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血錆の騎士とはじめて愛された竜  作者: 澱粉麺
離 それでも君を愛す
36/49

ツー・ブレイキング





男はふうと、ため息を吐く。話の一段落が終わったことを表す呼吸と沈黙だった。

無言の中に、カリ、と唇を噛みしだく音が響く。竜の少女が、苦渋を呑み込んだような顔のままに、ただ、歯を剥き出していた。




「……それが、【クシー】。

それが、私の名前の元になった子。

あなたが愛した人の、名前。

そっか。貴方の愛した人は、それか。

イドが愛したのは、貴方の子どもか」


「イドは、傍らに居ないその子の慰めに、貴方自身の慰めに私をそう名付けたんだね」



「ああ、その通りだよクシー。

言い訳はしない。何一つ、出来やしない。

その通りさ。俺はそんな、情けない男だ」



「……」



「…今からでも、名前を変えるか?」




瞬間の事。

少女は片方しか無い腕を雷光のように動かし騎士の胸ぐらを掴んだ。それは恫喝や強迫ではなく、むしろ縋るようなものだった。




「嫌だッ!嫌だ、嫌だッ!貴方から貰ったものを渡すもんか、何であろうと、誰であろうと!」


「たとえそれが、貴方がしようとしてることだって!イドから貰ったものを何一つだろうと渡すなんて、絶対に嫌ッ!!」



ぜい、ぜいと息を切らしながら騒ぎ叫ぶクシー。

彼女は、今の彼女である全てを構築する、イドから与えられた存在意義であり精神均衡のホメオスタシスを。

そして何より、彼からそれを与えたもらったのだという事実。その否定など絶対に認めたくはなかった。




「…誤解させてしまったな。奪うつもりもなければ、強制するつもりもない。ただ、聞いただけだよ、俺は」


「初めは仮初だったと思う。利用の為でもあった筈だ。契約の烙印のせいかもわからない。ただそれでも俺は、今はお前を、ただその個として愛している。だから、今のは善意のつもりだった」



そう諭されて、顔をそのまま騎士の胸ぐらに埋めるクシー。息は荒いままに、泣きじゃくる啜り声が、埋まったままのくぐもった声で聞こえてきた。少女は暫くそうしてから、そのままに、辿々しく言う。



「…二度とそんなこと言わないで。

私は、『クシー』なの。

例え、それが模造品と代替品だとしても。

私という存在が、紛い物から産まれたとしても」


「貴方に与えられて、教えられたそれが、私。

だからそれを無くそうとするなんて、やめて。

貴方の贈り物を失くすなんて、私には堪えられない」



「…すまない」



そうして離れない少女の頭を、そっと撫で上げた。頬に手を添えて、彼女の瞳を見た。金色に輝く、縦長の瞳孔は、相変わらずに人には持ち得ない狂気と獰猛な生命に満ちていた。

イドは、軋む身体を動かしてその頬に口付けをした。



「……長く、話しすぎたな。

そろそろ中断しようか。

続きは、また今度に話す事にしよう」



そう切り出して、立ち上がろうとした時。

少女はぐいと力を込めて、座らせて顔を近付ける。そして、さっきの口付けの返礼のように、ずいと濃厚なキスを無理矢理に行った。口と口で、舌を絡ませて。


そうしてから、口を拭って言った。




「……ううん。今、話して」


「貴方が、どうしてそうなったのか。

あなたの子どもは、どうなったのか。

あなたが何故復讐をするに至ったのか。

…どうして、そうも全てを憎むのか。全部」




座り込んだイドは、それを聞いて、かんらかんらと大きな声で笑った。そしてまた、クシーをそっと抱き寄せると、自分の膝に乗せて、ゆっくりと揺れ始める。

それは恋人の距離感であるようで、また、親子の距離のようでもあった。



「では、そうしようか。

ああ、そうするとも」




そう言う彼の頬は、しかし。

三日月のように歪んでいた。

それが何を表す笑みかは、解らない。







 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜







鎧が、錆び付いてきた。

白色一色だった彼の金属鎧は、血みどろの戦闘を次々にしていく内にどんどんと古びて、そうしてまた錆が付いてきた。手入れをしていても、限界があると言うばかりに。

ただ少年が110番になってから、10年程しか経っていない筈であるのに、彼の装備はその数倍は年月を過ごしたような摩耗をしていた。


イドは、そのケアを欠かさない。錆を出来るだけ落とし擦る。それは勿論、鎧の寿命を少しでも伸ばすと言うこともある。備品が壊れようとも、即座の補給など無いまま駆り出され、損をするのは己だからだ。



