プロローグ1ー彼女の仕事
大半を思い付きと勢いで書いておりますので、設定がところどころ甘いです。
なので細かいこと考えずに頭からっぽにして読んだら割と楽しいと思います。
個人的にはマイルドだと思うのですが、念のため残酷な描写ありにしています。
「お客さん、もしかしてヴェルト方面へ向かわれるんで?」
セドナが旅に要り用なものの買い込みを済ませ、それらを背囊に詰めていたところで、そんな質問が彼女の耳に飛び込んだ。
お客さん、という呼称からも分かるように、声をかけた相手は当然、彼女に品を売った商人である。
「ええ。少し用事があって。よくお分かりになりましたね」
「こちとら長年商売などやっておりますもんでね。誰がどんな品をお求めになったかということだけで、それなりに勘も働くようになったんでさあ」
なるほどね、とセドナは頷く。
確かにたった今この店でセドナが買い求めた品は、日持ちする携行食、ランプにさす油に火打石など、旅に必要なものばかりだ。加えて、セドナは薄い外套を羽織り、ブーツは歩きやすい物を選んで履いている。
間違ってもこの格好で舞踏会や晩餐会に参加するわけにはいかない。むしろ、私はこれから旅をしますと言っているような服装だ。察することは容易かもしれない。
だが、腑に落ちないこともある。
「しかし、なぜヴェルト方面だと?」
「この時期、西の山脈を越えるのは自殺行為ですからね。平地は肌寒いだけだが、山の上は雪が降り積もってるでしょう。北も同じ。もっとも北は平野だから山よりはいくらかましでしょうが、それにしたって雪の上を歩いて行くのは厳しい。
見たところお客さんは軽装だ。とても極寒の大地へ向かう人間の装備じゃない。となると必然的に、南のヴェルトのほうだろうということでさあ」
セドナは再度頷き、素直に感心した。
買った商品だけでなく、買った人物までしっかりと観察しているからこそ出来る推理だ。注意力と観察力の備わらぬ人間には出来ない真似だった。
そして、その指摘は的を得ている。ただ、半分くらいは的を外している。それは、普通の人間ならば、という前提に立った推測だったからだ。セドナは、普通の人間ではない。寒冷地を越えるために彼女に必要な装備は、温暖な地に向かうときの装備とさして変わらない。
となると、ほぼ当て推量がたまたまヒットしたということになるわけだが、セドナはそれについて反論する気は無かった。些細な矛盾を論うような無粋を働くのは、彼女の好みではない。まあ、結果的にセドナの目的地は見事に言い当てられたのだから、決して商人が間違ったことを言っているわけではないという理由もあるが。
「なるほど。お見事ですね」
ちなみに、話に上がらなかった東の方角には海が広がっていて、この町の港に船が入るのは月に二度。しかも、つい昨日入港し、今朝出航したばかりだ。その船に乗ってこの街にやってきたセドナも、それを知っているからこそ、商人の説明に不足があるとは感じなかったし、指摘もしなかった。
「……悪いことは言いません。南に向かうのはやめときなさいな」
褒められたことを特に誇るでもなく、商人はセドナに忠告めいた言葉を投げた。
「なぜ?」
「なぜって、お客さん、聞いてないのかい?ヴェルトに向かう街道に、盗賊団が出るって噂」
商人は神妙な面持ちで語り始める。
「噂と言ったが、ありゃ本当ですよ。実際、私の知り合いの商人もやられましてな。仕入れから帰るところをバッサリ。身ぐるみ剥がされるなんて生易しいもんじゃないですわ。それこそ根こそぎ、命まで奪われた。あいつは、気のいいやつでした。なにも……なにひとつ、殺される理由なんてありゃしないってのに」
忌々しげに語る商人の目端に、薄らと涙が溜まっていた。カウンターに乗る拳は、わなわなと震えている。盗賊に殺されてしまったのは、知り合いなどという枠に収まらぬ、もっと近しい間柄の人間だったのだろうか、とセドナは邪推する。
