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7.「理由なんかない。それが理由でいいじゃない」

「お父さん、あそこの島について教えてよ」


 と、烈子は鎌をかけた。

 烈子は是孝との出会い以来、すっかり思い出していた。彼の口から舞島のフレーズを聞いたとき、どうりで引っかかっていたはずだ。


 昨年のいまごろ、尾道市役所観光課の係長である父は、舞島の島守制度を復活させる企画に参加したのだ。

 突然ふって沸いた企画は、同課である名物部長、不破ふわ 純平じゅんぺい氏が、またもや『神のお告げ』という名の思いつきで立ちあげたのだった。例のごとく末端の職員は、洗濯機に放り込まれて撹拌かくはんされたみたいに、ふりまわされたわけだが。


 母は盆にのった瓶ビールとグラスを置いた。


「パパ、先にやってて。ハーブティー作ってくるから」と、言った。


「すまん。ツマミも、よろしくな」


「だったら、もっと恐縮そうにしなさい」


「してるよ。チーズでいいから。あとでお返しに肩もみ、やってあげる。最近、凝ってるんだろ。見りゃわかる。ハンドクラフトにハマりすぎだな」と、父は言って母のむき出しの腕に触れた。「おまえも早く来いよ」


「はいはい」


 父は冷えたグラスにビールをいだ。コポコポと音がし、泡があふれそうになったが、絶妙のコントロールでグラスの縁寸前でとめた。

 ひと息に半分まで空けた。うまそうにうめいた。


「たまらんね。こんな天気に飲み干す一杯。至福と言わずしてなんと言おう!」


「お父さん、あの島だってば」烈子は辛抱強く待った。「ひげについてる。だらしない」


 父は髭の泡を豪快にぬぐった。まるで現代のバイキングだ。島を指さし、


「舞島か――昨年度におけるプロジェクトの失敗例だ。恥ずかしながら、どうして不破部長の暴走をとめられなかったのか、いまさらながら悔やまれる」と、言った。


「お父さんたちが関わってたんでしょ? まえに聞いたことがあったから、うろ憶えでなんとなく意識してたけど」烈子はチェアに座りなおし、「どんなプロジェクトだったか、一から聞かせてよ」


「どういう風の吹きまわしだ、烈子。去年、おれが洩らしたときは、なんの関心も示さなかったくせに」


 と、ゆっくりした口調で言い、太い片方の眉を吊りあげて、娘をにらんだ。


「いまになって興味をもったの。遅ればせながら」と、烈子はテーブルに両肘をつき、頬杖のまま負けじと父の顔をのぞき込んだ。前髪を切りすぎて、おでこが広い。「理由なんかない。それが理由でいいじゃない」


「ますます怪しい」と言って、グラスの残りをひと息にあおった。矢継ぎ早、二杯目を注ぐ。「ま、よかろう。――あれは舞島だ。江戸時代のころ、このあたりを統治していた殿様の避暑地としてたびたび利用されたそうだ。すばらしき景観を守るため、舞島に一世帯の家族を管理人として住まわせた歴史がある。それが島守制度だ。舞島にかぎらず、名勝地と指定された島には、かつて配属させていたそうだ。もっとも、舞島のそれは昭和初期に本土へ引きあげてしまい、終焉しゅうえんを迎えたわけだが」


「景観保全のため、ね」


「嘆かわしいことに我が国においては、とくに高度成長期以降、地域全体の調和や美観、伝統を軽んじた建物が、ボンボン建てられてしまった。きれいな街なみや、地域特有のカラーが次々失われてしまった歴史がある。世界に誇るべき景観や、暮らしやすい環境よりも、経済性を優先した結果がこれだ。――そんななか、各地で高層マンションの建設などをきっかけにしたトラブルや、屋外広告が目立つようになると、人々のあいだで景観の価値に対する気運が高まっていった。一部の地方自治体では地域住民の要望にこたえるべく、ようやく重い腰をあげたわけだな。一九九〇年代ごろから国土交通省でさえ、公共工事を発注するにあたり、景観には気をつかうようになったんだ。さらに『美しい国づくり政策大綱』を実施し、晴れて景観法が二〇〇四年、つまり平成十六年に公布された」


