10.予算を浪費しただけの失策
こうして本格的にプロジェクト――『島守・プロ』は動き出していった。
不破の託宣という名の思いつきにかかれば、観光課職員たちは離岸流のうねりに飲み込まれたも同然だった。
真っさきに、島守を誰にするかが検討された。
昭和初期まで舞島で暮らしていた栗林家の末裔にコンタクトを取ろうとこころみた。島守生活をおくった当の最後世代の人物は、一九七二(昭和四十七)年にすでに他界していたので、三人の息子たちに託すべきだということになったのである。いま一度、舞島の島守としてやってみるつもりはないかと。栗林家の者をさしおいて、ほかを立てるのは筋がとおってはいまい。
しかしながら、栗林家は子宝にめぐまれず、いまや家系が途絶えそうな危機に瀕していた。
生涯独身をつらぬいた長男も亡くなって久しく、次男は結婚していたが子供はおらず、いまは特別養護老人ホームに入居していた。すでに百歳まぢか。じっさい会ってみたが、認知症が進み、意思の疎通すらかなわなかった。
三男は過去に結婚、離婚を五度くり返し、それぞれの妻に子供がいたにもかかわらず、すべて妻側が引き取っていた。調停で親権争いをしたが、これもみんな奪われていた。
事実上、栗林家の血筋が絶えるのも時間の問題だった。
そもそも三男に関しては、島守をつとめた父が本土に引きあげたあとの子供だったので、格別な思い入れもなかった。それは抜きにしても、やはり高齢なので、いまさら三男自身に島守を勧めるのも無理があった。
舞島に、栗林家以外の島守を配属させることについては、なんとか許可がおりた。舞島は尾道市の管理下におかれているのだ。
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「それならばだ!」と、不破は市民会館の廊下を大股で歩きながら言った。「それならば、いっそのこと新規で募ってしまおう。インターネットで全国に告知し、我こそはと思う人に名のりをあげてもらう。当然のことながら、適任かどうかは、面接をおこなって判断する必要があるがな。なにせ島にあがれば一人っきり。ろくに電気も水道も引いていない場所で、サバイバル生活を強いられるのだ。自活できるほどのバイタリティあふれる人材でなくてはならん!」
「おっしゃるとおり、不破部長なみに元気でないとね」と、隣りを歩く観光課のお局である平田がメガネを押しあげて言った。「さっそく募集をかけてみましょう。おもしろい人材が集まればよろしいですわね」
「おおとも、よろしく頼むぞ!」
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数日のうちに第一号の志願者が現れた。それも、直接市役所に乗り込んできた行動派の若者だった。
それが中村 是孝だった。
さっそく不破と前田課長、熊谷 烈雄らが面接官として対面した。
是孝の独特な佇まいとあまりの口数の少なさに面食らったが、二言三言、言葉を交わしただけで、不破はものの三十秒とかからず即採用と太鼓判を押した。理由はその独特な存在感から、島守にふさわしい文学性を匂わせていると判断したのだ。是孝の過去の履歴は、この際どうでもよかった。
島守はあっさり決まった。
つぎは舞島の整備である。昭和九年まで使われていた栗林家の家屋は、とうの昔に解体されていたので、新たに建てる必要があった。
島に粗末な小屋が建てられ――いかにも島守が暮らすにふさわしい質素さが要求された。華美なものはいっさい認められなかった。屋根が赤く塗装されているのはご愛嬌だった――、いざ是孝が配属されたはいいが、話題性としてはいささか牽引力に欠けた。
不破はいずれ火がつくと信じて、尾道から全国に向けて大々的に宣伝した。ネット動画まで配信され、再生回数が半月で一〇〇万回を超えると、ニュースにも取りあげられた。
いよいよ舞島に是孝がおかれ、この現代に島守がよみがえったわけである。
最初のうちこそ、フェリーで舞島のそばを通って見学するツアーが組まれ、人気を博した。上陸は禁止。あくまで遠巻きに見守るだけである。
尾道駅などの土産物店にも関連グッズがならび、そこそこの数字を稼いだ。
……が、悲しいかな、その注目も、三ヶ月もすれば誰にも見向きされなくなった。
つまるところ市役所の企画としては、予算を浪費しただけの失策にすぎなかったのだ。
観光課の事務所に白々とした空気が立ちこめるようになった。そのころから、デスクにつく不破は別人のようにおとなしくなり、やたらと新聞をひらいて誰とも眼すら合わそうとしなくなった。
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契約上、是孝には舞島の手入れと番人――島に隔離するわけにもいくまい。なんらかの用事や、買い出しの際、島をあけるについては、大目に見ていた――をつとめる報酬として、ひと月あたり、一般的な民間企業の、初任給なみの給料を与えていた。
植林まではせずともよい。
ときおり石垣をそろえ、雑草を抜き、あとは生活の足しにと、畑を耕すことを不破は命じた。
サツマイモの苗やら野菜の種を植えつけ、いかにも島守らしく、一人健気に自給自足の暮らしをしているようにと。あとは島でいる分には、なにをしてもよい。油絵を描いていようが、蕎麦を打っていようが、折りたたみベッドに半裸で寝そべり日光浴をしていようが、島守のイメージを損なわない範囲でゆるされた。なかでも、磯からの釣りが推奨された。
フェリーが島のそばを通過するときは、極力小屋のなかにはいず、屋外で作業していてくれとの指示がなされた。船から観光客が手をふってくれたら、できるだけ愛想よく応えてやれとも……。
ここまでくると、ある種のエンターテイメント性が求められていた。もはや見世物と化していた。人権問題に触れそうだったが、当の是孝はさほど気にはしなかった。
インフラの設備もない舞島での生活は、かなりの不便を強いられるにちがいない。
とはいえ、わずらわしい人間関係に悩まされる心配もなく、孤独に強い性分と、退屈をまぎらわせるだけの空想癖さえあれば、かなり暢気な日常を送ることができるはずだ。
それは是孝にとっては天職とも言えた。客寄せパンダとして奇異なまなざしで見られていようが、本人はどこ吹く風だった。
買い出しの日は、基本的に日曜日と決まっていた。朝、決められた時間に迎えがくることになっていた。
急用が発生した場合にかぎり、小屋のかたわらで、なんと狼煙をあげて合図するようになっていた。
是孝本人は携帯電話の類を持っていなかったし、仮に持っていたとしても、尾道市役所としては、島守を復活させるにあたり、あくまで原始生活をやらせるつもりだったので、却下されただろう。万が一、命の危険にさしせまった不測の事態が起きることだけが心配されたが、市役所はあえて眼をつぶった。
つねに職員の誰かが見張っているほど暇ではない。
近隣住民が狼煙を目撃したら観光課に一報を入れ、また因島で懇意にしている漁師に連絡が行く手はずになっていた。
もっとも、この温厚な漁師も、明け方から昼すぎにかけて定置網漁のため漁場へ出払うことになっているので、できるだけ仕事の差しさわりにならないよう心がける必要があったが。
舞島における島守が復活したはいいが、早々と世間からは忘れ去られていた。立ち上げから半年経った。
むだな出費だけがかさむことに、市役所幹部たちは頭を悩ませていた。
是孝自身が生活の単調さに音をあげ、島守を辞退したい意向を示せば、舞島の島守制度を終えることも検討していたが、なかなかどうして是孝としてはこの生活になじんでいるようだった。
言い出しっぺの市役所としては、『島守・プロ』始動から半年たらずなのに、いまさら立ち退いてくれとも言い出せず、やむを得ず黙認するしかなかったのである。