「私はね、奴らが許せんのですよ。お客さんのような年若い娘さんを黙って行かせて、奴らに獲物を与えるようなことはしたくないのです」
セドナは表情に出さず、心の中で苦笑した。
この商人が自分が何者なのかを知っていたら、確実にしない忠告だろうなと思った。
「ご忠告は確かに。けれども、用事があってね。どうしても行かなければいけないの。ごめんなさい。それと、ありがとう」
とはいえ、久しく侮られることなどなかったものだから、それほど悪い気はしない。むしろ若かりし新米の頃を思い出して、少し新鮮に思えた。
購入した品物を詰め終わり、精一杯の謝辞と笑顔を残し、店を出ようと踵を返したところで、商人の一際大きな声が店内に響いた。
「お待ちなさい!じき、領主様が傭兵団を派遣してくださるそうです!せめて!せめて盗賊たちが退治されるまでこの街に留まったほうが--」
「それには及びません」
セドナは凛とした声でぴしりと商人の言葉を遮り、すげなくあしらうようにそのまま店の出口へと向かった。が、ふと立ち止まり、商人の言葉の中におかしな部分があると気がついた。
「……傭兵団?」
振り返り、店のカウンターで必死の形相を浮かべる商人に向き直る。同時に、セドナは左手に魔力を込めた。
すると、なにもなかったはずの彼女の左手に、成人女性の背丈--ちょうど、セドナの身長と同じくらいの長さーーの刀身をもつ剣が現れた。
緩やかに反った、美しい刃。持ち主の髪の色と同じ、鈍色に輝く凶器。
鋭利な刃物がいきなり店内に現れたものだから、商人はぎょっと目を丸くした。
動揺する商人に刃の切っ先を向け、セドナは凍り付くような微笑を浮かべながら言った。
「ひとつ訂正を。領主が派遣するのは傭兵団ではなく、ただ一人の傭兵、ですよ。覚えておいてくださいね?」
有無を言わさぬセドナの迫力に、商人はただ黙って首肯を繰り返した。
「よろしい。……ま、別に覚えてくれなくてもよいのですが。すぐに討伐される対象がいなくなるのですから」
その言葉を最後に、セドナは店を後にした。
握られていた剣は、店先を歩く彼女の左手からいつの間にか消えていた。
******
セドナが街を出てから、一日が過ぎた。
普通の旅人を装うために、かなり速度を緩めて歩いていたら、何者に出遭うことなくあっさりと初日が終了した。夜など、あえて隙を見せて襲撃を誘おうと、他の通行人に憚りなく(誰も通らなかったから問題ないが)、延々真っ直ぐ伸びる街道の上で火を焚いて野営したというのに、何も引っかからず終いであった。
気になるのは、盗賊だけでなく通行人などとも一度もすれ違っていないことだが、よくよく考えた結果、その事実こそがこの街道の先に盗賊たちの存在を証明していると納得した。
という前日の考察を活かし、二日目の今日、セドナは少しばかり歩みを早めている。
正午を過ぎ、買った携行食を腹に入れてから少し経った頃、セドナは周囲の風景が、町の近郊と比べてかなり変化していると感じた。
町から随分離れたせいか、街道の脇に木々や茂みが目立つようになってきている。道幅は狭くなり、整備が行き届いていないのか、はたまた誰かが踏み荒らしたのか、路面の凹凸も徐々に激しくなってきた。もしも馬車などでこのあたりを通るのであれば、少し速度を落とすことだろう。
「……ようやく、かしら」
あまりにも、あからさますぎる。いかにも襲撃に適した地形である。
しかも先刻、セドナはちょうどこのあたりから何者かの視線を察知した。街に属する物見の類かと思ったが、櫓なども見当たらないし、第一、ヴェルトの街はまだまだ先だ。
セドナはふう、とひとつ息を吐き、歩みを止めた。
すると、数拍の間を置いて、数歩先に一本、矢が落ちてきた。そこは、そのまま歩き続けていたら、おそらくセドナの体があったであろう地点だった。
矢は地面に突き刺さることはなく、のたうち回るように跳ねながらセドナの足元を通り過ぎていった。あまり質のいい矢ではないようだ。
「一、二…………八人、ね」
