2.農村景観保全という名目
「是孝さん、おはよう……」と、烈子は監視しながらつぶやいた。「これから私、店に出勤します。あなたは今日も畑仕事か、釣りでもするのかな。今日こそ大物、釣れるといいね」
舞島に一人住んでいる是孝の姿を見つめるようになってから、ちょうど二週間が経とうとしていた。
名字までは知らない。漁港の職員が、下の名前だけで呼び捨てにしていたのを小耳にはさんで知ったのだ。
そのとき、トースターが焼けたパンを排出した音が聞こえた。
「れっちゃん、コーヒー淹れたわよ。朝っぱらから、なにしてんの」と、おなじくキッチンから母の声がした。陶器と陶器が触れる音が重なった。「今日は店の鍵当番の日じゃなかったっけ? ……あ、ほら、カレンダーにもマークしてるじゃない。さっさと流し込んで出かけなきゃ。このあいだみたいに大慌てで出かけて、車、脱輪させちゃったりでもしたらたいへんよ。ただでさえ、山陽道に出るまでこのへん、道幅せまいんだから」
壁時計が七時のメロディを奏でた。とたんに烈子は現実に引き戻された。
ウッドデッキからリビングのサッシ窓を開け、烈子は顔だけ出した。
ほとんど物を置いていない簡素なリビング。南側を向いた大きなガラス窓から朝の光が差し込み、この十二畳をまばゆい色で満たしていた。
「わかってるって。運転ヘタなのは認める。なんども蒸し返さないでったら。車買ってから先月で三度目。こっちはトラウマになってるんだから」
「溝にタイヤ、落とっことすだけなら大事にはならないでしょうけど、もしものことがあったら、お母さん気になってしょうがないわ。時間はゆとりをもって行動するべきでしょ。はやく閉めて、窓。まだヒノキ花粉が終わりきってないのに」
「はいはい」烈子は双眼鏡を背中に隠しながらリビングに入った。母が見ていないすきに、それをマガジンラックのうしろに隠した。「言われなくったって、さっさと出勤しますから。どうかご心配なく」
「わかれば、よろし」
対面キッチンで洗い物をしはじめた母は言うと、白い歯を見せた。
◆◆◆◆◆
「島守?」と、烈子はエプロンの紐を結ぶ手をとめて、素っ頓狂な声をあげた。「その島守をやるために、あの是孝って人が名乗り出たってわけですか?」
「さようです、島守。――『わが髪の、雪と磯辺の白波と、いづれまされり、沖つ島守』ってやつです。たしか、紀貫之の土佐日記でしたか。僕は学生時代に習ったことを、昨日のことのように憶えております」と、水谷は詠うような調子で言った。すぐにブライヤ製のパイプを吹かし、恍惚の表情で煙を吐いた。「例の舞島に島守をおくことになったのは、かれこれ江戸時代までさかのぼるそうです。農村景観保全という名目で、名勝地と指定された島に配属させたと言います。それ以降、たった一世帯の家族が島を管理してきたのですが、それも昭和初期までのこと」
烈子は床にモップをかけながら、
「島守って、具体的にどんな仕事だったんですか?」と、聞いた。
「江戸幕府は、主に植樹や石垣を整備させるために任命したそうです。それが名勝地の保護につながるというわけですね。ほら、いつも波と海風にさらされて、島の外観は傷みやすいですから」
と、水谷はパイプをくわえ、ロッキングチェアを揺らしながら言った。
店内は烈子の自宅と打って変わって、まるで深海の底のように薄暗かった。水谷が腰かけたチェアの周囲だけが、スポットライトを浴びて、ほの白く浮かびあがっている。彫りの深い右の眼窩にはめこんだ片眼鏡が、キラリと光った。
「舞島は、そんなにも大切にされてたんですか」
「なにも舞島だけが特別ではありません。長崎の壱岐島のそばにも、妻ヶ島という小島があります。ここもかつては一世帯の夫婦の島守が住んでいるとして知られていました。なんでも旦那さんは江戸時代から数えて十三代目だったとか。松浦の殿様に仕える、側室付き人の血筋だったと聞いたことがあります」
「驚き――そんな歴史があるんだ」
「もっとも妻ヶ島の場合、平成十四年ごろ、さすがの島守さん夫婦も、ご高齢により壱岐本島に転居してしまい、無人島になってしまったそうですが。――同様に例の舞島も、このへんを統治していた殿様の避暑地として利用されていたと言います。その保全のために、たった一世帯の家族を住まわせていたそうですが、時代が進むにつれ、それも顧みられなくなった。昭和初期に本土に引きあげてしまい、島守制度もなくなったはずです。いかんせん電気やガス、水道設備も整っていない不便なところですからね。本土へ買い物へ行くにも、いちいち舟で行き来しないといけない。僕だってそんなところに生まれたら願いさげです。離島へは、たまのバカンスだけで充分です。――おっと。こんなこと言うと、離島暮らしの人に叱られるかもしれませんが」
今年、古稀を迎える水谷は雑貨店『Charment』の店主だ。
店は尾道市の国道一八四号線沿いから、やや奥に引っ込んだところにあった。
それほど大きくはないが、いかにも女性なら、両手を組みあわせて、飛び跳ねて感激しそうなおしゃれな外観だ。
烈子はそこで働いていた。店員は烈子だけだった。
『Charment』の雰囲気に反し、店主の水谷は紳士的な佇まいなのだが、年のせいか愛用のロッキングチェアに陣取り、その空間は要塞に常駐する軍師を思わせた。
水谷は昔、雑貨バイヤーをして海外を飛びまわっていた経験をもつため、世界情勢にくわしかった。それに無類の読書好きで物知り。
ちょうど五十のときに脱サラして、この雑貨兼アンティークショップの経営にのり出したのだ。
昨年、短大を卒業したばかりの烈子が地元で職を探していたとき、まえの売り子が出産を機に退職すると聞き、候補に名乗り出たのだ。
こうして、めでたく烈子が採用されたわけである。
店内には、水谷がバイヤー時代にかき集めた陶器やインテリア雑貨から生活雑貨をはじめ、アンティークの家具、照明、キッチン、バス・トイレ用品、アクセサリー、ギフト、パーティーグッズに至るまで、個性的なアイテムが所せましと陳列されていた。
年季の入った古美術品の価値がある調度品はともかく、小物に関しては低価格を謳っていた。
上はセレブの熟年から、下は庶民的な中学生にまで幅広い客層の支持を集めているのだ。尾道界隈では有名なアンティークショップとして知られていた。




