アンティークカプチーノ
「アンティークカプチーノはお好きかしら? それとも苺のソーダ水? 」
ダンデライオンが小首を傾げると、金色のウェーブがかった長い髪が、シャラランと可憐な音をたてて肩から流れた。
「アンティーク(骨董品の)カプチーノ?」
聞き慣れない飲み物に、カーマインのお嬢さんは戸惑った。
カプチーノというなら珈琲だ。お茶会というのだから紅茶が出されるものだろうと思っていた。
「古きことは良きことかな」
「骨董品な俺たちにぴったりだな」
「彼女の考えることに深い意味はない。どれもこれも、全部。時間を掛けることが好きなんだ」
「安心しなよ。腐っちゃいない」
「ウッディ、バード。失礼よ! 」
「怒らないでダーリン、ダンデライオン。そこが君の可愛いところ」
「怒った顔も美しいね」
「調子のいいこと」
ミルクティーだよ。と、バードはカーマインのお嬢さんに耳打ちした。低い、とても耳に心地よい声。
「自己紹介が遅れたな。俺の名前はバード。さっきは左耳をごちそうさま。きみの耳って、マシュマロみたいに柔らかくって甘くって、とても美味しいね」
「あなたが?」
カーマインのお嬢さんが驚いたのも無理はない。バードは二十歳くらいの青年の姿をしていた。鋭い眼光、浅黒い肌。長めの黒髪はひとつに結び、上品なスリーピースのスーツには赤いストライプのネクタイ。背中に烏の羽が生えてる事を除けば、どこかの貴族のような雰囲気だ。
「バードは吟遊詩人になりたがってる変な烏さ」
「あら、バードは立派な吟遊詩人よ」
バードの反対隣に座るウッディは、小さく鼻を鳴らした。
ダンデライオンがバードを褒めることが不満らしい。
「僕はウッディ。白い樹の妖精さ」
そう言って、ウッディは彼の後ろを木を指差した。幹も、葉っぱも、花も、実も、どこもかしこも真っ白な木。そして彼も同じように真っ白だった。十二、三歳くらいの少年の容姿。肩くらいの長さのふわふわした髪。前髪も長く、彼の片目を隠してしまっている。瞳の色も白い。カーマインのお嬢さんに知識があれば、彼の着ている変わった服を、漢服に似ている、と思っただろう。
「色を忘れた老木さ」
バードのテノールが、再び、カーマインのお嬢さんの耳に触れた。
「バード、お喋り烏め。舌を切るぞ」
「嘘じゃないだろう。俺は嘘が大きらいなんだ」
ダンデライオンはいつもことよ、とクスクス笑った。
「そして私はダンデライオン。春の庭の魔女よ」
「魔女……」
ダンデライオンは踊るような足取りでカーマインのお嬢さんの前に置かれたティーカップに、アンティークカプチーノを注いだ。
すすめられるがまま山盛りのふわふわミルクに口を付けると、ふんわりと蒲公英の花の香りがした。
「美味しいです」
「良かったわ」
素朴で美味しいお菓子の数々。春の香りのアンティークカプチーノ。夜空に舞う光の蝶々。人間ではない人々。
夢のよう。
いや、夢なのだろう。
カーマインのお嬢さんはカップに付いた口紅をそっと親指で拭った。
気がつけばもう半分も飲んでいる。
なんてお行儀の悪いことでしょう。
「私、眠っていたはずなんです。化粧を落として、寝間着に着替えて、髪も……。でも今はきちんとワンピースを着ているし、お化粧もしているわ」
あなた達は何者?
ここはどこ?