がさがさと草を踏む足音がして、男が八人、セドナの前に躍り出た。控えている者が何人いるかは把握できないから、総数は不明。少なくとも後方に弓士が一人いることは確定しているので、暫定九名というところか。
姿を見せた者たちの半数は片手に剣を携えている。得物のない残り半分は魔術師か暗器使いか、セドナには判別できなかったが、おそらくなんらかの攻撃手段は持っているものと彼女は推測した。
「おっと、動くなよ、嬢ちゃん。一本目は外れたようだが、弓はまだあんたを狙ってる。合図したらもう一本飛んでくるぜ」
男たちが、セドナに舐め回すような視線を向けている中、そのうちの二人が声を発した。一人は剣を持ち、もう一人は無手だ。
「まったく、足を狙えと言ったのに外しやがって。まあいい、見たところ上物だ。奴隷商人に売るなら身体は綺麗なほうがいい」
噂の盗賊団。どうやらこれを率いているのはこの二名らしい。他の六人はその二人を中に据え、セドナを中心に半円状に並んだ。なおも徐々に広がり、八人で四方を囲むつもりだろう。
「へへへ。さ、大人しく膝をついて手を後ろに組みな。なぁに、抵抗しなけりゃ可愛がってやるからよ」
「おい、売り物にするんだ。あまり傷つけるようなマネをするなよ」
「へいへい、分かってらあ。なあに、売りはらう前にちょっと楽しむだけさ。おら嬢ちゃん、早く膝をつけや」
下卑た笑みを浮かべる男、それを窘めるも止めぬ男。両方を無視して、セドナは考える。
この状況で最も厄介なのは、こちらを弓で狙える距離にいる弓士。だが、幸い不用意に放たれた最初の一矢から、セドナはその位置を把握していた。まずは、それを排除する。
「おう、そうだ。自分から脱ぐなんて、なかなか分かってるじゃねえか。へへ」
動くのに邪魔な外套を脱ぎ、背嚢とともに地面に下ろすセドナに、男は上機嫌で声をかけた。
「……汚らわしいわね」
セドナは眉を顰めたまま、身軽さを確保した瞬間、左手に魔力を込める。
同時に、低い姿勢で駆け出し、いやらしい笑みを浮かべ、セドナの身体を欲望にぎらつく眼で舐める男の懐に潜り込んで、現出した刀剣による左薙の一閃を放った。
煌めく銀閃は男の右の脇腹にすっと飲み込まれ、その胴体の半分以上を裂いて、臓物と鮮血を撒いた。しかし、セドナの身体が朱に染まることはない。一瞬のうちに彼女はそこから消えていたからだ。
セドナは剣を薙いだその勢いのまま、目にも留まらぬ神速で移動する。向かう先は、矢の出処である街道奥の茂み。
あっさりとそこに辿り着き、敵の接近に気付かぬままの無防備な弓士の首を刈り取った。
胴から切り離された直後の弓士の頭を乱暴に掴むと、反転し、盗賊たちが自分を囲む隊列の中心に、再度囲まれ直すように戻った。
その間、僅か数秒。
盗賊たちは、セドナの身体が蜃気楼のように消えて再び現れたように見えたことだろう。
そして、一拍の間を置いて、動揺が広がる。
「テメェ、一体なにしやが……!」
「ああああアアアアァァ!!」
さらに遅れて、今度は最初に腹を裂いた男が悲鳴を上げた。ざっくりと裂かれ、臓物が垂れる腹を抱えてその場に倒れこむ相棒の姿を見て、もう一人の男が声を荒げた。
「こ、このクソアマ!」
男はさっと片手を挙げ、何かの合図を出すように振り下ろした。
……が、当然何も起こらない。
「あの野郎、何してやがる! 早く射やがれ!」
「これに合図を出しても無駄よ? だって、ここにいるもの」
「は……?」
セドナが刈り取った弓士の頭を乱暴に地面に放り出すと、男の顔色が急速に青褪める。
「こいつ! ただの女じゃねえ! お前ら、固まれ!」
彼が号令をかけると、残された盗賊たちが得物を構えたまま彼の近くに移動した。いや、一人だけ、その場で腰を抜かしたのかみっともなく尻餅をついていた。一箇所に固まろうとする盗賊たちにしても、恐怖を感じているのか動きに精彩を欠いている。
その隙を見逃すセドナではない。
「く、来るぞ!」
「ひっ!」
