魔法使いの鳥1
三年前に、王さまが変わったそうだ。
行方不明になった兄王の代わりに、王座についた弟王は、あまり良い王さまではなかった。
流行り病も、日照りも、王さまはしらんぷり。
それでも毎年、毎年、税は上がっていく。
今のご時世、貧しい村なんて珍しいものじゃなくなっていた。
今、そこの道を歩いている娘も、その一人。
「ああ、お腹が空いたわ」
娘の名前はリノという。
リノは、昨日の昼から何も食べていなかった。
茸でもいい。木の実でもいい。
食べ物を探して、気がつけば森の奥の、いつもは行かない場所まで来ていた。
「嫌だわ。帰らなきゃ。森の奥には魔法使いが住んでいるという噂を聞いたことがあるわ」
魔法使いは怖い。
魔法使いは意地悪だ。
前の王さまも魔法使いを怒らせて蛙にされた、なんて話もある。
「ああ、でも……」
胸に抱いている籐のバスケットの軽さに、リノは溜め息をつく。
「まだ、これしか見つからない。また、お父さんとお母さんに叱られてしまうわ」
リノは重い足を引きずって、とぼとぼと村に帰るのだった。
「ああ、お腹が空いたわ。もしも願いが叶うなら、私、お腹いっぱい食べたいってお願いする」
*
その日の夕食は、リノがなんとか探して来た茸を四つ、胡桃の実を十個、それと小さくて固いパンを分け合って食べた。当然それだけで親子三人のお腹が満たされるはずはなく。
だが、リノの母は今日はリノを叱りはしなかった。疲れた顔で、それでも精一杯の笑みを浮かべて労いの言葉をくれた。
「ありがとう、リノ。お前がいてくれて助かるよ。いつもいつも、お前はとても親孝行な娘だね」
リノの父はいつも通り、不機嫌そうに言った。
「ふん。捨てられてたお前を拾って、ここまで育ててやったんだ。当然だ」
リノは、本当の娘ではない。
二人の本当の娘は、赤子の頃に病で死んでしまった。
小さな村だ。誰もがその事実を知っている。口さがない者はリノを、カッコウの娘、と呼んでからかった。
「……明日は、もう少し森の奥まで探しに行ってみるわね」
リノが答えると、両親はほっとしたような顔をした。
*
真夜中。
「お腹が空いたわ。お水を飲んで我慢しましょう」
向かいの部屋で寝ている父と母を起こさぬよう、そっと階段を降り、台所の扉に手を伸ばす。
すると、扉の奥から何やら話し声が聞こえてきた。
「あなた、リノのことなんだけれど……」
母の声だ。
自分の名前が出たことに、リノは嫌な予感を覚えた。
両親に気づかれないよう、ほんの少しだけ扉を開けて、耳を済ませる。
二人でお酒を飲んでいるらしい。
そんな高価なものが我が家にあったとは知らなかった。
すぐに父の声も聞こえてきた。
「ああ、何度も言われなくとも分かってる。これ以上、あの子を養うことは難しいって話だろう」
「私たち二人だけなら、畑の作物や薪を売って、何とか生きていけるでしょうよ」
「俺だってあちこち聞いてみたよ。だがな、この貧しい村にはもうリノを嫁に貰ってくれるような男なんていないんだ」
カチャカチャと食器かぶつかる音がした。
母が、父のコップに酒を注いだのだろう。
「そのことなんですけどね、お隣のエヴァンズの奥さんに聞いたのだけど、もうすぐ、この村に人買いが来るんですって」
「人買いだって? おいおい、お前、まさかリノを……? 」
「このまま村にいたって、リノは一生貧しさとひもじさに苦しむだけよ。リノにとっても悪い話じゃないと思うの。お金持ちの気のいい旦那に買ってもらえば、美味しいものをお腹いっぱい食べられるし、新しい洋服だって……。親の贔屓目じゃなく、リノはなかなか美人に育ってくれたわ。きっと高く……」
「馬鹿を言うなっ! 」
大きく息を吐き、頭を横に振った父に、リノは安堵する。
そんな夢物語のような話が、現実にあるはずがない。リノだって知っている。一人、また一人と、人買いに売られていった友人たちから、一度も手紙が来ることはなかったのだから。
