1.ろくにインフラの設備もない小島
瀬戸内の海に、五月の細やかな光がきらめいていた。
ちょうど晴天に布団を干したときと同じだ。あまりのまぶしさに、眼をあけていられなくなる。
烈子はパッツンした前髪のうえに手で庇をつくり、青い海をながめた。
そこは広島県三原市木原の自宅だった。
死角になっているが、真下の山陽本線を見おろす高台にあった。
烈子は一階のウッドデッキに出て、深呼吸してみた。
なにもかもが若々しい緑をしたたらせた初夏。
庭一面に植えたライラックが、紫色の花を咲かせる時期だった。上品な香気が胸いっぱいにひろがった。
瀬戸内の海に眼を向けると、真っ先に岩子島が飛びこんでくる。
あの島は、『しまなみ海道』が通過する向島の西側にあった。昭和四十三年に向島大橋が開通し、いまは西瀬戸自動車道を通じて、本州、もしくは四国から陸伝いに渡ることができるのだ。
岩子島の斜めうしろには細島が、岩子島のほぼ真後ろには、尾道市と愛媛県今治市の中央に位置する因島の島影が浮かんでいた。
子供のころから見なれた景色だった。島はずっと昔から形をかえることなく、そこにあった。
細島から一〇〇メートルばかり北側――つまり、本土である三原市木原寄り――に、例のちっぽけな島が見えた。
あれこそ舞島だ。半年前までは無人島だった。
烈子は父の私物である双眼鏡をのぞきこんだ。
対物レンズを小島に向けた。木原から、せいぜい六〇〇メートルも離れてはいまい。
舞島は周囲八〇〇平方メートルあるかないかだ。外周を緑がとり巻き、こんもりと盛りあがって、椀を伏せたような形をしている。
平らな部分はあきらかに人の手によって開墾され、櫛で引いたようないくつもの畝が見えた。
畑だった。畝には規則正しい間隔で、緑色の植物が芽吹いていた。なんの芽かまでは、ここからでは遠すぎてわからない。
島の左の方に、掘っ立て小屋が建っていた。赤い屋根が眼をひいた。
――いた。
ちょうど小屋から出てきたところだ。
二十代後半ぐらいの長身の男。
両腕をあげて、猫みたいにうんと伸びをしたあと、身体を左右にひねって運動しはじめた。
なんだか気のない動き。爽快な気分で身体を動かしているのではなく、運動せずにいると、なまって健康によくないから義務的にやっているといった感じだ。
そのうち屈伸運動を終えると、こちらに向きなおった。
烈子の双眼鏡が、彼の細面を真っ向からとらえた。
双眼鏡を眼にあてたまま、「ほう」と、ため息をついた。
胸の高鳴り。おさえられない。
まさか本土の高台から、誰かにのぞかれているとは夢にも思うまい。
無防備な寝起きの顔がはっきりと見てとれた。
トーテムポールみたいにひょろりと背が高く、以前はモデルをやっていたのではないかと思うほど、手足が長い。
髪の毛は無造作に盛りあがっており、潔いまでにもみあげから下を刈り込んだテクノカットだった。
あごに無精ひげをはやしていたが、烈子の眼には好ましく、おしゃれに映った。
特徴的なのは大きな耳。側頭部から、なにかのアンテナみたいに張り出していた。さぞかし人のしゃべる言葉を拾うことだろう。ただし悪口まで拾ってしまうため、彼はああして、その若さで隠居してしまったのではないか。
――ろくにインフラの設備もない小島に。