だが、それより。一番の理由は…




「クシー!こっちへ…」




ささっ、とイドから遠ざかる小さな影。

その姿を見て、イドは頭を抱えた。



「…むう…」



じっと、物陰からこちらを伺う小さな子。

鼻をひくつかせて、自分から距離を取る女児。

そうだ。

錆を落とす最大の理由。

それは、あの子が、その匂いをとても嫌うのだ。



「おォいおい、またやってんのか二人とも。

ッと、飛びつくなよクシー」



横あいから出てきたゴイの背後に、さっと隠れるその小さな影。それは、少し前までは赤ん坊であった筈の者。


ナナとイドの、その子。クシーだった。


灰色の髪をしたその幼女はごにょごにょと、何かを、異常な身体能力でゴイの耳までよじ登ってから囁く。


彼女には、イドと異なり何も投与されていない。ただその成長は激しく素早く、それでいて強靭で、その年頃にはあり得ないほどの身体性能をを誇っていた。




「ふんふん、なるほどなァ。クシーも照れてンだとさ?…だからそんなあからさまに落ち込まなくていいと思うぜ、イドォ」



「…そうか、そうなんだろうが…むう…」




物心が付いてから、ずっと前にこの調子である。

否、その前から。僅かな期間の赤子であった時から、彼の腕に抱かれれば彼女は泣き出してしまい、寝ている姿を撫でようものなら跳ね起きてしまうというほどだった。そうして今は、また、このように明らかに距離を取られている。


会話も頑なにゴイかフロイを通してであり、イドはクシーの声を一度もまだ聞いたことはなかった。


明確な拒絶こそ無い。だが、それだけである、

何よりゴイとフロイ相手には普通に接して、それでいて話している事がショックでたまらなかった。それはイドが初めて受けるタイプのショックであり、かなり耐えがたいものだった。



「二人とも揃ってるか。珍しいな」



びくり、とその声に反応してクシーがその身体を翻した。ゴイの身体からも離れて、古ぼけた机の下に走っていってしまう。

声は、ニコのものだった。


そう。唯一救いというか、心が慰むことは、クシーはニコもまた同様に怖がっているということだ。ただ自分だけが怖がられているわけではないというその事実が、なんとか彼の心を軽くしていてくれた。



「ああ、ニコ。…俺もさっき帰ってきた所だ。ゴイも今日のタスクは終わっているらしいし、珍しくゆっくりできそうだ」



「おうよ、ニコ!相変わらずクシーに嫌われてんねェ、お前さんら。なんかしたわけでもないのになァ?」



「そうだな。まあ、俺に近づかないならそれでいい。

正しい判断であるのかもしれないしな」




そう、相変わらず無感情に呟く死神。彼はしかし、それまでと異なり、口だけ釣り上がったような笑みをぎこちなく、浮かべていた。




「……麻痺毒でも喰らったんかいニコ兄ィ…」



「…馬鹿を言え。それにその呼び方はやめろ51番。

こうすれば、愛想が良く見えるかと思ってな」




愛想、良く。

そうだ。

イドはあの後。ナナの最期の言葉を伝えた。


ゴイは悲しみ、むしろ俺こそお前さんに妬いてたのになァ、とそう言ったきり静かに泣き続けた。あの時から、声に張りが失せた気がする。


ニコはただそうか、と返したのみだった。

だがその翌日から。口調を変えたり、表情を変えたりと、妙に『愛想をよくする』ことに注視し始めたのだ。似合わない女口調、過剰すぎる笑みなど、気色の悪いように見えるものばかりだったが。



「…今度は51番の真似をしてみたんだ。たとえフリでも、見た目に感情が溢れるようにすればきっと俺も、そうなれるかと、そういう事を思って」



「…無理することはないんじゃあないか?