(怖いけど、明日はもっと森の奥に行きましょう。たくさん茸や木の実を持って帰って、それで、私が役に立つって認めてもらえれば、お母さんだって考え直してくれるわ)
リノは、何も聞かなかったことに決めた。
そうして、そっと扉を閉めようとした、その時。
「……リノに選ばせましょう。あの子の人生だもの」
母の声は揺らがない。
リノがなんと答えるか、彼女は知っているのだ。
ああ、なんてずるい。
リノは足音を立てずに階段を上った。部屋の扉を閉め、まっすぐベッドにもぐり込む。
涙は一晩中とまらなかった。
*
昨日よりも、もっともっと森の奥深く。必死に茸を集めるリノの姿があった。靴も、指先も、スカートの膝も、土に汚れている。
今朝の母の顔は、それは穏やかであった。
『あら、こんなに早くから森へ行くの? 無理しないで……、怪我だけはしないようにね。大事な話があるから今日は早く帰ってくるのよ』
思い出し、リノは震える肩を抱きしめ、身を縮めた。
もっとたくさんの茸を。
もっとたくさんの木の実を。
だが思うようにバスケットは重くならない。
リノの足は、森の奥へ、奥へと誘われていく。
どこまで来ただろうかと、リノは辺りを見回した。大丈夫。道は一本。帰る方向は間違えようがない。
深い森。それでも足元には陽の光がさしている。光はリノの心を安心させた。右手をかざし木々の隙間に見える青空に目をやれば、小鳥が一羽。続けて二羽、三羽と羽ばたいてゆく。
「石を投げたら、私でも鳥を狩れるかしら」
肉入りのシチューなんて何日ぶりだろう。父は褒めてくれるだろうか。母は私を引き留めようとしてくれるだろうか。
リノはごくりと唾を飲み込み、足元に落ちていた拳大の石を拾いあげた。
まだ村が貧しくない頃は友達と、学校帰りの道々でパン屑を撒いては、はしゃいだものだ。
手のひらに、ずしりと感じる重みは、石の重さだけじゃない。
「……ごめんね」
ぎゅっと目を瞑り、リノは、空に向かって大きく石を投げた。二度、三度と、続けざまに石を投げてみるが当たらない。
がっかりしたのと、ほっとしたのと。
「ああ、お腹が空いたわ」
リノは、とぼとぼと森の奥へ、奥へと歩を進めた。
早く帰るようにとは言われたが、バスケットを食べ物でいっぱいにして帰らなければ、リノの明日は、人買いの馬車だ。
茸を見つけては夢中で摘み、鳥を見つけては石を投げ、木を揺すって木の実を拾い、小川の水で喉を潤す。
小川に映った自分の姿は、とても疲れている。額に浮かぶ汗が、前髪を肌に張り付かせ気持ちが悪い。指先でそっと直し、リノは腰をあげた。
「ここにも小鳥。さっきより数が増えてるわ。巣があるのかしら」
リノはここでも石を投げた。
だが、やはり上手く当たらない。
リノは考える。
リノたちの村の近くには、狩りつくされてもう雀一匹いない。もし鳥たちが危険を感じて森の奥深くに巣を移したとしたら。もしこの場所を村の人達に教えたならば。少なくとも、しばらくはどの家も肉入りのシチューが食べられるだろう。
「うん、そうね。お父さんならきっともっと上手く狩ることが出来るもの。一度、村に戻りましょう。お腹がいっぱいになったら、お母さんだってきっと考え直してくれるわ」
リノは来た道を引き返そうと、小川のそばの岩に置いていたバスケットを手に取った。
その時、
「私の鳥に石を投げたのは、お前か」
「えっ」
リノが後ろを……森の奥を振り向くと、そこにいたのは、黒いローブに身を包んだ背の高い男。
男が宙に手を伸ばすと、青い小鳥が一匹、チチッと可愛らしくさえずりながら、男の指先にとまった。
不機嫌そうだった男の口もとが、少しだけ緩む。
リノは呆然と、それでも口は勝手に男の正体を言い当てた。
「森の…魔法使い……」
リノの手から、バスケットが滑り落ちた。