表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/17

3.是孝との出会い

「一九六〇年、つまり昭和三十五年でしたか。『裸の島』という白黒映画が公開されました。日本映画です。乙羽おとわ 信子のぶこ主演でした。ロケ地は、この瀬戸内の海にある宿禰島すくねじま――しくも、れっちゃんが気にかけている舞島と、ほんの三キロと離れちゃおりますまい。もしかしたらあなたの自宅からでも見えるのではないでしょうか――。この『裸の島』では、孤島を舞台に、自給自足の生活をする四人家族の生きざまを描いております。五〇〇万円の低予算で製作されたにもかかわらず、作品はモスクワ国際映画祭グランプリをはじめ、ベルリン映画祭セルズニックにおいて銀賞を受賞し、世界六〇ヶ国以上で上映されました。まさか、ご近所に映画のロケ地に選ばれた島があったなんて、ご存知ありませんでしたか?」


 烈子はモップを持ったままかぶりをふった。


「……いえ、ちっとも知らなかったです。失礼ですが、乙羽さんっていう女優さんも知らない」


「そんなものでしょうな。れっちゃんが生まれる三十七年前の映画です。話をふった僕が愚かすぎました」と、水谷は天井を仰いで、パイプをさし出した。「この『裸の島』なんですが、乙羽 信子扮する夫婦らが、島で苦難の暮らしを強いられています。作中では島守、というニュアンスとはちがうかもしれませんがね。サツマイモの苗を植え、水をやるために、わざわざ本土へ舟で渡り、おけで水をくんできて、天秤棒を担いで行き来する姿が描かれています。筋の大半は、こんな不便な生活を描いているわけです」


「それはそれは、ご苦労なことで」


「見ているだけで骨が折れそうな暮らしなのです。そこに夫婦を不幸のどん底に陥れる事件が起きるわけですが――まあ、映画の話はこれぐらいにしておきましょう。すっかり脇道にそれてしまいました」


「つまり、舞島に住んでる是孝さんも、たいへんってわけですね。――でも、なんでわざわざ、島守の役目なんか申し出たんでしょう?」


「れっちゃんが是孝なる青年にご執心なのはいやでもわかります。あなたは正直な娘さんだ。だからこそ、店員として雇ったのですが」水谷は言うと、やおら立ちあがり、腰に手をそえ、身体を反らした。七十前にしては、背筋がしゃんとし、丈の高い人だった。「いまどき島守の役を買って出るとは、なんらかの深い事情があると見えますね。島にあがってしまえば、完全に孤独です。あえて独りになることを選んだとなると、よほど人と関わりになりたくないほど、辛いできごとでも経験したのかもしれませんね」


「はじめて是孝さんを見たとき、思いつめた表情かおをしてました」


 と、烈子はレジスターのまわりを雑巾でふきつつ、彼と出会ったときのことを思い出していた。

 あれは忘れもしない。劇的な事件だった。


◆◆◆◆◆


 まさか雨に祟られるとは思わなかった。

 二週間前のことだった。母に頼まれ、烈子は一人でホームセンター『ユーポー尾道店』を訪れたのだ。

 ガーデニング用の剪定せんていバサミや左官の道具、家庭セメントなどの買い物をすませたあと、カートを押して店外へ出るなり、驚いた。


 どしゃ降り。

 降水確率は0パーセントだったはずだ。天気予報士に裏切られたと思った。

 来たときはカラリと晴れあがった空だったのに、上空は曇天がたれこめ、視界をさえぎるほどの烈しい雨が降り注いでいた。駐車場のアスファルトは飛沫で白く煙っていた。


 雨のなかを愛車まで走るべきかどうか迷った。

 しかたない。

 セメントは濡らさない方がいいだろうが、ビニール製の袋に真空密封されているので、急いで車のハッチバックに積めば問題なさそうだ。


 小降りになるまで待ってもよかった。

 それとも店に戻り、傘を買おうかとも考えた。

 早く家に帰り、レンタルショップ『GEON』で借りたブルーレイディスクを観たかった。海外ドラマのシリーズもので、休日のあいだにどれだけ消化できるか、烈子のなかで流行になっていたのだ。


 それに飽きれば、部屋の模様がえをしたいと思っていた。かなりの重労働となるだろう。後手ごてにまわれば、夕飯の時間になっても片付いていないかもしれない。――時間が惜しかった。

