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12.「僕、見ちゃったんだ。水谷さんが浮気してるところを」

「やった! 次も来てくれるんですか」


 と、烈子は両手を組みあわせ、思わず叫んでしまった。叫んだあとに、あわてて口もとを押さえた。


「来週の日曜にでも。日曜もやってるんだろ?」


「はい、やってます。基本的にお休みの日は不定休なんですけど、よほどのことがないかぎり、土日は開いてます。――ぜひ、いらしてください!」


「あっそ。ホントは日曜しか本土に渡れないんだが、いまだに書類の手続きやらなんやらで、今日みたいな平日に島を抜けなきゃならないこともあるんだ。こんなに不便なら、いっそのこと不破さんにかけあって、モーターつきの舟でも貸してもらおうかな」と、是孝はそこまで言って頭をかいた。「……あれ、まえに舞島の管理人、やってるって言ったっけ?」


「はい。知ってます。父が尾道市役所観光課の係長でして、『島守もり・プロ』について教えてもらいました。中村 是孝さんですね。志願者第一号でありながら、いきなり射止めてしまった方」


「おれはそんなにも有名人なのか。いいんだか悪いんだか。――ああ、親父おやっさんが、観光課にいるって言ってたな。思い出した」是孝は照れくさそうにしたあと、背中のリュックサックをはずした。なかからビニールに包まれた白い布を取った。おずおずと烈子にさし出す。「よかったら、これ、もらってくれないか。尾道駅へ用事に行ったら、いくつか試供品をいただいた。そのなかのひとつさ。保存しとけば、プレミアがつくかもしれない。着ても全然かまわないけど」


 烈子は折りたたまれた布を広げ、ビニールごしに見た。Tシャツだった。『舞島の島守』とロゴが入っている。

 青い海原に椀を伏せたような小島が浮かび、是孝のシルエットを模したイラストつき。くわをふりかぶったポーズをとっている。お世辞にもセンスがあるとは言いがたいデザインだった。いかにも『島守・プロ』にのっかった関連グッズだ。上質の素材を使っているのか、買うとなると五〇〇〇円はしそうだ。およそ売れそうには見えない。

 それでも烈子は、


「喜んでいただきます。ありがとうございます!」


 と、元気よく答えた。なんにせよ是孝とふたたび会え、ましてやプレゼントをいただいた。舞いあがりそうだった。まさに舞島のネーミングは、ここからきたのではないか。




 ――と、そのときだった。不穏のセレナーデは霧のように忍び寄ろうとしていた。

 玄関のドアがゆっくり開き、さっきと同じようにカウベルがカリン、と鳴った。

 『Charmentシャルモン』は雨の日だろうが、客足の心配をしなくてもいいのかもしれない、と思ったのもつかの間――。


 戸口にはニット帽をかぶった青年が立っていた。

 年齢は二十代前半か。細面の顔に、あどけなさが残っている。ボーダーのシャツと、ジーンズ姿。服を着たままひとっ風呂浴びたかのように、ずぶ濡れだ。


 ただし一点だけ、通常の客とは異なるものを手にしていた。モノグラム柄の入ったブランドものの財布なんかじゃない。

 ナイフ。ステンレスのやいばが、店内の仄暗ほのぐらいスポットライトの光をはね返していた。

 どうやら昼すぎからは、お金を落としてくれそうにない客ばかりが来店する特殊な一日のようだ。


「水谷さん、いる?」と、ニット帽を目深まぶかにかぶった青年は、甲高い声をしぼり出した。ナイフを前にかざし、烈子にせまった。放射能測定器の針のように、切っ先がふるえている。「僕、見ちゃったんだ。水谷さんが浮気してるところを。僕をさしおいて、最近、流川ながれがわの繁華街でほかの男の子を物色してるらしいんだ」


 烈子はとまどった。どううけ答えしていいかわからない。こんな愁嘆場しゅうたんばは初体験なのだ。

 店の左奥で佇んでいる是孝も微動だにしていない。闇に同化しようとしているかのように息を殺している。


「なんの話をされているか、私にはちょっと――」


 烈子はカウンターのなかで、真横にカニ歩きをした。まぢかの固定電話を意識する。


「動くべきじゃない! 僕ならこんな場面、相手を刺激しない。じゃないと、命を粗末にするだけだ!」青年は鼻息を荒くし、ナイフを突きつけた。「警察に連絡してみろ。いますぐ君の息の根をとめなくちゃならない。――これは、僕と水谷さんだけの問題だ。誰の介入もゆるさない!」


