表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/49

信仰と慈愛: 前





これは、追想。まだ竜が、恋を自覚する前の話。身体の一部を竜化することだけを覚えて、様々な街を騎士と殺戮と共に歩いていた時の、その中の一つの思い出だ。

その記憶は、いつでも、思い出す。今となれば彼女の数少ない蜜月だったのだから。




……




幾つかの街を、渡り歩いて。その度に何かしらの理由とともに、人民の全てを殺し続けて。クシーとイドは教会街に辿り着いた。


ここもまた、ひどい有様だった。

小綺麗な白い服を来た怪しげな聖職者もどきが街中を練り歩いて、綺麗事と教義を声高らかに叫びながら、施しを求めた浮浪者を蹴り飛ばしていた。

綺麗なものは、大きな大きな教会のその目前と周囲のみ。そこ以外の全てが褪せ汚く、薄汚れて悪臭を放っていた。



(……ふうん)


幾つかの、街を見た。

いくつかの営みを見てきた。

いずれも変わりはしない。

ただ愚かで、薄汚い営みだけがある。人という種族の醜さをそのまま表したように汚く、それでも生きている。



「うわあああっ!」


その糞のような景観の中で、何かの不都合のあることを言ったのか、少年が小綺麗な服を着た内の一人に剣を向けられていた。

聖職者が、刃あるものを持つべきではない。

そんな最低限の戒律すら成り立ってはいない。


クシーは何を思ったのか。その少年の前にするりと入って、庇った。剣が腹部に突き刺さるが、痛いのみで当然死にはしない。



「なっ…き、貴様…いや貴女は…!?」


下手人の、その教団員らしき人物はそう言い、狼狽しながら去っていく。竜の少女は無感情にそれを見つめてから、自らが庇った少年に手を伸ばした。



「あ…うあ、その、傷」


「別に、助けたわけじゃない。

恩に思う必要もない。私は竜なんだから」


「え…」


そう言われて、困惑する少年をただ無関心に振り向いて戻っていく。きっとそろそろ、集合の時間の筈だから。彼女の旅の輩としていた男と、少しの間の別行動をしていたのだ。



「む、早かったなクシー。

観覧はもう済んだか」


「うん、お陰様で。イドも随分早いんだね。情報の収集は出来たの?」


「ああ、上々だ。

さすがは無知蒙昧を良い事に財産を掠め取ってる連中だ、情報の巡りが早いな」



イドは、この教会街にて、一つどうしても知りたいと願うことがあったらしい。それ故に、クシーは足手纏いであり、少しの間だけ別行動をさせられていた。だがそれなら、戻ってくるまで同じ所に居座ろうとしていたクシーを、折角ならばと観覧に誘ったのはこの騎士だった。出来ればそうするとよい、と。



「……」


「イド?」


「…なんだ?」


「何が、悲しいの?」


「……悲しそうだった、か?」


「うん」


「…そうか。そうかもしれないな。

クははっ、ハハハッ…」



態度としては何一つ変わらない彼のその感情の変化を、読み取れたのは少女がイドをじっと見ていたからだろうか。はたまたそれは、『契約』の齎す呪じみた同調だったか。


「…フロイよ。

あんたは、こんな場所で死んだか。

こんなクソみたいな場所で。ハハ…」


その名前は、誰かは分からない。ただまあ、きっと答える事もなければ聞く必要もない事なのだろうと、その時の少女は思っていた。



「……あ、あの!」


「…む」



そんな、異相の騎士と片輪の少女に話しかけてきたのは、あどけない少年の声。

イドには覚えは無く、そしてクシーもつい先ほどの出来事であっても忘れかけていた。



「その…さっきはありがとう。

僕を、助けてくれて…」


「……知り合いか?」


「ううん。さっきちょっと話しただけ」


「い、いやいや!命を助けてくれただろ!君が居なかったら僕はもう死んでたよ!」


「…ほう」



それを聞いて色濃く反応したのは、少女よりもむしろ騎士の方。どこか寂しそうに、それでいてああ、よかったと安心するような。

そんな、形容しがたい嘆息。


「だからなんていうか…ぜひ、家に来てくれないかな?できればお礼をしたくて」


「いらない」


「そう言うな、クシー。

俺は一つ、野暮用が出来た。その間そっちに邪魔をさせにもらっていけばどうだ」


「………えぇ、面倒…」


滅法、消極的な当のクシーを除き他二人はやたらと乗り気で、当人の意思を無視するほどになる。結局それを断り切るのもめんどくさいとなり、クシーは渋々、それに頷くこととなった。


