ベターハーフ 幸せを掴むためにあがきます
十二歳で行かず後家になってしまった。
子どもの夭逝はめずらしくもないことから周囲の反応は薄かったけど、医療技術の発達したところからきたわたしは驚きを禁じえなかった。
そして、落胆した。
お見合い(政略結婚)というのは引っ掛かるけど、のべ二十八年目にしてようやくわたしにも春がきたとおもったら、始まる前に終わってしまった。
肖像画で見た限りでは鼻筋のとおったいい男だから惜しいことをした。
ま、お見合の写真と同じで盛ってる可能性はあるけど。
うちより家格が上で領地が王都に近いから逃がした魚は大きい。
あ、自己紹介がまだでした。
わたしの名前はサクラ・カーカム。サクラというこちらに存在しない木の名前になったのは、産まれてすぐに発した言葉がそれで、本来ありえない行為に、神の意思によるものだろうということになって、用意していた長ったらしい佳字を破棄してテストの時に時間のかからないそれにしたんだと。
神さまも粋な計らいをする。
これも使い回しとなるのかな、かな。
こちらの世界のキラキラネームと──またはダサい名と──なってなければいいんだけど、今のところはおべっかを使わざるをえない人たちとしか接してないから真意は不明です。
さすがに産まれたばかりの記憶なんてないから人から聞いたものね。
察しのいい人ならとっくにわかってるとおもうけど、わたしは転生者です。
ぼんやり系転生者とでもいうのかな。
ちょっとぽっこりしてきたお腹の解消にヨガを十分ほどみっちりやってシャワーで汗を流して布団に潜りこんで、せめて夢のなかくらいはとおもったか、フラストレーションの発露でお菓子のお家を貪ってると、翌朝、目がさめたら寝ぼけまなこに飛びこんできたのは大きなベッドの天蓋でした。
普通なら飛び起きる場面なんだろうけど、わたし、朝が弱くて……。
これが、倉庫の片隅にでも転がってたら悠長なことはいってられないけど、待遇がいいことだし、そう、慌てることもないのかな、って。
考えるのが億劫で二度寝しちゃった。
驚いたのはメイドさんに起こされた後ね。
ひと晩経ったらわたしは十六歳の高校生から六歳の少女になっていた。
だから、じぶんの管理する世界の住民を特別な力で好きなように蹂躙していいよとそそのかす、本当は悪魔なんじゃないのと疑う白髪の老人も、木で鼻をくくる対応が災いしてプレイヤーに堕ちる青髪の女性とも会ってない。
別に会いたいともおもわないけど──気があえばいいけど、うっかり、失言で怒らせたら怖いじゃない。わたし、おもったことをそのまま口にすることがあるから──転生者に選ばれた理由はしりたかったな。
聞き齧った知識だとこの手の転生は、不遇な生活の総仕上げがトラックだった人のご褒美らしい。あ、女性の場合は病死のパターンもあるから、わたしはそれになるのかな。病弱じゃないし、死んだ実感が、全然、ないんだけど。
要するに未練たらたらで輪廻の輪から解脱できない人たちってこと。
だから、疑問が残る。
恋愛と近視と方向音痴を除けば、むしろ、恵まれた部類にはいるわたしが、なぜ、転生者に選ばれたのだろう?