俺は今までのあんたで良いような気もするが」



「そうそう、第一にクシーがより怖がるぜェ、そんなん。なんなら俺もチビりあがっちまいそうだ」



「そうか。ならやめておこう」



スッと、顔を元に戻すニコ。それはまるで口元が動く人形のようで、そのなんだか滑稽な姿にイドは少しだけ笑った。

部屋の中に、軽快な笑い声が響く。




少し前まであった、女性の笑い声は無い。




(……………)




皆が、同じような事を想ったのか。

急に、部屋が静まりかえる。



脳裏に残るのは、ナナの最期の言葉。

そして。


(彼女に、復讐をさせてくれ)


あの時、ナナが死ぬその数日前に響いた声。

ただの幻聴であるならそれでよかった。であるのに、あの音が、焦げ付きのようにこびりつき忘れられなかった。



「ク、ハハハハ…」



それを誤魔化すように虚空に向けて、空笑いを一つした。すっかりと、うつってしまった、彼女の笑い方。からからと無邪気なような、不気味なような変な笑い声。

今となっては少ない、彼女の居た証。



その声はもう二度と聞こえはしない。

ただ、模倣した自らの声だけが響く。








……





「正装など、知識はあれど着るのは初めてだよ」



「同感だ。俺も長い事レムレス騎士団にいるがこんな事は初めてだ。よほどお前が来てからの戦績が良かったのだろうな、110番」



「…報酬がこれなら、あまり嬉しくはないな」




二人の男が、正装姿に着替えさせられながら駄弁っていた。

一人は紺色の髪を纏めた、陰気そうな男。イド。

もう一人が、銀色の髪を流した、無表情な男、ニコ。


互いに武器の携帯はしていない。

何日かぶりの沐浴の権利も貰ったその姿は、高潔な王都騎士のようですらあった。騎士であることは、間違いない筈だが。



事の発端は、今朝の報告である。

25番に、110番。この二人に王への謁見が許されたということである。それは華々しい戦果を出した騎士団の精鋭二人への、せめてもの誉れということだ。その間に、致命的な不死者の発生があるのではということは、何一つ考えていないようだったが。


寝ぼけ眼で目をさするクシーをそっとまた寝かしつけてから、彼らは出征の準備を始めた。

自らから逃げることもない、寝顔のクシーを、傷つけないようにそっと撫でる。壊すばかりしてきた彼には、痛くないようにそうする事はとても難しい事だった。




「何より、それならゴイも連れてきて欲しかった」



「それも同感だ。奴の知識量は謁見で礼を失さないようにするにあたり有効になりうる」



「そういうことじゃない。それも…少しはあるが。

あの人だって戦果を出しているだろうに」



そう、意味のない愚痴だけを垂れ流している内に、準備が終わり、夥しい数の兵士が彼らに随行して王座へと連れていかれる。それは彼らへの護衛、というよりむしろ彼らが暴れた際に鎮圧する為のものに見えた。その実二人が暴れ回れば、その数すら足りなかったろうが。



「…凄いな」



「ああ」




口から漏れ出た感想に、無感情な返事。

それほど城郭は圧倒的なものだった。いつも遠目に見ていたその威容は、内側に入りより一層にそれを増していくようだった。ただその光景にイドは、興奮を禁じ得なかった。



長い長い、白亜の廊下を歩き。

いつも開ける部屋の数十倍はある大きさの扉が開き。

そこにあるのは、また大きな部屋。

虚栄じみた広さの空間に、圧倒すら忘れる。


そして、玉座に在るは王の姿。

横にはまだ幼き王子の姿があった。


髭をたくわえ、腕には錫杖を持つ、王。かたかたと手が震える姿を見るに、相当に高齢なのだろうが、その目の光だけは狡猾に怜悧に歪んでいた。




さて、結果だけを言うに。

賜る言葉の殆どの意味はわからなかった。


それはイドたち自身の教養というより、個体名であったり機密情報に基づいた事ばかりを口にしていたからだろう。きっとゴイがいたとしても、彼もこの話がわからなかった筈である。



