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突然の死

趣味全開でいきます。

 唐突だが、世の中に通勤・通学時間ほど無駄な時間もなかなか無いと俺は思う。わざわざたった24時間しかない1日のうち貴重な数時間を費やして職場や学校まで出向いているというのに、その間は机に向かっての仕事や勉強なんて出来ないのだ。勤め先や学校に向かうのに必要な行程である以上、ある意味で仕事や学業に束縛された時間だと言える筈なのにその間に費やした時間は給料や単位などで還元されたりはしない。

 とはいえ音楽を聴いたり動画を見たり本を読んだりSNSで人と繋がったり出来る分、まだ自由時間と呼んでも差し支えないギリギリのラインでもあるんだろうなとも思うわけだ。きっと平日の昼間のように空いている電車ならそうなんだろう。

 でもこれが満員電車だったりしたら目も当てられない。人が多すぎるが故に夏だろうが冬だろうがお構いなく蒸し暑いサウナ地獄のような空間に奴隷船の奴隷のごとくぎゅうぎゅうに押し込まれ、体はねじ曲がってつり革は掴めず、バランスをとるためのスペースもなければ、揺れるだけで周りの人間の体重が一気に寄りかかって来るので立っているのも辛いという悲惨な環境。あまりに狭いので本やスマートフォンはおろか、車内に音漏れが響き渡るからという理由で音楽プレーヤーすら許されないときた。ただでさえ地獄絵図のような車内で唯一許されていた娯楽、癒しが失われるのである。皆が我慢してるんだからお前も我慢しなさい。げに恐ろしきは同調圧力であるというものだ。挙句の果てには痴漢や痴漢冤罪、しまいにはダイヤの大幅な乱れとかいうクソ喰らえな大遅延など、ただただひたすら不快で面倒くさいだけの苦行に、まるでお前ら全員連帯責任!とでも言われんばかりに通勤圏内の社畜学畜が皆揃って付き合わされる羽目になるのだ。当然その日のテンションはダダ下がりだし、本来の時刻に始業できなかった経済的損失も計り知れない。

 こんな理不尽、他にあるだろうか。ブラックバイトで違法残業させられまくって、時給が300円を切った時でもここまで辛くはなかった。あの時は確かに精神的な辛さもあったけど、それでもここまでの直接的な苦行じゃなかった。それに、何よりブラックバイトは嫌になったらやめられるけれど、学校や仕事はおいそれとやめることなんて出来ないのだ。全国の労働者や学生達は満員・遅延打破を掲げて革命を起こしたとしても非難される謂れは無いだろう。

 せっかく苦労して大学に受かっても、毎朝毎晩こんなに辛いのが後4年も続くのかと考えただけで鬱になる。これでも乗り換え本数が他の学校に通っている人に比べて少ないんだからまだマシなほうではあるんだけども。ヒドいのになってくると往復で4時間かけてる人もいると聞いた。それもう引っ越したほうが絶対いいだろ。


 とまあ、そんな感じで俺、神坂(こうさか)(あきら)はいつものように心の中で盛大に愚痴りつつ、将来は絶対車通勤するんだと心に誓いながら通学のために仕方なく満員電車に揺られていたわけだが、ここでふといつもは感じることのない違和感のようなものを覚えた。何かこう、トンネルとか山道を通る時に気圧差で耳がツンとなるような、そんな何とも言えない奇妙な感じがしたのだ。

 上半身はおろか下半身すら満足に動けない絶望的なまでに窮屈な車内で、首だけでも動かして辺りを見回してみるが、俺以外に特に気にしてるような人は見当たらない。別にトンネルや高低差があるわけでもなし、勘違いかなとも思ったけどやっぱりそんなことはなくて、さっきの変な感覚が再度俺を襲う。

 ドクン、と、今度はさっきよりも強い違和感がした。うん、やっぱりこれは絶対に勘違いなんかじゃない。けど誰も気にしてる人はいないみたいだ。俺がどこかおかしいんだろうか。


 しばらくすると、また例の違和感が俺を襲ってきた。今度はかなり強かった。「襲う」という表現がぴったり当てはまるくらいには、はっきりとしていた。

 今一度確認のために周りを見回してみるも、やっぱりこの違和感を感じ取った人間は他にいないらしい。むしろさっきから満員電車なのに周りをキョロキョロ見回してる俺のほうが挙動不審に見えるのか、ちらほら注目されている始末だ。