盗賊たちの間抜けな声が聞こえたが、それらを意に介さず、剣を振るう。
もはや人外の域と言っても過言でない速度で行われるそれは、ただの蹂躙である。その実、無造作に振るわれているように見える彼女の斬撃は正確で、次々と盗賊たちの喉元を切り裂いた。
一人、二人、三人、四人。
五人目の喉を裂こうとしたところで、金属同士をぶつけたような高い音が響く。
ちっ、とひとつ舌打ちをして、セドナは後方に退いた。
「下賤な盗賊の中にもそれなりに使える人間がいるものね」
彼女の斬撃を止めたのは、盗賊たちに号令をかけた男だ。出会い頭の態度といい、どうやらこの男がリーダー格らしい。彼は逆手にダガーを構え、セドナを射殺すような眼で睨む。
「お前……目的はなんだ?」
問いかけられ、セドナは少し考える。
「目的? ……目的ね。依頼されただけよ。本当、面倒。それに迷惑」
心底鬱陶しそうに、彼女は言った。
その表情を見て、リーダー格の男は狼狽える。
「お前、自分が何をしたのか分かってんのか!」
「ええ。分かっているわ。害虫駆除」
「がっ……!? そ、そういうことじゃねえ! 俺らの後ろに誰がいるか分かってんのかっつってんだ!」
「興味ないわね」
素っ気ない返答に、リーダー格の男の瞳に焦燥の色が宿る。
現状、残っているのは、彼と、彼の傍で剣を持つ盗賊と、すでに戦意を失い地べたに座り込み震える男のみである。
セドナにとって、これまでの戦闘は児戯に等しく準備運動にも足りないものだが、それですら盗賊たちにとっては突如舞い込んだ災害のようなものだ。リーダー格の男に、傍らに立つ子分が焦った様子で声をかけた。
「お、親分、こいつ、アレです! 『銀の道』です!」
『銀の道』。
先の大戦で最も大きな武功を挙げたという、伝説の傭兵。
戦勝国レイヴァルクの国王をして、「『銀の道』が敵方に回っていたら、此度の勝利はなかった」と言わしめる程の存在。
そしてまことしやかに囁かれる、『銀の道』の得物の特異性。
その傭兵は、一般的な両刃剣とは似ても似つかぬ形状の、振り回すのが難しいほどの長さがある長物の片刃剣を扱う。刃が緩やかに反り返る、銀色の長刀だ。
その武器と、圧倒的な膂力と速度でもって行われたのは、戦場の蹂躙。
曰く、何者にもその姿を捉えることは叶わない。ただ銀の刃の軌跡が残るのみである--。
ーーというのが、『銀の道』と呼ばれる傭兵にまつわる逸話だ。
リーダー格の男は、傍らに立つ子分に言われるまでもなく、セドナがその『銀の道』であると勘付いているのだろう。子分の言葉には反応せず、ぎりりと歯噛みするのみだった。
すると彼の隣で、不意に短い呻き声が上がる。
次の瞬間、彼の隣に立っていたはずの子分が、その頭部を失って地面に倒れ伏した。
「ーー嫌いなのよね、その通り名。全く、誰がつけてくれたんだか」
ひゅっと音を立てて空を斬り、セドナはひとつ溜め息をついた。多くの血を浴びたはずの刀身の輝きは、少しも陰りを見せていない。
「だって、道は踏まれるものじゃない?私、踏みつけられたくないし。それに--」
言い終わる前に、セドナの身体が搔き消える。
なんとかその動きを捉えようとダガーを構えて防御姿勢をとるリーダー格の男だったが、その動作も空しく、セドナの長刀が彼の両腿を裂き、下半身に走った鋭い痛みに耐え切れず、彼は無様に地に額をつけた。
「--踏まれるより、他人を踏みつけるほうが楽しいんだもの」
セドナは左足を上げ、男の頭を踏み抜いた。
ごきっ。
と、頭蓋が割れる鈍い音を立て、ついにリーダー格の男も物言わぬ屍と化した。
「さて、と」
楽しいという台詞とは裏腹に、男を踏みつけたセドナの表情に愉悦の色はない。街道を鮮血で染め上げて絶命する男たちを淡々と見回して、斬った者たちに息の無いことを確認する。それから、ゆっくりと最後の一人に目を向けた。
「これでこの場に残るはあなた一人となったわけですが……いくつか、質問に答えてくれますね?」