ただ、しかし。最後に放った王の一言。

それだけは分かった。




「ゆめゆめ忘れるなかれ。

貴様らは、我が庇護下にのみ在る存在。

このような機会は、またとない僥倖なのだ」



それによって、この謁見の企みが分かった。


この王は釘を刺しに来たのだ。

用は、『図に乗るな』と。実験体ごときがいっぱしの騎士を気取ろうとするなと、直々に釘を刺しにきたというわけである。



(くだらない)



心底、そう想った。

イドには誉れも自惚れも、騎士の立場もどうでもよかった。であるのにわざわざ謁見の機会などを迎えてまでこうするなど、どれほど王は暇なのだろうかなど、考え込んだ。

イドはつまり自分たちが、それほどの力を持つ存在になっていることなど知る由も無かった。知れる機会も、無かった。



くだらない、などと言った感情の機微を読み取ったのか。はたまた元よりそうするつもりであったのか。

王は口元を歪めて、一言言った。



「案内してやれ」




長々と、歩き続ける二人の姿。

イドはただ退屈に感じながら歩き続けた。



しかし、懸念点が二つ。



一つはすれ違う影に、ぴくりと不死者の気配がしたこと。

それは、ドルイドのもの。咄嗟に身構えたが、そこに居たのは陰気な少年のみ。それはまるで、『半分死んでいる』ように、陰気な。


気のせいか、と自らを無理矢理納得させて歩き続ける。どれにせよ、進み続ける以外の選択肢は無い。その少年に射殺さんばかりに睨まれている事を気付きながらも、ただ無視をして。




そしてもう一つは、横に歩くニコの様子。連れて行かされる何処かに近づくにつれ、見るからに様子がおかしくなっていっていた。

それは、無感情でどのような時も沈着な彼には想像し難い変化であり、前例の無い事故に、恐ろしく感じた。


何よりも、恐ろしく。

それは彼の体調と様子の変化、という即物的なそれではない。

ただそれは、その先に更にある不吉の予感のようで。








……






そうして辿り着いた部屋で魅せられたものは、陰惨な光景だった。まず目に付いたものは、生かしたままに身体を削り取られる岩の姿の不死者。身体を端から焼かれ、灰の精製装置に成り果てた不死者。身体を弄りまわされ、どこが顔でどこが背なのかすらわからなくなった、おそらくは不死者。死体と並べられて、次々に混ぜられていく体躯。


何の為にそうしているのかは、分からない。

資材として流用するためかもわからない。

辱めを与えるべく、拷しているだけかもしれない。

どれにせよ悪趣味でどうしようもない、腐った空間であることには間違いは無かった。




「…ああ?なんでお前ら、此処にいやがる」



知らない場所に、幾度も聞いた声。

振り向けば、血塗れのフロイの姿がそこにあった。



「…なんにせよ、見たか。ははっ、見ろよ。すげえ光景だろ?

幾千幾万の不死者の標本と実験台があるぜ。それも全部お前らのおかげさ。ははっ、ははははっ…」



「…フロイ」



「随分調子が悪そうだなぁ、ニコ?

