表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/17

アンティークカプチーノ

「アンティークカプチーノはお好きかしら? それとも苺のソーダ水? 」


 ダンデライオンが小首を傾げると、金色のウェーブがかった長い髪が、シャラランと可憐な音をたてて肩から流れた。

 

「アンティーク(骨董品の)カプチーノ?」


 聞き慣れない飲み物に、カーマインのお嬢さんは戸惑った。

 カプチーノというなら珈琲だ。お茶会というのだから紅茶が出されるものだろうと思っていた。


「古きことは良きことかな」

「骨董品な俺たちにぴったりだな」

「彼女の考えることに深い意味はない。どれもこれも、全部。時間を掛けることが好きなんだ」

「安心しなよ。腐っちゃいない」

「ウッディ、バード。失礼よ! 」

「怒らないでダーリン、ダンデライオン。そこが君の可愛いところ」

「怒った顔も美しいね」

「調子のいいこと」


 ミルクティーだよ。と、バードはカーマインのお嬢さんに耳打ちした。低い、とても耳に心地よい声。


「自己紹介が遅れたな。俺の名前はバード。さっきは左耳をごちそうさま。きみの耳って、マシュマロみたいに柔らかくって甘くって、とても美味しいね」

「あなたが?」


 カーマインのお嬢さんが驚いたのも無理はない。バードは二十歳くらいの青年の姿をしていた。鋭い眼光、浅黒い肌。長めの黒髪はひとつに結び、上品なスリーピースのスーツには赤いストライプのネクタイ。背中に烏の羽が生えてる事を除けば、どこかの貴族のような雰囲気だ。


「バードは吟遊詩人になりたがってる変な烏さ」

「あら、バードは立派な吟遊詩人よ」


 バードの反対隣に座るウッディは、小さく鼻を鳴らした。

 ダンデライオンがバードを褒めることが不満らしい。


「僕はウッディ。白い樹の妖精さ」


 そう言って、ウッディは彼の後ろを木を指差した。幹も、葉っぱも、花も、実も、どこもかしこも真っ白な木。そして彼も同じように真っ白だった。十二、三歳くらいの少年の容姿。肩くらいの長さのふわふわした髪。前髪も長く、彼の片目を隠してしまっている。瞳の色も白い。カーマインのお嬢さんに知識があれば、彼の着ている変わった服を、漢服に似ている、と思っただろう。


「色を忘れた老木さ」


 バードのテノールが、再び、カーマインのお嬢さんの耳に触れた。


「バード、お喋り烏め。舌を切るぞ」

「嘘じゃないだろう。俺は嘘が大きらいなんだ」


 ダンデライオンはいつもことよ、とクスクス笑った。


「そして私はダンデライオン。春の庭の魔女よ」

「魔女……」


 ダンデライオンは踊るような足取りでカーマインのお嬢さんの前に置かれたティーカップに、アンティークカプチーノを注いだ。

 すすめられるがまま山盛りのふわふわミルクに口を付けると、ふんわりと蒲公英の花の香りがした。


「美味しいです」

「良かったわ」


 素朴で美味しいお菓子の数々。春の香りのアンティークカプチーノ。夜空に舞う光の蝶々。人間ではない人々。

 夢のよう。

 いや、夢なのだろう。

 カーマインのお嬢さんはカップに付いた口紅をそっと親指で拭った。

 気がつけばもう半分も飲んでいる。

 なんてお行儀の悪いことでしょう。


「私、眠っていたはずなんです。化粧を落として、寝間着に着替えて、髪も……。でも今はきちんとワンピースを着ているし、お化粧もしているわ」


 あなた達は何者?

 ここはどこ?

