プロローグ2ー彼の仕事
前話と視点が変わります。
テュルク・ノウリッジがその身を盗賊にやつしたのは、おおよそ五年前のことだ。
彼がどうしてそうなったのか、経緯を語れば長くなるので、ここでは多くを語らない。
ただひとつ言っておくべきことは、彼には妹がいて、妹のためにこの盗賊団に加入し、得た分け前を彼女に仕送りという形で送っているということだろうか。彼も自身の生業が危険なものであると承知しているため、『自分に何があろうとも、妹に刃が向かうことがあってはならない』と考え、仕送りから足が付かないよう複数の運び屋に金を握らせて送り元を誤魔化しているし、妹自身も遠い街の修道院に預けている。
しかし、彼は現状を憂いていた。
最初は金品を巻き上げるのみだった追剝ぎ行為が、ここ最近は殺人が常態化している。半年ほど前、縄張りをヴェルト周辺に移してからのことだ。見目のいい女性は捕まえ奴隷商に送り、それ以外は殺す。そして荷をありったけ奪う。
それ以前は精々通行料を巻き上げる程度で、奴隷を狩るようなことは仕事にしていなかった。最近繋がりができたらしいその奴隷商の影響かもしれないと邪推するが、立場の低い彼には何もわからなかった。
とはいえ、そうなり始めてからというもの、テュルクにも殺人を強要させるような動きもある。
剣が使えないと理由をつけて何度か断ったが、それも動けない相手にとどめを刺すだけだなどと言われて仕舞えば通じないだろう。いくら妹のためにとは言っても、人を殺めるという一線はなかなか越えられないし、越えたくはない。
妹が、きっと悲しむから。
多少なり他人を害して得た金品を送っていることにすら罪悪感を拭えないのに、あまつさえ自分の手で殺して奪った金など。
しかし、この盗賊団の実入りが良いのも事実である。金は必要なのだ。それも妹のため。
ずっとこんな生活を続けてはいけないと思ってはいる。けれど、一度この世界に入った以上簡単には抜けられない。
そんな板挟みに苛まれる日々の中で、彼は今日という日を迎えた。
それは、悪魔のような女性だった。
一見、普通の少女に見える。ちょうど、テュルクの妹と同じくらいの歳だろうか。
取り払われた外套の下は、丈の短いショートパンツとロングブーツに、刺繍の入ったブラウス。一介の町娘とは思えぬ装いに、流れるような銀髪が目を引く、美しい少女だった。
そんな少女に妹の姿が一瞬重なったが、申し訳ないと思いながらも、仲間たちと共に彼女を取り囲んだ。
取り囲んだ……、そう、取り囲んでいた、はずなのだが。彼は今、その大勢で取り囲んでいたはずの少女に命を握られていた。
そこに至るまでの経緯を、テュルクはほとんど覚えていない。
いや、見えていなかった、と言った方が正しい。
だから、辺りに次々と生み出される仲間たちの骸を見て、そこでようやく少女が人並み外れた力を有することを理解した。
理解したものの、そのことが彼の活路に繋がるわけではない。次に少女の姿を見つけた時には、既にテュルクの他に生きている仲間はおらず、ついにその矛先が彼にも向いた。
テュルクは、少女の見逃してくれるという言葉を信じ、彼女の問いに自分の知っている限りを洗いざらい吐いた。
その末が、この言葉だ。
「それじゃ、安らかに」
愕然とした。
必死に、縋るように、テュルクは命乞いを始める。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! さっき、見逃すって……!」
「あら、そうだったかしら?」
「待て、待ってくれ! 頼む! 俺は! 俺はまだ死ぬわけにはいかないんだ! 妹が--!」
「そんなことは、私の知ったことではないわ」
冷たく放たれた言葉に、絶望する。
諦め、目を閉じたテュルクは、心の中で妹に謝罪した。
(すまない、セルフィ……。最後に一目、お前に会いたかった……)
しかし、いくら待っても白刃の感触は襲ってこない。
