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白い狐

 白であることは異質であった。

 異質であることは常であり普遍であると思っていた。




 茶色い狐の群れの中に、ひとり容姿がちがう狐がいた。

 真っ白な毛並みの狐だ。

 白い狐も、茶色い狐たちが着ている鮮やかな黄色の衣を纏っているが、どうにも似合わない。

 茶色い狐の娘が好んで頭に飾る赤い実は、白い狐が嫌いな匂い。

 白い狐は今日もションボリと尻尾を垂らし、仲間の輪から離れて行った。


「あたしはそんなに醜いかの」


 池に映った自分に尋ねる。

 右、左、上、下……、顔を動かし、眉をひそめる。

 自分では、そんなに悪くないように見えた。

 赤い実だってきっと似合うと思った。

 

「こんなところにおったのか」


 茶色い狐の少年が背丈ほどのススキを分けながらやってきた。

 白い狐は、茶色い狐にも尋ねてみることにした。


「あたしは醜いかの」


 茶色い狐は、つまらなそうに左目を眇めた。

 白い狐の目は赤い。

 茶色い狐の目は黒い。


「そんなにみんなと違うかの」

「そうだな、違うの」


 茶色い狐は容赦がない。

 だが白い狐は、この茶色い狐のはっきりとした物言いを、好ましいと思っていた。


「お前は他のみんなと全然違う。だから醜いか美しいかはわからん。ただ異質なのじゃ」


 白い狐は三角の耳までションボリと垂れた。

 俯いて、黄色い着物をぎゅっと掴む。


「似合わんの、黄色」

「知っとるわ、あほ」

「誰があほじゃ」


 今まで何度も言われてきた言葉だ。

 自分でだって似合わないと思っていた。


(どうしてじゃろ)


 この茶色い狐に言われるのは、特別悲しい気がするのだ。

 お腹ん中が、ぎゅうっと縮む気がするのだ。

 

 ふわっ、と。


 甘い、美味しそうな匂いが白い狐の鼻を掠めた。

 茶色い狐はふたつの花を持っていた。

 右手に白い花。

 左手に黄色い花。

 茶色い狐は当然とばかりに言う。


「右の白い花と、左の黄色い花。どっちがきれいか比べようがないじゃろ。ほれ、食え。好きじゃろ、白い花」

「好きじゃ」


 白い狐は白い花をむしゃむしゃと食べた。

 茶色い狐人は残った黄色い花を、白い狐の白い髪に挿すと、己の懐から取り出した木の実を口に放り込んだ。


「食うか、木の実」

「いらん」

「白い花ばっかり食うて、飽きんか?」

「これしか食えん」

「花も、まあ悪くないもんもあるがの。毎日は食べたくないなあ」

「そうかの」


 茶色いの狐は木の実や果物や魚を食べる。

 白い狐は花しか食べない。

 白い狐は、茶色い狐の食べている木の実がどうしようもなく食べたくなった。


「ひとつ、頂戴」


 茶色い狐の尻尾が大きく揺れた。

 茶色い狐はとっておきの、一番大きな木の実を渡した。

 他にも、小さい実や、面白い味がする実も渡した。

 

「固いの」

「噛め。噛めば噛むだけ、うまい」


 白い狐人は一生懸命齧り付いた。

 噛んで、噛んで、むせって、噛んで、それでも噛みきれず、最後は丸飲みにした。


「どうじゃ?」

「うまい」

「そうか」

「うん……」




 その夜、白い狐は腹を壊した。

 白い狐は泣いた。

 しくしく。

 しくしく。

 食べられないなんて知っていたのに、なんでこんなに悲しいのかと、痛む腹をさすりながら考えた。

 