「さっぱり、チンプンカンプンなんだけど」


 と、烈子は泣きそうな声を出した。


「とにかく――舞島の島守制度は長らく忘れ去られていたが、景観法のおかげで、ふたたび日の目を見るようになったってわけだ。それがうまくいったかどうかは話は別だがな」


「で」烈子は頬杖をついたまま、眼を大きくした。「それはそれとして、いま、舞島には島守が住んでるんでしょ。いったい誰なの? どこからやってきた人? それを教えるのはコンプライアンス違反?」


 父は二杯目のビールを傾けたあと、


「烈子の狙いは、つまりそれか」


「あくまで興味本位で聞いてるだけだから」


「いつまでも子供かと思ってたが、なかなかどうして色気が出てきたな。どこで中村なかむら 是孝これたかのことを嗅ぎつけた? 白状しろ、このッ!」


 父は言ってテーブルから身をのり出し、笑いながら娘にヘッドロックをかけた。烈子はわめいて、熊みたいな両腕から逃げた。


「中村って名字なんだ、是孝さん。意外とシンプルな姓だった」笑いながら言った。


「まさか将来、中村 烈子と名のりたいと言うんじゃなかろうな? せっかちすぎる展開だぞ!」


「だから、そんなんじゃないって! 落ちついてったら」


 と、烈子は父をなだめた。

 父は気を取りなおし、咳ばらいひとつすると、


「正直」と、真顔で言った。「正直、ハッキリ言おう。中村 是孝はやめておけ(、、、、、)。恋をする相手としては、あまりにも謎が多すぎる」


「謎が多い?」


 烈子はおうむ返しに言った。父にだめ出しされ、いささかショックを隠しきれない。


「彼はまだ二十八か、そこらだろう。若いのに、なにを好き好んで島守になんか志願して、あんなちっぽけな島に引っこむのか。おれは理解に苦しむがね。島を守るために常駐するったって、言い方かえれば、ただの隠居だぞ。プロジェクトに参加しておいて、こんなこと言うのもナニだが」


「いろいろ人のうわさで聞いたんだけど――その年で、世をはかなんだ人なのかも」


「人嫌いね。人生生きてりゃ、嫌なものを見ちまい、ときに人間不信に陥ることはあれど、プラス思考でいれば、どうとでもなるもんだと思うがね。いずれにせよ、絶望するには若すぎる」


「だったら、お父さんは悩みなんてないの?」


「しいて言えば、この家の三十五年ローンと、固定資産税に頭を悩ませてるぐらいかな。それに、五年前に買ったキャンピングカーの支払いも、のしかかってるからなあ。それこそズッシリ重く」


「ずいぶん、贅沢な悩みですこと」


「それもこれも、おまえたちを思えばこその悩みなんだぞ。おれはそのために一所懸命働いてる。たまの徹夜の麻雀ぐらい大目に見ろよ。――ついでに付け加えると、このビールもな。な、あともう一本ぐらい、いいだろ?」


「不破部長って、まえに家に来て、お父さんとお酒飲み比べしたあげく、この庭で『すばる』を熱唱した竹中たけなか 直人なおとそっくりな暑苦しい人でしょ? なんでまたあの人は中村 是孝さんを採用したのかな」


「不破部長はハッとひらめくと、ときどき暴走列車みたいに突っ走る人でな。いちど動き出したら、誰も手がつけられなくなるので有名なんだ。いくらおれの腕力で、ねじ伏せようにも、どうにもならない。――いま思えば、締め落としてでもとめるべきだったかもしれんな」


「また物騒なこと、言っちゃって」

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