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15.みき、烈雄と激突

「まさか、お父さんにかぎって、そんな出張ヘルスだかなんだかを呼ぶなんて――」愕然とした烈子が声をしぼり出した。が、すぐに、「仮にその紙袋が、プロの人の持ち物だったとしても、なんでクローゼットのなかに隠してるの? ふつう、自分で持ち運んだりするんじゃないの? こんなこと言うのヘンだけど、だいじな商売道具なんじゃない?」


「パパ、かなりの常連だったりして。いちいち持ち運びするのもめんどうだから、つねに置いてあるとか。あるいは、あの衣装を着させるために、パパが買ったのかも。たしかに新しかった。広げてサイズまでは見てないんだけどね。下着は大きかったような気がする。まさかSMが趣味だったなんて。――いや、もしかしたら、相手の女が一般人だってあり得るかもしれない」


「そういうのを着させるのが、お父さんの趣味?」


 みきは両手で顔を覆った。


「きっと私にも落ち度があったんだ。ハンドクラフト会にハマりすぎて、最近、夜の相手、してなかったから。だって肩こりがひどくって、それどころじゃなかったの。ホント、男の人って世話が焼ける」


「もしそうなら、お父さんのこと、見損なう――」


 と、烈子は眉根をよせてつぶやいた。

 烈子の頭に憩いの場所が浮かんだ。

 三原市木原のわが家。高台に位置した絶好のロケーション。瀬戸内の島々が見渡せた。

 オープンテラス調のウッドデッキ。ライラックに囲まれて、色とりどりの花が咲き誇る芝生を敷いた庭。


 そして表玄関には、買ってから間もない最新型のキャンピングカーが眠りをむさぼっている。まだ三度しか使っていない。

 『こんどの連休が来たら、僕がみんなを乗せて、どこか楽しい場所につれてってあげるよ』と、キャンピングカーのフロント部分が魔法の象みたいに見え、心に語りかけてきそうだった。


 ――それら、幸せのステータスシンボルともいえるわが家に、亀裂が入ろうとしていた。

 いや、まちがいなくただではすまないだろう。たった三人だけの家族から、一家の大黒柱が欠けようとしていた。

 クローゼットのなかから、いやらしい衣装が見つかったのは、すなわち一家のきずなが、風前の灯火ともしびになったことを意味する。


「なんにしたって」と、みきは涙をぬぐいながら、小さな怒りをこめ、白くなった娘のこぶしをおさえた。「決定的な証拠はまだないんだから、結論は急ぐべきじゃないと思うの。あの人がプロの女を呼ぼうが、一般の人と不倫していようが――まだ決めつけちゃいけない」


「だったら、直接問いつめてみようよ、お母さん」と、烈子が母の腕に手をかけた。「このまま放置しても、お父さんは反省しないかも。逆にますますエスカレートしちゃうかもしれない。生ぬるい優しさはいらないと思う」


「そうね。今夜、対決しますか」と、みきは唇を噛んで、空を見あげた。「まさか、こんなことになるなんて――」


 もう涙はおさまっている。これがみきの強さだった。ひとしきり泣いたら、カラッと忘れられる。そうして烈子を育ててきたのだ。


◆◆◆◆◆


 夜。窓から星空が見えた。夜風が舞い込み、レースのカーテンが揺れていた。遠くで波の音がした。

 烈子は二階の部屋で聞き耳を立てていた。

 窓際で座ったまま双眼鏡を手にし、例のごとく舞島を観察していた。

 是孝の姿を捉えることはできない。


 階下したのリビングで、みきが烈雄を追及している声がひそやかに聞こえる。

 できるだけ事は荒立てたくない、わが娘だけには醜い争いを聞かせまいとする母の気づかいが感じられた。

 父もおなじく、見苦しい言い訳はしていないようだった。しずかに説得させようとする、押し殺した声がくり返された。


 そのうち、陶器の割れる音がした。烈子は感電したみたいに背筋をふるわせた。


「どうして、ちゃんと相談してくれないのよ!」と、みきの鋭い声が、下のフロアでうつろに響いた。「あなたって、いつもそう! 肝心なときにかぎって秘密主義なんだから!」


「ちがうんだ、これには深いわけがある! 聞けよ!」と、烈雄が反論する声が聞こえた。すでに酒が入っていたので、いつもの寛容さは鳴りをひそめている。


「誰がそんな言い分、信じるもんか!」


 また陶器が壁に当たり、派手な破砕音がこだました。さっきより大きかった。パスタを入れる大皿だろう。もしかしたら六年前、南仏ヴィエトリ・スル・マーレへ旅行したときに、骨董市こっとういちで買ったものかもしれない。

 ――思い出の品々が壊れていく。


 烈子は現実逃避するかのように双眼鏡をのぞき込んでいた。

 言い争う声が聞こえる。どうにもストーカー行為を中断することができない。舞島の是孝の行方をさがしたが、見つけることができなかった。

 思わず両耳をふさいだ。


 こんなときにかぎって、是孝は掘っ立て小屋の奥に引っ込んでいるのか、姿を見せてくれない。

 窓際のランタンの灯りはついているのだから、きっといるはずなのだが――今夜は助けてくれそうになかった。


 これから私たちは、どうなってしまうのだろう?

 ここまでみきが感情を高ぶらせ、夫を責めたてたことはなかった。たいていは一方的に耐えたものだ。とすれば、みきの激情は行くところまで行くにちがいない。


 烈雄の怒号が飛んだ。


「うるさい! おれだって、職場じゃ理不尽なことを押しつけられることがある! くそッ! ストレスで参りそうだよ! いちいち、おまえに報告する義務なんかない!」

 

 烈子は涙をこぼしていた。

 砂の城が波の浸食によって削り取られていくように、家庭が壊れていくのは悲しい。

 せっかく『Charmentシャルモン』での地位を確立してきたばかりだったのに、それさえ失いかねないような気がしてきた。


 いや、それは身勝手な自己保身にすぎない。

 こうなったら、社会で積み重ねてきたものをなくしてもかまわない。『Charment』に勤めるようになってから、たかだか一年。ほんとうに守るべきものは家族ではないか。


 この危機を、自分が仲裁に入ることにより、とめられるだろうか?

 みきはいったん、こうと決めたら退かない人だ。父も強情な一面がある。硬いおたがいがぶつかれば、おたがいが砕けてしまう。南仏で買った大皿のように。

 それこそ、修復できないほどに。


 早くしないと、熊谷家くまがやけはダメになる。いままで波風立たなかったのに、荒れるとあっけなく真っ二つにへし折れ、漂流してしまうのではないか。


 やはり部屋に閉じこもったまま、耳をふさいでやりすごすわけにはいかない。

 烈子は意を決して階下におりることにした。

 胸の鼓動が速い。

 部屋を出て、らせん階段をおりていった。中段あたりからリビングの一端が見えてきた。


 烈雄のバミューダパンツを履いた下半身が見えた。アスリート顔負けのたくましいふくらはぎをしていた。いまでは濃いすね毛さえ、忌々しく思えた。


 その脚がさっと動いた。

 パン!と乾いた音が鳴った。烈子は飛びあがる思いをした。

 まさか、みきが平手打ちをうけたのでは……。

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