 烈子は口をつぐみ、壁に背中をつけた。

 青年が手にしたナイフは、ますます小刻みにふるえた。

 本気だ。

 やりたくないけど、場合によってはやらずにはいられない。それを必死で制御しようとしている心理が働いていた。

 うかつなことをすれば、エプロンの胸もとに穴があき、さぞかし風通しがよくなってしまうだろう。


 店主の水谷は今年七十を迎えるが、いちども結婚したことがないと言っていた。

 かつて恋仲になった人と、身も焦がすような大恋愛のすえ、人生の伴侶はんりょにと決めたはいいが、双方の両親から猛反対され、泣く泣く引きはがされたそうだ。以来、独りで生きることを選んだという。


 まさか男色の性癖をもっていたなんて、寝耳に水だった。

 ――いや、トラウマとなった過去の失恋とやらも、もしや相手は同性だったのではないかと思えてきた。ときおり仕事の最中に見せる女性的なしぐさや、ふとした拍子に口をついて出る言いまわしも、奇異な印象を抱くことがあったのだ。そのたびに烈子は、うなじの毛が逆立つ思いをしたものだ。


「もういちど言う。水谷さんを出せ」


「落ち着いてください……。水谷社長はいま外出しております。どんな怨みかは存じませんが、ここで待たれても当分帰ってきません。ですから頭を冷やして、今日のところはお引き取りください」


 と、烈子は自身でも驚くほど、淀みなく言うことができた。


「頭を冷やせだと?」ニット帽の男は眼をむき、舌を見せた。「僕は見ちゃったんだ。おない年ぐらいの男と、お手々つないでホテル街を歩いていくとこを。彼のにやけた顔ったら見ちゃいられなかった。あれはきっと、デキてる(、、、、)


「なにかの見まちがいでは……」


 ナイフがカウンターごしに突きつけられた。

 まるで鎌首をもたげたコブラのように烈子の前にせまる。先端恐怖症のせいで、全身が固まり、思わず眼をつぶってしまう。


 そのとき、左奥で是孝が、


「いいかげんにしろ。脅したところであんたの彼氏が現れるわけでもないだろ」と、鋭く言った。


「なんだ、君は。この子とグルか?」


「グルなもんか。偶然入った客にすぎんよ」


「是孝さん、よしてください」


 烈子が間に入った。

 ニット帽の男が顔を突き出し、眼を細めた。是孝の方に向きなおり、ナイフでしゃくった。


「君、どこかで見たことのあるぞ。モデルか芸能人だったか?」


「そうかもな。このへんじゃちょっとは知られてる。――舞島の島守ってやつさ」


「ははあ!」と、男は是孝に近づき、感心した様子で胸をそらした。「このあいだまで流行はやってた島守か。どうりで週刊誌やテレビで見たことある顔かと思ったよ。まさかこんなところでご対面とは意外だった。さぞかし奇人変人だろうかと思いきや、ちゃんとものはしゃべれるんだ」


「もう帰れよ。その子も言ったろ。ここに、あんたの片思いの人はいない。幸い、店で刃傷沙汰にんじょうざたにならなくてよかったじゃないか。彼女も床掃除をしなくてすむ」


「いんや!」と、男は首をふった。「どこにかくれていようが、彼を必ず見つけ出し、一矢報いてやる。僕たちは三年半もつき合った。あれほど思いを重ねてきたのに、こんな仕打ちは耐えられない。水谷さんは刺されても文句は言えないはずだ!」


 是孝の方に男は近づいた。

 一触即発――。

 その瞬間、またしても玄関のドアが勢いよく開いた。戸口に傘をさしたスーツ姿の男が立っていた。

 水谷だった。


「いけませんね。あれほど私の店には来てくれるなと釘を刺していたのに、特定してしまうとは……。これでは、君との仲も解消しないわけにはならなくなりました。いますぐここから出ていきなさい」


 と、片眼鏡モノクルをはめた水谷は、よく通る声を響かせた。

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