表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

SF系短編小説置き場

#ヴェロ◆【疾駆】◆シック

作者: 浦切三語

 これが最後のレースだ――勝手気ままな雑草泳ぐアスファルトの地面からキッカリ一センチ浮遊するテトランダーの操縦桿を、受肉した両手できつく握り締める。


 コックピットの安全シートに身を沈めるたびに、【もぐら・くまお】は、いつだってそう自身に言い聞かせてきた。これで本当に最後だと。名を馳せていた昔と比べて、この生世界リアルの界隈じゃ、今はクリーンさが求められているからだ。


【オノマトピア】の潮流がすっかり変わってしまっているのは、自分が一番理解していたはずだった。右肩上がりを続けていた広告スポンサー数はここにきて頭打ちになり、Rin-Donによる規制は強まる一方で、それでも彼は己のデュエル・スタイルを捨てられないでいる。


 つまるところ石頭野郎(ストーン・ヘッジ)であり、競争の激しい【オノマトピア】においては化石に近い。炎上商法でアクセスカウンターを稼いでいた「なんでもあり」の時代を懐かしいと回想するのは、彼のような化石世代(ジャンク)ぐらいのものだ。


 現時点における界隈の中心(センター)、世界中のオノマトピア・アクティブ・ユーザー……通称・オノマーたちの旗振り役的存在であるニュービー世代とは、水と油の関係である。

 若い彼らにしてみれば、生活拠点である仮想の世界だけでなく、前世紀に打ち捨てられて後に、迷宮(メイズ)イズムのサバイバルステージへと人工進化させられた生世界リアルもまた、法治により分割・統治・制御されてしかるべしという考えが一般的なのだ。

 ゆえに、法に違反した内容の映像配信を黒歴史と断定し、Rin-Donの管理者らが違反警告の笛を吹く前に、掃除屋(スイーパー)に依頼してデジタル・タトゥーと化したその手の代物を消去して回っているのが現状だ。


 そして、いまこの時。【オノマトピア】の目玉コンテンツである【ヴェロシック】の対戦者として、くまおが一方的に戦闘状を叩きつけた相手も、そんな輩の一人だった。

 くまおはアッシュグレーのサングラスの奥で、スタート前の奴の様子を確認した。そのブラウンの瞳にぐらぐらと煮え立つ敵意を込めながら。

 若気の至りで無茶をやらかした過去を無かったコトにしようとしらばっくれる賢しい無法者。【ベイプマン】。くまおは決意を新たにした――ベイプマンよ、俺は絶対に貴様の後塵を拝するわけにはいかない。今日こそ化けの皮を剥がして、貴様の受肉アカウントを停止させてやる……


 しかし心の中でどれだけ罵倒を浴びせようが、コックピットでリラックス・モードのベイプマンは気にも留めていない。

 さすがは親ガチャレアリティSSSRといったところか。現生人類の居住区として機能する全球型仮想空間(アーガス)の主任開発者を父に、日本仮想共和国第三十三代総理大臣を母に持つ、生まれながらのエリート。

 自らの人生が成功の階段を上り続けることに少しの疑問も抱いたことのないような、その涼しげ且つ暴力的なほどの純粋さを感じさせる目元に、何も知らない愚民共は一撃で惑わされる。


 恵まれた背景を武器に自らの受肉ブランディング化に成功し、新世代の凄腕配信者(ホット・ドガー)として名声を高め、ルッキズム・ランクの上位ランカーとしての地位を確固たる者にしたベイプマン。

 その影響力は留まるところを知らず、先日、今上象皇(サン・キング)から文化功労者として表彰されたことで、その認知度は世代間の壁を破ったばかりだ。


 配信決闘者(オノマー)としてどちらが多くのファンに支えられ、生活様式にどれだけの差があるかは、娯楽レース競技【ヴェロシック】に費やされるマシンの装備を一見しただけで、容易に察せられる。

