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異世界恋愛短編

恋の鎖、愛の徴

作者: 糸木あお


 婚約者のレンドールは多分私のことが好きではない。嫌いでもないと思うがそれ以上に義務と罪悪感によって私に縛られている。


 数年前に貴族の子どもたちの集まりで私とレンドールは出会った。彼の綺麗な金色の髪に青い瞳を見て物語の王子様みたいだ、と私は思った。


 緊張しながらも話してみれば彼はとても優しく聡明で素晴らしい人だった。まだその時は柔らかく子どもらしく笑っていた。でも、それを私が壊してしまった。


 何度か大きな集まりに行けばレンドールがいて私は嬉しくなった。初恋だった。家格に差があるから婚約者の候補にすらならないだろう。子爵家の次女と侯爵家の嫡男、全くお話にならなかった。叶わないと分かっていても恋心は募るばかりだった。


 だけど、私の行動によって彼の婚約者になってしまったのだ。私はずっと彼を見ていたからレンドールの頭上に何かが落ちてくることに気付いた。あんなものがぶつかったら大怪我じゃ済まないと思うと身体が動いていた。


 およそ走るのには向かないドレスで私は走り、レンドールを突き飛ばした。彼は無事だったけれど私は右腕から背中にかけて大きな怪我を負った。薄い水色のドレスは赤く染まり、レンドールの顔は紙のように真っ白になっていく。美しい青い瞳がこぼれ落ちそうだった。


「君が、どうして……?」

「レンドール様が助かって良かったです」


 私はそう言った後すぐに気絶した。血をたくさん失ったことによるものだった。


 目が覚めるとそこは病院で、消毒の匂いがした。私の腕は包帯でぐるぐる巻きにされて添え木も当てられていた。私が目覚めたことに看護師が気付いて医師が走ってやって来た。そして、私の身体がどうなっているのかを説明してくれた。曰く、右手はリハビリしても前のようには動かせないらしい。そして腕から肩にかけての傷は消えない跡になるらしい。暫くは安静にしてそれから治療の計画を立てましょうと医師は言った。


 腕が動かなくなってしまったと聞いてショックを受けたが、私は後悔していなかった。あの高さからものが落ちてきて当たったのに随分怪我が少なくて幸運だと思った。死んでもおかしくなかったはずだ。それにレンドールが助かったのだ。だから、私はそれで良かった。生きている、私もレンドールも。こんなに嬉しいことはないと涙が溢れた。


 私が目を覚ましたと聞いてレンドールと侯爵夫妻がやって来た。そして彼らは私に対して深く感謝の意を伝えてから何度も謝罪をした。慰謝料も払われるらしい。私が何もしなくても一生生きていける金額だった。金銭での慰謝は彼らの誠意だろう。だから、ありがたく受け取ることにした。こんな怪我をした私の嫁ぎ先なんて無いだろうし、右腕が不自由になって家族に迷惑をかけることが心配だったので安心してしまった。私が礼を言っても彼らは何故か帰らなかった。長い沈黙の後、レンドールが口を開く。


「サフィニア嬢、僕は君に対して責任を取りたい」

「あの、もう充分していただけていると思います。それにレンドール様が助かって本当に良かったです。だから、気になさらないでください」

「いや、足りていない。だから、僕は君の面倒を一生見ると誓う。つまり、君を僕の妻に迎えたいんだ。サフィニア嬢、僕と結婚して欲しい」

「え……?」


 格上の家からの求婚を断れるはずがなかった。それに、打算的な私は彼と結婚できるという幸運に目がくらんだのだ。


 それからすぐに両親の顔合わせをして私とレンドールの婚約は調ととのった。侯爵夫妻も私のことを好意的に見てくれて、反対している貴族の風避けになってくれた。義両親が頑張ってくれていても全てを防げるわけではなく、お茶会に出るとレンドールを狙っていた令嬢たちからはとても恨まれて陰口を叩かれたし、転ばされたりドレスを汚されたりした。こんな古典的ないじめに遭うなんて思ってもいなかったけれど、みんなが手に入れたかった得難い人を婚約者にしたのだ。