 やっぱり、待ってはいられない。


 店の入り口で深呼吸した。 

 烈子の眼は大きかった。二十一にしては、幼い顔立ちをしていた。身長も一五三センチしかない。

 いささか前髪が切りすぎて、おでこが全開だった。このパッツンした前髪が烈子のトレードマークだった。

 

「ええい、行っちゃえ!」


 烈子は言うと、雨のなかを飛び出した。名は体を表すではないが、思いきりがよかった。それゆえに失敗も多かったが――。

 駐車場のなかほどまでカートを押してダッシュしたはいいが、途中で異変に気づいた。

 思わず悲鳴をあげた。


 広い駐車場の真んなかに愛車を停めていた。なのに、たいへんなことになっていた。

 両隣りにも客の車で埋まっており、それだけならまだしも、あとから店を訪れた誰かが停めたのだろう、烈子の車を封鎖する形で、真ん前にも黒い外車が横付けされていたのだ。

 車高は低く、ガラスにはスモークが貼られ、内部はほとんど見えない。

 まるで獰猛どうもうなドーベルマンがうずくまっているようにも見えた。


 今日はセールの日だったので、駐車場は満車の状態。

 白線を引いたエリアの内側に停車させるべきなのに、堂々と人の車の前に停めるなんて、どうかしている……。

 バックさせようにも縁石があった。仮にそれをかわしたとしても、後方も車でふさがっていた。

 烈子の車は閉じ込められたも同然だった。


 ――が、よく見れば、真ん前をさえぎる外車の左には、わずかにすき間があった。

 どうにかハンドルを切り返せば脱出できなくもない。

 曲がるときは、よほど気をつけないと、左の車のバンパーにぶつけてしまうか、さもなくば、くだんの外車の尻に接触してしまう恐れがあった。


 烈子の運転技術では、難易度Sクラスの難しさに思えた。いくら女の子向けのコンパクトカーとはいえ、車幅感覚がおぼつかない。

 いますぐ店にとって返そうか?

 外車のナンバーを店員に告げ、店内放送でドライバーを呼び出し、どけてもらうべきではないか。


 烈子はすっかりずぶ濡れになっていた。前髪が額に貼りつき、メイクも台無し。下着のなかにも冷たい水が染み込んでいくのがわかる。

 いまさら店に入るのもためらわれた。


 薄手の白のブラウスをつけていたので、インナーが透けて見えるのが恥ずかしいし、濡れねずみとなって店員に泣きつくのも、それはそれでぞっとした。

 やぶから棒に、空が紫色に光った。爆音が響きわたった。


「わッ!」


 季節はずれの雷に、思わずしゃがみ込んだ。

 と、そのときだった。烈子の背後で、


「どした」と、低い男の声がした。


 とっさにふり向いた。

 トーテムポールそこのけに背の高い青年が、傘もささずたたずんでいた。

 深くえぐれたVネックのシャツの上に、丈の長い野暮ったいミリタリーブルゾンを羽織っていた。

 どこか思いつめた顔をしているのが印象的だった。彼はリュックサックを背負っていたが、見えざる重い十字架まで背にしているようにも見えた。それほど深刻な顔つきをしていた。


 目もとが一重ひとえで、いささか生気に欠けた。ありふれた往来ですれちがえば、とっさにふり返るようなイケメン男子ではない。しかし誠実で、知性のきらめきを感じさせた。

 だまされてはいけない。――烈子は、もしやと思った。


「ひょっとして、この車の持ち主ですか?」


 烈子は硬い声で、黒い車を指さした。もしそうなら、ありったけの敵意をぶつけてやる。


「まさか。おれは歩きだよ」と、ずぶ濡れの青年は言った。とっさに嘘をついたとも思えない。烈子ににらまれ、思わず眼をそむけた。そむけた拍子に側頭部が丸見えになった。もみあげから下を、剃りあげたテクノカット。また烈子を見おろした。身長差は四〇センチはありそうだ。異世界からやってきた人種のようだ。「それ、君の車か? 見たところ、この黒いのが邪魔になって、出るに出られないってわけらしいな。どこにでもマナーの悪い人間がいるもんだ。……よかったら、おれが出して(、、、)やろうか? 切り返しに失敗すれば、この外車にぶつけちゃって、あとでエラい目にあうかもしれない」


「あなたなら、できるって言うんですか?」


「少なくとも、君よりかはマシだと思う。この幅なら、なんとかなりそうだ」 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