不思議に思い薄く目を開けると、自分に背を向けて刀を構える少女の姿があった。
そこに、きい! という甲高い音が鳴る。
次は何が現れたんだ、と震えながら確認すると、音の正体は奇抜な様相の男? だった。
その男は、何事か呟いた後、なにやらおかしな形の乗り物から降りて、こちらに近づいてくる。
「なあなあ、ちょっと聞きたいことあるんだけどー」
脱力した声に、テュルクも気が抜け落ちそうになる。
「……あの男、盗賊たちの仲間?」
しかし、目の前で剣を構える少女が振り返ることなくテュルクに問いかけ、弛緩した緊張の糸が再び張り詰める。
「い、いえ、見たこともない男……です」
「本当?」
「ほ、本当です!」
不審そうにテュルクを横目で見て、少女はかぶりを振った。そして、声を張って男に答えた。
「聞きたいことってなに?こっちは今、取り込み中なんだけれど」
「ああ、うん。そうみたいだな。どこもかしこも大変だよなー」
「…………」
「ん?あ、そうか。えっと、聞きたいことってのは……」
少女が呆れたような空気を発する中、男はたすき掛けに肩から掛けた鞄をごそごそと漁る。取り出したのは、小さな紙の束だった。
「そこのお兄さん。あんたが……テュルク・ノウリッジ、だよな?」
読み上げるように名前を呼ばれ、まさか自分を名指しされるとは思わず、テュルクは驚きを禁じえない。背を向けたままの少女が少し顔を向け、やっぱり仲間じゃないかと言わんばかりに懐疑の視線を投げてくる。
それも無理からぬことだ。テュルクがあの男と初対面であることに偽りはないが、事実、名前を把握されているのだから。テュルクは頰を引き攣らせながら頭を振ってその視線に答えるが、少女はテュルクを射殺すように睨み続けた。
テュルクが今にも斬りかかられるのではないかと兢兢としていると、問いの返答がないことをとくに気にする様子もない男が、あたかも肯定を受けたかのように続けた。
「あんたに文だ。送り主は……セルフィ・ノウリッジ」
「セ、セルフィ!? い、妹だ! 本当にセルフィからなのか!?」
テュルクが声を上げると、途端に男は陽気な笑顔を見せる。
「お! やっぱりお兄さんがテュルクか? いやーよかったよかった。間一髪ってとこか。これで無事に配達できるなー」
男は少女の横を軽い足取りで通り過ぎ、テュルクの目の前までやってくると、取り出した紙の束をテュルクに差し出した。が、その瞬間、男の首元に刃が突きつけられる。
「待ちなさい。あなた、運び屋?」
「んー? 一応? そういうことになるのか?」
「なんで疑問系なのよ……。まあいいわ。そいつは盗賊、私はその殲滅を任じられた傭兵。運ぶだけしかできない運び屋が、傭兵の仕事の邪魔をしないで」
「いや、別にそんなつもりはないんだが。というか、傭兵が仕事なら運び屋も仕事なんだよ。良い子だから邪魔すんな。ほら、飴ちゃんやるから」
男は空の右手で背に開いたポケットをまさぐると、綺麗な包装のされた小さな丸い物体を取り出した。
テュルクは思った。
あ、この人やっちまった、と。
「ふざけるな!」
子供のような扱いに対し、その顔に明らかな怒気を募らせた少女が、差し出された手を振り払う。男の手から放り出された飴玉が、流血に塗れた地面の上を転がっていった。
テュルクは知っている。この少女が只者でないことを。
見た目は非力で無害であるように見えるが、彼女はその肉体に常人離れした力を宿している。
現に、テュルク以外の盗賊たちは、彼女を格下の獲物と見くびり、その命を散らした。あるいは、対等や格上として臨んでいたところで、結果は変わらなかったとすら思う。
きっと、今、同様に彼女を軽んじた謎の男にも、その兇刃が振るわれる。
だが、テュルクが予期したことは起こらなかった。
男の首元から一度大きく離れ、勢いをつけて振り下ろされた剣は何かに弾かれた。弾かれた反動で少女は大きく体勢を崩し、地面に膝をつく。