 片や、オブジェクトがところどころに欠け剥がれ、メンテナンスもままならないオールド・ファッションのテトランダー。片や、HSNSのダイレクトボックスを通じてファンが身を削って献金してくるプリペイドを湯水の如く使いまくり、限界終端値(ハイエンド)まで鍛え上げられた最新のマシン――5000万轟力を誇るエレファント・エンジン=EEが搭載されたハイウインド・シリーズ【星伍天(スターマン)】。

 右半分をゴージャス・ゴールド塗装、左半分をネビュラ・ブラック塗装。流線形の最先端(エッジ)なマシン。豪奢にして醜悪な弩級空輛にトップギアでエンジンがかかる。死んだアスファルトに網目状のヒビが入るかのような猛烈な地響きが、ゴーストタウン・コース一帯に轟いた。


 車載のトランシーバーが発信音(ブンブン)をキャッチ&プリーズ。もぐらは怒りの形相でセレクト・ボタンをプッシュ&プッシュ。

 スクリーンにハイウインドの乗り手の表情が映し出される。いかにも女受けの良さそうな、ホワイトブルーカラーのウルフ・月輪(ガチリン)・ヘアー。

 富裕層の間でしか流通しないヒト幹細胞由来のダブルエクソーム注射で整えられた、ランク最上位のグッドルッキング・フェイスには、獰猛な悪戯っ子に特有の笑みが浮かんでいた。


「おい! 石頭野郎(ストーン・ヘッジ)! 気でも狂ったか? ロートルのアンタが俺に挑むなんざ、落ち目のあんたにゃ都合が良いだろうが、こちとら迷惑なだけなのさ! 十年前のアンタならいざ知らず、いまのアンタを狩ってやったところで何にも面白くねぇからなぁ!」


 ヒャヒャヒャ、と変声期を迎えたばかりの軽薄そうな声が、トランシーバーを通じていくつも聞こえてきた。もぐらはただ押し黙って、苦虫を嚙み潰すような顔を浮かべるしかない。

 多勢に無勢。ベイプマンはグループ系オノマーとしての利点を生かし、LastLive(通称・2L)の連中を寄こしてくることだろう。


「けどよぉ……俺もかつてはアンタのなりふり構わねぇ姿勢(スタイル)に憧れた身だ! だから骨ぐらいは拾ってやるよ! 喜べよ、もぐら! テメェを一生くせぇくせぇ土の中に埋めて、シッコ飲ませてやろうって言ってんだぜこっちは!」


 しかし、そんなことはハナから承知の上だ。今宵、もぐらは己のすべてをここに賭けるつもりでいた。その為の準備も現在進行形で着々と進んでいる。

 あとはゴールフラッグを割る前に、どのタイミングでブツを投下するか。それを誤れば、アクセスカウンターは爆速することなく不発となる。極限炎上(アルティメート)系オノマーとして、それだけは避けたかった。プライドがあった。


 この十年、他人の不幸で甘い蜜を啜ってきた者として、最後までクズを貫かねばならない。

 その想いは、長谷川幹輝(はせがわみきてる)ではなく【もぐら・くまお】として生きると決めた十年前から、誓約として己に架してきた鎖でもあった。

 その鎖を自力でどうにか解かぬ限り、彼にとっての本当の最後など、永遠にやってこないのだ。


 鎖を解くのは、この勝負に勝ってからだ。

 今度こそ、これを最後のレースとするのだ。


「好きなことで狂っていく」


 すべてのオノマーたちにとって祈りの言葉に等しい、その聖なる文句を呟いた直後、スタートフラッグが大きく振られた。

 いつかの未来、国民の多くが熱狂するこの娯楽競技すらも文化流行の時速に投げ出され、遺産(れがしぃ)(笑)と化すのだろう。それと分かっていて、オノマーたちは「この」一瞬に人生を賭け、「この」一瞬で人生が壊滅する快楽に病みつきになる。


【ヴェロシック】開闢(ゴー・アヘッド)ッ!――墓標と化したビル群の密集地で始まる刹那的快楽。

 レギュレーションは一対一単回円環決闘(ワン・オン・ワン・サークリッド・デュエル)