セドナはわざとらしく慇懃な口調と冷えた笑顔で、腰を抜かした最後の一人に問いかけた。
特別凄んでいるでもないのに、男は顔面を蒼白にしたまま、何の反応も示さない。恐怖のあまり、今にも失神しそうな気配すらある。
人選を間違えたかしら、と面倒くさそうに呟いて、散点する血溜まりを器用に避けながら、セドナはゆっくりと彼に歩み寄った。
尋問するなら、大人しい捕虜がいい。そんな考えから彼には手を出さなかったわけだが、失敗したかもしれないと少し後悔した。
セドナが左手への魔力の流れを止めると、それと同時に彼女の左手から刀がすうっと消える。
「大丈夫よ。私が少し運動した程度で腰を抜かすような雑魚に興味はないから。返答によっては見逃してあげるわ。ま、今日みたいなことがあって、今後もなお盗賊行為を続けると言うのなら話は別だけど。……で、質問に答えてくれる気、ある?」
再度問われ、今度は激しく頷きを繰り返す男。
男の反応に、セドナも満足そうに首肯を返した。
「結構。じゃあ、まずひとつ。この盗賊団はあなたたちで全部? 他に仲間は?」
「た、たぶん、まだいるはずだ……です」
「たぶん?」
「い、いや、誤魔化してるわけじゃない! ……です。オレは下っ端で、団に加入してから結構経つけど、仕事は荷物持ちと死体漁りくらいで」
「はあ……」
セドナは頭を抱えた。
やはり人選を誤ったらしい。
道理で、戦闘になっても剣を構えることすら出来ないはずだ。下っ端どころか、盗賊見習いというほうが正しい。
セドナは落胆しつつ、尋問を続ける。
「じゃ、次。その残りの仲間たちはどこに潜んでいるのか、知ってる?」
「く、詳しい場所は知らないです! 縄張りを移してから、他のグループには会ってないから。で、でも、確かそのうちの一つは、ヴェルトを挟んで反対側の街道に張り付いてるって、う、うちの親分が言って……ました」
「そう」
大分距離があるな、とセドナは思った。
ここからヴェルトまでは、常人の足ならあと丸二日歩くと着くくらいだろうか。盗賊団の片割れはそこからさらに先、ヴェルトの南の街道のどこかにいる。
とはいえ、セドナが本気で駆ければ、おそらく数刻で辿り着けるだろう。
「規模は?」
「に、人数はここの倍以上。向こうが本隊だ。……です。なにせ、こっちは辺境に向かう街道、向こうは首都に続く道。どっちが稼げる場所かなんて、考えるまでもないですから」
「なるほどね」
セドナが昨日発った町は、船の出入りも少ない辺境の小さな港町であり、田舎と言って差し支えない大きさの町だ。その先は広大な山野が広がるばかりの極寒の僻地である。
商人にしろ貴族にしろ、冒険者にしろ運び屋にしろ、そんな辺境の北の地に向かう一行の中に目立った獲物が見つかる可能性は低い。地方都市から辺境へ、その逆にしても、金銭を豊富に蓄えた一団が通るのは稀だろう。
反面、ヴェルトはそこそこ発展した地方都市で、物流の拠点としても名高い交易都市である。南北に街道を有するほか、西の山脈を貫くトンネルも整備されており、そのため人の流れは多い。
中でも南の首都へ繋がる大きな街道を通る者となれば、どちらに向かう者であっても、吟味すれば良い獲物が見つかりやすいに違いない。
しかし、狩りの成功率という事柄に関しては前者のほうが高そうだ。おそらく、この盗賊団はその点も考慮してこの二箇所に縄張りを展開しているのだろう、とセドナは考える。
「じゃ、最後。あなたたちのバック、誰かがついてるらしいけど、誰?」
「し、知らない……! 本当だ! 俺はそんなやつがいるなんて知らねえ!」
「そう。ま、そうでしょうね」
セドナも、彼がこの問いに答えられるとは思っていなかった。ただなんとなく、リーダー格の男が遺した言葉が気になって問うてみただけだ。真偽はさておき、そんな存在がいるのであれば、また余計な手間が増える。