「えっ……?」
そのことに誰より驚愕したのが、それを振るった本人らしかった。
戦闘前から今に至るまで、テュルクが目にしたことのない表情で呆然とする少女。
「あ、言い忘れてたけど、俺の身に危険があったら俺の愛車が黙ってないから」
いつの間にか、少女と男の間に、先ほどまで男が乗っていた乗り物が現れていた。
テュルクはそれを只の乗り物だと思っていたが、どうやら違ったらしい。
『ちゃり』は異様なオーラを放ち、男を庇うと同時に、少女を威嚇するようにそこに佇んでいる。
「ふ……ふふふ。やってくれたわね。たかが……たかが、鉄の塊が! こんなもの! 壊してやる!」
「ホイールだけな。車体は鉄じゃなくて合成樹脂」
体勢を立て直し、少女は明確な敵意を含んだ啖呵を切って、『ちゃり』に斬りかかった。男が何か呟いたみたいだが、それはどうでもいい。
『ちゃり』はその斬撃を避けなかった。後ろに控える主人を護るかのように、微動だにしない。
そう、微動だにしなかったのだ。
あの少女の剣戟を受けても。
彼女が剣を振るうたび、それは音もなく弾かれる。まるで『ちゃり』が見えない壁を周囲に張り巡らせているかのようだ。少女は狙う部位を毎回変えているようだが、それでもその悉くが弾かれる。幾度か『ちゃり』を捨て置き男のほうに斬りかかろうとしたようだが、少女の速度に合わせるように移動した『ちゃり』に阻まれ、また弾かれる。
弾かれるたびに、少女は少しよろめいて、体勢を立て直すとまた振るう。だが何度斬りつけても、その車体に傷一つつけられない。
先ほどまで圧倒的な力で仲間たちを斬り伏せた人間が、軽くあしらわれている。
そのことにテュルクは衝撃を覚えた。
そして、思った。
『ちゃり』すげえ! と。
「なんなのよ、これ!」
「いや、だから言ってんじゃん。俺の愛車だっつうの」
「そう! あんたもチャリとやらもあくまで私の邪魔をするというのね!」
「いや、別にお前の仕事を邪魔する気はないんだけど」
「うるさい! もう謝っても許さないわよ!」
「いや、謝る気もないんだけど」
怒り心頭で怒鳴り散らす少女と、どこか抜けた調子で答える男。
少女はさらに怒気を強め、速度を増して剣を振るい続ける。しかし、やはり『ちゃり』には通用しないようだ。
その様子を見ていた男が、ふと思い出したようにテュルクのほうを向いた。
「すまんねお兄さん。あの子がやけに突っかかってくるから気を取られてた。……ほい、これ。お届け物だ」
そう言って、今度こそテュルクに便箋の束を渡す。
テュルクはこの状況で呑気になにを、と思ったが、素直に礼を言い受け取った。
すると黙っていないのが、銀髪を振り乱して暴れている少女である。
「ちょっと待ちなさい! なにさらっと渡してるのよ!」
「ん?ダメだったか?」
「ダメよ! 当たり前じゃない!」
「いや、なにが当たり前なのかさっぱり分からんのだが」
「あんたが盗賊の仲間じゃない保証はないわ! 荷が安全である保証もない! そこの下種も、受け取るんじゃない!」
不意に矛先を戻され、テュルクはたじろいだ。下種呼ばわりされたことに小さな怒りが芽生えたが、それを態度に表してはテュルクの命などあっという間に刈り取られるだろう。
命令に従うべきと判断し、受け取ったものを男に返そうとしたところで、男がテュルクを掌で制し、少女に言った。
「引取を拒め、か……。それは送り主の意を踏みにじる言葉だ。……つまりお前、俺の仕事を邪魔するんだな?」
飄々としていた男が、打って変わって不機嫌そうな口調に変わる。
「仕方ない。それならこっちもそのつもりで相手してやるよ」
そして、大きな声で、「ローザ!」と呼びかけた。
誰のことだ? とテュルクが疑問を感じていると、『ちゃり』の(たぶん)頭のほうに付いている装飾が、ちかちかと瞬いた。
「しばらくそいつと遊んでやれ!」
その言葉に呼応して、今まで主人のそばから離れなかった『ちゃり』が動いた。