 これくらいのことは甘んじて受け入れようと思った。それに、傷跡を隠すために肩も腕も隠したドレスを着ているとやっぱり悲しくなる時はあるのだ。だから、社交の場には行かなくなった。私が社交の場に出なくてもレンドールも義両親も咎めることなく気を遣ってくれた。


 レンドールと結婚するまであと一年になった。結婚自体は先月誕生日を迎えたのでもうすることは出来る。でも、お披露目や準備などがあるためまだ先なのだ。


 彼は婚約者としての義務を粛々とこなしてくれていた。細々としたプレゼントに完璧なエスコート、知的な会話に私の趣味のスケッチにも付き合ってくれた。怪我をした時、右手で良かったと安堵した。私の利き手は左手だったから。学園には行かなかった。いくら利き手が使えるからといっても迷惑をかけることは目に見えているからだ。元々社交は好きではないし、まわりの助けなしで生活できないのにそんな環境に飛び込む勇気はなかった。学園があるから長期休みしか会えないけれど彼が帰って来る日をいつも首を長くして待っていた。


 怪我をしてから私はあまり外に出なくなった。だから、その分絵を描いた。風景や動物、それに働く人々など色々。レンドールが私を支えながら景色が良い場所に連れ出してくれた。それに動かなくなった右手を優しくさすってくれる。


 その時、いつも彼は悲しい目をする。それはきっと私によって未来が閉ざされたからだ。背中の酷い傷跡のせいで綺麗なドレスも着られない社交下手な妻を彼は娶らなくてはいけない。それも義務と罪悪感によって。レンドールは私をなじったりはしないし親切だ。でもどこか遠い。当たり前だ。元々私なんて彼の視界にも入らないような存在だから。


 彼は私といてたまに固まる時がある。私から触れるとそうなる事が多いからいつからかそれをやめた。嫌悪まではいかないと思いたいが好意がないことは流石にわかる。レンドールはきっと私を好きじゃない。


 たまに出なくてはならない社交の場ではレンドールが付きっきりでいてくれる。それでも彼に話しかける令嬢は多い。でも、レンドールは彼女たちに優しくしない。私の気持ちはそれだけで満たされた。特別なんだと思っていた。シャーロットに会うまではそう信じていた。


 シャーロットはレンドールの学園での級友で公爵家の三女だ。とても優秀なのにそれをひけらかさず、親切で見た目もとても可愛らしい。彼と釣り合いの取れた女性だ。


 元々レンドールとシャーロットは仲が良く、将来的には婚約させようと親同士は考えていたようだ。私は腕が不自由だから領地で家庭教師に勉強を教わったが、普通なら貴族の子どもたちは人脈や就職先を得るために学園へ通う。


 学園は全寮制なのでレンドールとは長期連休しか会えなくなってしまった。とても寂しいけれど私は侯爵家の妻になるための教育を受け始めた。勉強はまあまあ出来る方だがマナーやダンスは苦手だった。片腕が使えないというのは思った以上にそれらのことを習得するための障害になった。そのかわり絵に没頭して何枚も何枚も同じ風景を描き続けた。不出来な自分のことが嫌になって逃げ出したいと思うこともあった。


 それでも、レンドールの隣に立つために私は努力を続けた。義両親は私に対しての罪悪感からずっと優しくしてくれていた。レンドールの婚約者、それは腕の代わりに得るには大きすぎるものだった。


 学園が長期連休に入った時、レンドールと一緒にシャーロットがやって来た。二人の距離は近くて、レンドールは彼女に対しては自然に微笑んでいた。それを見てとても胸が苦しくなった。レンドールとシャーロットが並んでいると美男美女でとてもお似合いだった。


 シャーロットとはあまり会う機会がなかったので親しいわけではないけれど、他の令嬢たちのように意地悪をしてくるわけではないので優しい人だと思う。昔、シャーロットがレンドールの婚約者候補だったと聞いた時、私のせいであの二人が結ばれなくなったのかと後ろめたい思いをした。でも、私は何も言えなかった。