 贅沢にオイルを焚きつけ、エアロホイールのウィリーな風圧がスタートラインの白線を轢き潰し、二台ほぼ同時のエア・ドライヴ・ダッシュ。


 先行したのは機能面で勝るベイプマンのハイウインド。開始早々に相手のミス・ドライブを誘おうと、ダイヤモンドテールから挑発サイン発光を繰り出す。

 しかしながら、くまおの気は散らなかった。マニュアル操作を維持したまま、ダッシュボードのメイン・スクリーンに視線を投げて、ハンディ・ポイントのカウンターを凝視する。


「五十万……ッ!? たったの五十万アクセス・ポイント……ッ!? そんなバカな……ッ! おいクソ運営! いまさら俺の過去をどーたらこーたらほじくり返すんじゃあないぞッ!」


 愕然。そして憤然。操縦桿を握る手に緊張が走り、背筋にぞっと粟が立った。

 親ガチャレアリティD。そこにプラスして、チビ・デブ・ハゲの腐臭漂う【三嫌豚(トライトン)】の称号。社会階層のうち「極・負け組」に属するくまおのようなオノマーは、ランカー上位者とデュエルする際に、その劣悪な生育環境が同情審査基準をクリアしていれば、最良のハンデとして機能するのが通常である。

 人生背景曲線図(ライフ・バックボーン)からAI算出される補正値から言っても、三百万ポイントは先行していて然るべきはずが、実際にはそうではなかった。

 先月末にRin-Donが規則改訂に踏み切ったのか? そんなはずはない。まさかと直感し通知ウィンドウを開いて、新着メールを素早くチェック。

 最悪なことに、予想は的中した。今朝方に仮想娯楽省から送信されてきていた一通のメールタイトル。見逃していた。「審査更新不合格(マヌケ)」の七文字。


「ああああぁぁぁ……」


 頭を抱え、地団駄を踏みたくなるも、自業自得だと下唇を噛み締める。極限炎上系オノマーのマナー違反スレスレの活動が、ここにきてマイナスに響いたのだ。


 ハイウインドのリアフローターから、都合五機の衛星(トランジスタ)が射出。それらの乗り手は、ベイプマンがリーダーを務めるグループ系オノマー【2L】の構成員……実際はベイプマンの人気にあやかっているだけの、なんの技能もセンスもない、虎の威を借りた狐の群れ。

 ベイプマンの金銭力で確保した「若年層の肉体」にたまたま受肉できただけのラッキーボーイであり、グラデ・ヘアーのセンター分けギルティ・ガイズたちに過ぎないが、孤軍奮闘も止む無しのくまおにしてみれば、脅威なのは言うまでもない。


「ぎゅんぎゅん、ぽいん!」


 ベイプマンが号令を下す。


「テンチョーパネッス! パネッス! パネパネッス!」「ワンチャン! ワンチャンコレキタ!」「ガチスカ? コレガチスカ?」「ヤキニクウマッ! ウマッ! ウマコレッ!」


 未成長の声帯代わりに搭載された人工声帯から響き渡る、意味をなさないコール音。センター分けギルティ・ガイズたちの駆る衛星(トランジスタ)が四方へ散解。携帯端末を通じて、ゴーストタウン・コースの第一コーナーに差し掛かる直前に極配信動画(ホロビッチ)をプラットフォームへ五連発投下。


《最高の仲間たちと生世界(リアル)へ旅行に出かけたら最高の思い出になった》

《【ピコジョあるある】キツキツドンドンたらぼっちゃ》

《マイネンさんと焼肉パーティーしたらデンゾーがぶっ壊れた》

《【あれから三年】オノマーとしての人生を振り返る》

《なんか、ネ……》


……毒にも薬にもならないクリーン・コンテンツだが、爆速キーと急上昇しやすいナンバータグを使っているあたり、抜け目がない。世界中のベイプマン信者たちは大盛り上がりで、仮想の邸宅でコックジュースを呷りながら私財を投げうち支援に勤しむ。


