01
バイトの帰り道だった。青年は近道をしようと林の中を自転車で走る。暗がりはもうすぐ終わる、と、同時に昼間のような眩しさの中に飛び出した。思わず足を止め周囲を確認するとそこは見たこともない平原で。慌てて後ろを振り返ると林は口を閉ざし鬱蒼とした森へと変わっていた。
「は……?」
青年――逢坂叶はそう絞り出すだけで精いっぱいだった。一度自転車を離れ森をよく観察する。だが通ってきたはずの道はどこにもなく、頬をつねっても痛いだけ。よくあるラノベの展開だなあと遠い目で空を仰ぎ見る。
「テンプレの神様イベントもないし、俺ただの大学生だし、チートとか多分ないし……どうしろってんだよ」
よくある料理スキルだってないし、コアな知識だって持ってない。つらつらとぼやきながら森から離れるように自転車を押して歩く。定番の異世界転移なら狂暴な生物がいてもおかしくはない。日本にだって山には勝つのが難しい動物がいるのだからここが安全とは限らない。少なくとも見晴らしのいい平原に移動した方がいいだろう。
行く当てもないので自転車には乗らずに押して歩く。せめて人間とまではいかなくとも友好的な存在に会えればと。そうして十分ほど歩いたところで街道らしきものを見つける。
「誰かいませんかーって、言葉通じるかも怪しいよな。どうしよう」
一度立ち止まり辺りを見回す。すると後方から一頭の馬にらしきものに引かれ馬車が走ってくるのが確認できた。道の端に寄り、止まってくれないかなと思いながら馬車が近づくのを待つ。叶の希望通り馬車は目の前で停車した。そして御者台から隻眼の男性が声をかけてくる。
「君、こんなところでどうしたんだ?見たところ武器も持ってなさそうだが……隣のそれはなんだ?」
あ、言葉は通じるんだ。よかった。でも武器ってことは危険があるってことだよな。
そう思いながら叶は男性の服装を確認する。シンプルなシャツに布製の簡素なズボン。対して叶はVネックのシャツに股下の長いサルエルそれにデッキシューズ、バッグはノートや筆記具程度しか入っていない布製のショルダー型。自転車を除けば服装はそう珍しいものには見えないだろう。自転車を除けば。
怪訝そうに見てくる男性に、困ったように笑いながら叶は答える。自転車はここにはない物らしいので何か言い訳を考えなければ。何も分からない状態で異世界から来ましたなんて、どう転ぶかわからない。
「ええと……道に迷ったというか、ここがどこかも分からない状態でして。これは……あっちの……森で見つけたんです」
無理があるかなと思いつつもそうとしか言えない歯がゆさよ。そんな叶の不安を知ってか知らずか、男性は「そうか」と返すだけだった。
「だが武器も持たずにふらつくのはよくないな。俺もこれから向かうところなんだ、
近くの町まで送ろう」
「いいんですか?」
「君が困ってないのならいいんだが?」
「いえ困ってますめちゃくちゃ困ってます、よろしくお願いします」
簡単に知らない人を信じるものではないと分かってはいるけれど、人の良い笑顔を向けれれて尚且つ自分も困っているのだから今回は仕方ないと脳内で言い訳をする。そういえば名乗っていなかったなと思いだし、自転車を荷台に乗せる男性の背に向かって声をかけた。
「荷物まですみません。俺、逢坂叶って言います。ん?こっちだとカナエ・アイサカって言った方が正しいのかな。アイサカが苗字でカナエが名前です」
「ミョウジ?家名か!?」
「え?あ、はい、多分それで合ってるかと」
「なんで家名持ちの人間がこんなところ一人でうろついてるんだ!従者は?護衛は?」
がくがくと肩を揺さぶられ、叶は一つだけ理解した。やってしまったな、と。話を聞いていくとどうやら家名――苗字は平民にはないそうだ。大抵は貴族、だから叶が一人でこんな辺境にいるのは異常なのだと。そう教えてくれた男性、ジノはため息をついた。
「取り乱してすまない……無礼な口を聞いたことも謝罪させて……」
「あ、あの、俺知らなくて、ただの平民?ですから気にしないでください」
「だが家名持ちだろう?」
「あーえっと、あーもう!」
どう説明するにも前提である異世界からやってきた、という話をしなければどうにもならない。ええいままよと叶はヤケになりながら声を荒げた。
「俺、違う世界から来たんです!気付いたら森の前にいて、そこの自転車っていうのもそっちの世界の物なんです。苗字は俺の国じゃみんな当たり前に持っているもので……」
