したと油断し、大仰に宣戦布告と勝利宣言とを行っていたルシファーは、情けない声を上げて周囲を見渡す。
声の主は明らかにノガミだが、しかしその姿が見当たらない。
だが同時に、ウロボロスの姿も見当たらない。
「ば、馬鹿な!無限空間だぞ!?いくら『狂戦士』が常軌を逸した存在だからと言って、世界の理にまで逆らう事が出来るなんて、そんな、そんなまるで、私の『傲慢』のような」
「あー、そうだなァ。俺もそろそろ、逆に何が出来ねェのか気になって来た所だ」
ストッ、とガルムの隣へ着地し、軽い調子で「よっ」と挨拶をする。
何処を見ても傷の一つも無く、強いて言うならば片手剣が無くなっている事以外変化と呼べる変化が見られなかった。
「い、いつ抜け出した?ウロボロスを、いつ、殺した?」
「まだ殺してねェよ。抜け出す為に一度腹ぶっ裂いてやっただけだ」
「ならなぜウロボロスが消えている!?」
「殺してもキリがねェから、一旦蹴っ飛ばして向こうの向こうまで消えてもらった。今頃海まで飛んでるんじゃねェか?お前が気づかなかったのは、大方調子乗って話してたからだろォな。注意散漫ってヤツだな」
他にまだ質問は?と首を傾げるも返答はない。
途方もない話に、放心しているからだ。
それを鼻で笑うと、ノガミは腰に携えられていた鞘を外して投げ捨て、両手の拳を何度か握ったり開いたりして、満足そうに構えた。
「これで形勢逆転だなァ。剣はねェが、そろそろ本気でぶっ殺してやるぜ、魔王さんよォオオオオオッ!!」
※―――
ルシファーの顔面に、俺の拳が突き刺さる。
肉を叩き潰す独特の感触を一瞬感じたかと思うと、ヤツの体は無抵抗に吹っ飛んでいった。
魔力強化込み、STAGE4の『狂乱』となれば相当な火力が出るな。ヒャハハハッ!―――っとあっぶねェ、遂に脳内までヒャッハーし始めやがった。
ま、だからSTAGE3以降は使いたくねェんだよなァ。
使うと脳内の冷静さがかなり失われるっつーか。正直ルシファーが裏切り確定でぶっ殺しも確定したから、テンション爆上がり状態なんだよなマジで。
「ギャハッ、あははっ、ヒャッハァーッ!!魔王様ってのはサンドバッグの商品名かなんかなんですかァ!?無抵抗でぶん殴られるだけのつまらん玩具に成り下がってんじゃねェぞマゾヒストゥ!アヒャーハハハハァ!」
俺が長い事愛用していた剣、鉄製剣二号(一号は力加減が苦手だった時に三日でダメにした)は今やいない。ウロボロスの体内に広がっていた真っ黒な空間(無限空間と呼ぶようだ)を破壊するべく『滅撃』を放った瞬間、耐久の限界を迎えたのか砕け散った為だ。
だから俺は、ルシファーを撲殺するべく拳を振るう。
そこに暗殺者らしさなんてものは無い。いや、そもそも『狂乱』の出力をSTAGE4まで引き上げてる時点で暗殺者らしくクールになんてのは無理だったわけだ。アハハハッ。
俺の攻撃を腕や足で何とかガードしている物の、ルシファーの限界は恐らく近い。
リュカオンに何をしたのか、とか、色々気になる点はあるが無理にコイツを生かして聞き出す必要も無いだろう。
種とかなんとか言っていたが、アイツ手作りなら魔力で作った物だろうし、それなら『狂乱』の魔力殺しで簡単に抹消させられる。
俺の踵落としが見事に鳩尾に突き刺さり、ルシファーの体が地面に埋まる。
土煙の中で弱々しく蠢くルシファーへ、頭部を踏み砕くべく勢いよく落下。しかしその攻撃はギリギリで躱され、ルシファーは立ち上がって右手を前に突き出した。
それはさながら、「待ってくれ」と言っているかのように。
「オイオイオイオイオイ、なンッすかそのつまんねェ待ったポーズはよォ。まさか命乞いか?辞めてくれよ、同じ『三大恐怖』が恥ずかしい」
「…………命乞い、か。はははっ、まさしくその通りだ。『傲慢』の私は今、ただの人間に過ぎないはずの君に命乞いをする。―――本当に私を殺して良いのか、とね」