イドもどうしたよ、なんだその目はよ。

なんか文句があるなら言えよ、ええ?」




からから、と、渇いた笑いをするフロイ。その姿は、人の感情に疎いイドであろうともあまりにもわかりやすく、そして痛々しくて見ていられたものではなかった。


あくまで悪辣に、辛辣に。

悪者であろうとする彼に、何も言葉を掛けずに背を向ける。せめてその虚ろな眼を隠さねば、そうは信じこんではもらえないだろうに。




「………どうしたんだ。

無事か、ニコ?一体、この先に何があるんだ?」



「…嫌だ」



「何?」



「嫌だ、嫌だ、嫌だ。

この先にあるものを見たくない。

俺は此処にあるものを見たくない。

勘弁してくれ、頼む、嫌だ、嫌なんだ」



「………!?」




ニコが、この男がこのように震える姿。拒否をする姿。全て、初めて見た。明らかに尋常では無い。帰投したい旨を随伴の兵に向けて提案する。

だがこちらに反応する事すらない。ただ、先に進めとだけ言われた。それを断る選択肢は、当然の如く無い。




「……ッ…」



「嫌だ、嫌だ、嫌だ…」




…地下に、地下に。

何十階も下がった先の巨扉。



ガゴォン。


それを開いた瞬間に、ニコが眼を見開いた。




「ニコ、これは…」



「…ああ、ああああ…ッ!」




そこにあるものは、巨大。

白く、肉が腐れどまだ輝く鱗。

大空の下に広げたのであろう翼。


そこにあるものは、竜の死骸だった。

否。まだほんの少し生きている。


かつては強大だったのであろう竜の恐ろしき威容。

今やそれが感じられないずたずたの肉袋だった。



イドは任務でドラゴンのその姿は、幾度か見た。

だがそれは敗残した幼いもののみ。

このような幻想に近しい位の竜は、初めてだった。



そして近くの古びた机に、さも、読めと言わんばかりに研究の日誌がある。早く読め、と兵士が急かした。その兜の下はきっと、下卑た笑みに染まっているのだろうと思いながら、イドは頁を捲った。



読み続けるにつれ、愕然とする。

それは、この竜の真実にでも無い。

ニコやゴイ達の出生のことにでもない。

ましてや、この城の成り立ちですらない。



ただ一つ。

この不死者研究の真の目的。

レムレス騎士団が作られた、理由が。





(…馬鹿な…この研究は、こんなくだらない…)




(…王の、不老不死。

そんな、そんなくだらないものの為か…!)



陳腐で、くだらなくて、自己中心的で、それでいて幼稚でつまらなく、何よりも意外性の無い、俗的な理由。


不死の力をその身に取り込めば、人間であろうとも不死になれるのではないかというその為だけに。竜の身体を無理矢理母胎に、『レムレス騎士団』を産み出した。それが、初めだった。


110番以降、新入りが居ない理由も明らかになる。

後天的に身体に不死の、ドラゴンのエキスを打ち込む事により、間の子と似たような性質を持たせる事が可能になった。

それが証明されたなら、もう実験台など必要ないと。




なんて事は、無い。

騎士団など、そう言えば体裁が良いだけ。

折角生まれたんだから、再利用をしてるだけ。


ペンを使う前の、試し書きに使った紙切れ。

それが、彼ら。

『レムレス騎士団』だった。




そうだ。

それをわざわざ教えるのはどのような目的か。

それも、今となってはわかる。


『あくまで、私の為のただの踏み台なのだ』と。

お前らは、そのような屑虫のような存在なのだから、逆らうな。そういう事を、言いたくて仕方がないのだろう。




イドの驚愕は、この目的に向けてのものではない。王の悪辣さであったりだとか、自らの身体に混ざっていた力が、このような幻想的な竜の力だったことでも、無い。



こんな事を平気でやってのける、王の幼稚さ。

もっと簡単に言えば。馬鹿さに、驚いた。

そうするリスクも、それをする為だけに機密を垂れ流すようなことすら考えなかったのだろうか。


きっとこの王国を築くまでに至った手腕は確かで、相当なものだったのだろう。だが歳を重ね、老いて、耄碌をした玉座は、このような役立たずの権威に成り下がってしまったのだと。そうして老いを自覚したからこそ不死を求めたのかもしれない。





ただ、横に蹲るニコを尻目に、呆然とした。

我らの存在はそのようなものか。

我らは、王都そのものにとって、そんな下らないものか。





俺の哀しみは。

こんな下らない浅慮が生んだのか。









……






帰路を歩き続ける騎士の二人。

イドもニコも、ただ無言だった。




「見たか、あれを」



「…ああ」



「あんなもので作られたのが俺たちか。

産まれたという表現すら似つかわしくない。

ただ造られたのが、この俺たちだとよ」




知識として、自分がどのように産まれたかは彼自身が最も知っている事だった。だが、それが実際に見た時、自らの出生を、存在を儚まないでいられるかということは、別の話だった。