 ベイプマンのアクセスカウンターが爆速をキメれば、それと連動するかたちで、ボーナス補正がマシン内部系統へ作用。ハイウインドがレコードを叩き出す勢いで第一コーナーを突っ切った。

 エアロホイールとアスファルトの反発と結合。とびっきりの摩擦がヂリヂリ火花を弧線の軌道で散りばめて、吹きあがる白煙が廃墟を幻光楽土へ変えていく。


 廃墟の空に絶え間なくオーバーレイ表示される信者たちからの熱いメッセージを彩るように、運営サイドが気を利かせて祝福の花火を打ち上げる。その極彩色の爆発散華を恨めしそうに睨みつけ、追いかけるくまおのテトランダー。溜めていた極配信動画(ホロビッチ)を七連続で投下ッ!


 ……しかしながら、同時接続数十万を超えていた頃の彼の暴虐ぶりを知る者が見たら、興ざめするか、あるいは精神不調を疑う者が出てきてもおかしくないだろう。

 それぐらい、シケた内容だった。

 極限炎上(アルティメート)系の肩書はいずこへ。くまおといえば【破壊してみた&仮殺してみた】に代表される不謹慎コンテンツを十八番にのし上がってきたはずが、いまは無害穏便(モルモット)系オノマーもかくやと言わんばかりの、おとなしい配信がほとんどだ。

 しかも慣れないショート系に手を出したがために、これまで培ってきた編集力を生かすことも出来ず、トータル・ポイントのカウンターは伸び悩む。メインストレートからS字カーブに入ったところで、両者のトータル・ポイントの差は二百五十万に開いていた。


「クソ……だが、だがまだだ。まだ終わらねぇ。ここで終わるわけにはいかねぇ……とっておきの切り札をお見舞いしてやるぜ」


 これが最後のレースなんだ。これが最後のレースなんだ。

 これを最後のレースにするんだ。

 脅迫観念にも似た想いを抱えたまま、最終直線に入った。

 先行するハイウインドとの距離は20メートル。

 ゴールフラッグが振られるまで、あとテン・カウンツの猶予がある。


「……ここだッ!」


 セレクト・ボタンをダブル・プッシュ。配信動画をシュート。

 しかし対象(ターゲット)は自身の信者たちではなく、まさかのハイウインド。

 ダイレクト・アタックだ。

 決まればポイント差をひっくり返しての勝利が見込める。

 もちろんくまおには勝算があった。

 この日のために、昔取った杵柄を引っ張り出してきたのである。


「くたばりやがれ! 炎上だ! 炎上だ! テメェが女信者のアカウントを上客に売り捌いているって偽事実(・・・)を、俺が事実にしてやるんだッ!」


 陰謀型(リッキー)絶火型(フレイム・タン)のウイルスを組み合わせた、くまお印のトラップ・オン・トラップ。すなわち強襲配信動画(アサルト・ダンク)

 欺瞞力と拡散力に優れた一発を運営のプラットフォームを通じて投下しながら、くまおは弛みきった表情筋を喜色に歪ませた。その、すでに耐久限界に近い肉体年齢五十五歳のくすんだボディは生世界(リアル)の強烈なGにとことん揺さぶられて、ずいぶんとみっともない様相を呈してしまっているが、なに、問題はない。


 このダイレクト・アタックでハイウインドの内部系統をクラッシュするのに成功すれば勝ちは掴んだも同然で、そしてくまおの経験上、この手の暴露動画に有効とされる鎮火抗体は、症状の制圧に仮想世界換算で十時間もかかる。

 加えて、ベイプマンの脳ミソ空っぽなオチャラケ信者たちに、この陰謀工作された動画の本質を見抜ける力などあるはずはない。やつらはベイプマンが好きなんじゃない。「イケてる」ベイプマンを好きな自分が好きなだけだ……それがくまおの見立ての全てだった。


