11.「やっぱり草食系なのかな」
芝生を敷いた庭に烈子の母、みきが盆をもって戻ってきた。盆には瓶ビールと、カットされたカマンベールチーズ、それにハーブティーが満たされたガラスティーポットと、上品なデザインのカップ。馥郁たる香りが鼻を刺激した。
テーブルに三人の親子がそろった。
「もう一本、いるんだろうと思ったらやっぱりね……。けっこうなピッチじゃない、この呑兵衛さん」
みきは冷えた瓶ビールを烈雄の髭面に押しつけた。
「おっと、やってくれるな。――せっかくの快晴だ。自分ん家の庭でピクニックもいいじゃないか。安あがりだって? それがどうした」
烈雄は受け取ると、さっそく栓をあけた。
「手抜きの家族サービスだこと」
「なんにせよ」と、烈子は頬杖をついたまま、「不破部長は、それっきり島守プロジェクトを猛プッシュしてないの? ずいぶんとご自身の、熱のこもった昔語りをしたわりには、やりっぱなしなんじゃない?」
「そう。残念ながら放り投げたようなもんだな。市役所は惰性で中村 是孝の面倒を見ていると言ってもいい。そうだな、部長の青春時代のエピソードはいったいなんだったのか」
「だからって、完全にあきらめたわけでもないんでしょ?」と、みきは口をはさんだ。ハーブティーをカップに注ぎ、烈子に手渡した。「またいつの日か、注目されるときがくるかもしれないじゃない。人の流行って、なかなか読めないものよ。ちょっとしたきっかけさえあれば、爆発的な人気が出ることだって、ないわけじゃない。今回はたまたま、時代の流れに乗れなかっただけで……。時代を先取りしちゃったせいで、世間さまがついてこられなかっただけかもしれないんじゃ? そう不破さんをフォローするのは好意的解釈かしら」
「ふたたび注目ね。だといいが」烈雄は言い、グラスの中身を干した。「……それはそうとして、不破部長は自分に非があると感じてるらしく、ここ最近、よく舞島へ渡り、中村 是孝と面談してるようなんだ。男二人っきりで。いったい、なにしてんだか」
「まさかとは思うけど、『島守プロジェクトの件は、一年の契約でやめにしないか』だとか、説得しに行ってるんじゃないよね?」と、ティーを口にしていた烈子が顔をあげた。「あの暑苦しい人が、そんなことするわけない」
「不破部長はいちど決めたことは、是が非でも曲げない人だ。きっと二人して、これからどうやって舞島における島守制度を全国に発信していくとか、新たなプランを相談しているんだと思うが……。なんとも言えない。とにかく、おれたちには内緒にしてるんだ。なにがなにやら、さっぱりさ」
「島守ね。残念ながら百年経っても評価されるときがくるとは思えない」
烈子がうしろをふり向き、高台から舞島を見おろした。
椀を伏せたようなちっぽけな島が見えた。磯に波頭がぶつかっており、衝撃で流されてしまうんじゃないか心配になってしまう。それほど頼りなかった。
島と島のあいだを、フェリー・シトラス号が海原をかきわけて進んでいる姿が映った。のどかな風景だった。
いまどき舞島に島守を復活させたのは、エキセントリックなアイデアにすぎないだろう。
しかしながらあの島に、ホームセンターでの窮地を救ってくれた男性が住んでいるのだ。いちど会っただけで恋してしまった。
いまのところ双眼鏡をのぞいてでしか彼の存在をつかむことができないが、それでもすぐそばにいてくれる。
どうかあの人が、島守の仕事に嫌気をさして辞めてしまわないように――烈子はひそかに願うのだった。
◆◆◆◆◆
連休明けの月曜日だった。
昼すぎから一転して、雨が降りだした。
おかげで雑貨店『Charment』のレジで、烈子は暇をもてあますことになった。憂鬱そうな顔で頬杖をついていた。
午前中は観光客がひっきりなしに入っていたのに、これでは客足がパタリと途絶えてしまうだろう。
