魔法使いの鳥3
「部屋は二階を使え。あと、これを持っていろ」
そう言って魔法使いは、リノに珊瑚色の鍵を手渡した。
「鍵は常に締めておくように。お前が部屋に居る時も、居ない時もな」
「あの、……私が持っていてもいいのですか? 」
「おかしなことを聞くな」
「おかしいでしょうか」
「私がお前の部屋の鍵を持っていても意味がないだろう」
「……」
勝手に逃げたら死ぬ。そんな物騒なことを言ってリノを脅したくせに。
逃げられまいという自信か、逃げる先などないと知っているからか。
「もし、私が部屋に閉じこもって出てこなくなったらどうするのですか」
「どうせ腹が減ったら出てくるんだろ」
「ぐうの音も出ないわ」
リノは手のひらの鍵を握りしめた。たったひとつの鍵だけで、居場所ができた気がした。少しだけ、リノの心が軽くなる。
掃除。洗濯。料理。それと鳥の世話。それがリノに与えられた仕事だった。
家事は家でもやっていたので、問題はなさそうだ。
魔法使いの家らしく、ここは至る所に魔法が掛けられていた。魔法を乱さなければ、辛い水くみも、面倒な火起こしもいらないという。減らない水瓶。燃え続ける暖炉。冬を閉じ込めたという貯蔵庫も。リノは思わず笑みをこぼした。
台所の扉を開けると、外の畑に出た。手の込んだ家庭菜園という程度の広さの畑には、四季折々の野菜や果物が、季節を無視して実をつけている。人参に蕪にトウモロコシ、南瓜と胡瓜と無花果、林檎や葡萄。色鮮やかな景色にしばし言葉を失う。
「月、水、土曜日に雨が降る。林檎が実るのは日曜だけだ。大事に使え。人参は
必ず一本残しておくこと。南瓜はほっとくと、どんどんでかくなるから気をつけろ」
「ええ、覚えたわ」
最後に鳥小屋を案内された。
森を少し入ると、大きな鳥籠の形をした硝子の建物が現れた。中はちょっとした植物園のようになっており、上を見上げれば柔らかな光が燦々と降りそそぐ。リノが初めて見る色とりどりの大小の鳥たちが、歌い、飛び回り、赤い実を啄んでいる。
「きれい」
ため息のように零れた言葉。
「動物が入ってくると良くない。直ぐに扉は閉めるように」
魔法使いは、鳥の巣から一羽の鳥を取り出した。青い鳥だ。目を閉じ、動かない。羽はところどころ抜け落ち、どことなく色もくすんでみえる。腹が異常に膨れている気がした。真面目な顔で、じっと鳥の顔を見つめた魔法使いは、鳥を袖にしまった。
「時々『これ』みたいに動かない鳥がいる。こういうのがいたら拾っておいてくれ」
これ、だなんて物のような言い方が、気になった。
「聞いているのか。とても大事なことなんだ」
「あっ、ごめんなさい。……分かりました。餌や水はどうしたら良いでしょう」
「そうだ、餌か。パンを多めに焼いといてくれ。パン屑でいい。あとはそれぞれ食べたい物を食べるだろう。水は、そこに湧き水がある」
魔法使いの指さした先に、小さな泉があった。ここにも蛙がいた。蓮の上で気持ち良さそうに眠っている。さっきカウチにいた蛙だろうか。
リノはじいっと蛙を観察したが、蛙の見分けなどつくはずもなく。
「あとは、」
魔法使いは独り言のように言った。
「……………心か」
リノが聞き返す間もなく、魔法使いは「よし! 」と大きく頷いた。ついでに突拍子もないことを告げる。
「お前、読み書きが出来ると言ったな」
「ええ。あまり難しい言葉は分からないけれど」
「ならばコイツらに本を読んでやってくれ」
「本……、ですか? 」
「なんでもいい。童話でも詩集でも新聞でも。最初だから、子供向けの簡単な絵本が良いだろう。うん、そうしよう。今から書庫を案内する。付いて来い」
意味が分からない。だが、魔法使いは己の閃きに満足げに頷いている。
(変わってる人)
何度そう思ったか。
魔法使いが扉の外でリノを呼んだ。
リノは、最後にもう一度、鳥小屋を振り返った。
美しい、魔法の鳥籠だ。
(でも、なんだか憎めない人だわ)
魔法使いの心の中には、こんなにも美しい景色があるのだから。