姉妹の力
※祝福紹介※
『憎悪の祝福』
死肉と怨念が集まり生まれたとされる魔物、ヌルと対峙した物に与えられる『祝福』。
ヌルとは対峙するだけでも『試練』であり、大抵の存在は呑み込まれてヌルの一部へと変わる。ルシファーは魔法で何とか飲み込まれずに生き延び、その力をストックしていた。
『憎悪』の名の通り、所有者の『憎悪』の感情を高ぶらせ、それ以外の感情を鎮静化させる。
また『憎悪』が強ければ強い程能力が強化され、『憎悪』の対象との戦闘時にはさらに力が跳ね上がる。その出力は欠損した部位すら一瞬で修復し、軽く振るった拳で竜巻を発生させられるようになる程。
リュカオンはルシファーの『傲慢』により与えられただけなので、そもそもの出力が余り高くなかった為、微かに本来の理性が残っていた。
時は少し遡り、ルシファーとジンが王宮から降りた直後。
「……おっかねぇヤツだったなアイツ」
「だがルシファー様相手に勝てるわけがねぇ。さっきのは上手く隙を狙えたようだが、もうアイツに勝機はねぇよ」
「だな。―――それより、俺達は俺達の仕事と行こうぜ?」
壁に開いた穴から外を見ていた魔人たちが、一斉にガルムへと視線を向ける。
今までリュカオンを落ち着かせようとしていた彼女は、視線に込められた殺意に素早く反応し、拳を握った。
その目つきは鋭い。
自分の、そして何より妹の記憶を操り、弄んでいたルシファー、その部下だ。
敵意を向けられてなお無視するなんて、土台無理な話。
「ジンに一瞬で制圧されたお前らが、アタシに勝てるなんて思ってんのか?」
「お前こそ頭お花畑かよ。俺達は『新生魔王軍』のエリート部隊。魔法の使えねぇ獣人一匹、この人数が居れば殺すなんてチョロいチョロい」
「……あっそ。どの道リュカを苦しめたヤツの仲間だ。全員ぶん殴ってぶった切って、ぶっ殺す」
「ぶっ殺すぅ?やってみろよっ!!」
男が一瞬で接近し、拳を振り抜く。
魔力で強化された一撃だったが、しかしガルムは容易に回避し、男の腹部に蹴りを叩きこんだ。
そのまま呻き声と共に体が宙に浮いた男に対し、右の拳を振り下ろして追撃。
たった数秒で仲間が一人やられた事で残る魔人たちは表情が硬くなり、ガルムはそれを見て嗤う。
「どうした?アタシの強さを見誤ってたー、なんて言うなよ?」
「チッ、火の精霊よ!燃え盛る業火を!」
飛来する炎の塊を躱し、魔法を発動した魔人へと肉薄する。
拳が振るわれる直前に他の魔人が魔法で妨害を行い、彼女は舌打ちと共にその場を離れ、腕輪を撫でた。
「精霊魔法使いが二人、妖精魔法使いが三人、そして最後一人が不明……面倒だな」
「その面倒に殺されるんだよ!」
岩の槍、風の刃、火柱が彼女を全方位から襲う。
最初こそ回避だけに徹していた物の、埒が明かないと判断した彼女は腕輪から剣を取り出し、刀身の炎で魔法を相殺した。
「クソッ、うぜぇ武器持ってんなアイツ!」
「まぁ落ち着けよ、俺達にはまだ切り札があるだろ?」
「あー、そうだな。おい!準備はできたか?」
「いつでもいけるわよ」
「ならすぐにやれ!―――はははっ、認めるよ王女サマ!アンタも強いよ、十分にさ。けど、コイツには流石に勝てねぇぜ!」
「なんだかわかんねぇけど、ヤバいってわかってるのを黙ってやらせるわけねぇだろ!」
大剣を持っているとは思えない速度で、何らかの準備を整えたらしい、使用する魔法が明らかでない女の前に移動する。
しかし攻撃を仕掛けるよりも前に、女とガルムの前に巨大な魔法陣が現れ、ガルムの体が弾き飛ばされた。
「この魔法陣……召喚魔法か!」
「ただの召喚魔法じゃないわ。私が召喚するのは、ルシファー様直々に貸し与えてくださった召喚獣!さぁ、現れなさい!死毒蛇竜!」
女が名前を叫ぶと同時、ガルムは本能からその場を慌てて飛び去り、背後にいたカルマとリュカオンを腕に抱え、限界まで魔人たちから―――魔法陣から距離を取った。
冷や汗を大量に流し、緊張感から息を切らして走るガルムは、明らかに異常だった。
「なんだよ、あの女の言ってたバジリスクとかいうヤツ、知ってんのか?」