いや、動いたらしい。
というのも、テュルクにはその姿が掻き消えたようにしか見えなかったのだから、そんな表現になっても仕方がないだろう。
「ぐっ……!?」
同時に、声にならぬ短い音を残し、少女の姿も消えていた。
と思えば、街道から離れた林のほうから、なにやら音が聞こえてきた。
音と言っても、鳥の囀りや木々のさざめきなどといった優しい音色ではない。
耳をつんざくような、身体の芯が震えるような轟音である。
「おーおー、あいつ強いなぁ。ローザの速度についていけるやつ、初めてだ。初見でアレやられたら大体一撃でのびるからなー」
先ほど見せた剣幕はどこへやら、呑気な雰囲気を取り戻した男が言った。
アレ、とは少女が呻くような声を残しながら受けた初撃のことだろうか。
男の呟きを聞いて、テュルクも少なからず状況を理解する。
どうやら、あの『ちゃり』とかいう--ローザという名前もあるらしい--乗り物が、回避出来ぬ初撃をもって少女の身体を連れ去り、しかし彼女はその一撃で倒れず、現在、テュルクの目に見えぬ速度で両者は斬り結んでいるらしい。
乗り物と斬り結ぶって、文章としてどうなんだろう? などと馬鹿なことを考えつつ、テュルクは目の前にいる男を見た。
「なぁ、あんた。あの乗り物は……」
「あ、お兄さんもやっぱり気になる?」
「え? あ、ああ。そうだな」
テュルクは生返事をした。
たしかに、気にならないわけがない。
一体、あの乗り物はなんなんだ。
その答えが聞きたくて、テュルクは男の言葉を待った。
「やっぱ気になるよな! そうなんだよ! 何を隠そう、俺のチャリは自走するんだ!」
「そこじゃねえよ!」
思わずツッコミを入れるテュルク。
「そこじゃない……? あ、あっちのことか。そう。何を隠そう、俺の愛車は巨大化する!」
「きょ……はっ!?」
続いた言葉に、テュルクは言葉を失った。
そして、先程から超高速の闘いが繰り広げられているほうを見ると、なるほどたしかに『ちゃり』が周囲の木々と同じ高さにまで大きくなっている。
いやなるほどたしかにじゃねえよ!
なんだよあの乗り物!
「ついでにもう一つ言うと、俺の愛車は分身する!」
「ぶっ……!?」
再度見る。
すると、今度もなるほどたしかに巨大な車輪を二つ備えた巨大な乗り物が、二つに増えて縦横無尽に走り回っていた。
いやなるほどじゃなくて。
テュルクはもうどうコメントすればいいのやら分からなくなった。
「一体、なんなんだよアレ……」
半ば放心気味のテュルクを置き去りに、男は独自の世界に浸り、しみじみと語る。
「巨大化、分身、男のロマンだよなあ……」と。
感嘆の息をつく男を視界から追いやり、再三テュルクは激闘(?)の現場を遠目に見る。
そこには、巨大な車輪を浮かせたと思えば地面に落として轟音を響かせたり、巨大な車体の吶喊でその幹を粉砕された木々が荒々しく薙ぎ倒されたり、車輪を高速に回転させながら車体を水平近くまで傾けて大地を削るようにぐるぐるとその場で旋回したりしている超弩級の大きさの物体があった。それらに加えて、時にその姿が見えなくなったりもするから、攻撃のバリエーションはもっと多いのだろうと思われるが、それ以上はテュルクの視力では判別できなかった。
そんなものが二台。
先ほど聞こえた轟音の正体の全てが『ちゃり』の仕業であるらしいと分かって、つい先刻仲間たちを全て殺し、テュルク自身も殺されかけたほどの圧倒的な強さを備えるにも関わらず、得体の知れない謎の巨大化した物体(×2)の足元で、冷や汗を流しながら全力で逃げ惑っているであろう少女の姿が想い浮かべられ、テュルクは思う。
なんて不憫なんだ、と。
「お兄さん。期待してるとこ悪いけど合体はまだ出来ないぞ」
「いや期待してないから! ……ちょっと待て。まだ?」
まだ。となるといずれは合体できるようになるというのか。
合体……?
あれ、合体ってなんだっけ?