「…イドが乗り気になるなんて」


「何。お前が人を救っていたのならばと、感心したのさ。ならばその善意の見返りは受けておくべきだ」


別に救いたいから救ったと言うよりは、ただの気まぐれだったのだが。それを言っても、無駄かと思いその心中の声を吐息に消した。



「…なあクシー。お前が人を助けようと思えるほど、この世界が綺麗に見えたのならそれでいい。そうしたら、お前は俺を殺せ。

その時には俺もお前を殺してやる」



「…?よくわかんないの」


「わかる時が来なければそれでもいい。

そちらであっても俺は構わんのだからな」



後ろ手に手を振りながら言い残したその質問を、その時のクシーはついぞ分かることは無かった。否、彼の、今際の際でようやく知る事になる。


イドはきっと、この旅路で竜の少女が愛と人の美しさを知り、人を守る観測者となるのならばそれで良かったのだ。そうして人類種の天敵とならんとする己を殺して止めてくるならば、それでも。だからこうして事更に街の景観を見せていたのだ。

彼は厭世的で、残酷に狂っていた。だけど一方でロマンチシズムに被れた、そんな一面もあった。この発言は、最たるものだっただろう。


ではな、と小さな花束を作って去っていく騎士。クシーはそうして、少年の家に招待されることとなった。




……



「やあ、いらっしゃい!」


「…どうも」



いらっしゃい、と言ったのはその招待した少年。声はそれしか掛けられなかったが、そのぼろぼろの家の中にはもう一人、生命の気配があった。それはひゅう、ひゅうと息をするのも絶え絶えに、意識があるかも分からない女性の姿。しわしわになった姿からは、相当の疲労と苦労が忍ばれる。


「え、っと…お茶!お茶でも出そうか!ごめんな、大したお礼も出せないんだけど…!」


「……なんでもいい」



心底、どうでもいい。

むしろ、こんな事になるのならばあの時この男を助けるのではなかったと思うくらいに、辟易をしてクシーは顔を顰めた。これならまだイドと共に歩いていた方がマシだ。


あの男はつまり、やる事なす事が刺激的ではある。ほんの少しだけ興味がわく、程度に。



そう、静かに考えに耽っている間に少年は湯を腐った薪で沸かしていた。そうして茶葉を出す最中にも、二人は小さな会話をした。



「その、さっきの僕を庇った傷だけど…」


「もう治ってる。気にしなくていい」


「あ、えと…服が汚れちゃった!から、その」


「服なんてどうでもいいから。

…そのお茶を飲んだら、帰るね」



「……うん」



そうしてぐらぐらと頼りない机に一対の茶が置かれた。クシーはそれに花を近づけて、ぴくり、と顔を顰めてから。

ぐいと一息で飲み干した。



「…ねえ。さっき君が言ってた事だけどさ。

竜だからっていうの、本当?」



「嘘なんて吐かないよ。


…貴方じゃないんだから」



びくり、と少年の肩が揺れた。ずっと、青ざめていたその顔が更に蒼白に染まった。息を荒くして、目を閉じている。


クシーには臭いがわかった。人の身になっていてもそれは、本能に近かっただろうか。

改めて話しかけられた時から、気持ちの悪い臭いがしていた。出された茶からも酷い悪臭。

そうわかった上で、一息に飲み干した。



「貴方の嘘だとか、何をしたいかもどうでもいい。これを呑まないで、追われたりするのも、気持ち悪い。だから、そっちの用事をさっさと済ませて終わらせて」


「……う、あ、ごめん、ごめん。だって…」



「…心底、わかった気がするよ、イド。

人間なんて、汚い。反吐が出る」



そう言ってから、ただ人化した彼女の体は茶葉に含まれていた毒性に蝕まれて、ぐらりと意識を失っていく。片腕と意識の無いその落下は、ごどりと頭からの着地となり、そうして血が流れた。


「ごめん…ごめんよ、ごめん…」


誰にも聞こえない、自己満足の謝罪が場を埋め尽くした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