「知らねぇ。知らねぇけど、魔法陣から少し体が出てきた時点で理解した。―――アレは、アタシ一人で対処できる相手じゃねぇ。少なくともお前ら庇いながらは無理だ」
「……ま、俺は戦闘能力無し子ちゃんだし?足手まとい、戦力外通告は別に気にしないけどさー。最低限逃げるくらいは自分で」
「無理だ。わかんねぇけど、そんな余裕がある相手じゃない……と思う」
「ふーん……だとさ、リュカオンちゃん。そろそろ落ち込んでないで元気出したら?」
「バカっ、コイツは記憶操作の件とか、まだ……」
「………降ろして」
隠す必要も無い、と本来の金髪美少女の姿に戻っていたカルマは、いつも通りの口調でリュカオンへと声をかける。
人の気持ちがわからないのか、とガルムが苦言を呈す中、声をかけられたリュカオンの方は、低い声でただ一言呟いた。
「ばか、そんな事するかよ。聞こえるだろ?バジリスクとかいうヤツ、全然追ってきてる。つーかデカいんだな多分、壁壊してる音がずっと聞こえる」
「………だから、降ろして」
「いや、だからってなんだよ」
なんとなくリュカオンの言葉の意図は理解できる物の、敢えて無視を決め込む。
そんなガルムに痺れを切らしたのか、リュカオンの口数が増える。
「私、ずっとお姉ちゃんが嫌いだった。そして、その憎悪が私の生きる糧だった。―――お姉ちゃんを殺す。それだけが私の目的だった」
「……あぁ、そうだな」
「けど、だけど……それは、全部嘘だった。ルシファーの作った、ありもしない嘘。ヤツの話を聞いて、やっと思い出したの。私が騙されてた事。お姉ちゃんを嫌いになる理由なんて無かった事。―――私がやってた事、全部間違いだったって事」
「………でも、それって全部ルシファーが悪いだけだろ?お前が思いつめる必要は」
「あるわよ!お姉ちゃんをずっと敵だと思って、挙句にはノガミすらけしかけたのよ!?」
「でも殺せ、とは依頼しなかったんだろ?」
その言葉に、何が言いたいのか理解できず戸惑う。
確かに殺せとは依頼していない。しかしノガミならば遠回しな依頼であっても必ず殺すはずだと思っていたからあのような依頼をしたのだ。
それがどうして、まるで良い事のような言われ方をしているのか。
混乱するリュカオンに、ガルムは愉快そうに、優しく笑って続けた。
「それってさ。アタシの事をどうしても殺したくて仕方ない程憎んでても、確実に殺す手段までは取らなかったって事じゃん。―――リュカは記憶弄られても、アタシの優しい妹だったんだから。寧ろそんなお前に、ここまでの洗脳っつーか、記憶操作なんかしてくれやがったルシファーが許せねぇ」
「お姉、ちゃん………」
「それに、アタシだって記憶操作されてたし。お前の事、弱いって思い込んでたり……だから、お互いさまって事で、この話は終わり!アタシもリュカも、もう気にしないって事で!」
「……………う゛ん……っ!!」
泣きじゃくるリュカオンに優しい視線を向け、話は終わったな、とカルマが口を開く。
「さてっと。んじゃ後ろのバケモンどうするかって話でもしようぜ」
「一応速度は落としてないはずなんだけどな……そりゃ体力が無い魔物なんて聞いた事無いけど。そもそも魔物なのか?バジリスクって」
「召喚魔法で呼び出されてる以上、魔物だとは思うが……どんな見た目してるのかもわからねー……うぉぁっ!?」
カルマが振り向いた瞬間、ちょうど背後の壁を破壊して何かが現れた。
それは、巨大な蛇だった。
移動するだけで廊下の壁を削るほどの巨体に、開かれた口から覗く、紫色の液体に濡れた牙。
何より特筆すべきは金色に輝く瞳。『祝福』を発動しているかのようなその目は、なぜかはわからないが「決して見てはいけない」と本能が警鐘を鳴らす。
「な、なんだアレ、でっけぇ蛇か!?」
「でっけぇってどれくらいだ?」
「全体のサイズはわかんねぇけど、壁抉りながら移動するくらいにデケェ!これ、このままじゃ王宮が崩れるんじゃねぇか!?」