正直考えるのも疲れてきて、いっそ考えるのが間違いなのかもしれないと思い始めるテュルクに、男は不意に真面目な雰囲気を纏いながら告げた。
「それはそうとお兄さん。荷を検めてもらっていいか?で、問題なければ受領印を貰いたいんだが」
現実離れした光景をまざまざと見せられていたテュルクは、男の言葉にはっとした。
テュルクは自分の手の中に妹からの手紙の束が握られていることを思い出すと、改めて手元を確認する。綺麗に折り畳まれ、麻糸で丁寧に束ねられたそれらの一番上には、依頼書と題された紙が挟まれていた。
そこには、優美な字で間違いなく自分と妹の名前が書かれている。
『to:テュルク・ノウリッジ
from:セルフィ・ノウリッジ』
「問題ないか?」
「ああ。たしかにオレと妹の名だ」
「そうか。じゃ、ここにサインを」
テュルクは男からペンを受け取り、「ファーストネームだけでいいよ」と言う男に促されるままに、依頼書の隅の、縁に『受領印』と書かれた小さな円の中に自分の名を書いた。
儀式めいた作法を不思議に思ったが、たかだか名を書いたくらいで命を取られることもあるまいと、特別警戒もせずに書き終わる。
テュルクが書き終えたことを確認すると、男は手紙の束の麻紐を解くや否や、一番上に収まっていた依頼書を引き抜いて満足そうに頷いた。
「たしかに。まいどありー」
なんとも気の抜ける調子である。
改めて考えても、不思議な男だ。
覇気を感じない飄々とした態度をしているクセに、強大な力を持つ乗り物を従え、暴力の具現のような少女を逆に手玉に取り、今度は貴族がするような契約書の取り交わしめいた儀式。
あの少女との会話の中では運び屋を名乗っていたが、果たしてどこまでが真実なのやら分からない。
しかし今、テュルクには男の素性や言動などよりも気になるものがある。
もちろん妹からの手紙の内容だ。
「な、なあ、読んでもいいか?」
問うと男は、不思議そうに首を傾げた。
「なんで俺に聞くんだ? もうお兄さんに渡したんだから、それをどうしようとお兄さんの自由だよ」
素っ気ない返答だったが、テュルクはそれもそうかと頷き、丁寧に折り畳んで束ねられた便箋のひとつを開いた。
『にいさまへ』
手紙は、そんな書き出しで始まった。
『お元気ですか?
セルフィは、元気です。
院長さんや、シスターさんは、とてもよくしてくれます。
さいきん、お料理のお手伝いもまかされるようになって、たまごのお料理と、きのこのお料理をおぼえました。
ちっちゃいこどもたちがやってきて、おねえさんになりました。
シスターさんは読み書きもおしえてくれて、たくさん言葉をおぼえました。
もうさいしょのころみたいに、へんな文章にもならないの。
あ、さいしょのころっていっても、にいさまには一回も読んでもらってないから、たぶんわからないとおもう。
いつも、お手紙をはこんでっておねがいしてるけど、にいさまの場所がわかんないって。
だから、これもきっとにいさまに読んでもらえないんだろうけど、でも、いつかにいさまが帰ったときに読んでもらいたいから、これからもいっぱい書こうとおもいます。
大好きなにいさまへ セルフィ』
中身は簡潔な内容であった。日々の出来事と、手紙を書く理由を綴っただけの手紙。
たったそれだけの手紙であったにも関わらず、読み終わったテュルクは、しばし何かを堪えるように天を仰いだあと、何も言わず次の便箋を手に取った。
『にいさま
にいさま、いつかえってくるの?
あいたい。
さみしい。
にいさまにあいたい。
まいにち、いつもおんなじ。
おじさんもおねえさんもやさしい。
でも、にいさまにあえないの。
あわせてくれないの。
あいたいよ。
ぎゅってして、わらってほしいよ。
せるふぃ、にいさまにいてほしい。』
それは、一枚目の手紙とは比べられぬほど汚い文字の集まりだった。けれど、書いてある内容は、ひどく純粋で、まっすぐで、綺麗な想いが詰まっていた。
おそらくは、一枚目に読んだ手紙の『さいしょのころ』に該当するであろう手紙だろう。ただただ自分に『会いたい』という想いだけが込められた手紙。
震える腕で霞む視界を一つ拭って、テュルクはさらに次の便箋を取る。
『兄さまへ
お元気ですか?