 うーむ、どうやら完全に俺の体調不良が原因らしい。この気が滅入るような満員電車に遂にやられてしまったか。それとも時間がなかったから朝ご飯を抜いてきたのがいけなかったんだろうか。


 だが、事態はだんだんそんな悠長なことを言ってられなくなってくるほど深刻になっていく。

 ドクン、ドクン、と違和感……いや、もう言い方を変えたほうがいいだろう。はっきりとした()()が断続的に俺を襲う。回数を重ねる毎に痛みもきつく、大きくなってくる。冷汗が背中をつたい、流れ落ちる。手汗が滲んで吊革が掴みづらくなる。


 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクンーーーー。


 ダメだ、これは本気で拙いやつだ。所謂「急病人介護」のため列車を遅らせてしまうやつだ。正直もう立っていることすらままならない。すみません、近くにいる人達。ちょっと僕もう倒れます。


 がくん、と膝から力が抜けて、俺は崩れ落ちる。周りの人を何人か道連れにしながら、満員電車の中で盛大にぶっ倒れてしまった。


「おい!大丈夫か君!」


 車内にざわざわとどよめきが広がる中、近くにいた見知らぬサラリーマンのおっちゃんが驚いて声を掛けてくれる。かろうじて目線だけは動かせたので、おっちゃんの方を向いてなんとか返事をしようと試みるも、かすれ声しか出ない。


「か……だ……はッ……はッ……!」


 大丈夫ですよー、多分すぐ治りますから。そう言いたいけれど、まともな呼吸すらままならない。


 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクンーーーー!


 脂汗が身体中から噴き出る。体温がどんどん下がっていく。勝手に溢れ出た涙が顔を濡らし、鼻水が垂れて床を汚す。頭が痛み、視界が霞んで、聴覚も遠のいてゆく。寒い。暑い。痛い。苦しい。辛い。眠い。

 こんなの今までに経験したことがない。何だこれ。辛すぎるだろ。満員電車ってこんなに大変だったのかよ。冗談じゃない。俺はもう降りるぞ。

 けどそんな風に現実逃避しても意味がない。確実に俺の生命力のようなものがガリガリ削れてゆく。マジで死にそうだ。というかこれ死ぬんじゃないのか。俺が一体何をしたっけ。悪いものでも食べたのかな。健康診断では健康だと言われたんだけどな。急病なのか。体のどこかに腫瘍とかあったのかな。それとも何かヤバイ病原菌が潜伏してただけなのか。

 薄れゆく意識の中、そんなどうしようもないことばかり考えている。最早満足に手の指先すら動かせやしない。


 やがて次の停車駅が近づいてきたんだろう。だんだんと減速する感覚をダイレクトに床から感じながら、しかし電車が止まって係員が駆けつけてくるまでには間に合わないんだろうなぁ、ということが直感で分かった。

 電車の揺れがかなり小さくなってくる。駅に停まるまで後少しみたいだ。ああ、眠くなってきたな。そろそろ限界が来たか。


「君!駅に着いたぞ!あと少しだ、頑張れ!……おい、大丈夫か!……だ……じょ……か……!」


 遠くの方でさっきのサラリーマンらしきおっちゃんが俺を呼んでいる気がしたが、だんだん声も薄くなっていく。足音が一気に響いたので駅に着いたんだろう。けど残念ながらちょっと遅かったみたいだ。

 突然すぎて覚悟を決める事すらできなかったし、何が悪かったのかさえわからないけど、どうやら俺の人生もここまでみたいだ。電車に乗って着いたのは人生の終着駅でしたとさ、なんて取り留めもない駄洒落を考えてみたり。なんかもうここまでくるとかえって絶望感とかは沸かないらしい。人より相当短い人生だったとは思うけど、結構楽しかったぜ。あばよ、マイライフ。生まれ変わる機会があったなら、そんときゃまたよろしく頼むぜ。


 最後にチラリと視界に映った吊革の広告がやけにキャッチーで、それだけがくっきりと目に入ってくる。



 そこで俺の意識は途切れたのだった。


書いてて楽しいって大事ですよね。

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