 雪が積もりはじめた季節。

 村に旅をしながら芸をする、白い狐の一団がやってきた。


「まあ、こんな村で仲間に会うなんて」

「なんて可愛い女の子」

「ぜひ息子の嫁にしたい」

「花のお砂糖漬けはいかが?」

「白い毛並みには銀細工の簪が一番似合うのよ」


 彼らの小鳥のさえずりのような話し方は、小さな白い狐にはとても魅力的に見えた。

 可愛い、と初めて言われた。

 花の砂糖漬けも初めて食べた。

 銀細工の簪は自分にとても似合っていた。


 白い狐は嬉しかった。

 白い狐は異端ではなく、ただ迷子だっただけ。

 ちゃんと仲間がいた。





「さようなら」

「さようなら」


 茶色い狐たちとの別れを惜しみながら、白い狐は村を後にした。


 白い狐は、他の白い狐たちのような喋り方をするように言われた。


「その喋り方、なんだかとっても田舎っぽいわ」

「あなたの美しい毛並みには似合わないわ」


 小鳥のような喋り方は難しく、少しだけ心が沈んだが、白い狐はがんばって覚えた。


「その黄色の衣はやめなさい。こっちの瑠璃色の衣がいいわ。ね、素敵でしょう」

「そうじゃの……、ではなくて、そ、そうよね」


 あたたかい茶色い狐の言葉が懐かしかった。

 大して好きでもなかった黄色い衣を、ずっと着ていたいような気持ちになった。

 その度に、白い狐は尻尾を力なく揺らした。


 大人の白い狐たちは、小さな白い狐に優しかった。


「花の簪と、蜻蛉の簪、どちらが好きかしら?」

「銀色も素敵だけど、ほんとはな、赤いのも似合うと思うんよ。赤いのはないん……、ないのかしら」


 白い狐はきょろきょろと周囲の森を見回し、見つけたそれを指さした。


「みんな、あれをつけてたの。私もつけてみたかった。でも匂いが嫌いだったからつけられなくて……」

「そうね、あの赤い実の匂いは私も嫌いよ」


 私も、私も、と白い狐たちは頷きあった。

 そうして小さな白い狐の髪に、赤いレースのリボンを結んでくれた。

 池に映して見てみると、蝶々結びにしたリボンはとても白い狐に似合っていた。

 他の狐たちも似合う、似合う、とたくさん褒めた。

 事実、小さな白い狐は、とびきり美しい顔をしていたのだ。

 だが小さな白い狐は、自分の美しさにはちっとも気付いていなかった。

 

(どうしてじゃろ。嬉しくないのお)


 褒められるたびに腹が痛くてたまらなかった。





 小さな白い狐は、日に日に元気をなくし、とうとう寝込んでしまった。


(ああ、そうかの)


 寝床が違うし、暖かい湯には入れないし、子守唄も違う。


(異質と言わても、仲間だと言われても、自分はどっちとも違うんじゃの。悲しいの。さみしいの。とっても、とっても、さみしい……)





 白い狐は泣きながら、茶色い狐の村に帰っていった。

 驚いたのは茶色い狐たちだ。

 白い狐は、小さな三角の耳をぺたりと垂らして、みんなの顔を見回した。


 意地悪な顔、でもよく知ってる顔。

 知ってる音。

 知ってるベンチ。

 知ってる木。

 あたたかい湯。

 お日様の匂いのするふかふかの布団。

 それと大好きな子守唄。

 白い狐は、久しぶりにぐっすり眠ることができた。





 目が覚めると、食卓には木の実や、魚や、白い狐の好きな花や、その他いろんな食べ物が並べられた。

 茶色い狐たちを見回して、尋ねる。


「みんなが、とってきてくれたんか」

「そうじゃ」


 村のみんなは照れ臭そうに頷いた。

 茶色い狐の少年が立ち上がり、驚き立ち尽くす白い狐の背中を押した。

 白い狐はご馳走の並んだテーブルの端に、おっかなびっくり座り込んだ。


「俺にはちっともうまいと思わんが、お前はそれがすきなんじゃろ?」


 戸惑う白い狐に、茶色い狐がひとつの花を選んで皿に載せた。

 それは白い狐が一番好きな花だった。

 