わたしはとっても元気です。
いつも、わたしのためにいろんなものを贈ってくれてありがとう。
こないだ贈ってくれた真珠のイヤリングは、とっても綺麗で、素敵でした。
思わずシスターさんに自慢したら、シスターさんもすごく気に入ってくれて、あなたにすごく似合うわなんて言って、褒めてくれました。
兄さまが選んでくれたのかな?
もしそうだったら、もっと嬉しいな。
いつか、兄様に似合うアクセサリを、今度は私が選んでプレゼントしようと思います。
男の人なら、腕輪とかが良いかなあ?
あんまりきらきらしてるのは嫌かもしれないから、シスターさんにも相談して、贈るものを考えておきます。
いつもわたしを気にかけてくれて、本当にありがとう。
大好きな兄様へ セルフィ
追伸
兄様が選んだのじゃなくても、嬉しいよ。
もしお仕事先で恋人さんが出来て、その人が選んでくれたのなら、一度はその人を連れて私に会いに来てほしいな。
兄様が会いに来てくれるのを、ずっと待っています。』
手紙を読み終わり、テュルクはもう一度、天を仰ぐように空を見上げた。心中に、薄暗い罪悪感が実をつけるのをはっきりと感じながら。
「なに、やってんだ……」
手紙の中に書いてある、真珠のイヤリング。
そのイヤリングは、ヴェルトとは別の町の周辺を縄張りにしていた一年ほど前、盗賊団が襲った商人の一行の荷の中からテュルクに分け前として与えられたものだった。そのイヤリングの他にも値打ちものが多く手に入ったから、下っ端のテュルクにさえ上等な分け前が与えられたのだ。
あの頃の盗賊団は進んで殺しを行なっているわけではなかったが、それでも全く無かったわけではない。彼は商人にしては気概のある男だったから、よく覚えている。冒険者を護衛に雇い、盗賊に媚びず、通行料さえ差し出せば命は助かったろうに、最後まで抵抗し続けた相手だ。数で勝るテュルクの盗賊団に、最後には身ぐるみを剥がれ、そして……殺された。
あのイヤリングは、そうして手に入れた装飾品だ。それを、何も知らぬ妹は、純粋に喜んだ。
「なにやってんだ、オレ……」
テュルクは、自身の矛盾を省みる。
そもそもの前提が、きっとおかしかった。
妹のためにと嘯くのであれば、その妹のそばで、妹を見守れる位置で、妹に尽くすべきだったのだ。
そんな誰でも分かる回答を見て見ぬ振りをして、 盗賊に身をやつした自分を呪った。
稼げる仕事を紹介するという、甘い誘惑に乗った過去のテュルク。
一度足を踏み入れ、大した労働もせず大金を手にすることができた彼は、徐々に盗賊から抜け出せなくなっていった。
そして、悪事を働いている自覚はあっても、妹のためと自分を騙し続けた。
自分を騙して、他人を食い物にした。その結果、一番騙したくない大事な妹を、最初から騙していたことに今更気が付いた。
それがテュルクには何より不甲斐なく、何より許せなかった。
「なあ、お兄さん」
男の声で、自責の念に打ちひしがれる時間が唐突に終わる。
空から視線を戻して声の方向を向くと、テュルクのそばにしゃがみ込み、黒い眼鏡の奥からテュルクをじっと見つめる男の姿があった。
「実は、まだあるんだ」
男はそう言って、もう一束、同じように麻紐で結ばれた手紙の束を鞄から取り出し、テュルクに見せた。
「こ、こんなに……?」
「いや、まだある」
さらにもう一束、二束、同じように取り出して、男はそれらをテュルクの前に置いた。
「これだけ書くの、大変だったろうな。こんなに想われて、あんた、幸せ者だよ」
テュルクは言葉を失った。
かわりに、目頭に熱が点り、男に言葉を返すように嗚咽を漏らしながら、ぽろぽろと涙を溢した。
「これだけの量でも、まだ全部じゃない。あまりの量に持ちきれなくってさ。半分以上を彼女の元に残してきたんだよね。
お兄さん、どうする?」