ゲームとアニメと読書と愛猫の世話で目の回る日々を送っていたはずなのに。
ゼロと一の世界を介していっぱい人と交流してたし……。
──あれ、なんでだろう、目頭が熱くなってきた。
人前で簡単に涙を流すのは詐欺師と相場が決まってるから話題を変えるね。
冒頭の行かず後家にもどる。
これ困ったことなのよ。
ごまかしてもしょうがないからはっきりいっちゃうけどうちって貧乏らしい。そりゃ、子爵さまよ。領地も広いわ。でも、大半が未開発で、これといった特産品がなくてとれるものときたらありきたりのものばかりだから利益が薄い。
王国の初代と特別な縁で優遇されているから──ご先祖さまが竹馬の友でなんども死線をかいくぐった仲らしい。暴徒から庇って額に負った金創のおかげで出費を強いるお役目は免除されているし、領地替えも、まず、ないという親戚も同然の扱いです──なんとか子爵家らしい体面は保たれてるけどそれも限界にきてる。手をこまねいていたらFカップのブラをつける前に破綻する。どうせBどまりだろう? だったら、一生安泰だというまぜっ返しはなし。前回の反省を活かして、適度な運動と睡眠とバランスのとれた食事を心がけているんだから。
政略結婚が頓挫したから資金と知識を引っ張る相手がいなくなっちゃった。
代わりを探してるけどそうすぐには見つからないでしょう。
先の未来を想像しただけで頭が重くなる。
元いた世界の生活に慣れ親しんだわたしからしたら今の生活だって不便におもうことがあるのに手元不如意で質がさらに落ちるなんて考えたくもない。
お風呂は贅沢だから水浴びで我慢しろなんて死んでもごめん。ま、睡眠時無呼吸症候群とかで、いっぺん、死んでるのかもしれないけど。
なんとしてでも改善しないと──。
でも、いうは易し、おこなうは難しなのよ。
パパと家を継ぐ予定の兄はどちらも経済に疎い。いや、二人だけじゃないか。国替えの心配がないのに資本を投下してこなかったんだから家系ね。
お金に困ったら安易に増税すればいいと考えてる人たちを説得するのは骨が折れる。保守的な人たちだから画期的な提言であればあるほど難色をしめすのが目に見えている。庶民が誰しも通える学校を作って人材の底上げをしたいなんていったら、下々に知恵などつけたら統治が難しくなる。王都で直訴なんかされたらいい笑いものだって反対するでしょうね。現行の優秀な子をピックアップして侍らせる方式じゃ、優秀な繰り人形どまりでしかないのに。
ああ、独裁者みたいに顎で指図できる立場だったらどんなによかっただろう。
腐っても異世界転生者。
無人島でのサバイバルから道場破りの時に気をつけることまで──あらかじめ窓を開けておくなど──漫画とアニメを通して知識は広く浅く得ている。そのうちのどれかひとつくらいは即戦力になるんじゃないかしら。
ピンチヒッターの時は例外で女性が当主になれるというから、いっそ、パパと兄には不慮の事故なり病気で退場してもらうことにして……もうしわけない気もするけど背に腹は代えられない。権謀術数は封建社会のたしなみだし。多かれ少なかれお家騒動なんてどこにでも転がっている。要はバレなきゃいいのよ、バレなきゃ。
やっぱり、定番の毒殺かな。
となると石見銀山猫いらず──ヒ素になる。
あ、駄目だ。
うちの食器は銀製品だから変色しちゃう。でも、不純物の硫黄をしっかり除去すると黒くならないというから使えるか。
こちらの世界にそこまでの精製技術はあるのかしら?
社会派ミステリーの大御所にあやかって青酸カリ(青酸ソーダ)?