「おほぉ~~~ッ! よくできてんじゃねぇかオッサン! けど残念だったな」


 車載のトランシーバーから、くまおの想像に反して余裕綽々な王者の声が。


「いまの俺はただの人気オノマーじゃねンだわ。象皇から認められた俺ほどのレベルにもなると、あらゆる行動が正義の名の下に合法化(リーガライズ)されんのよ」


 瞬間、くまおのテトランダーが違和感剥き出しの急減速を見せた。慌ててカウンターを確認すると、どうしたことか。トータル・ポイントがゼロへ向かって減少加速しているではないか。


「打ち返させてもらったぜぇ~~あんたの悪質なウイスル仕込みの動画よぉ! ヒャヒャッ! いくら極限炎上(アルティメート)系とはいえ、運営様の眼は誤魔化せねぇんだぜッ!?」


「(まさかこいつ、Rin-Donと裏で手を結んでいやがったのか!? なんだよそれ……そんなのズルじゃねぇか……)」


 いったいどっちが悪質なのか、分かったものではない。毒を以て毒を制するとはよく言ったものだが、この場合、毒を制したのは同じ「毒」でありながら、世間からみれば「良薬」である。

 くまおの渾身の暴露動画はRin-Donのセキュリティに弾かれて表に出ることはなかった。ダイレクト・アタック・ミス・ショット。ペナルティのショックに、さしものくまおも混乱(コンフュージョン)に陥る。目減りし続ける勝ち筋に身体が硬直。心拍数と脈拍が急上昇していくのが感覚された。


 操縦桿を握る手はびっしょりと汗をかき、脳裏を過るのは儚い想い出の断片(ページ)である。


「(あんたにゃ才能がある。他人を犠牲にしてでも生き残るクズの才能が。サァ、あたしを踏み台にして、オノマーの階段を駆け上がっていきな)」


「ごめんよ……ごめんよぉ……かあちゃん……ッ! 情けねぇ息子だよ俺は……ッ!」


 若かりし頃のくまおを、たった一夜でスターダムに登らせた、白髪老婆の立役者。《【ガチのガチ】実家をパチンカスな母親ごと爆殺してみた》のタイトルと、その鮮烈な登場人物を忘れる者などいない。

 極限炎上(アルティメート)系ジャンルの金字塔として今もなおゴミ山の頂上に君臨し続ける、不謹慎の中の不謹慎。エッジ・オブ・マッドネス・コンテンツ。その華々しい犠牲者たる実母の最期の笑みが走馬灯のように過る。


 無縁墓地(ディスコ)に埋葬された母の十三回忌へ向けて、そして、新たに受肉アカウントを作成するための費用調達のために、これっきりの勝負として挑んだはずだった。

 そのために、やるべきことは限界まで取り組んだ。そのはずなのに、何が足りなかったのか。企画力か。キャラクター性か。ジャンルを変更すべきだったのか。

 それとも、母への……荒れ狂う波際のように混濁する感情を断ち割るように、再びトランシーバーから耳障りな一声が、ドーテー臭い車内に突き刺さる。


「せっかくだから加工してやんよッ! アンタが俺をハメるんじゃねぇ。俺がアンタをハメて――」


 攻撃的な台詞が不意に途切れて、代わりに不穏なノイズがトランシーバーを揺らした。接触音だ。フロントガラス越しに湧いた劇的な一瞬の一部始終を、くまおの茫洋とした瞳はしかと捉えていた。


 ハイウインドがゴールテープを切る直前、物陰に潜んでいた五人のセーラー服姿をした女学生たちが、わっとした勢いでコースに飛び出してきたのである。それも、ハイウインドの車線上。地に足が着いていない、浮かれた足取り。ベイプマンの狂信的信者たち。


 最終コーナーに入ったタイミングで楽勝を決め込み、自動運転モードにしていたのが仇になった。突然のことに、ベイプマンは慌ててギアを切り替え、ハンドルを右に切ったが間に合わず。派手にスリップ、重力にトリップ。全てを翻弄された。肉体も、プライドも、勝負も、何もかも。栄光の勝利はあっという間に右手から零れ落ち、闇の左手が死を引き連れて急接近。