去年は六月の長雨のせいで、連日ノーゲス(来客数ゼロ)の日が続いたことがあった。自然現象には逆らえないのはしかたないとして、来月の梅雨にそなえて、雨の日ならではの集客方法を検討すべきだ。売り上げがとぼしいと、給料にまで響いてしまう。
小窓から国道一八四号線が見えた。行き来する車は飛沫で煙っているほどの烈しい本降り。
水谷は昼前から用事で出かけていた。雨が降り、客が来なくなるのを見越していたのだろう。夕方まで帰らないと言っていた。
店内の床の清掃はいつも行き届いている。せめてアンティーク家具の埃を払おうか。それが終わったら伝票整理と在庫管理でもして、時間をつぶすしかない……。
――してみると、この人とは雨の日に会う運命なのかもしれない。
是孝は雨とともに現れ、去るときは晴れにしてしまうふしぎな才能があった。しかも虹のアーチをかける魔法までもっていた。
烈子はレジの下でうずくまり、古い伝票の束をダンボール箱におさめているときだった。
玄関のドアに取りつけたカウベルが涼やかな音を奏でた。ドアが開き、お客が入ってきた気配があった。
「いらっしゃいませ!」
と、烈子は埃にまみれながら立ちあがった。
「こんちは。場ちがいな気もするが、お邪魔してもいいかな?」
雨に煙る外を背にし、まさに中村 是孝その人がそこにいた。
灰色の光をうけ、なかばシルエットと化していたが、見まちがえるはずがない。その声は疑いようがなかった。今度はちゃんと傘をさして来たらしく、閉じているところだった。
烈子は絶句したまま、氷像みたいに固まってしまった。
まさかあの背高ノッポの彼が、店に訪れるとは夢にも思わなかったのだ。
「感じのいい店だと思って入ってみたが」と、烈子を真正面から見た。傘立てに傘を突っ込み、レジに近づく。「世間は狭いな。――君、どこかで会ったよな。そのパッツンした前髪、見憶えある」
烈子は息を吸い込んだ。大きな声で、
「先々週の木曜、ホムセンの『ユーポー』でお世話になりました。閉じ込められた私の車を脱出させていただいた、あのときの――」
是孝は口をOの字にあけた。
「あのときの女の子か。奇遇だね。ひょっとして、ここで働いてるの?」
「はい!」
「おしゃれな店だと思うよ。『Charment』ていうんだ。てか、何語?」
と、是孝は店内を見まわしながら言った。片手にスーパー『いぬい』の文字の入ったビニール袋をさげていた。大量の食材がつめ込まれていた。
「フランス語。『魅力的な』っていう意味だそうです」
「あそう。雑貨店なんて、たいてい女の子が利用するだろうけど、やっぱり草食系なのかな。おれですらステキに見えるよ。こんなこと、男が言うとヘンかな?」
心臓が踊りに踊った。
店を褒めてくれるのは、烈子自身をも褒めてくれたも同然だ。モップで床を磨くときは、それこそ愛情をこめて磨いてきたのだ。
この愛すべき雑貨店『Charment』は、水谷が安心して身をゆだねられる要塞であり、社会に出た烈子がいきなり出会うことのできた安住の地でもある。水谷が不在でも、一兵卒たる烈子がなんとしても守らねばならない砦だった。
「とんでもないです。はじめこそカップルで店に入られ、そのあと、ハマる男性の方もいらっしゃいます」息を弾ませながら言った。たしかに、一定数の草食系男子のお得意さんがいた。水谷いわく、ここ一〇年はそういった男性客が増えつつある傾向にあり、わざわざ他県から足を運んでくる者もめずらしくないのだとか。
「そっか。いい味わいのインテリアや小物がいっぱいあるね。今日はスーパーで使い込んじゃったからあきらめるけど、次来る機会があったら、きっと買うよ」
と是孝は言って、ペンギンをかたどった文鎮を手にとって眺めた。微笑みが浮かんだ。