「あァ、問題無しだ。安心して死ね」
「リュカオンに『種』を服用させたぞ」
「種も何も知らん。知らんが後でどうにでもなるだろ」
「私でなければ干渉できないと言えば?」
真っ直ぐに俺の目を見つめながら、魔王は話す。
俺はその言葉に黙り込み、大きくため息を吐いた。
返事に詰まったのではない。
呆れたのだ。
命のやり取りの中で、命乞いが出てくるのは別に良い。それも命の扱い方の一つだ。土下座をして、相手の靴を舐めてでも生き延びようとする汚らしさ。ソレにも俺は一定の敬意を示す。
だが、それを魔王が、よりによって『三大恐怖』の一角が、この大勢の観衆の前でやるとなると話は別だ。
そもそもコイツについて、俺はこの一日だけでかなり評価が落ちている。
冷静沈着で頭の切れる手ごわい相手かと思えば、油断慢心命乞いと、まァダサい事ダサい事。
これでも魔王か?まさか影武者?とか色々邪推したくなる程だ。残念ながらそんな事は無さそうなんだけど。
ともかく、俺は残念で仕方がない。コイツだって、本当ならわかっているはずだ。こんな見え透いた嘘、言うまでも無くバレていると。
自分が仕掛けた物の正体に関わらず、俺に対処できないはずが無いと。
しかしヤツは俺の沈黙を別の意味で捕らえたようで、微かに口角が持ち上がった。
いや呑気か。
「私を殺せば、彼女に植え付けた『種』はすぐさま彼女の自我を侵食し、塗りつぶす。事実上の死だ。それは君の望むところではないのだろう?」
「死……!?」
「落ち着け。―――お前の言う事全部鵜呑みにするつもりはねェけど、お前が何考えてるのかなんざ簡単にわかる。逃げる事しか考えてねェだろ、お前。というか、目的は達成したから生きて帰れればソレで御の字って所か。実際、真正面から向かってくれるなら瞬殺だが、本気で逃げるお前相手に街の被害とか野次馬の被害とか気にしてる俺じゃ万が一があり得る。その上こういう時間稼ぎを使われちゃ、勝率は下がる一方だな、間違いねェ」
「……まったく、狂人の癖に冴えてるね。その通り。私はもう、逃げる事しか考えちゃいない。そして既に君の弱点となり得る要素は大方理解した。転移魔法を発動するほんの刹那の隙。ソレを作れれば私の勝ちだ」
「あーっそ。そりゃいいじゃん。―――ガルム」
「っ、な、なんだ?」
リュカオンが死ぬかもしれない。その不安から怯えた表情を浮かべていたガルムがこちらを見つめる。
それに安心させるように笑いかけながら(そこで仮面をつけている事に気づき、わかりやすく軽い笑い声を発した)手間を省くべく野次馬達にも聞こえるような声量で問いかけた。
「この街、ぶっ壊して良いか?」
途端に静寂が訪れる。
誰もが目を見開き、俺を異常者を見るように―――いや、それはいつも通りか。ともかく信じられないと言わんばかりに見つめて来る。
誰よりも早く俺の言葉の意図する事を理解したガルムは、それはもう愉快そうに笑った。
リュカオンを抱きしめながら、ゲラゲラと笑い、そして。
「あぁ!」
とても良い笑顔と共に、街の破壊を許可した。
「っ、ふふっ、ははははっ……アハハハハハッ」
辛うじて会話が成立する程度に保てていた正気が、溶けて消えて行く。
気分はこの上なく高揚し、体の奥底から自分でも信じられない程の力が湧き上がってくる。
―――あぁ、暗殺以外の事をノガミとして行うというのに、ここまで良い気分で臨めるのは初めてだ。
「ギャハハハハハハハァッ!いひっ、イヒャハハァッ!ハハハハハハハッ!!ルゥウウウウシファアアアア君ッ!嬉しいなァッ!これで本気で殺せるぜェッ!!」
野次馬達がわき目も振らずに走り去り、ガルムがリュカオンを抱えてこの場を離脱するのを尻目に、俺は戦慄するルシファーへ向かって叫び。
まだ俺すらも知らない『狂乱』の解放段階、STAGE5を発動した。