 そんなシャーロットが異国に留学している兄から怪我や後遺症に効くという薬を貰ったという。傷跡すら消してしまうという魔法のような薬だ。それはとても貴重なものだが、私のために持ってきてくれたらしい。その話を聞いている最中、私の身体はずっと震えていた。怪我が治ったら、私は用無しだ。もう、レンドールの隣にいられなくなる。


「そんな貴重なもの、貰えません」

「サフィニアちゃん、これは願ってもない機会よ。今を逃したら何年後になるかわからないわ。あなたのためなのよ」

「お義母様……わかりました」

「良かったわ! サフィニアさん。これを飲んで。少し熱が出るかもしれないけれど明日にはきっと良くなるわ。あなたには元気になって欲しいの」

「シャーロット様、ありがとうございます」


 シャーロットから手渡された小瓶の中にはキラキラと虹色に光る液体が入っていた。蓋を開けて匂いを嗅ぐと薬草のような青い香りがした。これをこのままこっそり捨てて、治らなかったと言えば周りは信じてくれるだろうか。私が薬を捨てようかと迷っているとドアがノックされシャーロットが入ってきた。彼女はニッコリと微笑むとこう言った。


「その薬はね、味はあまり美味しくはないみたいだから口直しにお菓子を持ってきたわ。サフィニアさん、あとは勇気を出すだけよ。大丈夫。毒なんかじゃないから。あら、その手じゃ開けられないわよね。配慮が足らなかったわ。ほら、わたくしが開けてあげるわ」

「は、はい。頂きます」


 シャーロットが渡してきた瓶の中身を一気に飲み切ると甘くて苦い後味が襲ってくる。私が薬を吐き出さないことを確認するとシャーロットは宝石のように美しいチョコレートを渡してきた。見られているのでチョコレートを口に入れて飲み込んだ。きっと高価なものなのだろうが味はあまり分からなかった。


 それを見てシャーロットは満足気に微笑み、部屋から出て行った。


 彼女がいつ帰ったかはわからない。薬を飲んでから少し鋭い頭がくらくらして立っていられなくなり、休むことにした。


 夜中に目が覚めるとじっとりと汗をかいていて枕元の水差しから水を飲んだ。寝つきが良くなるハーブティーをいつも侍女が用意してくれるのだ。そのまま眠って朝が来た。目覚めた時、右手に違和感があった。違和感を感じることがそもそもなかったはずなのに。ネグリジェをめくるとそこには醜い引きつれも傷もなくなっていた。彼を助けたしるしはもうない。三年ぶりに右手を動かす。私は急いでレンドールの元へ向かった。


 その途中でシャーロットに出会った。彼女は私に駆け寄って来てそのまま手を引いた。腕に傷痕がないことを確認してから笑顔で話し始める。


「良かったわ、サフィニアさん! これならすぐに右手が使えるようになりそうね。練習すればきっとすぐよ。醜い傷跡も綺麗に消えているわ。ああ、本当に良かった」


「シャーロット様、本当にありがとうございます。まさかこの怪我が治るなんて思いませんでした。貴重な薬をくださってありがとうございます」


「ええ。良いのよ。わたくしはずっとあなたの怪我が治るのを待っていたのだから」

「ありがとうございます。全てシャーロット様のおかげです」

「ふふふ、そうね。それならあなたがこれからしなければいけない事は何かしら?」

 

 彼女の薄桃色の唇が弧を描く。でも、目は全く笑っていない。彼女は私の口から言わせたいのだ。それでも、往生際が悪い私が黙っているとシャーロットの声が低くなる。


「ねえ、サフィニアさん。あなたの怪我は治りました。わたくしのおかげで、ね? だからもうレンドールのことをもう解放してあげて。あなた以外はみんなそれを望んでいるわ」


 私以外はみんな、と聞いて目の前が真っ暗になった。優しい義両親もそう考えているの? それにレンドールも私から解放されたいのかと思うと涙がぽろぽろと溢れた。とても淑女らしくないところを見られてしまい顔が熱くなる。


