9.より高く跳ぶためには、より深く屈まなくてはならない
長野県上水内郡信濃町に野尻湖がある。
この野尻湖には、楽器の琵琶の形に似ていることから琵琶島と冠された島があった。もしくは通称、弁天島と呼ぶこともあるのだ。
島には南北朝時代に、宇賀神社が建立されたことから、多くの信仰を集めていた。かつて武田信玄と上杉謙信との戦においては、野尻湖上とともに争奪戦の地となった歴史さえあるのだ。
一三五八年、僧である了妙によって寄進された『大般若経六〇〇巻』は、武田軍によって持ち去られ、現在では佐久市の安養寺に、長野県宝として保管されている。
また上杉の家臣、宇佐美 定行が、謀反の噂がある家臣、長尾 政景を舟遊びに誘い、ともに水中に没したとされ、琵琶島に祀られているのである。
とにかく、悠久の歴史が重ねられた湖中の島なのだ。
それはさておき――不破 純平は二十代後半のころ、両親を飛行機事故で失ったあげく、その直後、手ひどい失恋をしたことがあった。年上の女性を追いかけたが、当時の不破には似合わないことに、攻めきれずグズグズしているうちに、ほかの男に奪われたのだ。
そのうえ、弱り目に祟り目である。
会社の同僚の連帯保証人になったはいい。だまされ、多額の借金を背負わされた。とても支払いきれず、自己破産申請をした苦い経験まであるのだ。いずれもありがちなことだった。
それを機に、人間不信になってしまった。
真夏の快活さと、冬の忍従を併せ持つ若き日の不破は、暗黒のシェードに覆われてしまったのである。さしものこの男も真っ二つに折られ、立ちあがれないほど打ちのめされた。
人生に悲観し、死ぬつもりで信州の野尻湖へ行き、弁天島に渡ったわけではない。
充電が必要だった。
より高く跳ぶためには、より深く屈まなくてはならない――と言えば聞こえはいいが、そのじつ、誰とも会いたくなかったのだ。疑心暗鬼にとらわれ、誰も信用できなくなったのである。得体の知れない人間だけでなく、なぐさめの言葉をかけてくれる人ですら、いっさい拒み、自分だけのスペースに籠もろうとした。
俗世からの逃亡。
現代における引きこもりの、原始的なやり方だった。十代、二十代の、ごくふつうの人間ならば、ささいなことで心折られ、多かれ少なかれ陥ってしまうのもふしぎではない。
かつて読んだことのある中 勘助の随筆『島守』を思い出し、じっさいに不破もやってみようと行動に移したのである。
若き日の作家兼詩人をまねてみようとしたわけではなく、なんとなく中 勘助のことが頭を占め、なんとなく野尻湖へふらふらと足が向いてしまった……。
あたかも天照大神が弟、須佐之男命の蛮行にうんざりし、見るに見かねて、天岩戸へかくれてしまったように、弁天島に引きこもってしまったのだ。
――中 勘助の場合、一九一一(明治四十四)年の秋、彼が二十七歳のときに野尻湖を訪れた。
弁天島にある安養寺本堂の離れで二十五日間にわたり、ひとり籠もったときに『島守』を執筆したと言われている。日記形式をとった随筆だ。
生来の人間嫌いだった中 勘助。
滞在中、だいじにしていた妹が危篤になった知らせをうけたときでさえ、気を揉んで涙を流すものの、島から一歩も出ようともしなかった。こんな経緯からも察するように、かなり根深い厭世観にとらわれていたのであろう。
厭世観――それは不破にも当てはまった。
ちなみに弁天島での隠匿生活は、過去に中 勘助のみならず、岩波 茂雄、安倍 能成らが、いずれも青春時代、同様の体験をしたことで知られている。やはり世を儚み、一時期島に引きこもっているのだ。この三人は旧制第一高等学校時代(現在の東京大学教養学部および、千葉大学医学部、同薬学部)の親友だった。
岩波 茂雄は、あの岩波書店の創業者。安倍 能成は文部大臣などの国の要職に就き、学習院の院長もつとめた人物だ。
「私は弁天島にひとり籠もり、己の内なる弱さと向きあうことで、どうすれば人は強くなれるだろうかと考えた。あえて孤独に身をおき、沈思黙考したのだ。その荒行はひと月にもおよんだ」会議室の壁にもたれ、腕組みしたままの不破は言った。「そのさなか、奇しくも、私とおなじように弁天島にやってきた男がいた。私よりか十は年上のようだった。聞けば、自営業につまずき、やはり大失恋で打ちのめされ、人生に絶望してやってきたのだという」
「中 勘助って方の、その小説は知らないですが」と、烈雄は言った。「島守をまねたところで、いったいどうなったっていうんです?」
不破 純平は腕組みをとき、眼を見開いた。
「それは――諦観という名の悟りの境地だ。私は島でそれを学んだ。いまの私を形づくったのは、それだ」
「悟りの境地」
「それはともかく」と、不破はまたぞろホワイトボードの方へ、大股で闊歩しながら言った。フロアに不破のエネルギッシュな靴音がこだまする。ホワイトボードの前まで来ると、勢いよくターンし、観光課の一同に指さした。「舞島に島守を復活させるプロジェクト! だからこそ、私は強くこれを推したい。現代人はとかく群れを作りたがり、己の内なる声に耳を貸そうとはしない。やれLINEだの、やれSNSだのと、他者との薄っぺらなつながりを求めるばかりで、己が心の脆弱性に眼をそらしているにすぎない。弱い者同士が連むことで、弱さをごまかしているのだ。いまこそ日本人は、ひとりひとりが、ちゃんと自分の足で立つべきである。ノルウェーの劇作家であり、詩人のイプセンはこう言った――『この世でいちばん強い人間とは、たった一人で立っていられる者である』。まさに島守をとおして、自立できる人間の鑑として舞島に据えてみたいのだ。私がこのプロジェクトに期待している点は、まさにそこだ。人が人であるための原点回帰。平成の年号がまもなく終わりを迎えようとしているこの時代にこそ、あえて挑戦してみたいのだ!」
職員はたがいに顔を見あわせ、首をひねったり、頭を抱えたりしている。どうにも理解しがたい様子だ。
「奇しくも、弁天島で出会った男性と私は意気投合した。十歳は年上のその人は、私よりはるかに達観していた。この世知辛い人生を生き抜く術を教えてくれた。そして恋愛の極意すらも、ご教示いただいた」
「恋愛の極意、ですか。そこまでくると、なにがなにやらサッパリですね」
烈雄は降参とばかりに肩をすくめた。
不破は唇の端を吊りあげ、
「その人生の先輩はこう言ったさ――『恋の駆け引きはディフェンスではなく、オフェンスだよ』と。それで私の眼のまえを覆っていた暗黒はふり払われた。こうして私は、あらゆる物事に対し、つねに攻めるようになった」