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魔法使いの鳥2


 天井のそこかしこに、不思議な草や、枯れた花や、変な茸がぶら下がっていた。空の鳥籠。カウチに蛙。鍵の束。大量の本は異国の文字だろうか。床が見えないほどに散らかっているのは、鳥の羽と書き損じの紙。それに宝石も。

 一言でいうと、ひどい有り様。


「ここは、どこかしら」


 リノは、やっと自分が知らない部屋にいるのだと気づく。ついでに、椅子に座った状態で拘束されている。


「なによ、これ…」

「お前、あいつの使いか? 」


 リノは、はっとして、正面を見た。

 ずっとそこに居たのだろうか。

 リノの正面の椅子に座る男は、先ほど小川のほとりで会った男に相違ない。

 だとすると、リノに縄をかけたのはこの男だ。

 彫りの深い整った顔立ち。エメラルドの瞳。ぴくりとも笑わないその顔は、冷たい陶器の人形のよう。


「あなたは、だれ? …………魔法使い? 」


 男は、手紙でも書いているのだろうか、羽ペンをインク壺に突っ込みながら飄々と答える。


「森に住んでいるのだから、森の魔法使いに決まってる」

「本当にいたのね」

「お前、王都から来たのだろう。私を探して。手紙でも預かって来たか? 」

「王都? 」


 王都は、リノの村から、ずっと遠くにある。馬車を夜通し使っても二日。もちろんリノは一度も行ったことはない。

 男は眉間に深い皺をつくった。


「違うのか? 」

「私、あの、茸を探していたの。とてもお腹か空いていて。……ごめんなさい。いつの間にかあなたの領地まで入ってしまったのね」


 ガリリ、と羽ペンが紙を引っ掻き、魔法使いの便箋にインクの染みが広がっていく。


(どうしよう。返事を間違えたんだわ。もし魔法使いを怒らせたなら、私も王さまのように蛙にされてしまうのかしら)


 今になってリノの足が震えだす。

 逃げ出そうにも、両腕には縄。静かな部屋に、ガタンと、椅子が虚しく揺れる音が響いた。

 男は、書き損じた紙を丸めて暖炉に投げ入れると、いっそう機嫌悪そうに頭を掻いた。乱れたローブのフードから、腰まである長い三つ編みが零れ落ちる。

 魔法使いの髪は、窓の向こうの森と同じ色をしていた。

 人間にはない色。

 本当に、魔法使いなのだ。

 魔法使いは呻いた。


「おかしいな。こいつ、どこから入ってきたんだ」   


 ギロリと睨まれ、リノは両目をぎゅっと閉じた。

 招かれざる客は、やはり蛙にされてしまうのだ。

 

「ご、ごめんなさいっ、命だけは助けて……っ、」

「悪かったな」

「えっ、どうしてあなたが謝るの? 」

「なぜお前が謝るんだ? 」


 同時に発した言葉に、二人はしばし視線を合わせる。

 リノがたくさんの言い訳を紡ぐより先に、リノのお腹がグウと鳴った。

 魔法使いはぐしゃぐしゃと髪をかきあげた。

 柔らかそうな、綺麗な髪が乱れていく。

 同時に、魔法使いの表情にも変化があった。

 

「腹が減ってるんだったな……、お前」


 魔法使いが杖を振る。

 リノの目の前の、大きな丸太を輪切りにしたような形のテーブルのその上に、ホワホワと湯気がのぼるスープとパンがあらわれた。縄もなくなっている。


「食べろ」

「えっ」

「腹が減っていたのだろう」

「……そうして、あなた、満腹になった私を食べるの?」


 魔法使いは、たまらず、笑い出した。


「食わないよ。いいから、食べろ」

「あ、ありがとう……」


 おそるおそる食事を口にしたリノだったが、一口食べてしまえば手は止まらない。温かいスープと柔らかいパン(なんと干した果物も入っていた)は、あっと言う間にリノの胃におさまってしまった。


「やだ」


 リノは頬を赤らめ、俯いた。


「……とてもお腹が空いていたのよ」

「知っている」


 魔法使いは笑いながら言った。

 案外、人懐っこい顔をする男だ。

 聞けば、森の道には普通の人間が入って来られないよう幾重にも魔法が掛けてあり、招かれなければ決して入っては来られない仕組みだそう。


「お前が石を投げた鳥たちは、私の鳥だ。魔法ってのは気まぐれなものだからな、お前を客と勘違いでもしたのだろう。お前は運がいいぞ。もし鳥たちに石がぶつかっていたら、魔法が暴れ出して、お前は死んでいたかもしれない。それはそうと……」


 さらりと物騒なことを言いながら、魔法使いは床に落ちていた一枚の紙を拾って、リノに手渡した。


「そんなに腹が空いているなら、ここで働けばいい。ちょうど使い勝手のいい助手を探していた。一週間、銀貨20枚でどうだ? 」


 紙には『契約』の文字。あとは読めない。

 リノは顔をあげ、たずねかえす。


「銀貨20枚も……? 」

「多いか? ふむ、多いか。少々厄介な研究をしていてな、私にはあまり時間がない。金なら腐るほどあるというのにな」

「そんな、突然言われても、私…」

「ああ、それと。勝手に逃げ出した場合は命はない」

「……っ」


 青ざめたリノに、魔法使いはからからと笑う。


「冗談だ。あれだ、勝手に出ようとすると魔法が暴発するかもしれないってことだ。でも悪い話じゃないだろう? 」

「……研究が終わったら私はどうなるの? 」


 蛙か、死か。生きて家に帰してもらえるのか。

 その時、リノの心に、小さな疑問が生まれた。

 

(私は、帰りたいのかしら……)


 帰って、どうしようというのか。

 お金をたくさん持って帰ったら、褒めてもらえるだろう。

 ならば、その後は?