「良いのよ、悲しいわよね? あなたはレンドールのことが大好きだもの。昔からずっと彼一筋よね? でも、レンドールはそうじゃないかもしれないわよ?」

「サフィニア様、私は……」

「その先はレンドールに言ってあげて。あら、目が真っ赤だから冷やしてから彼のところに行くと良いわ」


 シャーロットはそう言うとそのままどこかへ行ってしまった。彼女の言葉が頭から離れない。義務感や罪悪感があっても、それだけではないと思っていた。家族愛や情のようなものがあると信じていた。でも、実際には怪我が治れば用無しだったのだ。優しい義両親も誠実な婚約者も嘘だったのだと思うと鼻の奥がツンとしてまた涙が溢れた。暫くそこで休んでから私はレンドールの部屋に向かった。


 ドアをノックすると中から返事が聞こえた。


「誰?」

「レンドール、私よ。サフィニア」

「ああ、どうぞ。ちょっと待ってて。扉を開けるね」

「ううん。大丈夫」


 私が両手で扉を開くところを見て彼は息を呑む。彼の顔色は私が怪我をした時のように真っ白だった。そして私のそばに来て右手を握った。


「サフィニア、怪我が治ったことを誰かに見られた?」

「……うん」

「そうか。治ったことを誰に話した?」

「さっき、シャーロット様に会ったの。シャーロット様は私の手を引いて……ううん、何でもない」

「そうか。もう、知られてしまったんだな……」

「ねえ、レンドール、私はもうあなたのそばにいられない。怪我が治ったなら私よりもっと相応しい人を妻に迎えるべきよ。例えば、シャーロット様のような人を」


 そう言うとレンドールの顔が苦しそうに歪む。私は事実を言っているだけなのに。私以外はシャーロットとの結婚を望んでいるのだから。


「君は、どうしてそんなことを言うんだ」

「わ、私よりもシャーロット様のほうがあなたに相応しいわ。家格も教養も美しさも全て彼女の方が上だもの。だから、あなたとの婚約を解消したいの」

「それは、うちの両親にはもう伝えた?」

「いいえ、まずはあなたに伝えようと思って」

「そう、なら良いんだ。良かった。まだ間に合う」

「レンドール……?」


 レンドールが急に私を抱きしめた。今までそんな風に強く抱きしめられたことがなかったから困惑する。彼は私のことが好きじゃないはずなのにどうしてこんな事をしているのだろう。疑問を抱きつつもレンドールの顔を見ると彼の目からは大粒の涙が溢れていた。


「ねえ、サフィニア。僕は君を、愛しているんだ。どうしても離れられない。君を僕のものにするにはもうこれしかないんだ。許さないで良いからそばにいて欲しい」

「……レンドール? どうしたの?」


 レンドールはどこからか取り出した細いブレスレットを私の右手首につけた。すると黒い煙が渦巻き、消えていく。


「レンドール、これは何?」

「サフィニア、教えて欲しいんだ。君は僕のことを少しでも好意的に見てくれている?」

「ええ、あなたには幸せになって欲しいと思っているわ」

「そう。僕のせいで右手が動かなくなって仕方なくなし崩し的に婚約させられたのに恨んでいない?」

「そんな風に思ったことはないわ。私はあなたのことを……ずっと好きだもの」


「なら、受け入れてくれる? この呪いは対象の承諾がいるんだ」

「呪い? あなた何を言ってるの?」


「もう時間がない。君はこれから僕の代わりに呪われる。呪いはかけたものしか解除できない。僕は呪いをかけたものを一生かけて探すふりをする。君が二度も僕の命を救ったとなれば今度こそ反対するものはいなくなる。お願いだから受け入れて欲しい。僕は君としか結婚したくないんだ」


「レンドール、それは本当?」

「ああ。だから僕の願いを叶えて」


 心臓が早鐘を鳴らし、口の中がカラカラに渇いている。これから私がすることはきっと正しくないことだ。それでも、他に選べることなんてない。


「それは、どうすれば良いの?」

「君が心から願えばその煙が君の腕にしるしをつける。美しい蔓薔薇の紋様が浮かぶはずだ。大丈夫、痛みはないはずだ」

「……わかった」


 私はまた右腕の自由を失う。前回の咄嗟の行動とは違って、強い自分の意志によって。レンドールのそばにいるためにそう決めたから。ブレスレットに触れて、呪いを受け入れると願う。すると、鎖は砂のように崩れる。私の右手から肩にかけて黒い蔓薔薇の紋様が刻まれた。不思議だった。痛みはないのに腕に全く力が入らない。禍々しい呪いの跡が私とレンドールを繋ぐ新しい鎖になったのだ。