正直、これ以上面倒ごとを増やしたくはないが、知ってしまった以上、そちらも気にかけるべきだろう。ただ、これ以上のことを調べるならば、ヴェルトの南を張っているという盗賊団の本営に当たるべきである。そこで、残りの盗賊団および、黒幕の所在まで掴めれば上々。
どちらにしろこの盗賊団は跡形もなく潰すつもりだし、向こうでまたこうして適当に尋問すればいい。今度は事情を知っていそうなやつを残して。
そう思い至った彼女は、「とりあえず、これで聞きたいことは聞き終えたかな」と、左手に再び魔力を込めた。
「答えてくれてありがとう。それじゃ、安らかに」
「え?」
セドナの左手に再び現れる銀の輝きに、男の表情が再び蒼白に染まる。
「ちょ、ちょっと、待ってくれ! さっき、見逃すって……!」
「あら? そうだったかしら?」
すう、と高く振り上げられる刀。男は必死に、持ち上がらぬ腰を動かし、体を後ろに引きずった。
「待て、待ってくれ! 頼む! 俺は! 俺はまだ死ぬわけにはいかないんだ! 妹が--!」
「そんなことは、私の知ったことではないわ」
冷たく突き放すような言葉に続き、セドナは手向けの言葉を言い放つ。
「じゃあね、さよな--っ!?」
刀を振り下ろす寸前に、身の毛のよだつ感覚がセドナを襲った。
(なにか……なにか、とんでもないモノが来る--!)
彼女は、背後からなにか得体の知れぬものが、自らの速度と変わらぬ速さで--否、それを上回るほどの勢いで--迫ってきているのを察知した。
神速。
それは彼女の二つ名であるところの『銀の道』の由縁である。その彼女の神速と同等かそれ以上であるということはつまり、その相手にとって彼女の長所が長所となり得ないということを意味する。
ーー危険だ。
それが彼女の下した判断だった。
セドナはすぐさま振り向き、長尺の得物を両手で握り直した。半身になり、腕を頭の高さまで持ち上げて、すらりと反る刃が天を向く。長刀の切っ先が地面に向かって斜めに墜ちるその構えは、彼女が今日初めて見せる本気の型であった。
きゅっと口を結び、どんな奇襲をかけられても対応できるよう全神経を刀に集中しつつ、気配の正体を見極めるべく、それの向かってくる方向を凝視する。
点にしか見えない敵影が、瞬き数度でみるみる大きくなる。
(接敵まで、刹那--!)
セドナは覚悟を決め、恐ろしい速度で近づくそれから受けるであろう衝撃を受けきることにした。地を踏む足に力が入り、彼女は足元に、じり、と砂を削るような音を立てた。
しかし、彼女の想像したような衝撃は起こらなかった。
きい! と一音、甲高い音が響き渡ったかと思うと、影は血溜まりが散見する街道に飛び込む手前でぴたりと停止した。
神速で迫り来たそれが反動も慣性も無視して急停止したことに、セドナは呆気にとられてしまった。彼女ですら、そこまで見事に制動をかけることは出来ない。
そして、現れた影の正体を見て、セドナはなおも呆気にとられる。
そこにいたのは、一人の男だった。
奇抜なデザインの兜を被り、目隠しのようなものを顔につけ、ひどく痩身ではあるが、おそらくは男だろうと、セドナは判断した。
風変わりな意匠の装飾で着飾る彼も異質に思われたが、それよりもセドナが目を奪われたのは、彼がまたがる乗り物のほうだ。
二つの車輪を備えた鉄の馬。鉄の馬から飛び出している鎧のようなものに、男は足をかけている。ただし、鎧にしては左右のバランスがおかしく、片方は地面すれすれに位置しているのに対し、反対側は地面から膝程の位置にある。
あべこべな印象に違和感を拭えない。それに、細く華奢な車体だ。叩けば折れそうな代物。そんなものが、自分と遜色ない速度で走ってきたことが何よりも度し難い。
(--いったい、どんな仕組みで動いて、どんな魔法を使えば、あのように速く走り、あのように滑らかに止まることが出来るというの……?)
セドナの頭の中を疑問符が埋め尽くす中、鉄の馬に乗る男は、あたりを見回し、口端を歪めてから、ぼそっと一言、呟いた。
「うわ、なにこのスプラッタな現場。こわっ」