「そりゃ不味いな、せっかくリュカと仲直りしても帰る場所が無いんじゃどうしようも―――んなっ!?」
今まで走り続けていたガルムが、唐突に足を止める。いや、止めざるを得なくなる。
彼女が踏みしめるはずの足場が、崩落したのだ。
まるで腐ったかのように、ドロドロに溶けてなくなっている。
「な、なんだコレ……!?」
「多分、あのバケモンの力だろーな……露骨に目なんか輝かせやがって。『祝福』持ちのつもりか?」
「……魔物に、『祝福』を手に入れるなんてできるの?」
リュカオンの疑問に、ガルムもカルマも黙り込む。
『祝福』を与える魔物はいても、『祝福』を持ち、操る魔物なんて聞いた事が無いのだから当然だ。
だが目の前にいるバジリスク。今は黙ってこちらを見つめ、細く長い舌をチロチロと動かしているだけだが、いつ攻撃を仕掛けて来るかわからない。
その攻撃が先程床を腐らせたのと同じ謎の攻撃だった場合、防ぐこともできずやられてしまう。
「それを考えてる暇があったら、さっさとアイツを倒した方が良いんじゃねぇの?つっても俺は戦闘面だと役立たずだから、お前らに任せるけど」
「だろーな。―――リュカ、行けるか?」
「……うんっ!」
二人が拳を構えると、バジリスクの瞳が一瞬輝きを増す。
すぐさまその場を飛びのくと、先程同様に地面が腐り、足場がまた失われた。
だが、今の跳躍はただ回避し、逃げるための物ではない。
そのまま攻めに転じるためのものだ。
まずはガルムが壁を蹴ってバジリスクに接近し、頭に踵落としを喰らわせる。
鱗はまるで金属製の鎧のように硬かったものの、彼女の一撃は微かな亀裂を生み出した。
「シャアアッ!!」
「うぉっ、怒りやがった!」
「お姉ちゃん、下がって!」
リュカオンの言葉に反応し、ガルムはバジリスクの眉間を蹴って離れる。
入れ替わるようにリュカオンがバジリスクの目の前に移動し、先程生じた亀裂に向かって拳を振り下ろす。
ガルムの一撃よりもさらに強い衝撃を喰らい、大口を開いていたバジリスクはよろめいた。
その隙を狙ってガルムの蹴りが喉元を抉る様に襲い、輝きを増した瞳をリュカオンが殴りつける。
凄まじい叫び声と共にバジリスクが体を床に叩きつけ、痛みに悶える。
今まで逃げていた事が馬鹿らしくなる程の一方的な戦闘に、ガルムは嬉しそうに笑った。
「流石リュカ!やっぱすげぇよ!」
「お姉ちゃんも、相変わらず凄いわ」
「……んでも、『祝福』使ってるっぽいけど大丈夫なのか?」
「えぇ。今の『憎悪』は正真正銘私が抱く、ルシファーとその仲間に対する『憎悪』。もう、使い方は間違えないわ。ふふっ、ルシファーに、この力を渡した事、後悔させてやるわ」
「はははっ、頼もしいな!んじゃ、このまま止めを―――っと!?」
腕輪から剣を取り出し、未だ仰向けのバジリスクへ刃を突きたてようとしたその瞬間、目の前に巨大な尻尾が現れ、二人を薙ぎ払わんとしてきた。
驚いた二人だったが、すぐさまリュカオンが尻尾を殴って弾き、ガルムがその隙に切断。
本体がさらに喧しく叫び、無理矢理体を起こして二人へ突っ込んでいく。
明らかに噛まれたらただでは済まない。
しかし彼女達は不敵な笑みを崩さずに、剣を、拳を構えた。
「へっ、ファフニールの時は失敗したけどなぁッ!」
「同じ失敗は、二度もしないのよ!」
猛毒の牙を怪しく輝かせながら、大蛇は突進してくる。
それを極限まで引き付けて、紙一重のタイミングで同時に跳躍。
そして、バジリスクの無防備な横顔めがけて、全力の一撃を同時に放つ。
それは奇しくも、かつてファザム山でファフニールに一矢報いるためにと放った合体技であり、当時は敵に傷の一つもつけられなかった技である。
しかし、二人はもう、あの時とは違う。
「ビギャァアアアアッ!!?」
方や『憎悪』を纏った拳。方や魔法を纏ったフランベルジュ。
獣人の膂力で放たれたその二つは、バジリスクの顔面を両側から叩き潰した。
バジリスクは断末魔を上げるとそのまま動かなくなり、王宮を揺らしながら地面にへばりついた。
「……よっしっ!アタシらの勝ちだ!」