「ねえ、サフィニア。これは僕と君の秘密だ。死ぬまで誰にも喋ってはいけないよ。愛してる。だから、もっと君を縛り付けたい。僕のことだけを考えて、頭の中を僕でいっぱいにして欲しい。やっと、君を手に入れられた」

「どういう、意味……?」


 彼の熱っぽい瞳に見つめられて、私は身動きが取れなくなってしまう。レンドールの手がそっと私の頬に触れる。そして、顎を持ち上げられた。ゆっくりと彼の顔が近づいてくる。その意味を理解して目を閉じると柔らかなものがくちびるに触れた。最初は触れるだけだった口づけはどんどん深くなり息が止まりそうになる。少し抵抗をしてみても抱き締める力が強くなるだけだった。


「レンドール、離して。もう行かないと」

「そうだね。みんなに説明しよう。君の献身のことを」

「……本当に良いのかな?」

「良いんだよ。これからずっと二人だけの秘密だ。ああ、早く君と正式な夫婦になりたい。もっともっと君を僕だけのものにしたいよ。嫌じゃないよね? 君はさっき僕のことが好きだと言っていたもの」


 レンドールがとろけるような笑みを浮かべる。もう、後戻りは出来ない。私は一生彼から離れることができない。



*********



 彼女が僕を庇って怪我をした。水色のドレスが赤く染まっていくのを見て手が震えた。それは彼女が大怪我をしたから、というのもあったが彼女を自分のものに出来る機会が回って来たことに対する興奮だった。本来ならば釣り合わないと反対されるだろう。でも、今ならばそれをひっくり返すことができる。


 彼女が僕の命の恩人なら、両親だって彼女を歓迎する。彼女の人柄を知ればきっと好きになるだろう。気を失った彼女の血塗れの手を握る。小さくて冷たい手はとても柔らかかった。


 初めて彼女に会った時、柘榴のような赤い瞳を見てこの子が欲しいと強く思った。他人に対してそんな気持ちを持つことは初めてで、これが恋だと知った。


 彼女が人見知りで大人しいのを良いことに他の人間を近づけないようにした。サフィニアは僕が話すことをいつも楽しそうに聞いてくれて嬉しかった。僕は度々そばに座る彼女の桜貝のような形の良い爪を口に含んでみたいと思っていた。


 彼女をどうにか自分のものに出来ないかを何度も考えたけれど、お互いが全てを捨てれるなら一緒にいられるかも知れないが、僕の家がものすごく没落しない限りは彼女との結婚は難しいという結論に至った。


 そう思っていたから、彼女の怪我は僕にとっては好機になった。好きな相手が自分を庇って怪我をしたのに彼女のことを手に入れる算段をしている自分のことが浅ましくて血の気が引いた。それでも、こんな機会を逃すほど愚かではなかった。


 結婚を申し込んだ時、彼女の顔に浮かんだのは驚きでも喜びでもなく、困惑だった。それでも家格が上の家からの縁談なので断られることもなく調ととのった。彼女はとても真面目で努力家で慣れない環境の中でも頑張っていた。


 少しずつ敬語が取れて微笑んでくれるようになったが、僕が彼女に抱くような気持ちはサフィニアにはないのだろう。それでも、婚約者という立場で彼女と一緒にいられるのは幸せだった。


 サフィニアが真剣に絵を描く姿を見ていると自分も頑張ろうと思えたし、独特の感性の詩も可愛くて好きだった。彼女と一緒にいる時間が増えれば増えるほど想いが深まっていく。でも、彼女から僕に対する愛情はこれからゆっくりと育てて貰えば良いと思っていた。


 しかし、学園に通っているうちに隣国にはサフィニアの怪我を治し得る薬があるということを知ってしまった。様々な方法でそれがこの国に入らないように手を回したが、結局シャーロットの兄経由でサフィニアに届けられた。サフィニアは怪我が治ればきっと婚約破棄を願うだろう。昔のように無邪気に触れてこなくなったし、何故か彼女はいつも僕に怯えている。理由がなくなれば畏れ多いと逃げるのはわかりきっていた。だから、その可能性を潰すために用意していた呪具を使うことにした。これは保険だったのにシャーロットのせいで使うことになった。