「……ど、どう、するって……なにを……?」
テュルクは問われた意味が分からず、掠れた声で問い返す。
すると、男はぽりぽりと首の後ろを掻きながら、説明するような口調で返した。
「俺はさ、一度依頼を受けたらなんだって運ぶつもりだ。それがたとえ人を運べって依頼だったとしても、俺は精一杯応えるよ。
……そんな男が今、お兄さんの目の前にいる。そいつは、誰かの妹さんの居場所を知ってるし、そこまで人一人くらい簡単に送り届ける方法も持ってるんだ。
……さあ、どうする?」
その言葉を聞き、テュルクは目を丸くした。
「『人を運ぶ』依頼は……運び屋ギルドが、禁じているんじゃ……」
「うん。そうらしい。護衛とか護送みたいな人を運ぶ任務は、傭兵とか冒険者の仕事らしいからな。でも、そんなもんギルドを通さないなら関係ないさ」
男はそこで一度言葉を切った。
そこまではまったく悪びれる様子もなく言い切ったのだが、ここで初めて少しばつが悪そうな表情になった。
「実を言うと、妹さんの依頼も正規の依頼じゃないんだよね。ギルドが依頼を受理しない感じだったから頭にきてさあ。何の為の運び屋だーなんて怒鳴って、俺が妹さんの手紙を届けるって言っちゃって……って、それはいいや。で、どうするんだ? 依頼、するか?」
正直なところ、すぐにでも飛びつきたい話だった。
だが、すぐに思い留まり、テュルクは力無く首を振る。
「しかし、オレは……。盗賊だ。隠れて盗賊やってたんだ。汚れちまったクソ野郎だ。妹に合わせる顔なんて……」
「まだ逃げ続けるのか?」
「……っ!」
後ろめたさを見透かすような言葉に、テュルクは息を呑む。
「妹さんに大体の話は聞いたよ。向こうは薄々気付いてるみたいだぞ?お兄さんが危ない橋を渡ってるってこと」
「そ……んな」
「その上で、俺に依頼してきたんだ。手紙届けてくれって。で、もし危ないことしてたら、引っ叩いて運んできて、ってさ」
「……そう、なのか」
正直、信じられない思いで一杯だった。
しかし、男の運んできた手紙は、テュルクに大きな心の変化を齎していた。
「妹さんはお兄さんに会いたがってるぞ。あんたはどうしたいんだ?」
「オレは……」
まだ逃げ続けるのか?
いや、もう十分だ。もう逃げたくない。
「謝りたい。オレはセルフィに会って、謝りたい」
妹からの、『会いたい』という想い。
成長に伴い文体が変わっても、その部分だけは一貫していた。
ならば、テュルクもその想いに応えなければならない。
……いいや、違う。
妹のためになどと下手な言い訳はもうしないでおこう。
テュルクも、『会いたい』のだ。
愛する妹に。こんな自分をいまだ愛してくれている妹に。
会って、謝罪したい。許してもらえるか分からないが、謝りたい。
できるなら、一刻も早く。
「あんたに頼むと……どれくらいで着くんだ?」
「一日はかからないな」
「い、一日……?」
ここからセルフィを預けた修道院のある町まではかなりの距離があり、歩いていくとなれば半月以上はかかる距離だ。しかし男は平然とそう言ってのけた。
けれど、この男ならあるいは、とも思う。
あの規格外の乗り物を持っているこの男なら、おそらく本当にそれくらいで運んでしまうのだろう。
「いくらかかるんだ……?」
運び屋に依頼をするのは、金がかかる。とくに、運び屋が人を運ぶとなれば運び屋ギルドを敵に回す行為だ。リスクに見合う報酬がなければ釣り合わない。
テュルクもそれくらいは心得ている。
だが。
「料金はいらん。妹さんに前金で破格の報酬を貰っちまっててさ。お兄さんにこんな提案したのも、これじゃぼったくりになるから、って理由もある」
「そう、か……」
妹はそれすら見越していたようだ。どんな報酬が支払われたのか少し気になるが、テュルクはそこまで尋ねるほど図々しくはなれなかった。