「それとももっとうまいもんたらふく食うてきたかの」


 そんなことを唇を尖らせ言う。

 その拗ねるような仕草が不思議なことに、とても可愛らしくみえた。

 

「うまいものもあったし、うまくないものもあった。こっちとかわらん。だから戻ってきた」


 茶色い狐の少年は、首を横に振った。


「なんでじゃ? おんなじだったら仲間とおるほうがよかろうな」

「なんでかの」


 そう言いつつも白い狐は笑う。

 その答えは、もうはっきりしていたからだ。


「頭ではあっちがいいってわかっとる。けどな、あたしの体があっちは嫌だと言ったんじゃ。だからかの」


 白い狐は皿の花をむしゃりと食べた。

 それを合図に、他の狐たちも食べはじめた。

 周りの狐が美味しそうに食べる木の実をみて、白い狐は羨ましいと思った。

 それに気づいたひとりが、白い狐の皿に木の実を乗せた。


「たまには食ってみるか?」


 今度こそ食べられるかもしれない。

 白い狐は祈りながら木の実に齧り付いた。


「ごほっ、ごほっ」


 ああ、また駄目だった。

 また馬鹿にされる。

 白い狐の赤い瞳に涙が浮かぶ。

 だが、どうしたことだろう。

 茶色い狐たちは、いつもと違うことを言いだした。


「ちゃんと噛まんと、腹をこわすぞ」


 優しい声だった。

 老齢の狐が、気づく。


「噛めんのと違うか」

「なんじゃ、偏食と違かったんか」

「はよ言え」

「やわこい実もあったろ」


 茶色い狐たちは、白い狐の皿に、たくさんの種類の木の実や茸を少しずつ載せた。

 戸惑いながらも白い狐は、ぽろぽろと涙を零した。


「うれしいの。ほんとはな、ずっとみんなとおんなじものが食べたかったんじゃ」






 その日から白い狐の食事はがらりと変わった。

 みなの協力を得て、少しずつ、少しずつ。

 しぼった林檎の汁から、すり下ろした林檎に。

 ほぐして潰した魚から焼いた魚に。

 くるみのペーストからただの胡桃に。




 季節は春になっていた。




 茶色い狐の少年が、今年初めて見つけた苺を持って、白い狐の家の扉をたたいた。

 白い狐は髪に赤いレースのリボンを結んでいるところだった。


「あいかわらず下手じゃの」

「いいとこにきたの。結んでおくれ」


 茶色い狐は慣れた手つきで蝶々をつくる。

 

「似合うの。そうだ。苺、食うか。まだ固いかもしれんがの」


 そう言って茶色い狐は籠から苺をひとつ摘むと白い狐の口の中に押し込んだ。

 茶色い狐の指先が、白い狐の唇に僅かに触れた。

 湯の中に指を入れた時のように、指先が熱くなる。

 茶色い狐は首を傾げた。

 傾げたまま、白い狐の顔を覗く。


「泣くほどうまいんか?」

「わからん、すっぱいだけや」


 でもな、と白い狐は言う。


「嫌いなものも多いけど好きなものも多いって気づいたんじゃ」


 涙に潤んだ赤い瞳が、茶色い狐人を真っ直ぐに見つめた。


「嫌いより、好きは強いんじゃ。不思議じゃな」


 茶色い狐の手がそれは優しい手つきで白い狐の髪に触れた。

 茶色い狐は困ったように眉を下げた。

 

「俺も不思議なんじゃがの、お前がえらいべっぴんさんに見える」

「なんでやの」

「なんでじゃろ」


 白い狐は小鳥のように軽やかな笑い声をあげ、二つ目の苺を口に放り込んだ。




 そこにいたのはもう、ただの風変わりな狐であった。



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