「ち、ちょっと待ってくれ!別の世界?確かにそのジテンシャとやらは初めて見るが言葉が通じているんだぞ」
「そんなの俺が知りたいです!」
「そ、そう、か……そうだな、急に放り出された君の方が不安なのにすまない」
「あ、いえ、そういうつもりじゃ……」
眉を下げ困ったようにジノは叶を見る。大型犬がしょげているようなその姿に居た堪れなくなり、叶はぶんぶんと手と首を振った。そして二人とも落ち着いたところで叶から口を開く。
「信じてくれるんですか?こんな話を」
「カナエは嘘を言ってるのか?」
「ないです!ないです、けど……」
「なら信じるしかないだろう。それにジテンシャとやらもあることだしな」
ジノはそう言って荷台に積んだ自転車を指す。この世界にない奇妙なモノを持って、武器も護衛もなく危険な平原にいる。それだけで十分だったのだろう。そのうえで変わらず町へ送ってくれるとも言う。可愛い女の子ではないが優しい人に出逢えた。これは叶にとっては幸運だったのだろう。この後本性を現す……なんて可能性もなくはないが。
言われるがままに荷台に乗り込み、尻の痛みに耐えながら馬車に揺られる。御者台の後ろから顔を出し、危険な生物が出たらどうするのかと聞いたら、ジノ自ら倒すらしい。
「まあ魔除けの草をつけているから、モンスターも獣もそう近寄ってくることはないさ」
「へえ……ジノさんは何で戦うんです?」
「ジノでいいよ。かしこまらないでくれ、カナエ。俺は槍だな。剣も弓も一応使えるが槍が一番好きだ」
「俺なんにもつかえねーや。すごいなジノは。ところでそこそこ危険がありそうなのになんでジノは一人で馬車旅?してんの」
「俺は一応行商をしてるんだ。で、行くのは魔除け草で対処できる比較的安全な道だから一人でも十分なんだ。必要なら傭兵を雇えばいいし、なにより……」
「なにより?」
「気を遣わなくて楽だ」
「なるほど」
くしゃりと笑うジノは十分にイケメンだ、と叶は思う。童顔な自分からすれば羨ましい程に男らしく、しかし暑苦しくはない。これは女性が仲間にいたら大分面倒なことになりそうだ。そんな叶の羨望を他所にジノはこれまた爽やかな声をかけてくる。
「町に着いたらカナエはどうするんだ?教会なら一先ず宿を貸してくれると思うが」
「うーん……そうだよな、帰り道なくなってたってことは、ここでの生活を考えなきゃなんだよな。ちなみにお金の単位ってどうなってんの?」
単位はニゲ。話を聞いているとどうやら10ニゲ=10円と考えていいらしい。なんとも分かりやすく助かったと叶は思う。これでレートだなんだとなっていたら生活自体を投げ出しそうになるところだ。
「まずは収入の確保がしたいかな。元の世界に戻るにしても、ここで生活しなきゃいけないわけだし」
「……」
「何?」
「いや、若いのにこんな状況でも落ち着いているんだなと」
「騒いでもどうにもならないし」
ならそのエネルギーを生きる為に使う方がよほど良い。それに若いと言っても日本では成人している。何歳に見られているかは聞きたくないが一応は大人なのだ。わーわー喚いてもどうにもならないことぐらいしっかり理解している。
「カナエ、町に着く前に言っておこうと思うんだけど、異世界から来たっていうのは隠しておいた方がいいと思う」
「やっぱり騒ぎになるよな」
「それもだけど、おとぎ話にあるんだ、異世界から来た魔王の話」
「あーなるほど……隠した方が安全だな」
「そう、気を付けて」
「ありがとう。そうだジノ、自転車って売れるかな」
「売るの?」
「うん。当面の資金が欲しいけど俺が売れるのってこれくらいだし」
「そうだな……珍しいけど不帰の森で見つけたと言えば大丈夫か」
「不帰の森?」
「ああ、カナエが言ってた森のことだよ。あそこに迷い込むと帰れないと言われているんだ。ただ珍しいものが落ちていることもあるから、一獲千金を狙って入る奴が一定数いる」
「じゃあ売る分にはごまかせるか」
「でも……そうだな……売る際の交渉までついて行ってもいいか?」
「プロがいてくれるんならありがたいけど、仕事はいいのかよ」
「こんな初対面の人間を信じる純粋な子を放り出す方が心配だからね」
そう言ったジノの笑顔は眩しくて、結局町が見えても何歳に思われてるのか、やはり怖くて聞けずにいた。
逢坂叶――アイサカカナエ 男 20歳 大学生
ジノ――行商人 男
エリヤ――シスター 女
よろしくお願いします。