 有機と無機の必然的な激突――巨大怪獣の尻尾のひと薙ぎを食らったように、歓喜の表情で吹っ飛ばされる女学生たち。グロテスクなピンクの肉片に濡れたダイヤモンドテールが粉微塵に砕け、サイドミラーや金属パーツ類が空中でデタラメな弧を描く。エアロホイールは完全に制御を失くして、盛大に半回転する弩級空輛。天と地が入れ替わり、ハイウインドはルーフからアスファルトへ勢いよく叩きつけられた。


 散らばるガラスやパーツを無視して、何事もなかったかのように瀕死マシンの傍を通り過ぎ、静かにゴールテープを切るくまおのテトランダー。


 勝利のファンファーレは鳴らなかった。乱入騒ぎがあったとなれば無効試合(ノーカン)だ。衛星トランジスタたちは慌てたように逃亡。廃墟の空には阿鼻叫喚の信者テクストがオーバーレイ表示され続けている。やがて回線がパンクしたのか、テキストの一部は文字化けを繰り返して重ね重ね増大し、ブツン、と切れた。後には暗く虚ろな空と、破壊の痕だけが残った。


 くまおは、直ちにテトランダーをその辺に宙停させた。運転席のドアを開け、そろりと小さくジャンプして地面に降り立ち、おそるおそるといった調子で壊滅的痛手を被ったハイウインドへ近づいた。


 途端に鼻を突く異臭。灼けた鉄を彷彿とさせる濃い臭い。湯気を立てて赤黒い液体がマシンのあちこちから、まるでマシンそれ自身の体液のように漏れ出している。

 全身の骨がありえない角度に折れ曲がり、臓物をまき散らしている女学生たちの骸が、更に輪をかけて夥しい惨劇の様相を呈している。


 疑自殺(ダイビング)という奴だろう。受肉した体で「推し」に殺されることで性的快楽にも似た刺激を味わえると、ニュービー世代を中心に爆発的勢いで広がりつつあるアングラ文化のひとつ。肉体を「破壊」する行為であって、実際に「命」が死ぬわけではないが、妨害工作には違いない。相応のペナルティが運営サイドから課せられるだろう。


 と、その時。幽鬼のようにふらつきながらも、起き上がるひとりの女学生が目に入った。どうやら彼女だけヤリ損なったらしい。黒く染めたロングヘアに級友の肉片がこびりついている。おろした前髪はぱっくり割れた額から垂れる血で濡れて固まり、ひとり快楽を味わえなかった寂しさに、ベリー・カラーの唇が震えていた。

 エンジ・カラーのタイ・リボンを緩め、呼吸をしやすくしようと胸元を大きく開ける。ブラウスから覗く豊満な二つの双丘。ミニのスカートはところどころが解れて汚れ、白く伸びる太腿が目に眩しい。


 静寂の中、ごくりと唾を飲み込む音だけが、やけに大きく響いた。くまおは興奮を抑えつつ女学生へと歩み寄った。

 ベイプマンのことも、母のことも、勝負のことも、もうどうでもよかった。思念は蒸発し、即席の肉欲だけが彼を突き動かしていた。


「おい」


 急に声を掛けられて、びくりと女学生が強張った。胡乱な目線を送る。くまおは、構わず続けた。


「俺が、気持ちよくしてやろうか。俺のご自慢のマシンでよ」


 五十五歳の老齢ボディと、その背後にあるテトランダーを交互に見やる。女学生の表情が次第にふやけて、瞳に朱の珠が妖しく宿った。


「嬉しい。あたし、あなたみたいな人に、ぶっ飛ばされたかったのかもしれない」


 名も知らぬ女学生のとろけきった狂気に、くまおは人生の答えを見出した気分だった。

この作品が「面白かった!」と感じましたら、このページのすぐ下へスクロールしたところにある「評価ポイント☆」と「いいね!」をポチっと登録してください。作者がくまおのように嬉しがります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 天才ですか。
[良い点] ∀・)ぶっとんだ世界観ですけど、凄くイカレていて凄くイカしていた。「好きなことで狂っていく」ってフレーズにちょい笑ったけど、じわじわと惹かれる意味で読了感に残った気がします。あと最後の彼女…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