ニコは明らかに、正常ではなかった。

その光景を見たからか。

光景により真実が判明したからか。

きっと、どちらも違う。




「…落ち着いてくれ、ニコ。

今のあんたは冷静じゃない」



「冷静さ、ああ、冷静だとも。そうだ、俺には感情が無いんだ。冷静に決まっているだろう怒りも無い、喜びも無ければ悲しみも無い」


「そうだ、無いんだ。じゃあなきゃ、ナナが死んだ時に涙の一片も流れない筈が無いだろう。そうじゃなきゃあいつが死んでも悲しまないなんておかしいだろう!俺は冷静だよ。冷静なままだよ。そうさ、感情が無いんだからな!!」



「ニコ、やめろ!自分を責めるな!」



「ああ、ああッ!じゃあ感情が無いのはあんなものから産まれたからか!?俺は心底から化け物で、化け物にすらなれない出来損ないだから感情も無いって事なのか!!人でもなきゃ不死者でもない、実験台ですら無いヤり損ないだからこんな欠陥品が出来たのかよッ!!」



「ニコッ!!」




感情が無い。感情が、無いなどこの姿を見たら誰がそのような事を言えるだろうか。その狂騒こそが感情の証明ではないかと、一言それで言えればどれほどよかっただろう。だが、互いにそれがわかるような精神状態ではなかった。


感情の皆無。

それを、ニコは延々と気に病み続けていた。彼が理解できず、羨望し、焦がれたもの。死にかけていたイド少年を拾ってまで同類を求め、安寧を求めたもの。


ただの焦燥で止まっていたそれは、ナナの死という出来事がそれに留まらせないファクターになっていた。

ナナの死すら、家族の死すら悲しませない自分が。




「うるさい、黙れ、黙れッ!110番、お前に何がわかるッ!お前は、お前は…ッ」


「お前は『人間』だろうがッ!」




「…………あんたも」


「…そうじゃあ、ないのか。ニコ…」




「……ッ!」




─顔が、大きく歪んだ。

そうだ。彼は今の発言で証明してしまったのだ。

他の誰でもない。

『自分自身』が一番、自らを怪物と思っていること。

心無い言葉でも、研究員からの誹りでもない。

彼自身が、人でなしだと、一番思っていることを。


イドは、自らを人じゃないかと言った。

それなのに、それを否定しているのは。

根本から、それを信じられないのは…



俺 じゃないか






「ああ、そうか、そっか、そうね、そうだ。

俺は、俺の、私の、俺が」



「ニコ…?」






「ハハハっ、ハハハハハハハハッ!」




びりびりと、肌が震えるような笑いだった。

無双の騎士、それがその身体全てを用いて、全筋肉を駆動させて、大声で、大声で嗤ったのだ。

この世を劈き、憐み、嘲る絶叫だった。




「はは、あは、はは、はははっ…」


「とり、みだしたな…」




ニコが、暫くしてから顔をあげた。

ああ、そこにあるものは。

その顔は、酷く、酷く。



酷く軽薄な笑みを、顔中に浮かべていた。




「…ははっ。もう、大丈夫だ。

さあ、イド。戻ろう。二人が待ってる」






…イドは、憧れの男から眼を逸らした。


ただ一つ、どうしようもない事実に眼を背けたかった。

背き切れない、悲しい事実。

目の前で消え失せた、彼の憧憬、尊敬。



彼の目から、その正気の光が消えたこと。

イドが背中を追った騎士が消えてしまったことから。それでも、眼を背けずにはいられなかった。








……





部屋に戻り、クシーの寝姿を見た。

まだゆっくりと眠るその姿は、それでも愛おしく。


その時に、改めて思ったのだ。


ただ、この為ならば戦い続けようと。

君の為ならば、何をしてもいいと。


ナナの遺言を胸に抱いて、そっと。

彼女の頬を撫でかけて、やめた。






壊れたものは理性と憧憬

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