テュルクは一つ深呼吸をして、男に頭を下げた。
「頼む。妹のところに、俺を運んでくれ」
「承った」と短く返答し、男は立ち上がる。
「ローザ! ご苦労さん! もういいぞ!」
男が声を掛けると、その姿を元の大きさに戻した『ちゃり』が彼の元へやってきた。
「働かせっぱなしで悪いんだけど、仕事頼めるか? このお兄さんを妹さんのとこまで送ってほしいんだ」
男の言葉に、ちかちかとライトを照らして応じる『ちゃり』。
そして、その姿がぶれるように二重になったかと思うと、まったく同じ形の乗り物が現れ、片方がテュルクの前まで進んだ。
「乗り方を教えるよ」
テュルクは男から、『ちゃり』の乗り方について一通りレクチャーを受けた。テュルクの理解できない単語がたびたび出てきて、それについてとくに注釈も加えず済ませるかなりいい加減な説明だった。
やれペダルは足の指の付け根の部分でしっかりと踏み込めだとか、やれ引き足も使って漕ぐんだとか、やれ重要なのは太もも裏の筋肉だとか、やれハンドルを支えるためには上腕二頭筋も大胸筋もめっちゃ大切だとか、そんな謎の説明である。
解らない単語が頻出しても熱心に聞いていたのに、「ま、自動操縦で最短距離を勝手に走るから、跨ってるだけでいいんだけどな」という締めくくりに何もかもが台無しになった。
説明を終えると、男は少し離れた場所に佇む本体と思われる『ちゃり』のほうへ歩み寄ってから、テュルクに向き直る。
「そのローザはあくまで分身だからな。お兄さんを妹さんの元に降ろしたら消えちゃうと思うから気を付けて」
「何から何まで、すまねえ」
「いいって。兄妹仲良くな」
「……ああ。ありがとう」
湧き出てくる感謝の念を口にしつつ、男に言われた通りの姿勢で『ちゃり』に跨るテュルク。サドルに跨り、ハンドルを握る。ペダルに足をかけようと言うところで、最後に男が言った。
「あ、言い忘れてた。ハンドル思いっきり握ってないと振り落とされて死ぬから」
「え?」
そして、ペダルに足をかけた瞬間。
ヒュオッという短い風切り音を残し。
「うっぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!?」
周りの景色がとんでもない速度で動き始めた!
「あああああああああぁぁぁぁぁ!?」
いや、違う。
だんだんと強まり、いまやゴウゴウと耳をつんざく風の音。
流線となって後方に流れて行く木々の緑色。
そう。テュルクが動いているのだ。正確には、テュルクを乗せた『ちゃり』が。超速で。
「ちょ、待っ! はや、はやすぎひいいいぃぃぃ!?」
テュルクはようやく思い至る。
男の飄々とした態度や妹の手紙に気を取られてすっかり失念していたが、この訳の分からない乗り物はとんでもない速度で走るのだ!
あの化け物みたいな娘とやりあえるくらいに、こちらも化け物なのだ!
「死ぬ! 死ぬぅぅぅぅ!!」
振り落とされまいとテュルクは必死にハンドルにしがみつく。男には左右に突き出した部分を両手でそれぞれ握るように教えられたが、今は上半身一杯でハンドルに抱き着くような格好になっていた。
露出している腕が痛い。頭部には髪が毟られているかのような痛みを感じる。
周囲を確かめようとしても、風圧のせいか、もはやまぶたも開けない。
「痛ぇぇぇ!うああぁぁぁぁぁ!死ぬぅぅぅ!」
落ちたら死ぬ。間違いなく死ぬ。
そして悲しいかな、テュルクはこの『ちゃり』を停める術を聞いていない。
依頼料やらかかる日数やら乗り方やらの心配をする前に、何よりもまずテュルクは男に尋ねるべきだった。
「その乗り物危なくないの?」と。
「誰か助けてくれぇぇぇぇ!」
テュルクの絶叫すら置き去りにしつつ、その二輪車は平原を猛然と突っ走っていった。