ベラドンナというと風情があるけどオオカミナスビだとなんかなあ。
舞踏蜘蛛に咬まれて狂ったように踊り果てるというのもなんか趣があって貴族っぽくていい。
「お嬢さま」
メイドの呼ぶ声。
ああ、もう、こんな時間か。
貧乏暇なしで深窓のご令嬢とはいかないのよ。
そういうことで、身の上話は、また、手が空いた時に、ね。
わたしはメイドを従えて庭にでた。
薙刀の練習です。
もちろん、発案したのはわたしです。
元いた世界と較べて治安が悪いから武芸のひとつも身につけていたほうがいいかなとおもって。
なるべくなら返り血を浴びたくないから遠距離攻撃できる武器が欲しかった。
別に槍でもよかったんだけど、高貴な女性の得物とくれば薙刀のほうがふさわしいかなって。男にまじって稽古する勝ち気な麗人役はわたしの柄じゃない。
銃刀法はないし、ジュネーブ条約や人権? そんなのしったこっちゃないって世界だから無手は心もとない。
懇意の武具屋にお願いして作ってもらったんだけど説明に苦労した。失敗作は十振りじゃ利かない。領主さまの愛娘じゃなかったら断られてるとおもう。
今日は素振りをするだけなので本身を選ぶ。
少し離れた場所で弓の稽古に励んでいた人たちが気になるらしくこちらにチラチラと視線を送る。
珍妙なものを振りかざしてという軽侮はそこにはなかった。
実績があるから。
金目のものが唸ってると誤解した泥棒が、わたしの稽古につきあってくれたメイドのゾーイに脛を切られて苦鳴を洩らす姿を目撃すれば慢心は雲散霧消する。
一心不乱に振り続ける。
さっそく漫画で得た知識を活かして型をする。
ヒロインが古武術の家のひとり娘というベタな設定に食傷気味だったけど、せっかくしりあえたのもなにかの縁と読んどいて本当によかった。じぶんでじぶんを褒めてあげたい。なんでもそうだけど好き嫌いはなくしとくものね。
たっぷり汗を掻いた後はお部屋で勉強が待っている。
読書の時間です。
昨日は建国の歴史を学んだから今日は詩や物語を覚えることにする。苦手だけど、貴人のたしなみだから避けて通ることはできない。気の利いた科白のひとつもいえないようじゃ不調法者と笑われる。
ノックがあったのは、歯の浮くセリフのオンパレードにさすがに恋愛漫画好きのわたしでも首筋を掻きむしりたい衝動に耐えていた時でした。
やってきたのはパパです。
普通はメイドを介して呼びつけるのが家長のあるべき姿なんだけど、パパって娘を溺愛してるからこういう横紙破りはしょっちゅうある。
ついでにいうといいとこのお嬢さん出であるママは礼法にうるさい。奇行が娘のみに向けられているので黙認しているけど苦々しくおもっている。元いた世界でいうところのお局さまタイプね。悪い人じゃないんだけど会うと気疲れする。
「ちゃんと勉強しているようだね」
「はい、お父さま」
咄嗟にわたしは猫を被る。気さくに話しかけても喜ぶからどっちでもよかったんだけど、これもお嬢さまらしい振る舞いの訓練になるかなって。
「これなら大丈夫そうだ」
パパはひとりで納得する。
「なんの話?」
「学校の話だよ」
「──?」
「来年、エルドラド学園に入学する。入試が危ういような学力だったら王都から優秀な家庭教師を招かないといけないとおもってたから安心したよ」
わたしが怪訝な顔をしているのに気づいてパパはいう。
「あれ、いってなかったかな」
うん、初耳です。
「エルドラド学園はしってるね?」
「ううん」
それも初耳です。
「男女共学の王都でもっとも歴史と格式のある学園だよ」
「そこにわたしが?」
「貴族のたしなみと少しのしがらみでね」
なんか含みのあるいいかただけど、今、気にするのはそこじゃない。
男女共学の学校で貴族が机をならべて勉学に励む。
学園ものの乙女ゲームじゃあるまいし。
え、まさか、ここってゲームの世界?
でも、そんなゲームはプレイしたことがない。神さまが嫌がらせで未プレイのを選んだ? エッチなゲームって可能性もあるか。それだとどうなっちゃうんだろう? やだ、想像しただけで体が火照ってきた。
ま、確証はないし、形而上の話は苦手だから無難に現実世界として考察する。
おかしい。
絶対におかしい。
人質で貴族の妻子を王都に留め置くというのならわかる。
わざわざかき集めて勉強させるというのは理解に苦しむ。
不慮の事故があったら──それこそ、喧嘩がエスカレートして殺人事件に発展して被害者が嫡統だったら上を下への大騒ぎになる。
そもそも、子どもとはいえ、貴族の横の繋がりは下剋上を警戒する王家からすると制限しなきゃいけないことじゃないのかしら。
少なくとも、わたしが元いた世界で読んだ歴史物はそうだった。
ひとつ可能性が浮かんだ。
もし、それが正解だったらこちらの偉い人も、案外、やる。
臣下の家を訪ねて饗応をうけた足利義教や織田信長よりスマートだ。
でも、それだとわたしには凶報に等しい。
そんなわたしの困惑などどこ吹く風でパパは話をすすめる。
「あくまで勉強をする場所だからね。破談になったから遠慮する必要はないって男友だちと遊んでばかりじゃ困るよ」
ま、玉の輿に乗るのなら話は別だけど、とパパはいう。
「──お父さま」
「なにかね?」
「お金は大丈夫ですか?」
「国の補助があって授業料が抑えられているから心配はいらない」
あ、この人、顔がいいだけで残念な人だ。
授業料なんておまけもいいとこ。子爵家の娘が王都で生活する。寮暮らしになるのでしょうけど、それでも体面を維持するとなるとお金がかかる。王都は物価が高そうだからいろんなものが割高だろうし。
うちにそんな余裕はあったかな?