 そんな野暮なことは聞かない。

 まだ手をつけていないケーキもあるし、アンティークカプチーノもおかわりをしたい。

 夢が覚めたら、こんなに悔しいことはない。

 それに……。

 小さな声で、縋るような目で、カーマインのお嬢さんは、魔女に言った。


「私……、私……、夢なら、ずっと覚めないで欲しいわ。明日が来るのが怖いの……」


 ダンデライオンは、金色の瞳を大きく見開き、「まあ」と言った。

 カーマインのお嬢さんはレディであったので、すぐに自分の発言を恥じた。


「ごめんなさい、初対面でおかしなことを言って」


 ダンデライオンはそっとカーマインのお嬢さんの手を握った。

 震えている。

 それに指先がとても冷たい。


「何かお困りなのね」

「分からないの。困ってることなんて、ないの。私、とっても幸せよ。恵まれてるって知ってるわ。でも私、私は……、」

「あら、あなたの左手」

「あっ……」


 カーマインのお嬢さんは、慌ててダンデライオンの手をほどくと、右手で包み込むようにして左手を隠した。


「違うの、違うのよ……」

『愛してるよ』

「え?」


 今にも泣き出しそうなカーマインのお嬢さんは、突然聞こえた、知らない男の声に、顔をあげた。声はカーマインのお嬢さんの正面から聞こえた。だが、カーマインのお嬢さんの正面には、誰も座っていない。


『今日もきれいだね、アリス。デートしよう』

『お生憎さま。私、読みたい本がありますの』


 再度きこえた、その声の主に気づいたカーマインは、あんぐりと口を開いた。

 テーブルの上のプリン・ア・ラ・モードが喋っていたのだ。


『愛してるよ、アリス。僕のお嫁さんになってよ』

『お生憎さま。私、大学に行きますの。あなたのお嫁さんになんかならないわ』


 否。正確には、プリン・ア・ラ・モードの、てっぺんでキラキラ光るサクランボが喋ったのだ。

 ダンデライオンは嬉しそうに両手を打ち鳴らした。


「まあ素敵! 」


 ダンデライオンは小さな指でサクランボを摘むと、そのまま、ぱくりと口に頬張る。そうして頬に両手をあてて、うっとりと呟いた。


「なんて酸っぱい味でしょう」

「ずるいよ、ダンデライオン。僕が食べたかったのに」

「あら、ごめんなさい、ウッディ。でも大丈夫よ。すぐに次の実がなるわ。そうしたら一番にウッディにあげる。ねえ、生クリームはいかが? 」

「ウッディはさっきも食べただろう。次は俺の番だ。なあ、そうだろう、ダンデライオン」

「あら、それもそうね」


 顎に指をあてて、ダンデライオンは小首を傾げてみせる。


「だったら半分こはいかが? 仲良しさん」

「ダンデライオンはいつもバードに甘い」

「それは俺の台詞だ、ウッディ」


 カーマインのお嬢さんは、大きな瞳をパチパチと瞬きした。目の前で起こった不思議に、心臓がドキドキする。


「ね…、ねえ、そのサクランボって……」


 左手を隠していたはずの、カーマインのお嬢さん右手が、右の耳朶に触れる。指に触れる冷たい石は、曾祖母から譲り受けた一粒のカーマイン。

 ダンデライオンの金の瞳が三日月のように細められる。

 大きな慈愛に満ちた微笑みだった。

 ダンデライオンがおっとりとした口調で言った。


「ねえ、バード、ウッディ、それにカーマインのお嬢さん。次のサクランボが実るまで『お話』をしながら待っているというのは、いかがかしら? それぞれ一人、ひとつずつ、とっておきのお話をするのよ」


 突然の提案にカーマインのお嬢さんが戸惑う。

 バードとウッディは顔を見合わせて、同じタイミングで「しょうがないなあ」とでも言いたげに肩をすくめた。顔は笑っている。

 ダンデライオンのお願いは、何だって彼らを喜ばせるのだから。


「バード、吟遊詩人。一番手は君に譲るよ」

「そうかい」


 バードはカーマインのお嬢さんの左手を、ちらりと見る。

 左手の、その薬指には、意匠を凝らした銀色の指輪が光っていた。


「……なら、そうだな、うん。あれがいい。魔法使いと貧しい娘の話。鳥が物語の鍵になるんだ」


 ダンデライオンはそっと立ち上がると、ひとつの儀式のように、恭しく、バードのティーカップにアンティークカプチーノのおかわりを注いだ。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