 シャーロットが僕に好意を寄せてる事は知っていたが利用するためにそのままにしておいたのがいけなかった。サフィニアのためと言いつつ自分の欲望のために彼女は薬を持ってきた。両親を巻き込んで断れなくしてサフィニアに飲ませたのだ。


 僕とシャーロットは似ている。目的のために手段は選ばないところと、一見親切に見えるように振る舞うところがそっくりだ。そういうところに嫌悪感すら覚える。学園にいた頃もそういう手を使って僕に近付く令嬢たちを蹴落としていた。


 彼女の計算高さも僕への執着もわかっていた。それでもこんなに短絡的な手を使ってくるとは思わなかった。お人好しのサフィニアは見事に策略に嵌り僕との婚約を解消したいと言ってきた。


 きっとここまではシャーロットの計画通りだろう。でも、彼女は知らない。僕が心の底からサフィニアを望んでいることを。まわりと同じく罪悪感による婚約だと思っているのだろう。婚姻可能年齢になればすぐに結婚するつもりだったからあまり外に出さずにいたのも良くなかった。サフィニアに嫌われるのが怖くてありきたりの事しか出来なくなっていた。好意を伝えすぎて気持ち悪いと思われたくなかった。プレゼントも態度もよそよそしく思われていたのだろう。でも、僕にはそれを改善する勇気がなかった。


 サフィニアを支えながら執務室に向かう。ノックしてから扉を開けると両親がいた。その近くには多分サフィニアのお祝いのための鉢植えが置かれていた。父も母もサフィニアのことを大切に思っているから今さらシャーロットとの縁談が出ても断るとは思う。それでも不確定要素は消しておきたかった。


「レンドール、どうしたんだ?」


 僕はサフィニアの服の袖を捲り、彼女の右腕にある蔓薔薇の模様を彼らに見せる。禍々しいそれに対して父も母も酷く驚いていた。


「レンドール、それは何だ……? 私には強い呪いの跡に見えるが……」

「はい。僕を庇って彼女は呪われてしまいました。僕はサフィニアに命を二度も救われました。だからこの先ずっと側で彼女を支えたいのです。勿論、呪いを解く方法は探します。彼女を保護するために一刻も早く結婚をしたいのです。父上、どうかお願いします」


「サフィニアの元々の傷跡はどうなったんだ?」

「彼女の腕は薬の力で一度は治ったのです。しかしこの通り、今は右腕に呪いの紋様が刻まれています。呪いを解かない限りサフィニアの腕は一生動かないでしょう。そんな風にしてしまったのは僕の責任です。でも、婚約者という立場では出来ることが限られてしまいます。必ず犯人を捕まえます。だからどうかサフィニアとの結婚を早めることを了承してください」


「わかった。サフィニアのご両親にも連絡しよう。大丈夫、サフィニア。君は何も心配しなくて良いんだよ」


 サフィニアは安堵したようで顔色が少しだけ良くなっていた。きっとネガティブなことを考えて自分を追い詰めていたんだろう。可哀想なサフィニア。これからはきっと幸せにする。サフィニアは僕のことが好きだと言っていたし、僕は彼女を愛している。もう逃げる必要なんかない。だって僕達には誰にも言えない秘密があるのだから。


 その日の夜、僕は彼女の腕にある蔓薔薇の紋様に優しく触れた。彼女の柘榴色の瞳が揺れるのを見て身体が熱くなった。早く結婚して彼女の全てを僕のものにしたい。愛してる、サフィニア。僕は君を一生離さない。

読んでくださってありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 蔓薔薇の紋様の妖しさが美しくて良かったです。
[一言] イケメンのヤンデレはおいしいですね。結婚が成立したら、レンドールはサフィニアの呪いを解いて、腕を元通りにしてくれるんですよね⁉️呪いをかけた者を「一生かけて探すふり」って言ってたけど、サフィ…
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