わたしは即座に首を横に振る。
考えるまでもなかった。
どうしよう?
辞退する?
無理ね。それはいくつかある選択肢のなかでも下から数えたほうが早い悪手だとおもう。子爵家が娘ひとりを学園に送れないなどしれたらいい笑いものよ。それに、わたしの読みがあたっていたら、子どもに箔をつけるのと引き換えにたっぷり散財させようとする王家の腹積もりに反することになる。
行くしかない。
生活費はバイトして稼ぐ──ううん、それは元いた世界の発想ね。
現地調達が無理ならここで稼ぐしかない。
でも、どうしたら?
手持ちの宝飾品を売ってもたいした金額にはならないでしょう。
やっぱり、パパと兄がたて続けに不慮の事故に遭ってもらうしか──。ピンチヒッターで爵位を継げば学園なんか通ってる場合じゃなくなる。
うーん、難しいか。
小娘とあなどった重臣たちが好き勝手しそう。うん、その確率はオリハルコンより硬い。今だってパパと兄がボンクラなのをいいことに着服してるのに。はっきりとした証拠はないけどそうに決まってる。身なりがどうも分不相応なのよ。チラッと見えた裏地に金糸銀糸の刺繍があったり……。それに、昔からいうじゃない。盗みを働かないのは殿さまと馬だけ、だって。
じぶんの息のかかった相手とくっつけて裏からカーカム家を支配しようとするのもでてくるでしょう。
いっそ、わたしを消して遠縁の者を擁立するとか。
そこまでゴタゴタが続けばさすがに王家からなんらかのペナルティがありそうだけど、例え領地を減封されたとしても頂点にたてるのは抗しがたい魅力でしょう。もっとも、一週間も経てば金欠に青くなるだろうけど。
「顔色が優れないようだけどどうかした?」
能天気な声にわたしは現実にもどる。
「なんでもない」
わたしは笑ってごまかす。
貧すれば鈍する。
財政再建よりまずは近々に迫った生活費の捻出に専念する。
後のことは卒業してから考えてもまにあうでしょう、たぶん。
それに学園先で結婚相手を見つけるという手もあるし。
──学園生活か。
どうなんだろう、わたしうまくやれるかな?
友だち作れるかな?
貴族の学校生活ってどうなんだろう?
虫も殺さぬ顔したお嬢さんと紅茶を飲みながら音楽や演劇の感想を熱く語ったりするのかしら。それで、ママと同じく礼法に厳しいうるさ型の上級生の重箱の隅をつつくような嫌みを慇懃無礼でやりかえしたりする?
それって元いた世界の学校よりハードル高いんじゃ──。
あれ、想像したら胃が痛くなってきた。
生活費の捻出より先に胃薬を飲むとしよう。
前途多難だ。
わたし、どうなっちゃうんだろう?
上目づかいでパパを見る。
頼るべき保護者がこのていたらくだもの。
普段なら好ましくおもう屈託のない笑顔が今日ばかりは腹だたしかった。
女性を主人公に据えた話を書きたくて試してみました。
ちょっとした気分転換です。
少女漫画のような話を好むかたで、お、門外漢にしてはよく書けているなとおもっていただけた人は「かくれんぼの次は──」もよろしくお願いします。
他は読まなくて結構です。むしろ、幻滅します。