 リノはまた朝早くから森へ入って茸や木の実の拾って、次の日も、また次の日も、そうして……。


「うーん、そうだなあ。じゃあ研究が終わったあかつきには、ひとつだけ、お前の願いを何でも叶えてやろう」

「えっ」


 思いがけない魔法使いの言葉に、驚嘆が洩れた。


「何でも、願いを……? 」


 なんと甘い誘いだろう。

 このまま家に帰れば、間違いなく、明日は人買いの馬車の中。

 この魔法使いの元に留まれば、少なくとも魔法が完成するまでは、命をとられることはない。

 リノの目が、カウチに寝そべる蛙をとらえる。

 本当に彼を信じて良いのだろうか。 

  

「助手というのはどんな仕事でしょうか。読み書きや計算はある程度出来ますが、私は魔法については何も知らないのです」

「そうだな……。掃除、洗濯、料理。それと鳥の世話をして欲しい」

「さっきの小鳥たちね? 」

「もっとたくさんいる。もう石は投げてやるなよ。あいつらは、弱い」


 窓から飛んできた小鳥が、魔法使いの頭にとまった。くちばしに咥えた赤い木の実が、なんとも愛らしい。木の実は魔法使いへの贈り物らしい。

 後悔が、ぎゅっと、リノの胸を締め付けた。


「あのこたち、わたしを許してくれるかしら? 」

「覚えちゃいないよ。『あれ』は飛ぶことと、歌うことしか知らない」


 魔法使いが口笛を吹くと、それに返事をするように、小鳥がルルルと歌をうたう。


「どんな小さな生き物にも心はあるわ」


 リノは胸の前で両手を握りしめた。


「ふむ、心か。いい着眼点だ」


 魔法使いは上機嫌で答えた。

 そう、心はあるのだ。

 虫にも、小鳥にも、もちろんリノにも。


(でも私の心には何があるのかしらね。私が考えることなんて、毎日、毎日、食べ物のことばかり。そうして、ああ、お腹が空いたわ……、って、それだけ)


 貧しさが、両親をあんな風にしてしまったのだということを、リノは理解していた。

 拾って育ててくれたことに感謝こそすれ、憎んではいない。

 ただ、家族の愛情は、とうに使いきってしまっていた。

 いくら水を飲んでも。………水を、飲んでも。

 飢えはすでにリノの心も蝕んでいた。

 リノは決めた。


「いいわ、契約、します。私をあなたの助手にして」

「そうか」


 羽ペンを受け取ると、小さくひとつ息を吐き、契約書に名を書く。


「契約完了だな。これでお前は私のものだ」


 魔法使いが、リノ、と書かれた文字を指でなぞると、文字は淡い緑に発光し、一匹の小鳥に姿を変えた。魔法使いは小鳥を、そっと捕まえると、空だった鳥籠へと仕舞う。次に、鍵の束から赤い宝石が付いた鍵を選び取ると、カチャリと、その扉を締めた。

 私の何を囚われたのだろう。

 リノは尋ねることはしなかった。

 その代わりに、ひとつ、お願いをする。

 

「魔法使いさま。両親に手紙を届けて下さいませんか」

「なんだ、お前は家族がいたのか」

「ええ。……父も母も、とてもお腹を空かせているの。だから、お金も渡して欲しいのです」

「ふむ、先払いを望むか。分かっているのか、もし勝手に逃げたりすれば、」

「私、逃げたりなんかしないわ」

「いくら必要だ? 人間の暮らしには疎くてな」


 リノは、ごくりを唾を飲み込む。


「……金貨、三十枚」


 少しだけ、声が震えた。

 魔法使いの顔から笑みが消える。

 リノは、真っ直ぐ、魔法使いのエメラルドの瞳を見返した。


「研究が終われば、助手はいらない。そんなに長くは、いらない」

「研究が終わるまでちゃんと働けば、ご褒美をくださるのでしょう。魔法使いさま、私は金貨三十枚を望みます」

「ほう」


 魔法使いは片方の眉を僅かにあげた。


「ひとつきりの願いを、簡単に決めてしまうものではない」

「ちゃんと考えたわ」

「金貨三十枚か。……たったそれだけでいいのか。いっそ百ならキリもいい」


 金貨百枚。

 そんなものを受け取ってしまったら、対価に何を盗られるか分かったものではない。

 リノは賢明な娘であった。


「多くても良くないの。私に必要なのは、金貨三十枚よ」


 魔法使いは、少し考え、言った。


「人間の暮らしに必要な金など私には分からないが……、『人買いに娘を売る』と、ちょうどそのくらいの金になるらしいな」


 エメラルドの瞳が、リノの心を見透かすように、細められてゆく。

 ああ、これだから魔法使いは恐ろしい。


「あなたには、何でもお見通しってわけね」


 リノは諦めにも似た顔をして、微笑んだ。

 

「……いいや、私には人間の考えることは、分からない」


 魔法使いの視線の先で、カウチの蛙がケロケロと笑った。


    


   *




「買い手がついた」


 嗄れた声の初老の人買いがリノの家を訪れたのは、その夜のことだ。

 リノから託された手紙と金貨三十枚。

 贅沢をしなければ五年は食べていける。

 リノの父親は黙ってそれらを受け取った。

 手紙を読んだ母親は形ばかりの涙を流し、人買いにリノの荷物を手渡した。

 リノの荷物は小さな鞄ひとつだけ。

 それが年頃の娘の荷物として、多いのか少ないのかは、人買いには分からない。



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