そんな野暮なことは聞かない。
まだ手をつけていないケーキもあるし、アンティークカプチーノもおかわりをしたい。
夢が覚めたら、こんなに悔しいことはない。
それに……。
小さな声で、縋るような目で、カーマインのお嬢さんは、魔女に言った。
「私……、私……、夢なら、ずっと覚めないで欲しいわ。明日が来るのが怖いの……」
ダンデライオンは、金色の瞳を大きく見開き、「まあ」と言った。
カーマインのお嬢さんはレディであったので、すぐに自分の発言を恥じた。
「ごめんなさい、初対面でおかしなことを言って」
ダンデライオンはそっとカーマインのお嬢さんの手を握った。
震えている。
それに指先がとても冷たい。
「何かお困りなのね」
「分からないの。困ってることなんて、ないの。私、とっても幸せよ。恵まれてるって知ってるわ。でも私、私は……、」
「あら、あなたの左手」
「あっ……」
カーマインのお嬢さんは、慌ててダンデライオンの手をほどくと、右手で包み込むようにして左手を隠した。
「違うの、違うのよ……」
『愛してるよ』
「え?」
今にも泣き出しそうなカーマインのお嬢さんは、突然聞こえた、知らない男の声に、顔をあげた。声はカーマインのお嬢さんの正面から聞こえた。だが、カーマインのお嬢さんの正面には、誰も座っていない。
『今日もきれいだね、アリス。デートしよう』
『お生憎さま。私、読みたい本がありますの』
再度きこえた、その声の主に気づいたカーマインは、あんぐりと口を開いた。
テーブルの上のプリン・ア・ラ・モードが喋っていたのだ。
『愛してるよ、アリス。僕のお嫁さんになってよ』
『お生憎さま。私、大学に行きますの。あなたのお嫁さんになんかならないわ』
否。正確には、プリン・ア・ラ・モードの、てっぺんでキラキラ光るサクランボが喋ったのだ。
ダンデライオンは嬉しそうに両手を打ち鳴らした。
「まあ素敵! 」
ダンデライオンは小さな指でサクランボを摘むと、そのまま、ぱくりと口に頬張る。そうして頬に両手をあてて、うっとりと呟いた。
「なんて酸っぱい味でしょう」
「ずるいよ、ダンデライオン。僕が食べたかったのに」
「あら、ごめんなさい、ウッディ。でも大丈夫よ。すぐに次の実がなるわ。そうしたら一番にウッディにあげる。ねえ、生クリームはいかが? 」
「ウッディはさっきも食べただろう。次は俺の番だ。なあ、そうだろう、ダンデライオン」
「あら、それもそうね」
顎に指をあてて、ダンデライオンは小首を傾げてみせる。
「だったら半分こはいかが? 仲良しさん」
「ダンデライオンはいつもバードに甘い」
「それは俺の台詞だ、ウッディ」
カーマインのお嬢さんは、大きな瞳をパチパチと瞬きした。目の前で起こった不思議に、心臓がドキドキする。
「ね…、ねえ、そのサクランボって……」
左手を隠していたはずの、カーマインのお嬢さん右手が、右の耳朶に触れる。指に触れる冷たい石は、曾祖母から譲り受けた一粒のカーマイン。
ダンデライオンの金の瞳が三日月のように細められる。
大きな慈愛に満ちた微笑みだった。
ダンデライオンがおっとりとした口調で言った。
「ねえ、バード、ウッディ、それにカーマインのお嬢さん。次のサクランボが実るまで『お話』をしながら待っているというのは、いかがかしら? それぞれ一人、ひとつずつ、とっておきのお話をするのよ」
突然の提案にカーマインのお嬢さんが戸惑う。
バードとウッディは顔を見合わせて、同じタイミングで「しょうがないなあ」とでも言いたげに肩をすくめた。顔は笑っている。
ダンデライオンのお願いは、何だって彼らを喜ばせるのだから。
「バード、吟遊詩人。一番手は君に譲るよ」
「そうかい」
バードはカーマインのお嬢さんの左手を、ちらりと見る。
左手の、その薬指には、意匠を凝らした銀色の指輪が光っていた。
「……なら、そうだな、うん。あれがいい。魔法使いと貧しい娘の話。鳥が物語の鍵になるんだ」
ダンデライオンはそっと立ち上がると、ひとつの儀式のように、恭しく、バードのティーカップにアンティークカプチーノのおかわりを注いだ。