「私達二人の敵じゃ無かったって事ね。―――まぁ、王宮は随分と壊されてしまった訳だけど」
「んなもん後で直せばいいだろ?今はほら、勝った事を喜んで―――」
「バカ。まだあのバジリスク召喚した魔人共が生きてるだろ」
「……お前も水差すなよなー。へいへい、んじゃ、ラストスパート頑張るか」
「ラストスパートって……あの、ジンとかいう男は放っておいていいの?魔人たちを相手にするよりも、ルシファーとの勝負に加勢した方が良いんじゃ」
「要らないだろ。寧ろ足手まといだよ、アタシらじゃ」
「そもそもアイツに手助けできるような人間がこの世にいるのか疑わしいな」
バジリスクの死体の上を乗り越え、最初に居た場所へと歩いて向かう三人。
その会話は既に先程の戦闘から、ルシファーとジンの話へと移っていた。
ガルムとカルマの冗談にしか聞こえない言葉に困惑しつつ、リュカオンはその真意を尋ねる。
魔王ルシファー。『三大恐怖』には『七人の魔王』の一角として名を連ねているが、個人としての実力は相当な物。到底、ネームドでも無い暗殺者一人が相手できるような存在ではない。
ジンについて殆ど知らないも同然なリュカオンには、なぜルシファーの不意を突いて城下へ吹っ飛ばすなんて真似ができたのかすら理解できていなかった。
「彼はただの人間じゃないの?いえ、お姉ちゃんが惚れるような相手だから只者では無いんでしょうけど」
「ほ、惚れッ!!?な、なんでそれが」
「あんな露骨な反応しておいて気づかれないとでも思ってるの?それはいいとして、純粋に彼の正体が気になるわ。一瞬で傷を治す魔法は使うし、魔人たちの両手両足を一瞬で切断するし、ルシファーの不意は突くし………実は普段アステリア学園で人間の姿を取っているのは偽り、っていう話だったりしないの?」
「残念ながらアイツは普通の人間だよ。正真正銘な。―――強いて一つ違うとすりゃ……くくっ。アイツも、魔王ルシファーと同じって事だ」
勝手に言ったら怒られるかもしれねぇが、と心の中で付け足しながら、カルマはまるで自分の功績を語るかのように上機嫌で話す。
やや遠回し気味なその言葉に少し考え込み、すぐに答えに辿り着いたリュカオンは、大きく目を見開いて立ち止まり、信じられないと言わんばかりに口元を抑えた。
だって、自分の考えが正しければ、あの男の正体は。
あの男こそが。
「お前と言いルシファーと言い勘違いしてるみたいだから、アイツの代わりに訂正しておこうか。―――アイツはネームドさ。そしてその名前は」
「ノガ、ミ……!!?」
嘘でしょう、と絞り出した言葉を、二人は否定することなく歩き続ける。
そこでようやく一連の流れの異常さを理解した彼女は、息を荒くしてさらに尋ねる。
「ま、待って!あの、『狂戦士』の正体が、ジン・ギザドア!?お姉ちゃんが絶賛片思い中の相手が!?」
「なんで態々その情報を付けた!?」
「あぁ、そうだぜ。因みにこれ秘密なー?アイツ、『狂戦士』って呼ばれるの嫌いらしいし、ノガミとジンが同一人物だって事を知られるの、あんまり良く思ってないみたいだし」
「だ、だったらなんでそんな事を……」
「ん?だって、それを知り得る人物の中で唯一殺さないヤツだからな。他の魔人はお前らが、ルシファーはアイツが殺すだろうし」
つーか否定しねぇのかよこの狼女。と小さく毒を吐きながら、カルマは先頭を歩く。
バジリスクによる破壊のせいで酷く歩きにくい廊下に眉を顰めつつ、リュカオンとの会話で一つある事を思い出し、足を止めた。
「あー、そうそう。アイツの変装を解除するの忘れてたんで、様子見がてら先に行ってくるわ。どうせ俺は戦闘じゃ役に立たないしな」
「あ、ちょっと!まだ色々聞きたい事が―――」
言うや否やカルマの姿は消え、後には二人だけが残る。
顔を真っ赤にし、ブツブツと「いや、まだ好きと決まった訳じゃ」とか「そもそもアイツが変に小っ恥ずかしい事を堂々と言うから」とか呟いているガルムを一瞥し、リュカオンは露骨に大きなため息を吐いた。
「……なんか、戦った時よりも疲れた気がするわ」